阪神大震災、改めて思い出す
阪神大震災30周年ということで、例年より震災報道多め。能登の大地震もまだ記憶に新しく、南海トラフ地震の可能性も増しているからか。
ここで斜に構えて報道の仕方を評論してもよいのだが、あえて私もノッて真正面から記憶をたどってみた。
まず当時の写真を探し出す。当時はまだフィルムカメラだし、そもそも、そんなに写真を撮って記録する意識が強くなかったが……。
私は、震災直後、現地に入るかどうか迷っていたのだが、そこに芦屋在住の婦人から電話があって(彼女は、前夜から大阪のマンションに泊まっていたそうで無事)、これから芦屋の家に帰るというので付き添いがてらに現地入りすることにした。
阪急西宮北口駅までは電車が動いていたから、そこから歩く。西宮までは風景も通常どおりだったのに、そこより西に入ると、いきなりこんな状況。
そして、落ちた高架まで登って折れた線路を見学している人がいた。
私も登ろうかと思ったが、これは被災者だからできることで、外部者が同じように見学するのは気が引けたので自粛。
彼女の芦屋の高級マンションにたどり着く。エレベーターは動いていず、水も出ない。部屋は無事だが、割れた瓶や器類が散乱している。靴を履いたまま上がった。多少の片づけをしたが、とても手を付けられない。なぜか、ビールを出された記憶がある。飲まなきゃやってられん、のか。
そして記念撮影。
割れた中には、かなり高級な陶磁器やガラス食器もあったはず。壁には、超有名絵師による浮世絵も飾られていたなあ。
そして「せっかくだから、アノ現場にも見に行きましょうか」と彼女は言うのである。そう、阪神高速道路が横倒しになった現場だ。見たいよなあ。
そして歩いていくと、やはりマスコミ陣が殺到していた。中継している。テレビカメラが並び、まさに震災の最前線だ。
私らも交代で記念撮影した。
それから、どうやって大阪にもどったのだったか。もう夕暮れだった。記憶がない。街灯のない中を西宮まで歩いたのだろうか。タクシーを拾えた? わからん。
駅で喫茶店が開いていたので入って休憩した。そこでマレーシアの王室の裏話を聞いた。彼女は、かつてその王家に嫁いでいたのである。そんな場違いの話題も、ある意味震災ショックを和らげる心理的バランスを得るためだったと理解している。
その後も幾度か阪神~神戸を訪ね、震災現場でいろいろなものを見た。まだ駆け出しのフリーライターだった私にとって、その光景から何かを与えられたのだろうか。
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