裁判を傍聴して思うこと
昨日、奈良地方裁判所で裁判を傍聴した。傍聴抽選にも当たって、わりと前の席に着いて裁判を見守る。
裁判は、メガソーラー開発に関わる許可取り消し行政訴訟と工事差し止め訴訟。砂防・治山がらみの工事が、該当法律の解釈ギリギリの要件で済ませようとする業者と県か、それでは住民の安全を守れないとする住民側の争いだ。もちろん、そこに開発案件に絡む森林法などの解釈が正しいかどうかといった問題も入ってくるのだが……。さらに提出された小難しい推定降水量や排水量計算の数値データの解釈まで絡む。
もともと今夏には判決が出ると言われていたのだが、今回は年内に結審を……と言われていた。案の定、その間に裁判官も交代していた。前の女性裁判官は、いかにも数学系の知識がなさそうだったが、今回の男性裁判官はどうだろうか。ただ10月に裁判官自らが現地調査を行うそうである。
私は『盗伐 林業現場からの警鐘』を執筆する過程で、日本の司法は信頼するに足らずと確信した。警察検事裁判官、そして弁護士。いずれも面倒くさい事件はなるべく捜査しない・立件しない・弁護しない・判断しない。そして儲からない・勝てそうにない事案は引き受けない。担当者個人の好き嫌いと力量に左右される。裁判官の心証が重要視される。それに法律家が専門知識(産業界の構造とか学術的な知識)を付け刃で勉強した際の薄っぺらい理解度を感じる。
おりしも朝ドラ『虎に翼』で原爆裁判の判決が描かれたが、判決そのものは原告側の請求棄却であった。ただ意見として、被爆者救済は立法と行政の仕事だとし「政治の貧困」にまで踏み込んだ。……が、その後被爆者援護法が施行されたのは1995年だから、立法が動くまでに30年以上かかったことになる。事実はドラマよりひどし。
法律さえ違反しなければよいのか、被害者救済、住民の安全という根幹の目的まで訴求した判断をめざすのか。
ちなみに奈良県知事は、五條市のつくったメガソーラー規制条例を憲法違反だと言い出した。住民の同意がなければつくれないのはケシカランのだそう。ようするに、自分はメガソーラーを作りたいのに規制されるのがイヤらしい。彼も弁護士出身だけどね。法律の解釈は、ここまでねじ曲げられる。
県は、この裁判で負けたら、また憲法違反と言い出すのだろうか。
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