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森と林業の本

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2023/09/16

最初の並木を植えた人は大河ドラマ向き?

東京大手町の内堀通り。そこに「市内最初並木」の碑があることを知っているだろうか。

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市内とは当時の東京市のことだが、近代都市の街路樹発祥の地であるわけだ。

植えられたのはニセアカシアの木。津田仙がウィーン万博から持ち帰ったニセアカシアの種子を、明治8年(1875年)に大手町に植えたものだ。これが東京初の街路樹となった。

日本では、当初は並木と呼んだが、道路沿いに木を植える施策は、織田信長の命にもあるので、わりと歴史は深い。当時は道順であり、旅人に木陰を与える役割があったという。ただ明治に入って道路沿いに木を植えることが欧化思想の一環になったのだろう。

津田仙と言っても知る人は少ないかもしれないが、下総の国佐倉藩に生まれ、蘭学や英語を学んで、アメリカへの軍艦引取使節にも参加している。明治になるとウィーン万博にも派遣されるが、そこでニセアカシアの種子を得たのである。その後は農学者となる。

ちなみに娘が梅子。津田梅子の父と言った方がわかりやすいか。青山学院大学の設立などにも関わっている。来年の5000円札に津田梅子の肖像が使われるのだから、それに合わせて注目を集めるかもしれない。彼も大河ドラマ向きの人物だ。

ところで、現在内堀通りに植えられているのはエンジュである。ニセアカシアは枯れたのか、大きくなりすぎたのか、植え替えられた。

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街路樹は、定期的な剪定を含めた世話が必要で、大きくなりすぎたら伐採して植え替えることが前提にある。しかし、ニセアカシアを伐ってエンジュに植え替える時には、誰も批判しなかったのかね。市内最初の街路樹ですぞ。文化的価値は高くはないのか。植え替えるのも、同じニセアカシアにしなくてよかったのか。だれか、ユネスコに密告したらよかったのに(⌒ー⌒)。イコモスが反対の声明を出してくれたかもよ。

 

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コメント

普通に考えれば関東大震災か、東京大空襲で焼失したのでしょうね。

内堀通りが震災や戦争で焼けたかどうかはわかりません。

ただニセアカシアは、そんなに寿命の長い樹木ではありませんね。成長は早いけど、数十年で樹勢は衰えると思います。
いずれにしろ植え替え時に別の樹種にしたのがなぜかは興味のあるところです。

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