台湾檜と木曽檜の共通点
一部には伝えているが、来週23日から台湾に行ってくる。駆け足ながら、台北-嘉義-阿里山巡りだ。
目的は、もちろん土倉龍次郎の足跡を追うことなのだが、もう一つ興味があるのは、嘉義の林業遺跡。嘉義という町は、阿里山に昇るための基地ぐらいにしか考えていなかったが、調べているうちに実は日本領時代(日治時代と呼ぶそう)には林業の一大基地だったことに気づく。言い換えると、戦前の日本の林業の遺産がたんまり眠っているところ、らしい。
嘉義の貯木場(絵はがき)。浮いているのが阿里山のタイワンヒノキ
なぜ嘉義の町が林業の町になったかと言えば、言うまでもなく阿里山のタイワンヒノキを伐りだした後、この町が集積・加工基地になっていたからだ。標高2000メートルの山々にタイワンヒノキ(実は2種類あってタイワンヒノキとタイワンベニヒノキ)の巨木林が発見されて、超貴重な資源となったのである。(私は、この阿里山の巨木林を発見したのか龍次郎ではないか、という仮説を持って取材に行く。)
ところで、昨夜は木曽檜についての話を(オンラインで)聞く機会があった。その時に気づいたのだ。木曽檜とタイワンヒノキには共通点があるぞ、ということに。
どちらもヒノキだから? 当たり前だ。タイワンヒノキはヒノキの変種とされている。ちなみにタイワンベニヒノキ(紅檜)は、サワラに近い。木曽にもヒノキ林とともにサワラ林がある。どちらもヒノキ科ヒノキ属だ。
だが、それ以上に重要なのは、温帯針葉樹林であること。思えば、ヨーロッパやアメリカも多くが、冷温帯、いわゆる亜寒帯に林業地が成立している。樹種になるアカマツやモミ、トウヒなども冷温帯針葉樹なのだ。湿潤温暖地の温帯に生える針葉樹としてはスギとヒノキであった。
もう一つ。木曽檜もかつては巨木林として発見され、戦国時代から江戸時代に大乱伐が行われて底をついた。そこから禁伐政策が取られて徐々に復活していたのに、明治以降、さらに戦後もメチャクチャ伐ってしまった。幕藩体制がなくなり、国有林・御料林となったとたんに乱伐に合うのだから、国の政策のいい加減さを感じる。今はまた保護されているが、それでもなんだかんだと理由をつけて伐り続けている。
阿里山も、似た歩みだ。戦前はもちろん日本か切りまくったのだが、途中で保護策も取られた。ところが戦後は国民党政権がメチャクチャ伐ってしまうのだ。かくして、巨木と呼べる木は何本も残っていない。観光ガイドによると多分40本ほど。今の台湾は、国有林の伐採を全面的に禁止した。
こんな歴史と政策も共通しているんじゃねえ? と感じたのだ。
龍次郎が残した写真。巨木の中に何人写っているだろう。人と比べると直径2メートル級か。それが林立している森を体験したかった。
そんな伐り尽くされたタイワンヒノキ林を見るのも目的となるだろう。
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