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森と林業の本

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2024/11/17

古墳の植生遷移

近頃、なぜか古墳巡りをしているのだが、そこで見かけた風景。

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山辺の道に面した天理の某古墳の頂上から。こんなに眺めがいいなんて。大和三山が見えるだけでぐて、奈良盆地が見渡せる。それが、あまり古代と変わらないような景観なのだ。古墳の上に登ることができるのも素敵なのだが。

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そこで気になったのだが、古墳に生えているのがチャノキであること。不思議に思って聞いてみると、草刈りが面倒なので除草剤を撒いているとのこと。すると、草は枯れるがチャノキはよく育つ。植えたわけではなく、自生している。ここから茶を収穫できるそうだ。

ほかにも果樹園になっている古墳もあったし、畑が耕されているところもあった。

ここで古墳の植生の遷移について考えてみる。

天皇陵などには石が敷きつめられていたはずだ。造成した時点では、エジプトのピラミッドばりに、巨大な石造建造物だったのだ。
ところが日本は湿潤温暖なために植物が生えて、さらに古墳の管理がされなくなった(つまり古墳時代が終わった)頃から生え放題に草木が繁ったらしい。今では古墳と聞けば、こんもり木々の繁った景色が当たり前になった。

ところが周辺の農民は、古墳イコール聖なる墓という知識が薄まると、古墳も農地に変えられていく。少しでも農地を増やしたいからだ。環濠のある古墳なら、ため池代わりに水も得られるし。
戦国時代は、古墳を砦に改造することも多かったという。その際に盛り上がりを削ったから、もしかしたら石室を破壊したかもしれない。

古墳は墓なのだ聖なる地なのだと再認識したのは、実は明治時代以降である。天皇制の強化のため、古墳を陵墓として指定して立入禁止にしたからだ。

結果、人が入ることを禁止したり、耕作など利用も禁止された。すると、そこにまた草木が繁りだす。ただ民有地になっていた古墳は、相変わらず人の手が入り続けた。

……このように変遷を考えると、古墳の植生とは何が原点なのかと決めるのは意外と新しい。

 

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