フェノロサ講演会に思う
今日は、急遽、浄教寺の本堂で開かれた「フェノロサ講演会」に足を運んだ。
講師は、西山厚・奈良国立博物館名誉館員。「奈良の仏像 フェノロサを読む」
アーネスト・F・フェノロサは、明治期の日本の「お雇い外国人」である。専門は哲学だったとのことだが、実質は美術、文化財となった。そして日本の文化財保護に大きな足跡を残した人物である。
奈良市の浄教寺は、そのフェノロサが「奈良ノ諸君ニ告グ」という講演した場所。1887年6月5日、今から136年前のことだ。寺の境内を借りて行われた講演会には、岡倉天心が通訳となり、数百人を集めたという。その中には奈良県知事もいたようだ。非常に注目を集めた講演であった。
そこでフェノロサがぶったのは、日本の絵画や彫刻、とくに仏像の素晴らしさであり、これは奈良の人の宝ではない、日本の宝だ、いや世界の宝である、古代ギリシャ彫刻に引けはとらぬ、ギリシャの最盛期は1、2世紀しか続かなかったが、日本は千数百年も続く、今も続いている、これを守らずしていかにせん! と檄を飛ばしたのである。
実際、フェノロサは、仏教徒になったうえ、アメリカに帰国後はボストン美術館に日本館を設けてキュレーターとなった人物だ。生涯を日本の美術に関わったのである。
さて、なぜ私がこの講演会に行ったのか。それは『山林王』を執筆中に浄教寺について書いたからである。それは土倉庄三郎が古社寺の文化財の保護に取り組んだ(『山林王』136ページ参照)章に関連してであった。
なぜ、庄三郎は、古社寺の保護を言い出したのであろうか。そのヒントとして浄教寺の講演会があったのではないか。もしかして、庄三郎も参加していたのではないか。これに刺激を受けて自らも文化財保護に乗り出したのではないか……というのが、私の仮説。
もちろん証拠はない。どこにも参加したとは書いていないし、講演会の参加名簿でもあればなあ、と思っている。
が、それから9年後、庄三郎は「古社寺保存ノ請願」を貴族院議長宛に提出した。その内容には、西洋の文化財保護の内容などにも触れており、とても個人では知ることのできない情報が含まれているのである。そして欧米諸国が日本の美術を称賛していること、これは大和のみならず日本帝国そのものの価値と記す。これって、フェノロサの言い分に似てはいないかい?
……とまあ、そんな気持ちで講演会を後にした。ちなみに、浄教寺には父の葬儀でお世話になった関係である。これも縁だ。
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