保護司制度の原点と林業
朝日新聞に、保護司制度の原点の記事が掲載されていた。
保護司とは、刑に服した元犯罪者の社会的立ち直りを支える役職だが、大津市で保護司の男性が、担当した元受刑者に殺害される事件が起きて注目を集めた。そもそもボランティアで、こうした重要で難しい役に就いていることにさまさまな意見が出ているのだが、その原点を探ると、明治期の静岡県の実業家に行き着いた……というのだ。その実業家とは、金原明善。
金原明善。ご存じだろうか。天竜川の治水に尽力したことで知られるが、元々は農家(と言っても豪農)であったが、全財産を注ぎ込んで治水事業に取り組んだ。その治山の一環で林業も始めた。それが現在の天竜林業につながるのだから林業家と言ってもよい。
そして、その林業は、吉野の土倉庄三郎に教えを請うたことでも知られる。庄三郎も天竜を訪れたはずだが、川上村から林業技術を教えるために人を派遣し、彼は一家を上げて移住したという。
そのほか明善は、製材業や木材輸送業、さらに銀行も興している。その点では、森づくりと木材生産にこだわって、事業を広げなかった庄三郎との違いである。それは吉野にはすでに周辺産業が育っていたこと、天竜にはなかったことが関わってくるのだが……。
その明善が、「出獄人保護」の会社をつくっていたとは。出獄後の生活や仕事の斡旋などを行っていたらしい。
庄三郎に似た活動をしていたとは聞かないが、無職の人を林業に招き入れる提言をしていたと記憶する。
そういや奈良県では、元受刑者の仕事として林業を斡旋する事業を行っている。現在どうなっているのか知らないのだが、少なくても何人かが林業に就いているはずだ。強制するわけではないが、選択肢としてはよいと思う。農業、林業など自然の中の仕事は、誘惑が多い町の仕事より心を落ち着ける効果があるだろう。
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