丹生川上神社上社の切株断面
川上村にある丹生川上神社神社。正確には、「元官幣大社 龍神総本宮 丹生川上神社上社」と記す。
天武天皇の白鳳四年(675)に、ご神宣により建立奉祀されたと伝えらる由緒正しき神社で、平安中期には、朝廷における最高格の社格となる「二十二社」の一つに数えられていたという。ところが、応仁の乱(1467)の後は衰微し、社地の所在も不詳となってしまった。
明治になって、その場所を探す試みが行われて、最有力なのが、この川上村の祭祀跡。その後、東吉野村や下市町にも候補があって、結局は官幣大社として下市町を下社(明治4年)、川上村を上社(明治29年)、東吉野村を中社(大正11年)と定められた。この三社は、今三社巡りなどを催しているが……。
長い前置きになったが、上社に詣でてきた。
実は、大滝ダムがつくられた際、本来の上社の場所は水没することになり、高台に移された。だから、この社殿は歴史が浅い。30年程度か。しかし、近づくと、トンデモナイ吉野杉の銘木で建てられていることがわかって、これは一見の価値ありだ。
旧社を見下ろす。ダム湖(大滝竜神湖)の底だけど。
注目してほしいのは、本殿の木材だけでなく、その傍らに置かれた切株断面。これ、旧社に生えていた大木の一つから伐り出したものだ。移転の際に、境内の来は全部伐ったはずだ。これは直径1・5メートルくらいかなあ。樹齢600年と記されている。
実は、私はダムが建設する前の旧社に幾度か寄せてもらっていて、大木群を目にしている。ただ、もっとも太い木は、その頃にはすでに伐られていた。もしかしたら、水没より前に折れるかしたのかもしれない。その切株に寝転がったら、私の体がすっぽり収まった記憶がある。つまり、直径2メートルぐらいあったのではないか。樹齢は800年ぐらいあるとしたら、当然、天然木だろう。
今、その姿を見られたら、とどうしても思ってしまう。
旧社からは平安時代の祭祀遺跡が見つかっており、それが今の上社に復元されていた。
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