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森と林業の本

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2023/06/28

景観・見映えの「善し悪し」は変わる

先日の津山訪問時には、フランウッド本社も訪ねたのだが、そこで見せてもらった製品に驚いた。

なんと死に節だらけのスギ板なのだ。それをフラン加工して、焦げ茶になって積まれている。これは施主の要望に沿ったものだと。つまり、死に節のある板を建物の外構やルーバーとして使うという。そんな材なら安い、からではない。これがオシャレというのだ。

1_20230628115601節穴は撮り忘れた

これまで木目は「真っ直ぐ・無節」を極上とする価値基準があったが、そこに「節があって曲線の木目の方が自然な感じ」と言われるようになった。だが、その節だって生き節。さすがに死に節で抜け落ちたようなものは相手にされなかったはず。それが、いよいよ節穴のいっぱい開いた板の方が自然と言われるようになったのか。見映えの価値基準の大転換かもしれない。そして死に節があってもよいのなら木材利用の幅が広がり、歩留りも上がるし、何より丸太全体の価値も高まるだろう。節穴から腐りやすい問題は、もちろんフランウッドだから腐らないという点があっての利用でもある。

見映えの価値判断は、時代によって変わる。

話は変わるが、奈良県は知事が交代して、維新の新知事は従前の開発計画を見直すと張り切っている。私も前知事の計画の中には、それはいらんだろうと思うものもあったのだが、気になったのは平城宮跡の中を走る近鉄電車の移転計画である。

近鉄は、まだ平城宮跡の場所がはっきりしない時代に線路を引いた。そのため現在は史跡のど真ん中を横切っている。それを移動させて地下に移す計画で、奈良県、奈良市、国(文化庁)、そして近鉄で合意したものだった。それを新知事はいらん、と計画を白紙にしたのである。

6_20230628120801近鉄電車がひっきりなしに走る

巷には、近鉄奈良線に乗ると窓から平城宮跡が見えて絶景だ、また電車が走る平城宮跡の光景がなじんでいる、だから今のままでいいと白紙撤回に理解を示す声もある。その景観判断は、視点を変えてほしい。

私も電車に乗って屋良に行くときは、窓から朱雀門を見るのが好きだ。その景色は自慢したくなる。だが、同時によく平城宮跡に行く。ここを散歩する。そして朱雀門、大極殿、大極殿南門、東院庭園、そして発掘現場……と眺めて歩くのが、ちょっとした癒しになる。そこに電車が走るのは、天平時代の夢が破られる思いだ。しかも踏み切りがわずかしかなく、なかなか渡れない。

たしかに見慣れた光景であり、ミスマッチ感覚の面白さはあるが、それは天平の風景ではない。電車に乗って平城宮跡の朱雀門などを眺めるのとは視点が違う。文化的景観づくりという点から電車は走るべきではない。なれたというのは、ここ何十年のことだろう。1300年の歴史を無視している。私は、この一画に天平の景観を復活させてほしいのだ。それは日本のブランディングとしても有益なはずだ。

もともと朱雀門前には巨大な化学工場があったのを移転させるなど、この史跡全体の仕上げ段階だった。しかも移転費用などの点でなかなか進まないものを、ようやく実現まで持ってきて、関係各者も同意したばかりなのである。それをちゃぶ台返しをすれば、今後100年は実現しないだろう。今はミスマッチ感覚で面白い景色だからいいや……というのは、視点がさもしい。

と言っても、維新の頭では文化なんてわからないだろうなあ。この知事は以前生駒市長だったが、その時も伝統的な火祭りに市が関わるのは、宗教行事だから憲法違反とのたまわった人物だからなあ。目先の開発中止で財源を浮かしたと自慢しても、歴史的視点からは後世に批判されるだろう。

 

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