市井のカエデ研究家逝く
朝ドラ「らんまん」の影響か、このところ草花研究に日が当たっている。研究者だけでなく、市井の愛好家の姿も描かれる。牧野富太郎は、全国の愛好家から植物標本を送ってもらって研究した。言い換えると、牧野の研究を支えたのは市井の人々だったわけだ。
そんなときに私の元にカエデの愛好家の訃報が届いた。
今年6月、こんな記事を書いた。毎日新聞の地元版である。
奈良には、カエデ専門の植物園がある。個人のコレクションが寄贈されたものなのだが、約3000本、約1200種のカエデが植えられている。それを集めたのが、矢野正善さん。カエデの研究というか育種を含めた栽培では日本でもっとも有名な一人だろう。
実は、カエデ以外にもある業界では有名人、というか大家。料理写真家だったのだ。日本の料理写真の創始者かもしれない。いっときは出版される料理本のほとんどの料理を撮影していたという。師匠は、入江泰吉……奈良の風景写真の大家だ。
取材で知り合ったのだが、80歳を超えているとは思えないほどひょうひょうとした人柄で、妙に話が盛り上がったのを覚えている。
取材したのが今年6月。元気だったのだが、先週22日に亡くなったという連絡が入った。突然自宅で倒れたそうだ。連絡を下さった方は、日常の食事などの世話をしていた人だが、当日の朝まで話をしていたそうで「決して孤独死ではありません」と言っていた。
矢野さんから買い取ったカエデの鉢植え。今夏の猛暑に一時期弱っていたが、持ち直した。
と、ここで無理やり土倉龍次郎に話をつなげるが、彼も前半生は、台湾の探検家にして事業家。林業に樟脳に発電に……と大活躍したのだが、後半生はカーネーション栽培にかけた。日本にカーネーションの栽培技術を根付かせた実業家だったが、後に育種に集中した。
カーネーション栽培をしていた温室の龍次郎。
場所は、東京府上大崎。現在の目黒駅前だ。巨大温室を建ち並び、川が流れ、馬が走れる広大な土地を持っていたそうだから、今なら超一等地である。
妙な共通点を感じてしんみりした本日であった。そのうちお参りに行く予定。
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