阿里山巨木林の日本人探検家たち
最近、マスコミに戦艦長門がよく登場する。朝日新聞に連載があったし、テレビでも戦争末期に洋上砲台と化した姿(ようするに航行できずに沿岸に留め置かれて砲台として使われた)が映し出された。
戦艦大和ばかり話題になることが多いが、実は連合艦隊旗艦として、開戦から終戦まで生き延びた唯一の戦艦である。そして米軍に接収された長門は,水爆実験に供せられた。が、一発では沈まず、二発目でようやく沈没する。もし乗組員がいて、排水もしくは注水してバランスを取れば、沈まなかったのではないかという推測もある。他の船が一発で吹き飛び沈んだのに比べ、圧倒的な不沈ぶりだった。
とまあ、そんなことを書きたいのではなく、豆知識として、戦長艦門の甲板の木は阿里山のタイワンヒノキが使われた、ということを触れたかっただけなんだが。
そして、ちょうど今、土倉龍次郎が撮影したとされる阿里山の写真を解析していて、新たな事実を発見したのである。
最初に借りた写真はこのようなもの。
非常に色あせていて、森の写真とかろうじてわかる程度。ただ裏書きに「アリ山」の文字があるのだ。つまり龍次郎も阿里山を訪れているらしい。もしかしたら日本で最初であり、一般に言われる阿里山の巨木林発見より早い。長野義虎が阿里山を踏破し、斉藤音作と本多静六が大森林を発見したことになっている。その前だ。
もちろん、この写真がいつ撮られたのか確認しようがないのだが。
さて、今回はこの写真をもっと精密なスキャニングをかけて詳細に点検してみた。まず巨木の根元に人間らしきものが写っていることにきづく。これは以前にもそれらしくはあったのだが。より拡大し、コントラストや照度、色を補正していく。すると。
これが巨木の周り。すると、一人ではないのだ。何人もの人がいた。隣に一人、少し離れて何人か。それも軍の将校か警官のような服装をしている人物もいる。拡大してみてほしい。何人発見できるだろうか。
これはわりと大きな探検隊かもしれない。ここに龍次郎が写っていたらよいのだが……。そして人間の寸法からすると、巨木の直径は3メートル近いのではないか。
ともあれ、こうした日本人のタイワンヒノキ発見が、後の大伐採につながり、神社仏閣、そして軍艦の甲板に多用されていくのであった。
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