道より未知。探検遺伝子の進化論
気がつけば連休。また生駒山に登った。ルートは、いかに人がいない道を選ぶか。このところ生駒山は登山客があふれている。
私は山登りもしくは森歩きでは、できるだけ他人に会いたくない。もし人が前方に見えたら、さっと道から外れる癖がある。そこで、人が滅多に通らない旧道を選んで登り、すぐに下りコースへ。
よい具合に誰とも会わずに進める。わずかに山頂のだだっ広い駐車場で遠くに人影を見た程度。ただ、このまま言えば宝山寺の裏手に出て、また人が多いだろうな……と想像できた。そこに現れたのが、このテープ。
ん? テープが巻いてあるということは、こちらに道があるということか。
瞬時にその暗がりのルートを選んでしまった。たしかに道らしい。今まで知らなかったぞ。たしかにところどころに木にテープがあり、ルートを示している。もっとも道と行っても単に茂みの薄いところを進むだけのようなものだが。
あら。倒木があるということは、長く通る人はいなかったのだろう。もはや道は消えてしまったのかもしれない。
こうなると、もうテープを当てにはしない。自分で通りやすそうなルートを見つけて下る。通りやすい……と言っても、気がつけばブッシュに。木々をかき分けて進むのと同じだ。かなり急な傾斜を滑るように下る。
ワクワクしてきた。知らない風景の中を歩くことに。知った道より未知の道を選ぶのは、我が性だ。私の人生の選択ルールである。
人の遺伝子の中に、DRD4-7Rという遺伝子があり、それがあると新奇性のあるものに触れるとドーパミンを受容するという。つまり知らないものに触れると快感を生じる。快感を感じたくて未知のものに触れたくなる。
だから、この遺伝子を「冒険遺伝子」などと呼ばれる。未知を探して移動を好むから「旅人の遺伝子」ともいう。私は危険を伴った肉体的にきつい冒険は苦手なので、「探検遺伝子」と呼びたい。もしかしたら、探し切れずに迷い遭難するかもしれないから、「遭難遺伝子」かもしれない。
人類の何%かは、この遺伝子を持つ。まあ、あまり強すぎると遭難して消えていく(^^;)ので、ほどほどに冒険し、探検し、生還した人だけが、人類を進歩させたのだろう。
進化論によると、遺伝子の偶然の偏差によってバラエティのある形質が生まれ、その中でたまたま生き残ったものが進化したとされる。人類は、単に肉体的な形質だけではなく、心理的なバラエティとして、この冒険遺伝子があるのかもしれない。それが行動のバラエティを生み出し、進化させる。だからこれも自然選択だ。
ま、私もその末席に座っているということですな。
そうそう、最後はぐだぐだになりつつも、なんとか道の痕跡のあるところに出て、真っ当に帰って来れました。
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