「サンダカン死の行進」の裏側
こんな記事があった。
戦後78年目のサンダカン死の行進の「和解」だと。サンダカンとは、北ボルネオ、つまり現在のマレーシア連邦サバ州の東側の都市だ。日本では、からゆきさんのいた「サンダカン8番娼館」で知られる。戦争中は日本軍が占領していたが、末期になると連合軍が上陸が心配された。そこでサバ州の山岳地帯キナバル山麓のラナウまで撤退した。それが「死の行軍」である。
日本側からは、1945年に日本兵がジャングルの中を歩いてたどり着こうとして、途中でほとんど死んでしまった日本兵の悲劇として知られる。だが国際的には捕虜(主にオーストラリア軍兵)を着の身着のままで歩かせて、1000人近くのほとんどを死なせたことが「死の行軍」とされて戦犯にもなったはずだ。被害者と加害者を取り違えてはいけない。
一方で、このボルネオの地を戦時中に植物や民族調査に入った人、そして報道した人々もいた。それは台湾探検と重なる。
ほか、「日本のゴーギャン」と呼ばれた土方久功も、戦争中に北ボルネオに赴任している。中央公論社の堺誠一郎もキナバル山に入った。
そこに私が訪ねたのは、学生時代。サンダカンもラナウも訪れた。
もっともジャングルは……。
こんな感じになっていた。木材のためというよりアブラヤシ・プランテーションを作るための伐採だと思う。
ちょっと夏を過ぎてからの夏の思い出である。
« 市井のカエデ研究家逝く | トップページ | 「らんまん」に描かれる台湾原住民の神話 »
「森林学・モノローグ」カテゴリの記事
- 再エネは逆風か(2026.01.13)
- 「STAR WARS」の世界観(2026.01.05)
- 道をつくりたがる人々(2026.01.04)
- 浅慮近視眼(2025.12.27)
- 50年先なんて誰が見る(2025.12.26)
































コメント