大極殿のベンガラ赤
平城宮跡の大極殿。ここにはヒノキの大径木でつくられた柱が林立しているのだが……。
外部(建物内部は、ガラス戸に守られている)の柱は、塗料が剥げかけていた。「手で触らないでください」と表記があるほど。
この塗料、大極殿の建設時に奈良時代に則して選ばれたはずなので、おそらくベンガラだろう。酸化鉄の赤色塗料である。ベンガラとはインドのベンガル地方から輸入されたからという説があるが、それは江戸時代以降の話。酸化鉄などどこにでも昔からあるので、古墳時代から使われていた。
ただし、酸化鉄か赤鉄鉱石などの鉱物をすりつぶしたのか、あるいは鉄バクテリアがつくったものか。土中の鉄分を参加してエネルギーを得るバクテリアのつくる赤は、今でも下水溝や山の掘削現場などで見られるから、すぐ採集できる。古代の日本ならこちらではないか。
ただ復原大極殿に使われたのは、何かわからない。鉱石をすりつぶした輸入品の可能性もある。
問題は、完成後十数年で剥げてきたことだ。そんなに長持ちしないのである。また塗り直すのだろうか。
赤く染めた部分を埋めてしまう古墳はともかく、古代の宮殿や寺院神社の赤も、常に剥げていたのではなかろうか。そういや、奈良時代、それに平安時代の建物は赤など極彩色の色合いだが、鎌倉時代以降は渋くなっていく。今では、木が時とともに変色した状態を「日本のわびさびだ」とか言って喜ぶが、古代の日本は中国的な極彩色が好きだったのではないか。
中国王朝を模した宮殿を赤く染める。
それが剥げて来る。
何度も塗り直すが、金がかかるので青息吐息。
そのうち放棄する。
渋い木の色がむき出しになる。
これぞ、和の精神・ワビサビの色だ! と唱えて納得する……。
こんな状況ではなかったのか。
いや、もっと昔まで遡ると、倭国は木の生成りの色を尊んできたのに、随や唐の影響を受けて、建物を極彩色に塗りやがって、こんなの文化破壊だ! と言った倭国の文化人がいたのではないか。倭の文化は、もっと素材を大切にするものだ。中国かぶれした貴族どもは売国奴だ、と政権批判をしたのかもしれん。まっ、それを言うと、古墳の石室やお棺の中を水銀朱で真っ赤にした歴代豪族も批判することになってしまうが……。
ともあれ、防腐剤としての塗料と、木の文化について考えると面白いかもね。
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