門脇仁: 広葉樹の国フランス: 「適地適木」から自然林業へ
知られざる森林大国、忘れられた林業先進国、フランス。広葉樹を主体とした特異な林業こそ、現代的である。日仏比較も行いつつ、その実像を追う。
田中 淳夫: 山林王
稀代の山林王・土倉庄三郎の一代記。自由民権運動を支え、全国のはげ山の緑化を進めた。また同志社や日本女子大学設立に尽力するなど近代日本の礎をつくった知られざる偉人を描く。
田中 淳夫: 盗伐 林業現場からの警鐘
21世紀になって盗伐が激増している。日本でも大規模で組織的に行われているのだ。そして司法は、まったく機能していない。地球的な環境破壊の実態を暴く。
田中 淳夫: 虚構の森
世にあふれる森林を巡る環境問題。そこで常識と思っていることは本当に信じていい? 地球上の森は減っているのか、緑のダムは存在するのか。る? 地球温暖化に生物多様性、SDGsに則しているのか? 異論から考えると別世界が見えてくる。
田中 淳夫: 獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち (イースト新書)
シカ、イノシシ、クマ、サル……獣害は、もはや抜き差しならない状態まで増加している。その被害額は1000億円以上?しかも大都市まで野生動物が出没するようになった。その原因と対策、そして今後を見据えていく。
田中 淳夫: 絶望の林業
補助金漬け、死傷者続出の林業現場、山を知らない山主と相次ぐ盗伐、不信感渦巻く業界間……日本の林業界で何が起きているのか?きれいごとでない林業の真実を暴く。
熊崎実ほか編: 森林未来会議―森を活かす仕組みをつくる
現役林業家、研究者、行政万……など10人の著者が、日本林業の問題点を分析しつつ、未来に向けての処方箋を示す。海外事例も含め、希望を語っている。
有坪 民雄: 誰も農業を知らない: プロ農家だからわかる日本農業の未来
消費者はもちろん、学者も官僚も農家自身も、農業について全体像をつかんでいない。だからピンぼけ……。これは林業にピタリと当てはまる!
保持林業―木を伐りながら生き物を守る
保持林業とは新しい言葉だが、欧米を中心に世界で1億5000万ヘクタールの森で実践されている施業法だという。伐採後の生態系回復を早めるために行われるこの手法、もっと日本に知られてもよいのではないか。
田中 淳夫: 鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵
奈良のシカは赤信号に止まる? 鹿せんべいをもらうとお辞儀する?カラスがシカの血を吸っている? 彼らを観察したら、獣害問題の解決の糸口も見えてくるはず。
山川 徹: カルピスをつくった男 三島海雲
カルピス創業者三島海雲の評伝。彼は内モンゴルで何を見たのか。何を感じたのか。その夢を乳酸菌飲料に結実させた足跡を追う。土倉家の面々も登場する。
田中 淳夫: 森は怪しいワンダーランド
森には、精霊に怪獣に謎の民族、古代の巨石文化が眠っている!そう信じて分け入れば遭難したり、似非科学に遭遇したり。超レアな体験から森を語ればこんなに面白い? 読めば、きっと森に行きたくなる!
村尾 行一: 森林業: ドイツの森と日本林業
林学の碩学とも言える村尾行一の林業論の集大成か?
ドイツ林業を歴史的に追いつつ比べることで浮かび上がる日本林業の大問題と抜本的な処方箋
田中 淳夫: 樹木葬という選択: 緑の埋葬で森になる
広がりつつある樹木葬。今や世界的な潮流となる「緑の埋葬」となる、森をつくり、森を守る樹木葬について全国ルポを行った。
田中 淳夫: 森と日本人の1500年 (平凡社新書)
日本の森の景観は、いかに造られたのか。今ある緑は、どんな経緯を経て生まれたのか。日本人は、どのように関わってきたか…。今ある景観は、ほとんどが戦後生まれだったのだ。今後必要なのは「美しさ」である!
田中 淳夫: 森林異変-日本の林業に未来はあるか (平凡社新書)
21世紀に入り、激動の変化を見せ始めた日本の林業。この変化を知らずして、日本林業を語るなかれ。果たして森にとって吉か凶か。そして「大林業」構想を提案する。
阿部 菜穂子: チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人
もはや桜の故郷はイギリスだ! と感じさせる衝撃の書。ソメイヨシノ一色ではない多様な桜を守っているのは日本ではないのだ。そして日英交流史としても第一級のノンフィクションだろう。
田中 淳夫: ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実
ゴルフ場は自然破壊? それとも現代の里山? このテーマに再び取り組んで『ゴルフ場は自然がいっぱい』を大幅改訂して出版する電子書籍。
ヨアヒム ラートカウ: 木材と文明
人類と木材、ひいては森との関係を壮大なスケールで描いた大著。ヨーロッパが中心だが、目からウロコの記述がいっぱいである。
清和 研二: 多種共存の森: 1000年続く森と林業の恵み
最新の生態学の知見から林業のあり方、今後の進むべき道を提言する。多様性豊かな森こそ、安定していて収穫も多いことを思い知る。
村尾行一: 間違いだらけの日本林業 ―未来への教訓―
村尾林学の決定版! 眼からウロコが落ちるだけでは済まない。これまでの林業観を否定をして受け入れるか、読まなかったことにするか……。
田中 淳夫: 森と近代日本を動かした男 ~山林王・土倉庄三郎の生涯
三井財閥に比肩する大富豪として、明治時代を動かし、森林の力によって近代国家を作り上げようと尽力した山林王・土倉庄三郎の生涯を追う。そこから明治時代の森林事情が浮かび上がるだろう。
田中 淳夫: 日本人が知っておきたい森林の新常識
森林ジャーナリズムの原点。森林や林業に関わる一般的な「常識」は本当に正しいのか、改めて問い直すと、新しい姿が広がるだろう。そして森と人の在り方が見えてくる。
日本の森を歩く会: カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう (COLOR新書y)
森林散策ガイド本だが、第2部で7つの森を紹介。全体の4分の1くらいか。私が記すとルートガイドではなく、森の歴史と生態系をひもといた。
田中 淳夫: いま里山が必要な理由
名著『里山再生』(^o^)の内容を一新した改定増補版。単行本スタイルに変更し、美しくなった。里山を知るには、まずここから。
田中 淳夫: 森を歩く―森林セラピーへのいざない (角川SSC新書カラー版)
森林療法の成り立ちから始まり、森が人の心身を癒す仕組みを考察する。森の新たな可能性を紹介した決定版。 全国11カ所の森林セラピー基地のルポ付き。
田中 淳夫: 割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)
割り箸を通して見えてくる日本と世界の森林。割り箸こそ、日本の林業の象徴だ!
田中 淳夫: 森林からのニッポン再生 (平凡社新書)
森林・林業・山村は一体だ! その真の姿を探り、新たな世界を描く
田中 淳夫: 日本の森はなぜ危機なのか―環境と経済の新林業レポート (平凡社新書)
かつての林業は木を売らなかった? 真実の日本林業の姿を紹介し、現状と未来を俯瞰した目からウロコの衝撃の書。
田中 淳夫: だれが日本の「森」を殺すのか
誰も知らなかった?日本の林業と林産業の世界を描いた渾身の1冊。
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『矛盾の水害対策』 谷 誠著 新泉社刊 が届いた。
水文学者である谷誠氏の本である。本書の成立には、私も多少絡んでいる。
拙著『絶望の林業』や『虚構の森』などで、ところどころ水源涵養とか洪水など水害、あるいは利水、地下水、降雨の動向など水文学関係の分野を扱っている。だが、私は、基本的にこの分野が苦手なのである。それは学生時代からで、常に悪戦苦闘していた。
そこで、拙著の執筆の際にお世話になってきたのが谷先生。いろいろメールのやりとりを繰り返し、また文献を教えてもらい……と繰り返して、原稿チェックもお願いして、なんとか形にしている。
その谷先生が一般向きに本を書き下ろした。
まだ全部を読み終えていないが、最初の印象としては、表紙は穏やかな表情をしつつ、専門用語も多い科学書。しかし水文学的な理系の科学書というよりは、骨太の政策批判書であり社会科学的な本である。それも、常識になってしまっている国土交通省の論調を徹底的に砕くのだ。今の水害対策のダメダメさ加減を暴いている。河川問題やダム問題、水利問題に興味のある人には、これは押さえねばならない基本文献になるのではないか。
その点は、失礼ながら『絶望の林業』を連想した。
目次を紹介しよう。
0・1自然災害の原因は地球活動である
0・2なぜ、水害はなくならないという前提に立てないのか
0・3水害対策に必要なふたつの提案
0・4水掛け論を超えた水害対策を探る
第1部 水害対策と対立の歴史
第1章 水害ではなぜ対立が生まれるのか
1・1災害復旧工事を繰り返して造られてきた風土
1・2川のもつ自然性からもたらされるふたつの困難
1・3大東水害裁判のかみ合わない対立
1・4医療裁判との比較から水害裁判をみる
1・5淀川水系流域委員会における議論の経過
1・6堤防強化とダム整備事業計画との相容れなさ
1・7改良を追求する大和川の付け替え事業
1・8江戸時代の淀川流域の複雑な利害関係
1・9瀬田川浚渫に対する下流の猛反対
1・10利害調整の結果としての天保のお救い大ざらえ
1・11河川事業がかかえる利害調整のむずかしさ
第2章 河川整備事業における苦悩の戦後史
2・1戦後の河川整備事業の出発点
2・2改良追求事業の基準を決める水文設計
2・3水害裁判における国の防衛ライン
2・4川に対して環境保全を要望する声の高まり
2・5長良川河口堰反対運動の衝撃
2・6環境保全問題への河川官僚の対応
2・7合意形成への河川官僚の対応
2・8河川法改正後も残された対立
第3章 基本高水流量の値に根拠はあるのか
3・1利根川の河川整備計画への疑問
3・2学術会議における基本高水流量検証
3・3森林の保水力向上について
3・4貯蓄関数法による流量推定方法を理解する
3・5洪水流量に及ぼす地質の大きな影響
3・6山地流域における洪水流量推定のむずかしさ
3・7はたして200年確率流量を推定できるのか
3・8やれることを目標に言い換えた河川整備計画
第4章 安全性向上の哲学では改善されない対立構造
4・1川の自然性から生じる水害対策の矛盾
4・2改正河川法の理想と矛盾する安全性向上の哲学
4・3ダムの放流操作の困難さ
4・4予測できない自然を人間が操作する矛盾
4・5河川整備事業への世論の後押し
第2部 対立緩和に必要なのは自然を理解すること
第5章 水循環を森林の蒸発散から考える
5・1水循環の普遍的な理解の必要性
5・2地球の水循環と水収支
5・3水のリサイクルが支える内陸の湿潤気候
5・4少雨年にも減らないカラマツ林の蒸発散
5・5森林放火事件をきっかけとした水文観測
5・6今も続けられる竜ノ口山試験地での水文観測
5・7森林損失による年間の水収支の変化
5・8日照りの年にも減らない森林の蒸発散量
5・9明らかになった森林放火の効果
5・10森林の蒸発散を通じた水資源への影響
第6章 緑のダムを再評価する
6・1流路システムに基づく水文設計の問題点
6・2はげ山の斜面で雨水はどう流れるか
6・3森林でおおわれた斜面で雨水はどう流れるか
6・4斜面の地下構造からみた流出メカニズム
6・5大雨時のピーク流量を低くする森林土壌層の効果
6・6土壌層の厚さによって異なる大雨時のピーク流量
6・7洪水流量緩和と土壌層の効果
6・8ダムは緑のダムの代わりができるか?
第3部 人新世の時代の水害対策
第7章 自然を理解して水害対策の方向性を探る
7・1自然災害を相互作用の視点から位置づける
7・2江戸時代をモデルとする限界点の検討
7・3治山事業の木に竹をついだ構造
7・4高度経済成長がもたらした社会のひずみ
7・5安全性向上の哲学と荒廃する日本
7・6改良追求から維持回復の水害対策へ
第8章 望ましい水害対策への道
8・1絵に描いた餅にしないための水害対策
8・3改良追求欲求と限界点越えの危機
8・3立場の死守と「木に竹構造」
8・4改良追求の自主的な抑制をめざす試み
8・5災害対策の展開をはばむ利己主義の問題
8・6遺伝子複製の原理からみた人間の利己主義
8・7主体的な欲求抑制とエゴイズム
8・8軸の時代に始まる有限な自己と無限の世界
8・9維持回復事業が優先される条件
8・10軸の時代Ⅱへの軟着陸
おわりに
文献一覧
長くなった(^^;)。ただ書籍としては250ページほどで一般書並である。つまり1単元が短い。その分、読みやすい。専門用語があっても途中でくじけずに済む。読者対象はあくまで一般人向けと思ってよいだろう。
ところでタイトルで思ったのは、「“絶望”の次は“矛盾”がいいかも」。
『矛盾の林業政策』という本でも書こうかなあ。イヤイヤイヤイヤ……
このところ、立て続けに新聞・雑誌、web等々の記事でクマ出没関係の取材を受けている。また私も執筆している。まだ終わらなさそう。そろそろクマも冬眠に入ってよ。。。
それぞれ媒体によって切り口は違うのだけど、話しているとわりと行き着くのが「町に出没したクマを駆除したら、批判の電話やメールが殺到する」問題。たしかに深刻である。
ところで驚いたのは、ある記者の一人が最初に言った言葉。
「クマってかわいい動物ですよね」
なんか、パワーワードだ (@_@)。
う~ん。かわいいかどうかは感性の問題ではあるが、最初にそこから入るか。「クマは怖いし、危険な動物だが、しぐさがかわいいときもある。その面構えにもかわいさがある」だったらわかるのだが、最初にぬいぐるみ的なかわいさから入られると、「かわいいけど、危険」とはいいづらくなる。説得力がなくなる。どんなに危険でもかわいい動物を殺すなんて、と言われてしまう。「カワイイ」に勝る感情はないのだ。ヤバい。都会人の発想はヤバいぞ。
そこで私も感想は言えるが、肝心の止める方法がない。
一応、私なりの分類 では、批判する人は
・鬱憤晴らし。他人を罵倒するネタとして使っているだけ
・感情的な動物愛護[殺すのはかわいそう、かわいい動物を殺すな……]
・「殺すな」という理由を理論武装している[森林生態系の頂点にいる、野生のシンボル的存在等]
この3つに分けた。面倒くさいのは「理論武装」タイプだが、結局のところ感情的なことを隠して糊塗しているに過ぎない。
いずれも被害を受けている人々への共感力も想像力もない点が共通点と言える。都会人的上から目線である。
私の反論の仕方として、次のように指摘した。
「シカは年間70万頭も駆除している。それには文句をつけないのか。クマとシカをどこで区別しているのか」
「クマだけを守りたがるのは、動物差別ではないのか」「ネコは殺してもいいのか」
「かわいいから殺すなというのは、かわいくないのは殺していいということか」等々。
そして、究極の批判封じは「東京23区内にクマが出没して、一人か二人食い殺されることですなあ」
これで、一発で批判は収まるよ。そんなこと取材では言わなかったけどね。言いたかった(^^;)。
Yahoo!ニュースに「納得できる?森林環境税の使い道は林業関連ばかり」を執筆しました。
これ、実はブログに書きかけて、うむ、このネタならばブログよりも、とあわててYahoo!ニュース用に書き下ろしたのであった。
すると、ブログ用なら通常10分15分で書くのに、何時間もかかってしまった。。。まあ、雑誌記事などでは数日がかりなのだから、これでもネットは早いと言えなくもないのだが。
力点も迷うのだよね。当初は都市住民向けに、配分割合が改変されて譲与割合が落ちますぜ、都市が払った税金が山村に行ってしまうばかりで文句はないのかねという記事のつもりが、やはり使い道が林業ばかりじゃ、の方に目がむいた。
もともと都市部にも「人口割合」を加えて還元されるのは、多少とも都市の緑にも配慮する意識があったからだろう。しかし、使い道は木材利用しかない。これって林業に寄与するという意味だよね、都市のためには何もないよね、と気付いた。
本来、税金を払っている人は、その使い道にも目を光らせるべきだ。とくに住民税扱いで取るのなら地元に使われなければならない。仮に場所は地方の農山村部だとしても、税金で手を入れた森を都市の住民が見て、ああ、私の払った税金で森が美しくなった、と思えて初めて納税者として満足が行く。
山村住民も同じだ。この税金で森はどうなったのか。実は林業関係者が甘い汁を吸っているだけではないのか。
多分、山村内でも林業に従事していない住民にとっては、この税金でほくほくしている業者を見て憎たらしく思っているのではないかな。
こんな夜の街には、森林環境税は使われないのだよなあ。
最近は、かなり再造林の推進が取り上げられている。一頃の「伐って伐って伐りまくれ」政策からは多少マシになったかもしれない。
そこで気になるのが再造林率。この数字は、どのような根拠で導き出すのだろう?
再造林率ナンバーワンは、北海道で90%だという。ほか目にしたのは、大分県が73・5%、宮崎県が73%。ところが国は、全国の再造林率を3~4割としている。事実、こんな図表もある。
これによると、直近平成30年(2018年)で主伐8・7万ヘクタールに対して3万ヘクタールだから、ざっと34%。
しかし伐採面積が圧倒的に多い北海道や宮崎県が7~9割も植えているとするのが不可解だ。ならば全国平均が4割以下になるのは、再造林を2割以下しかしていない都府県がものすごく多いということ? ちなみに調べると、秋田県は3割。高知県は3~4割、栃木県は55%…なんて数字が出てくる。(いずれも各県の自己発表)
その前に7割だ9割だという数字は信用できるのか。主伐の面積は伐採届で集計したのかもしれないが、無届け伐採も多い。盗伐まで含めたらどうなる。私の感想だが、林野庁の3~4割は3割に限りなく近いと思っている。
まず、どんな状態を再造林とするのかわかりにくい。上記の図が示すのは主伐(皆伐)面積に対する造林面積だと思うが、それではこれまで言い訳に使ってきた天然更新はどうなのだろう。含めないことにしたのか。というか、天然更新は否定したか?
一度植えてからの不成績造林地はどんな扱いをするのか。獣害にも遭うだろうし、植えたものの管理放棄してしまう所有者だっている。
この「再造林率」の導き出し方を、誰かご指導ねがえないか。
なお宮崎県は、再造林率全国1位を目標に、全国初となる都道府県条例「再造林の推進に関する条例」(仮称)の制定を目指しているそうだ。
高知県は再造林推進のためのプランに「林業適地」の考え方を示している。まず適地から植えていくというわけだ。具体的には、傾斜35度未満で林道などからの距離が200メートル以内の面積が50%以上を占めるエリアとするが、それ以外の「不適地」面積は膨大だろう。
そして木材団体も、再造林費用を上乗せした木材価格で売買する「立木市場」の創設の検討を行っているというのは、以前も紹介したとおり。本当に立ち上げる勇気があるのか怪しいが…。同床異夢ぽい。
数合わせでない、再造林を模索してもらいたい。
平城宮は、ちょうど今オギの盛りだ。オギとは何か。ススキの一種で、見た目はほとんど変わらないのだが、オギという種類の植物なのである。
オギは株立ちせず、若干湿った土地を好む。
この平城宮跡にオギを見に行った。湿地に足をつけながら(^^;)。
ふわふわ。
そこに開かれていたのが「おぎの美術館」。何かと思えば、奈良女子大学の仕掛けた「平城宮跡アオハルプロジェクト」の一つである。オギの広がる平城宮跡のオギ原を美術館に見立てるとのことである。オギの間につくられた通路を進むといろいろある……というのだが、もう風で飛んで行ってしまったらしい(^^;)。
まあ、素直にオギの素顔を楽しめばいいのだと思うよ。
実に多彩な顔を見せるから。
平城宮跡は約130ヘクタール。この草原の世界を歩くはいろいろな発見がある。ところどころにある茂みに近づくと、そこにベンチがあって、誰かが何かをやっているという。ぼぉ~とするのにはもってこいだ。
平城宮跡の公園を歩いてきた。そこでオギ(ススキの仲間)の群落を観察するのが目的だったが、もっと面白いものを発見。今日は、先にそちらから。
で、面白いものとは……コーンだ。三角コーン、カラーコーンと呼ばれる、工事現場などで区切りをつけて「この中に入らないでくださいね」的な印とされるコーン。たいてい赤く染められたプラスチック製の無粋なものなのだが。
見よ。このコーンを。おそらく竹製。なんとおしゃれな。奈良時代の人がつくっているのか、とか思ってしまった(笑)。手づくり?と思えるほど細かな細工物げある。コーンだけでなく、その上に渡しているバーまでおしゃれ。
いやあ、こういうのを見ると工事現場も楽しくなりますね。ただし、まだ数がないらしく、見つけた設置場所は数カ所に留まる。値段も高いだろうなあ。しかし、仮にも国立公園であり、特別史跡であり、何より世界遺産なのだから、こんなところに気を配るのはよろしい。
また、こんなコーンもあった。
これはおしゃれというほどではないが、デザインに一味加えている感がある。合わせて奈良デザインとでも呼んでおこう。奈良の町は、意外とこんな小さなブツにこだわりがあるように感じる。東大寺のトイレなど、木製格子戸ですぞ。
まあ、従来のカラーコーンもあるのだけどね。少しずつ予算をつけて竹製に変えて行ってほしい。施設の格というのは、こんなこだわりから決まるのだから。
このところ、広い意味での森林・林業関係者に会う機会が多くあった。
マジの林業現場、木材加工現場の人から林野行政を担う役人、林業を学ぶ学生、森林ボランティア、木育関係者……と、なかなか多彩。
そこで、ふと気付いたのは、彼らに「森林は大切だ」「林業は大切だ」「山仕事は面白い」「木に触っているだけで楽しい」といった意見が非常に当たり前のように語られていること。そして「もっと森や木の素晴らしさを伝えなくては!」という意欲が満ちていること。
まあ、全否定はしませんけど、「それって個人の感想ですよね」(^o^)。
ちょうど、日本の若者世代を森に呼び込みたい、森と人をつなぐビジネスを起業したい!という女子学生から質問が来た。そこでオンラインで顔を合わせたのだが、授業と研究の一貫で世間の人にオンライン・アンケートを取ったそうだ。そしてその結果に愕然としていた。
森に興味はない。林業なんて知らない……という声が圧倒的だったのである。当然、どうしたら森がよくなるか、という質問にだって目立った意見は出てこなかったそうだ。
さもありなん。そうでしょそうでしょ、というのが私の感想だが、彼女は誰もが「森は大切だと思っている」のが当たり前と想定してビジネスモデルをつくろうとしていたらしい。根底から崩れる(> <;)。
これは彼女の例だけでなく、森林林業に関わっている人全般に、似たような思い込みがあるように感じる。なぜ、そうした勘違いが起きるのか。それは、いっば業界内でエコーチェンバーを引き起こしているのではないか。周りの人は、みんな森が好きだし、林業は重要な産業と思っていることが反響して、世間全部がそうだと信じてしまう。
世の中、甘くない。自身に関係のないことは興味のないのである。
「森に人を呼び込むにはどうしたらよいか」と聞かれたので、私は「森の良さを伝えても、森に興味がないのだから無駄だよ」と答えた。森への興味関係なく、森に行くことで何らかのメリットがある状態を設けなくてはならない。結果として森に入れば、そこで森の良さに気付く、かもしれないというスタンスで臨むべきだろう。
そう言えば、夏ごろに大学で森林政策を研究したいという高校生からの聞き取りも受けたのだが、彼から合格したという知らせが届いた。法学部である。そこで盗伐など林業界の問題点や、地球環境に利する制度・政策を学びたいということだ。そうか、森に興味があるから森の研究をするのではなく、法学から入る。あるいは経済でも文学でも数学でもいい。そうした広い視点で森や林業を見つめる方がいいかもね。
前からしつこく記してきたが、取れすぎのミカンは、生食する量としては限界なので、ジュースに絞り出した。
去年も試行錯誤しながら随分絞ったが、今回は戦略的に……。
まず選んだのは極小粒。小さすぎて皮をむいて食べるのは面倒すぎるもの。そればかり成った木があるのだが、まず半分に割ってからジュースカット機を使う。500ミリリットルのペットボトルを満タンにするには、ざっと40個ばかり絞った。
味は、ちょっと酸っぱいかな。木が変わると味も変わる。極小なのは品種か、発育の問題かはっきりしない。このまま飲んでもいいが、味はきついほどだから酒の割り材にもなりそう。
もしかして、ユズなども混ざっていたかもしれない。なぜなら、我が家のミカンの木には、父がいろいろな柑橘類を接ぎ木しているからだ。ユズもあればデコポン、清見オレンジ系などもある。見た目で区別できるものはするが、わかりにくいものは、そのまま絞る。
早稲のミカンは甘かった。そして大きなミカンも甘かった。ただ皮が分厚く剥くのが大変なものも多い。絞り機に入りきらないほど大きなものは4分割しなければならぬ。力もいる。今後、ブレンドを考えよう。ミカンジュース・プレンダーになる!
なお大量に出た搾りかすの処分も考える。とりあえずコンポストに放り込むが、大量すぎでコンポストの中で分解されるのか。酸味が強すぎる堆肥になるかもしれん(^^;)。体ひひはぇたミカンの木の根元に返す。
おそらく、今後何百個ものミカンを絞らなくてはならない。
脱炭素の動きから、再生可能エネルギーが持て囃されている。そして拡大が焦眉の急なのだが、肝心の中身が森林を破壊して行うメガソーラー、風力、そしてバイオマス発電なんだから本末転倒である。炭素を溜める森林を破壊して、どこが脱炭素なんだか。
そこに投げかけられたのが、再エネ業者に課税して、森林破壊をさせないようにするもの。その初導入に取り組んでいるのが宮城県だ。宮城県にはメガソーラーや大規模風力計画が目白押しだった。
その計画に、総務省が了解した模様だ。総務省の同意がないと施行できなかった。おかげで7月に可決した条例も実施できる。来年度(4月)からの導入が見えてきた。法定外普通税(使い道は決めない)として徴収する模様。ただ宮城県としては再エネ関連に絞ることを想定している。
具体的には、新税の課税対象は、森林開発面積が0.5ヘクタールを超える太陽光と風力、バイオマスの発電施設とする。
税率は営業利益の2割程度になるよう設定し、固定価格買い取り制度の売電価格に応じて変わる。
太陽光が1キロワット当たり最低620円、
風力は同2470円、
バイオマスは1050円。
この金額だと、利益の多くを税金で取られるためたいていの業者が森林地域における施設建設をしなくなるだろう。もともと狙いは、税収確保ではなく、森林保全なのだから、それでよしだ。再エネを否定するのではなく、再エネ事業を平地などへ誘導するのが目的だという。なんなら利益の5割を吐き出させてもよいぐらいだ。
国はなりふり構わず、目先の数値目標だけ達成するために再エネ推進を進めてきたが、ようやくブレーキがかかる。
森林ではなく、0.5ヘクタール以上の面積となると、陸上ではなかなか厳しくなる。可能なのは、大規模な未利用工場団地や放棄農地ぐらいではないか。まあ、そうなると手続が大変で投げ出すかもしれない。
でも、すでに工事を始めたところは適用されないだろう。それが悔しい。今、再エネを看板にして、ぼろ儲けしている業者から徴収してほしい。そして宮城県に続いて全国に広がることを期待する。
かつて高知県が始めた森林環境税が、全国各地の都道府県に広がり、とうとう国が悪のりして二重課税をものともせずに登場したことを思うと、この課税も早く展開するべきである。
日本時間の11月20日(月)午後、パプアニューギニアにあるウラウン火山で規模の大きな噴火が発生したというニュース。
日本のニュースは、この大噴火で高潮・津波が押し寄せないかという点に絞られているようだが、そちらの心配は今のところなさそうだ。もっとも火山噴火という点では、もっとも被害が心配なのは現地住民だろう。
実は、私にはこの火山の記憶がある。もしかしたら、その山麓を訪れたことがあるかもしれない。今から40年くらい前のことである。(´_`)
ただし、私の記憶ではウラウン山ではなくウラワン山、双子の山がウラモナ山なので別かもしれないが……。
ニューブリテン島の北岸には、火山が並んでいる。上記は煙の噴く山々。
ウラウン火山は、パプアニューギニアのニューブリテン島にある標高2334メートルの火山である。富士山のようとあるから、上記の(私の記録では)ウラワン山と同じではないか。高さも同じ2300メートル級。ラバウルの火山が母山と呼び、こちらは父山なんだそうだ。
パプアニューギニアで最も頻繁に活動する火山の1つで、1970年代から噴火を続けている。2019年には大規模な噴火が発生して噴煙が高さ1万9000メートルに達したことが話題になった。
そして山麓を訪れると、火砕流に襲われた森があった。
溶岩も壮大に流れたそうで、付近の森も村も焼けていた。写真は、溶岩に飲み込まれて焼けた大木。
なぜ、私はこんなところを訪れたのか? 一つは溶岩洞窟ができていないか、という聞き込みだったが、こちらは不発。もう一つは伐採現場を訪ねること。そう、南洋材のふるさとなのであった。
こんな直径2メートル級の大木を切り倒して、ブルドーザーで運び出す。
これが集材場。
今は日本企業も撤退してしまったが、森はどうなっているかなあ。
火山ニュースから不意に思い出した昔話であった。
不定期に登場させている「切り株の上の生態系」シリーズ。
ようするに伐採された木の切り株の上に、新たな生命の息吹を見つけるネタなのだが、せっかく芽生えても、それが将来的にどうなるのかはわからなかった。一時的に草木の芽吹きがあっても、それがどこまで生長するか、別の種類に移り変わっていくのではないか。
今回、感動的?な事例を見つけた。某寺の境内である。
ここには直径2メートル級の切り株が何本もある。台風で連鎖的に倒れた跡とのことだが、そこで見てしまった。
これが通常の「切り株の上の生態系」。スギの種子が落ちたのだろう、切り株の腐りかけた部分に根を下ろして芽吹いていた。
ところが、少し離れて振り向いて、こんな切り株を見つけた。
ん? このスギの根元が太すぎる……て、これは切り株では? あわてて近づくと。
お見事である。スギの切り株の上に発芽したスギが十分に生長していた。切り株は1・5メートル級で、その中に根を下ろした若いスギも、直径60センチ級。樹齢なら80年ぐらいは経っているのではないか。
ここまで育って世代交代したのなら、「切り株上生態系」も満貫であろう。
このところ運動不足。もっと山を歩こうと決めて、裏山に分け入った。
ただ私は同じ道を歩くのが苦手だ。とはいえ我が家を起点とすると、どうしても同じ山になり、歩くルートもいくつかに絞られる。今回も裏山に分け入ったが、何百回も?通った道を登るのはシャクだなあ……と思い出して、この道のここから逸れたら、歩いたことのない所に足を踏み入れるんじゃない?と気付いた。当然、そこに道はないが、道なき森に分け入ることこそ、森歩きの醍醐味じゃないか。
そこで、ついと逸れる。いきなり斜面を登り藪をかき分ける。
ただ道がないというと若干違う。どうしても通りやすい地点を見極めて進む。斜面も登りやすいルートを無意識に探す。すると、道が見えてくるのだ。イノシシの獣道が。獣が通れるんなら人も通れる、というのが持論なのだが、慣れると獣道もちゃんと見えるのだ。
どこに道があるか。見えるか? 道沿いには、糞や掘り起こしたところがある。
獣も人も、やはり通りやすいところを選ぶので、自分が選ぶ道には獣の足跡もある。獣(この場合はイノシシ)も、常にがむしゃらに進むのではなくて、以前通ったところを何度も通る。だから自然と道ぽくなる。結局、獣道も通りやすいところにできるものだ。
そんな道を進むと、それなりに向かうところも想像ができる。ほら、ため池に出た。
次に道のないところを進もうと考えて選んだのは、池を一周すること。これは道がないだろう……。
たしかに始めのうちは木や藪をかき分けていたのだが、うっすらと足跡がある。これはイノシシではない。草をなぎ倒し、踏み固めた跡が。と思ったら、こんなものが。
道がないのに橋がある(笑)。まあ、橋と言っても板が腐りかけで、長く放置されていたようだが、その周辺に道とは言えない道の痕跡はある。獣道ではない。かつて池の周りを歩く道はあったのだなあ。おそらく池で魚釣りをする人がつくったのだろう。釣りは禁止なのだが……。
結論として、獣も人も、道を作りたがるものなのであった。
SNS「Surfvote」というのをご存じだろうか。
社会の課題に発言することを標榜しており、オーサーは社会課題の提示と、その対策や意見を複数並べて、自らの賛同する意見を投票で選ぶというものだ。
結果次第では、政府にも提案するという。
私は、まったく知らなかったのだが、夏前だから6月か7月ぐらいに、書かないかという申込があった。私は自分の意見を書くのではなく、選択肢を並べて投票してもらうという方式になじみがないというか、違和感もあった。自分の意見を書かずに、なんのジャーナリズムぞ! という気持ちもある。仕事を増やしたくない気持ちもある。どうせなら、楽したい。そろそろ引退だと思っているのに。文章記事というよりイシュー提案がメインというのもなあ。
だが、知らないものには食いつくという私の性向のため了解した(⌒ー⌒)。なんでも、やってみるものだよ。ところが、その後契約とかいろいろな手続があって、9月ぐらいからスタートすると言われたものの、そこから私は次回作の執筆に入ったため、当面放置していた。
11月に入って、そろそろ……とせっつかれて(^^;)、それではと選んだイシューが、クマ出没問題。
「有害鳥獣、特に人里に出没するクマへの対応をどうしたらよいか?」
複雑で細かな条件を抜きに語っても上っ面の議論になりがちな問題なのだが、コンパクトに問題点と選択肢を決めねばならない。感情論は登場してほしくない。それでも、尖った選択肢になったかなあ。
さて、世間の声はいかなるものか。選択肢から選べるか。
プレスリリース配信サービスの「PR TIMES」に、
日本の顧客が木製腕時計を好む背景!木の腕時計VEJRHØJがセールを実施
という記事があった。あらかじめ指摘しておくが、このリリースはあくまで広報宣伝である。今回は、デンマークの木製腕時計ブランド、VEJRHØJ(ヴェアホイ)が行った調査結果の紹介とあるが、ようするに広告だ。
それでも、面白い内容を含む。
日本の顧客は木製の時計を強く求めていることが分かりました。VEJRHØJの顧客の60%以上が、「木を使っているから」という理由で商品の購入を決めています。しかもただ木であれば良いというわけではなく、美しい木目や、多くの種類の木材を選べることに価値をおいているようです。
VEJRHØJが最近実施した顧客調査で、日本の顧客が多様な種類の木を使用した腕時計を求めていることが明らかになりました。日本の多くの人々は、黒檀、桜、竹、杉など、様々な木材の選択肢を探求することに熱心であり、その中でも特に、豊かな歴史的背景や意味を持つ木材が好まれています。
他の国々と比べても、日本全体が木材に深い想いを抱いていることは明らかです。この木に対する深い愛情と魅力は、日本の文化とデザインの伝統に深く根付いており、古代にまで遡ることができます。古代日本では、木は伐採された後も生きているものとして認識されていたようです。
とのこと。日本人は、他の国の人より木製を好むというのだろうか。それとも日本に売り込むための煽りだろうか。
私は、幾度となく触れている通り、木製腕時計愛好家である。今も二つを使い分けているが、これまで二桁になるほど購入してきた。先日訪れた智頭町では、初めて私と同じ木製腕時計をしている女性と出会った。滅多にないことなので、そんなに日本で流行っているようには思えないのだが。
だから、あえて指摘しておこう。そんなに甘くないよ、と(^o^)。
ここでは欠点を並べてみる。
まず木材ゆえに、すぐ割れる。最初の頃は、バンドのつなぎ目部分がすぐに割れてしまった。瞬間接着剤などでくっつけてごまかしていたが、度重なるためさすがに無理となった。対策としては樹種が重要で、結局広葉樹材の硬い材質の木を選ぶことだ。
スギやタケなどはお勧めしない。アカシアもダメだった。黒檀やウォルナットのような硬木を選ぼう。
また、バンドが何かに引っかかって力が加わると、割れることもあった。特につなぎ目のピンが弾ける。これも直しようがなかった。
電池が切れて交換しようとすると、木の基盤になるネジがさび付くなどして開けない。結局、電池を交換せずに買い換えることになる。
木製とは関係のないはずだが、マシンが貧弱でよく壊れた。どうも安直な安いマシンを仕入れていることが多いようだ。日本のメーカーのはずが、中国から郵送されてきたこともあった。
……というようは点を押さえながら、この記事の写真を見ると、なんだ、このメーカーの時計は、木製と言いながらバンドは皮革(か合成皮革)じゃないか。それでは木製の良さがあまりない。ベルトが木製だと、非常に軽くて腕の触り心地がよい。そこに価値があるのに。
なお、このようにも書かれている。
現在、VEJRHØJではブラックフライデーセールを実施しており、商品を通常の50%オフでお求めいただけます。ぜひこの機会にどうぞ!
ちなみに、木製腕時計は、案外安い。5000円ぐらいからある。このメーカーのものは2万円からのよう。高いのを買って長く使えたらよいのだが、すぐ壊れることを前提に5000円の品を幾度も買うという手もある。安くても2年ぐらいは使える。
さあて。どうする?
ブックファースト新宿店で「名著百選フェア」が開かれた。
そこで各界から推薦する書籍を出してくれ、と言われて私にもご指名があった。ここに自分の本をヘラヘラと出す勇気はなかったし、いきなり恋愛小説や歴史小説、はたまたSF、さらにマンガを選ぶ勇気もなかった(´_`)。そもそも最近読んでいないし。
そこで森林・林業関係から選んだのが、この本。『森林業 ドイツの森と日本林業』村尾行一著 である。
それが店頭POPになって展示されているそうである。送っていただいた写真。
どんな推薦文を書いたか。
これぐらいで読めるかな?
木材栽培業から生態系産業へ。これは、まさにネイチャー・ポジティブを叫ぶ現代世界に合致した本だと思う。それに林業は大きな関与をするチャンスなのに、逆にネイチャー・ネガティブにしているのが日本の林業だろう。
そこんとこ、読み取ってほしい。
このところ、Yahoo!ニュース編集部から、「この記事にコメント付けませんか」という依頼がよく舞い込む。
クマ出没に山火事に林業に……とまあ、私ならなんかコメントするんじゃないかと思われたのだろう。私自身も、一からYahoo!ニュース記事を書き下ろすより簡単だし、短文でスパッと切れるのでわりと向いているかと、自分でネタを見つけてはコメントを書くことが増えた。
が、今回はあえてYahoo!ニュースのネタをブログで取り上げたい。なぜって? 気の迷いさ(´_`)。
成長早く花粉半減…住宅メーカー・ゼネコンなど熱視線「エリートツリー」を知っていますか
成長が速く剛性が高い一方で花粉量は少ない樹木―。この「エリートツリー」に企業が熱い視線を投げかけている。
エリートツリーは成長性とCO2吸収量が一般樹木の1・5倍、花粉の量が半分以下という優れものだ。成長が速いため、雑草を除去する「下刈り」の回数を減らせるほか、木材利用に適した状態となる「伐期」は約50年から30年程度へと短縮が見込める。労働力の軽減をはじめ、コスト低減や投資回収短縮が期待できる。
これは日刊工業新聞の転載のよう。
しかし、わからん。生長が早い木をエリートツリーと呼ぶのはよしとしよう。そんな特性のある品種づくりである。が、それが「剛性が高い」とはなんぞや。「花粉量は少ない」とはどんな理由?
もともと生長の早い木は、年輪幅が広がるから嫌われてきた。九州のスギを「バームクーヘンみたい」と呼んで馬鹿にしたものだ。古くからの林業地では、密植や枝打ちという技法を、生長速度の制御に使って年輪を詰ませた。その方が美しい木目ができて、強度も高まるからである。事実、年輪が詰まっている吉野杉は、ヤング率などほかの地方のスギよりはるかに高い。そして価格も跳ね上がった。
木目の美しさは感性によるもので、幅広でも美しくなる場合もあるだろうから置いとくとして、剛性が強まるというのはどういうことだろう。表面だけ硬くなるのか? それとも広葉樹のように木目が幅広ほど硬い性質が乗り移るのか。
さらに花粉の量はどうして制御する? 生長の早い品種と花粉の少ない品種を掛け合わせるのだろうか。それとも生長が早いと、栄養が回らず花粉が減るのか?
謎だらけだ。どこかうさん臭い。早く伸びる分だけ、しわ寄せがどこかにあるはずだ。30年で生長が止まるかもしれない。
結局、質をよくして高く売るより量を売りたい林業向きということではなかろうか。
今日は車検だった。朝9時に持ち込んだら、午後4~5時には上がるというスピード車検。しかも2年間ガソリン代10円引きの恩恵つき。
有り難いのだが、1日車検だと代車を借りるまでもないかと、その時間は出歩くことにした。
そこで選んだのが、春日山原始林。ここを一周しよう。
と、ところが朝から雨。。。今更濡れない場所を探しても変更しても車なしに行けないし、自宅に登るのもイヤだ。
そこで雨合羽をかぶって決行。なんと、ほぼ休憩なしで5時間歩きましたよ。歩数計は3万歩を越えた。後半は雨も止んだけど、いやあ、シトシト冷雨に濡れながら歩くのも楽しい(負け惜しみじゃない)。森の中はあまり落ちてこないし、静かでいいものなのよ。そして、発見もある。
飛火野の大クスノキ。立派だが,ちゃんと明治天皇が植えたと書いてある。ここで陸軍大演習をした記念である。飛火野は、奈良の時代からあったかのように知られるが、実は場所は転々と変わっていて、いつの世でもあったわけではない。現在の飛火野は、明治の世は陸軍の基地があったのである。そこを撤去して、飛火野と名付けたらしい。
これは原始林の中にある「妙見宮」とある寺院に登った際に発見。なんと直径3メートルを超える切り株。伐ったのではなくて倒れたのだろうけど、これほどの巨木があったか。かなり腐っていたから、倒れたのは数十年前かと思う。
さて、いよいよ車検の終わった車を引き取りに行こうとしたら、近鉄奈良線は人身事故で止まってしまった。。。。満員のホームで待ちぼうけである。
林業大学校(名前はアカデミーや学院などいろいろある)は、現在24の道府県ある。もう飽和状態ではないのか、と幾度か記した記憶があるが、林業大学校設立ブームはまだ衰えていないようだ。
まず、鹿児島県が2025年度の開校を目指して動いている。「かごしま林業大学校」の名称で、研修期間は1年間とする計画。場所は「森の研修館かごしま」のある姶良市と「鹿児島大学農学部附属高隈演習林」のある垂水市となり研修施設となると発表があった。鹿児島には鹿児島大学が林業の「学び直し講座」を開いているが、物足りないのかね。
が、私が注目したのは、もう一つ。徳島県の三好市である。なんと、こちらは来年開校するという。名前は三好林業アカデミー。しかし徳島県には「とくしま林業アカデミー」があるのでは?と思うのだが、三次市が独自に立ち上げるらしい。もっとも県と対立しているわけではないらしくて、姉妹校の位置づけで運営ノウハウや県有施設の貸し付けなどを希望している……とか。本当に張り合ってない?仲は悪くないの?
一応、運営は三次林業イノベーションセンターなんだそう。財源は森林環境税などを使うというが、趣旨を読むと、森林経営管理法に合わせて、とあるから、木材増産を狙っているのだろう。あああ。
市町村の林業学校といえば、金沢市とか鳥取県日南町などにもあるが、どちらも県にはないから重ならない……どうやら三次市の高井美保市長が熱心なようで……なんかイヤな予感がする(笑)。
この際、林業地の市町村が競って林業学校を開校したらどうだろう。それぞれ自分の地域を優先したい事情はあるだろうし、競い合ってこそ、よい人材は育つ。自前の林業家を育てるのはいいことだよ(棒)
とくしま林業アカデミーの募集チラシの裏。三好林業アカデミーについても紹介している。
東京の杉並区にある「玉川上水旧水路緑道」の緑道で樹木189本が伐採される予定だったという。一部が枯れ始めていたからだ。それに対して住民から反対運動が起きて、別の専門家を呼んで調べたところ、ほとんど木は健康な状態だった、ただ複数の樹木で必要以上の剪定が行われたために樹勢が落ち、腐朽菌が侵入しやすくなっているところもあったと指摘した……。伐らずに治療できるというのである。区は調査をし直すと決めたそうであるが。
そんな記事を読んで思い出したのが、奈良県十津川村にある玉置神社。
そこには神代杉と呼ばれる樹齢3000年とする巨樹がある。だが、これが数年前に“散髪”された(^^;)。具体的には、着生木を取り除き、枝も剪定した。幹全体に付いていた苔を取り除いたらしい。それが地元の猛反発を食って、その後さまざまな事件があった末に宮司は辞任している。
そもそも着生木があったら、なぜいけないのか。どうやら、県の調査で樹木医が、着生木が多く付いたから樹勢が衰えていると進言したらしい。それを真に受けたのか、そもそもスギの木にいろいろくっついているのを嫌っていた宮司なのか、「散髪」を敢行したのである。
しかし、着生木がついたくらいでスギは樹勢を落としたりしない。寄生する草木や菌類ならともかく、大半は広葉樹なのだ。むしろ共生関係が生まれることもあるという。スギも着生している苔や木々のおかげで利益を得ることもある。
神代杉に限らず、玉置山のスギ巨樹群は、湿潤温暖で霧がよく発生する気候から、樹木に苔が育ち、そこに着生木が根付く景観が生まれて、それが森の荘厳さや神秘的な風域を高めている。むしろ地元の誇りだったのだある。それをさっぱり取り除いてしまった……。
どんな樹木医が衰えるという判断したのか。もちろん、どちらが正しいのかわからないが、誤診は危険(^^;)。
着生しているのは落葉広葉樹が多いから、スギでも紅葉する。
こちらは、取り除かれなかった別の巨樹。こんな具合に紅葉していた。
なかなかオシャレ(笑)。
でも、急傾斜に立っていて少し傾きがち。しかも下に本殿があるから、もし倒れたら本殿を壊してしまうと、ワイヤーロープで固定している。
巨樹群を守るとは、何をどうすればよいのか。樹木医に限らず、「専門家」の判断は慎重を要する。ちなみに私は、樹木の手入れの仕方を聞かれても滅多に応えないよ。自信ないからね。
御歳90を越えた人とお会いした。コロナ前にも会っているから5、6年ぶりか。
そこで聞かされたのが、山の相続の話。そろそろ身辺整理を進めているようなのだが、故郷にヒノキ林とスギ林で10ヘクタールほど持っていて、さらに田畑もある。全体としては里山であり、そんな山奥でもなく標高も斜度も高くない。ところが長男は、嫁が反対するために山を引き受けてくれそうにない。次男もいるが……。
アドバイスを求めていると思ったので、境界線やら名義を確認して整理することの重要性を説明しようかと思ったが、その前に、すべて地籍調査を終えたこと、名義も曾祖父のものまであったが、全部自分に換えたことなどを聞かされる。なんだ、やるべきことやっている。日常的に森を管理してくれる林業家とも渡りをつけている。もう私が口を出すことないではないか。話していると、頭も明晰だし、年齢を考えるとしっかりしている。
が、なんとなく話の流れが、私に山を引き受けてくれと言われそうな雰囲気に(^^;)。いやいやいや。私が贈与を受けてどうする。
そこで将来の見通しを語ることになった。たしかに今は、山林を所有しても何の利益も生まないし、かえって税金などがかかるだけかもしれない。
相続土地国庫帰属制度はできた。しかし、その内容たるや、10年間分の管理料を先払いしろとかロクでもない。そんな金を払ってまで国に納めるぐらいなら、山林に20年間分の固定資産税額を相続者に割増しで分け与えるように約束して、長男でも次男でもいいから名義だけは相続してもらうべきだ。嫁が反対しているのは、多分負担が増えることを警戒しているのであって、それを前倒しで相続に含めておけばいい。管理は、地元の林業家などに頼むとしたら、名義を引き受けるのにそんな負担感はないと思う。
山林の条件もすこぶるよく、緩傾斜地だから崩れて迷惑をかける心配もまずないだろうし、近くに高速道路も走っている。いつか大化けするかもしれない土地である。むしろ農地の方が心配かも。今は売ったり処分する時期じゃない。山を寝かすのではなく何かに利用したいという思いがあるのなら、私もアドバイスできるかもしれない……。
なんだか力説してしまった。
さて、私の将来の説明はよろしかっただろうか。それとも逃げ口上になってしまっている?
Yahoo!ニュースに「今年のクマは冬眠するか?穴もたずグマは危険」を執筆しました。
今年はクマの話題が豊富……というか、ようするにクマが里に降りてきて農作物を荒らすだけでなく人を襲うまでに至っている。
実は私は、夏前からクマやイノシシなど獣害関係の記事をいくつも書いてきたのである。またYahoo!ニュースの記事のコメント欄にも積極的に書いてきた。そして「今後は、野生動物が都市に出没するぞ」と予言ならぬ警告をしてきたのである。それがあっさりというか、さっそく今年に起きてしまった。
おかげで私が記事を書くだけでなく、取材もいくつか受けてきた。
でも、笑えるというか、これが現実か!と思うのは、私に取材を申し込んできた記者の中には、仰天することをいう人もいる。
「クマってかわいい動物だと思うんですけど」
いきなり、こうですよ。そもそもの認識がとてつもなくズレている。かわいい動物がなんで人を襲うんだ、というところから入ってくるのだ。いやはや、参りました。たまたま雑誌で獣害、とくにクマの記事を書けと言われたので手がけるが、まったく事前の知識がないのであろう。ある意味、そんな状態で記事を書かねばならないのは可哀相でもある。
多分、くまモンもヒダクマも、迷惑しているんじゃないだろうか(笑)。
こんなニュースを目にした。事情を説明している5月の記事も一緒に紹介しておこう。
継続困難、解散を決定 清算人決め残余財産処分へ 瀬戸内町森林組合
瀬戸内と言っても、中国-四国に囲まれた瀬戸内海ではなくて、奄美大島にある瀬戸内町なのだが……それはともかく、森林組合(組合員270人)が解散決議をしたのである。
その理由として、22年度決算が1323万円の赤字となったからなのだが、またもや不祥事か? と思ったら、ちょっとヤバい理由だった。
そもそも組合の主要事業は、複層林改良事業という名の間伐らしいが、それを担当する職員が退職したのである。22年度に予定していた間伐が145ヘクタールだったのに約21ヘクタールしか実施できず、大幅な収益減となったという。その間伐事業を担っていた職員は、昨年10月末に4カ月で退職したという。えっ、一人だけ? 145ヘクタールも担当していたの? ほかに間伐できる人間がいなかったの? と疑問符だらけ。
ハローワークなどへの求人募集でも応募がなくて採用の目途が立たない。事業継続には少なくとも二人必要で、間伐や測量など現場仕事と、県や町への補助申請などの事務手続きができる職員が必要とのこと。ところが現場仕事で山を歩くのは、体力的にきついうえに、ハブの危険性もあるというのだからなり手がいない。そりゃ、ハブはイヤだなあ。
そこで組合の存続が難しいとされて、組合を解散決議するとは。
そもそも奄美諸島は、ほとんどが天然林、照葉樹林であるはずで、林業も製紙チップの生産だったように記憶している。以前、大面積皆伐が行われて問題にもなっていた。今回の(できなかった)間伐事業とは、どんな森で行うのか。照葉樹林でも間伐? 人工林も多少はある(14%くらい)が、そこの部分だろうか。植えているのはリュウキュウマツだろう。
そもそも複層林改良事業そのものがなくてもいいものだったようにも思える。解散しても困らないから解散するのかも。
ただし、間伐に限らず伐採手がいないと、防災作業や災害発生時の処理などの人材もいないということになる……。世界自然遺産にもなったのに、管理ができなくなる可能性もあるだろう。
人手不足で森林組合の事業ができないという事例は、今後全国で起きるのではないか。中の貴重な就職口であるから事務員は確保できるかもしれないが、現場の肉体労働はなり手がいなくなる。作業班を編成できなくなると、多くの森林組合はアウトである。代わりとなる民間事業体があればよいが。いずれにしろ賃上げ・待遇の見直しは、こうした現場にも必須になるだろう。
なんでも11月4日に、高知県田野町で「第1回全国森林鉄道サミット in 高知」が開催されたそうだ。こちらは魚梁瀬杉を運んだ森林鉄道が有名だが、なんだか森林鉄問うが密かなブームになっている模様。鉄オタが、現役鉄道に飽き足らず、その毒牙を林鉄に向けたか……なんて想像してしまう(^^;)。ちなみに私は昨日、智頭町の森林鉄道跡を歩いていたのであった。
智頭町で寄った森カフェ……というには大きすぎる巨大テーマパークレストラン(笑)、みたき園。その敷地を歩いていた際に受けた説明によると、ここに森林鉄道が走っていたそうだ。
今は川岸の道であるが、洪水で水に浸かった際に、上部に道路を入れたので廃棄されたそうだ。何の変哲もない道も、ここに走ったトロッコを想像すると、不思議な光景が脳裏に浮かぶ。
そして、次に訪れたのが、智頭町の森林セラピー基地。その一つのセラピーロードである。
これも森林鉄道跡だった。トロッコを走らせたのだから、傾斜はゆるやかだし、幅もそこそこある。ゆったり歩くことを旨とするセラピーロードに向いている。ちなみにトロッコは駆動車によって引っ張られて伐採奥地に上がったが、丸太を積んで運ぶ時は動力なしだったという。暴走はしないと思うが、ちょっと怖い。木馬と同じ発想か。
ところで森林鉄道と言っても知らない人もいるだろうから、見本の写真を載せておく。
こちらは宮崎県日之影町のかつての森林鉄道。
こんな崖に縫うようにつくられた軌道を走った。
そして日之影町の森林鉄道跡も、今は森林セラピーのセラピーロードになっている。
本日は智頭。その様子はまた別の機会にして、昨夜の続き。庭にはまだまだ収穫物がある。
夏がいつ終わったのかわからないままほうちしていた庭の一角の畑。そこを掘り起こして土の天地返しをしていると、意外な収穫物が現れた。
ジャガイモである。別に作付けしていない。少なくても、ここ2年は。それ以前に、父が植えた可能性は……少ない。父はサツマイモを植えていたはずだ。となると、私が? そういや芽の出た小さなジャガイモを庭に投げ捨てたような気がする。可能性はある(笑)。
それがいつのまにやら生長していたのか。ジャガイモの葉が畑に育っていた記憶にないのだが、トマトはあったから(トマトも野生化していたのだった)その葉と混ざっていたのかも。トマトとジャガイモの葉は似ているからね。どちらもナス科ナス属だし。(その雑種をポマトという。)
そこで周辺を気をつけて掘ってみると、続々と小さなジャガイモが見つかった。
すでみ目が出たものもある。それは残して来年育ってもらうかとも思ったが、この際全部収穫。来年は本気で作つけるかな。
簡単にレンジで茹でて、塩だけで食べてみたら美味い。油で揚げてもいける。ちゃんと料理に使えそうだ。
庭の野生化計画、なかなかよろしい進展ではないか。
これまでも触れてきたが、庭の柿が豊作すぎる。昨年は1、2個しか稔らなかったのに、今年は何百もある。そんなに大きな木ではないのに。
放置すると、クマは来ないけど、熟してボタボタと落ちてくる。それが隣の家まで拡散しかねない。そこで、可能なかぎり収穫している。
ただし、小さいものが多い。それを毎日2、3個以上食べて数を減らしてきたが、もう辛い(^^;)。大きいのも食べたいが、それを食べると数がこなせない。近所にも配っているが……。
そこで思いついた。柿プリンをつくろう。
簡単なのだ。柿の実をミキサーで混ぜて、そこに牛乳を入れるだけ。後は冷蔵庫で冷やすと、柿のペクチンと牛乳のカルシウムが反応して固まる。味付けは好みだが、私は砂糖などは入れずに柿のままにした。それでも十分甘い。
意外と大変だったのは、柿の皮を剥くことよりも種子をとること。種なしなら楽ちんなのたが、我が家の柿は結構種子がある。後は牛乳の量かなあ。固まり具合の調整は勘!
美味い。このカップの量で二度ぐらいに分けて食べるようかと思ったが、一気に全部食べてしまった。味や固まり具合を変えると、もっと楽しめるかも。寒天を入れて、固めにしてみることも考える。ドライフルーツも入れてみるか。
小さな柿を10個近く使ったと思うが、これなら消費量が伸ばせる。
あの手この手で庭の収穫物をいただきます。
11月4日、つまり明後日になるが、鳥取県智頭町で「森のえんたく」というシンポジウムが開かれる。
という告知は以前にもしたかと思うが、それがオンラインでライブ配信されることになったようなので、改めて告知。
https://youtube.com/live/2DTs8oncil8?feature=share
配信協賛:株式会社UPDATER(みんな電力)
私は基調講演で「希望の林業へのパラダイム転換」と題して語る。タイトルどおり、「絶望の林業」からの次のステージ。(本当か?)
期待されるような「林業の未来は希望がいっぱい」ではなくて、希望を持ちたければ、これぐらいやれよ、できない林業に未来はない!という最後通牒になる(予定)。
なお11月17日は、「木育カレッジ2023 第6回 世界史の視点で見る木育・自然体験活動」。こちらも以前、告知したけど、それは10月バージョンで、今回は11月。単発受講も可能ということである。
タイトルも強気だが、キャッチコピーもすごいでしょ。よく、こんなの付けたな、と我ながら思う(^^;)\(-_-メ;)。
どうするんだ? 考えるなというのだから、考えないで感じてもらおう(笑)。
とはいえ、結構マジメに理屈付けたことを話すと思う。もともと私は理屈ぽいのよ。感じただけではダメなのだ。しっかり裏は取って押さえるべきことは押さえる。どちらにしても、内容は、まだカケラも準備していない。頭の中では描いているが、それをいかに「感じられる」ように理屈つけて落とし込むか。
智頭から帰って来て、2週間あるし。その間に仕上げたい。
多分、誰も覚えていないだろうが本ブログでは不定期に「切り株の上の生態系」シリーズをやっている。
木を伐った後の残る切り株の上は、先行生物のいないフロンティアで、そこにどんな生き物が姿を現し、その後遷移していくか、新たな生命が育まれているか、という高尚なテーマなのだが(^^;)、千差万別である。生えるのか草か樹木の稚樹か、キノコなど菌類か。
今回は、奈良県の南端に近い山まで走って、撮ってきた。これまでで最大だろう。
スギの木だと思うが、直径が1メートルを越して樹齢300年生の大木である。おそらく7年ほど前に台風で倒れたと聞くので、その時に伐採したのか。根が起きていないので途中で折れたのかもしれない。
どちらにしても内部は空洞だったから材としては使えないはず。その代わりに草類が生えていた。なんだか噴火口のようである。
その空洞の部分に草が生えている。後継樹にならないが、たくましてよろしい。思ったほど植物の種類は多くない。切り口がなめらかなので、7年は経っていず、放置していたのを最近根元から切り揃えたのかもしれない。
その周辺にもたくさん切り株がある。ざっと20本ばかり。根から倒れたらしいが、幹だけ運び出して、切り株はワイヤーロープで止めて、これ以上崩れないようにしている。
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