龍治郎を探せ!(同志社時代の集合写真)
土倉家の貴重な写真を手に入れる。
新発見は、これだ。
京都・知恩院の山門前で撮られた同志社の学生写真。おそらく同志社にもない代物である。
問題は、ここに土倉龍治郎が写っているはずなのに、どこにいるのかわからない点だ。。。
そもそも撮影年代がはっきりしない。龍治郎は、6歳で入学しているが、20歳前後で卒業したはず。つまり幼少時から高等学校当たりまで教育を受けている。当時は大学はまだなく、同志社英学校だった。
もし幼少時なら、前の方に写っている児童かもしれない。そこで、その当時の写真を探してみた。
これは新島八重と一緒にいるところの写真を切り取った。6~7歳だろう。新島襄夫妻の世話を受けていた。八重さんにサーカスに連れて行ってもらい、象を見たという手記を残す。
人数が多いので、もっと大きくなってから(同志社も大きくなった頃)の可能性もある。そこで兄弟姉妹で撮った写真から拡大してみた。同志社時代という書き込みがあるから、卒業前か。ちょうど柔術と撃剣(今の柔道、剣道になる前)を習いだしたころだ。どちらも名人級になったという。同志社にも道場が建設された。
痩せて顔の輪郭は全然違うようになっている。
でも、集合写真から確実にこれだ、という人物が見つからないのである。ウォーリーを探せ、ならぬ龍治郎を探せ、状態。
誰か、挑戦してみないか。ちなみに外国人教師も写っているが、誰かわからない。
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