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森と林業の本

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2024/01/20

千葉のシカは奈良のシカ?

このところ土倉庄三郎に関する新たな文献がいくつも見つかっている。もう私の中では終わらせたつもりだったのに…。

その一つは、『奈良に蒔かれた言葉』(奈良県立大学ユーラシア研究センター学術叢書1)である。
そこにある「大和近代の風景と自然観一考-杉と桜の文化資源学 本多清六「吉野山の桜制復古」(岡本貴久子著)という記事がある。

タイトルどおり主に取り上げているのは本多清六なのだが、彼にまつわる中で土倉庄三郎も紹介している。ただ、ここではそれを紹介しない。
内容的には、私にとって知らないものではなかったからである。

むしろ、それに付属したコラムがユニークだ。こちらに注目したい。

Photo_20240120151001

奈良公園の人気者「ニホンジカ」と東京大学千葉演習林…この記事である。

それによると、千葉県の清澄…とあるのは、現在の鴨川市のようだが、ここにある東京大学演習林には「野獣園」という施設があったらしい。そしてシカを飼育していたが、その元は、なんと奈良のシカだというのだ!

どうやら明治42年に、春日神社(現・大社)から東京帝国大学農科大学に奈良のシカ(ナラシカ)を3頭送ったというのだ。どうも本多清六が関わっていたらしいが、人に馴れているシカということで選ばれたとか。

もう、これは、千葉も春日大社の一部であり、奈良領だな( ̄^ ̄)。

さらに繁殖させると、千葉県の神野寺、神奈川県の江島神社、長野県の小諸公園にも分譲されたという。そうか。神奈川県も長野県も奈良領だったのか。全国のシカはナラシカの血を引いているに違いない。

ついでに言えば、本多は「野獣園林業」を提唱していたらしい。ようはシカのいるレクリエーション施設として利益を上げるのも林業だというのである。これは参考になる。ナラシカ輸出産業を起こしてもいいぞ。

 

 

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