「傍聴席を埋める」ことの意義
本日の朝ドラ「虎に翼」は、序盤の白眉と言えるだろう。
明治民法の下では勝ち目のない裁判と思われた、離婚係争中の事物の返還訴訟。そこに女子法学生が大挙して傍聴に行くと、裁判官は悩んだ末に、判決で被告の「権利の濫用」を持ち出して返還させた……。
もちろん公的には、「傍聴席に誰が座ろうと、人数がどれだけいようと、それで判決が変わるわけがない」。しかし、裁判官の心証に影響を与える場合もあることは公然と語られる。
実は、私も聞いている。行政裁判の傍聴をしたのだが、その前に原告側の弁護士は、「傍聴席を満員に!」と訴えていた。常に傍聴する人がいることで、裁判官もその裁判内容が注目を集めていることを意識させるという作戦なのだ。意識すれば、“気軽な”判決は出せない。それは微妙に法律の解釈に影響を与える。裁判官も人の子、世間の評判を気にする。
私は法学の素人だが、「法律とは自分なりに解釈するもの」「法廷に正解というものはない」とは聞きかじっている。一般人が思っているような「正義かどうか」を示したり「違法と合法の線引き」をしてくれるものではない。それは人が「解釈」し「運用」するものであり、それゆえ人の感性・感情に左右されがちなものでもある。
そして、警察も裁判も、注目されないゆえに法律の表面をなぞるだけの決定・判決を出す「形式主義」が横行していることを思い知った。
なさけないことに、奈良県の知事は弁護士でもあるが、この形式主義が大好きらしい。今も防災基地用として購入した奈良県の土地をメガソーラーにする用途変更を「違法ではない」と自慢げだ。土地売買の際の契約書には「疑義のある場合は協議する」とあるが、そんなものに効力はないと得意気にテレビで語る。これは「法の支配」ではなく「法による支配」ではないか。
そのことを強く意識したのは、『盗伐 林業現場からの警鐘』を執筆するために(付け刃的に)司法の現場に触れたときであった。世の中の裁判や、警察の捜査は、こうした次元で行われているのだ。それが意図的な盗伐であることは誰が見ても間違いないのに、法的には「証明できない」から誤伐扱いする。だから盗伐は横行する。
森林だ、林業だと言っても、実はそうした人の感情で世の中を俯瞰すべきなのかもしれない。
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