能登半島地震、発生から2週間になろうとして、急速に災害関連死が増えてきた。
災害直後ではなく、しばらく経ってからの死というのは、なんとも地味にしみじみと恐ろしいと思う。それも肉体的な怪我だけが原因でなく精神面の痛手も含むのだ。
この正月、ノンフィクションライターの山川徹さんと飲んだ。奈良の町を4軒も梯子した。その間にも能登の震災の情報はチェックしていて、「死者が60人を超えた」「また一人増えた」と話していた。
彼の最新の作品が『最期の声 ドキュメント災害関連死』(角川書店)である。彼は東日本大震災に関する著作もあって、10年も前より温めていたテーマだという。実は、取材を進めている頃にも会っていて、このテーマについて聞かされていたが、正直「地味だな」という印象はあった。重いテーマであるのはわかるが、読者の琴線に触れる部分が少ない。目立たないのだ。災害関連の報道はたくさんあるが、関連死という切り口は狭間に入っていて扱う人は少ないだろう。
だからこそやりたい、それでもやりたい、と全国各地を取材に歩いているのだから応援はするが、出版物としては売りづらいだろうな、と想像していた。
彼の作品は多数あって、なかには売れて賞を取ったものもあるから、私なんかよりずっと売れっ子なのだが、その中では渋い本になるだろう。
実際、「その前の本が売れたから版元がOKしてくれた」とも聞いた。でも売れ行きはイマイチ(^^;)とか。
それを言えば、私も『山林王』で同じ経験をしている。この手のテーマがベストセラー……とはまでは行かなくてもベターに売りたいのだが、それが難しいのだ。それでも書きたいから書いた、としか言えない。彼も、覚悟の上だろう。とはいえ、まったく売れないと版元も困るから、そこそこ売れるようにするのが腕の見せ所となる。
話は変わるが、AIの時代、ライターの仕事も取って代わられるのではないか、という話が出ている。たしかに情報を集めてきて、それを読める文章にするという機能なら、将来はAIの方が並のライターよりもうまくなる可能性はある。5W1Hさえ押さえたら、新聞記事の速報などAIに任せられるかもしれない。
だが「売れないかもしれないけど、書きたい」という衝動と、その取材は、AIにはできない。既成の情報を寄せ集めでは書けない。AIは、しょせん予定調和で文章をつむぐだけだ。未知の驚き、想定外の驚きを与える文章は無理である。情報の裏の意味を読み取るのも苦手の(はず)だ。
これからの書く仕事に重要なのは、目利きだろう。数ある何を情報から何を選ぶべきか、また同じ情報に接しても、そこから何を読み取るか。 逆に言えば、現場に何度通っても、大人数に取材しても、目利きでなければAIに負ける。
そして「感情」が大切になるのだろう。AIにないのは感情だ。いっそ感情に任せてなぐり書きするのもよいかもしれない。ついでに、読んでもらえるようにする必死さも。
今後、災害関連死が話題になれば、また「最期の声」も注目されるだろう。林業に注目が集まれば『山林王』も(^^;)。めざすは、ロングセラーだ。
ちょっと遅めの年頭の所感である。
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