里山破壊から回復するまで
東京大学大学院の研究
20世紀初頭までの里山荒廃が 下流環境に与えた長期的影響を解明 ――明治以降の山地環境変化と土砂流出の関係――
これによると、1930年代まで続いた里山の過剰利用、つまり環境破壊の影響が60年経った1990年代まで続いていたことを土砂流出の点から明らかにしたもの。
これは大学演習林のある愛知県瀬戸市の白坂流域で観測されたもの。30年代には、すでに裸地面積が流域の8.6%だった。それが1965年頃まで8.0~11.3%の間を推移したが、1970年代に急激に減少し1980年代には数%以下となった……という点と、土砂流出量を重ねたものだ。ようするに過剰利用で失った森林が1970年代にほぼ回復したが、その後も土砂は流れ続けて90年代まで続いた……ということだろう。
おそらく世間は、里山が自然破壊?と疑問を持つのかもしれない。里山は、人の活動と自然が上手くかみ合って、むしろ豊かな自然を生み出している……という言説が広がっているからだ。環境省も「SATOYAMAイニシアティブ」なんてのを世界に向けて発表している。里山のように上手く利用すれば、自然は守られるし、人も利益を得られる、というわけだ。
ところが、すでに20年ぐらい前から日本の里山は、全然自然を守っていなかったことが歴史的に証明されてきた。社叢、いわゆる鎮守の森も、明治~昭和までバンバン伐られていた。
里山は、どちらかというとはげ山だったのである。私の地元の生駒山も、草山だった。木々はほとんど生えていなかった。そのほか、明治時代の写真で、里山が剥げていることは簡単にわかる。
この研究では、ようやく里山の破壊が治まって木々が生えてきても、土砂は流れ出ていたことを示す。表土が回復するのは緑の回復より約20年遅れだったわけだ。
私は、このところ人間の自然再生事業に懐疑的になっている。
今年になってからも、再造林の嘘くささを示した記事を書いている。
再造林すればいい、のか
ほかにも思い出すのは、アメリカのプレゼンテーション番組TEDだ。(いくつかのキーワードを打ち込むと、すぐに出てきた。最近の検索は進んでいる。)
一度破壊した自然が回復するまでには、植林すれば早くできる、というものではないのだ。
瀬戸市で万博が開かれた(2005年)海上の森。撮影したの2008年だから、里山破壊後100年ぐらい経っている。森の見た目は、ほぼ完全に回復している。だが、動植物の生態系や、土壌はどうだろう。
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里山を中心とした生物多様性は少し誤解されているフシがありますよね。里山自体は人間が荒らした山で、場合によっては採草地で森林ですらなかったので。ただ、薪林や採草地、奥山の炭焼き林や木材を採るための針葉樹林と多様な森林があり、さらに、そこに農地や田んぼなどが加わって、総合的な景観が加味されて生物多様性が豊かになっているわけで。里山を守れとよく、ヤブ払いをしていますが、それだけでは無いんだよと、常日頃思っています…(口には出せないけど…)
投稿: 0 | 2025/04/07 17:40
自然破壊も、小規模な利用なら環境の攪乱によって多様な自然をつくり、生物多様性を促すケースもあります。「SATOYAMAイニシアティブ」も、その点を捉えて唱えられたのでしょう。
しかし、現実は小規模・適度に利用することに治まらず、必ず過剰利用に走ることを歴史が証明しています。
投稿: 田中淳夫 | 2025/04/07 23:09