戦艦大和の砲弾
ちょっと捜し物をしていて、古いアルバムを開いたら、目的の写真はなかったのだけど、こんなものを発見。
多分、中学1年生頃だわ。撮影したのは、下関市の火の山。名前はスゴイのだが、山頂には家族連れが遊びに行くような公園が広がっている。
見てほしいのは、私が手を置いている代物。
これは何かわかるだろうか。砲弾だ。ただの砲弾ではなく、戦艦大和の主砲46センチ砲の砲弾である。それが飾られていた。海から引き上げられたものらしい。この山は、関門海峡を見下ろす位置にあるから、かつては重要な軍事拠点だった。関門海峡は九州と本州を分けるうえ、瀬戸内海へと入る狭い海峡だから、ここを押さえることは攻める側にも守る側にも、軍事的に重要なのである。だから下関と門司には、要塞が築かれていた。この山にも数々の弾薬庫や砲台跡があり、戦跡だらけであった。
そういや幕末の下関戦争では、長州は海峡を通る列強の船を砲撃したことで始まり、反撃を受けてあっさりイギリス・オランダ、フランス、アメリカの連合国に破れて下関を占領されている。
さて、この大和の砲弾は、射程距離が40キロ以上もあった。対艦船攻撃には強力なのだろうが、航空戦の前にはまったく役立たずであった。それに命中率の悪さ。どんなに練度が高くても、当たる確率は数%なのだ。
だいたい、この主砲をぶっ放すと、副砲や対空砲火などほかの砲撃が全部ストップしてしまうという構造で、それを知ったミリオタだった当時の私は唖然としたのであった。さらに艦内電話が、すぐ不通になって困ったという証言があり……そんな欠陥だらけの戦艦……ヾ(- -;)
写真を拡大してみた。碑の文は、読めそうで読めない。今もあるのだろうか。
先日、NHKEテレで、戦艦大和の艦内で撮られた貴重な写真のドキュメンタリーをやっていた。それを見た直後にこの写真を発見して、遠い昔の記憶が蘇ったのは暑い夏の日だからだろうか。
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