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森と林業の本

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2023/12/20

先駆者・ヤスキチ・ムラカミと湯浅年子

大阪大学中之島芸術センターで開かれている「ヤスキチ・ムラカミの世界展」を覗いてきた。パネル展示ばかりで拍子抜けしたのだが。

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村上は、戦前オーストラリアに渡り、写真家などの事業で多彩に活躍した人物で、真珠貝採集事業にも関わる中で、潜水スーツを開発したという。今でこそ、スキューバダイビングに欠かせないダイビングスーツ(昔はアクアラングと商品名で呼んだものだ)だが、元は真珠貝を取ろうと深海にもぐり潜水病にならないスーツをつくろうという目的があったようだ。そして基礎的な構造を開発して特許も取っていた。

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ところが、そこに戦争が始まり、日本人として強制収容される。そのため特許の更新ができず、1943年に特許切れ。ところが、この年にフランス人クストーが、村上とほぼ同じ仕組みの潜水スーツ、アクアラングを開発して特許を取ったという。
一時期潜水服と言えばアクアラングだったが、実は日本人が先に開発していたとは。村上は、収容所内で亡くなったために、その業績も人物像さえ忘れ去られてしまったが、世界で最初の潜水服は日本人の発明かもしれない。

この展示会は、そうしたヤスキチ・ムラカミを発掘した人の発表であった。

 

そして、最近呼んだ本。

パリに生きた科学者湯浅年子」(山崎美和恵著 岩波ジュニア新書)

Photo_20231220105801

こちらもすごい人だ。戦前、核物理学を志していた科学者なのである。女性科学者という点からも稀なる存在だろう。

そして1940年にフランスヘ留学。すでに欧州大戦は始まっていた時期で、フランスもナチス・ドイツに宣戦布告していた。それでもラジウム研究所でキュリー夫妻の娘と知遇を得て放射線の研究を行った。

しかし、すぐにドイツ侵攻でパリは陥落。ナチスの支配下でも自作したβ線崩壊の観測して研究を続けるが、今度は連合軍の反抗でパリが開放される。日本人である彼女はドイツ・ベルリンに避難させられ、今度はベルリンで研究を続けた。ところが、すぐにソ連軍の侵攻でベルリンが陥落。結局シベリア経由で日本に帰される。ベルリンでつくったβ線分光器を担いで持ち帰ったという。日本に着いたのが45年6月30日で、8月に広島と長崎に新型爆弾が投下されるが、それが原子爆弾だと見抜き翌日には授業で説明していたという。そして日本も降伏……。

なんとも凄まじい経験をしているのだ。戦後日本では原子核研究が禁止されたが、当時の日本で彼女は欧米の最先端の研究情報を持っていたから、引く手あまただったよう。そして49年に再びフランスへ渡る。そこで終生を送るが、当地でも実力を認められて国際会議などで活躍した。日本人の女性科学者の先駆者と言えるかもしれない。巣鴨に「湯浅年子の碑」また奨学金も設立されている。


私は、彼らのような世間にあまり知られていないが、大事を成した人に興味がある。逆に言えば有名人に興味はない。別に無名の人を有名にしてやろうと思うわけではないが、業績は正当な評価をすべきだし、何より未知の業績を発掘することに面白味を感じる。

そろそろ本腰を入れて取り組むかなあ。

 

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