台湾から北海道へ金山の夢
北海道の静狩金山。すでに金は掘り尽くしたと閉山しているが、ここに外資が続々と4社が、試掘許可を求めている。
今の技術で掘れば、まだまだ金は発掘できる、と睨まれているのだ。それに対して、仮に金の採掘が始まっても、それは環境破壊になるのではないか、と地元では反対の声が高まっている。
新聞でも、今頃扱いだした。地元では、もっと早くから騒ぎになっている。
実は私は以前より静狩金山に興味を持って調べていた。なぜか。
それは台湾から始まるのだ。
土倉龍次郎が台湾で事業を始めたとき、その手助けした部下が何人もいたことは言うまでもない。とくに知られているのが、津下紋太郎。そして、彼の指揮下にあったのが、緒方正基と木山与一である。いずれも軍属として台湾に渡り、そのまま軍を離れて居残った人物で、龍次郎と意気投合して彼の事業を手伝ったのだ。
ここで注目すべきは、木山与一だ。石川県出身で智の人として参謀・軍師的な人物だったそうだが、とくに金鉱探しに凝っていた。同じく龍次郎の部下だったアメリカ帰りの清水泰次郎に鉱脈探しの技術を教わって、台湾でも金鉱を探したのだ。実際に九扮で発見したともいう。九扮は、今でこそ観光地だが、元は金山で栄えた地域だった。その一角で金脈を見つけたらしい。
その後、龍次郎の台湾事業に関してもいろいろと活躍するが、そこは飛ばして故郷の石川県に帰国。そこでも金鉱を探して山々を歩き、七尾近辺で見事見つけたらしい。ただ、そうした金山は、大会社に売却して、また別の金脈を探して歩くなのである。
そして、最後に行き着いたのが、北海道静狩。もともと金の出る噂があって山師が集まって来ていたらしいが、1918年に先んじて発見。大儲けをしたという。静狩金山は、全国9位の出金量だったというから、かなりの良金脈だったのだろう。当時は、環境破壊という概念もなかったのだろう。
龍次郎とは帰国後もつきあいが続いたというから、彼の来歴を追いかけていたのだが、こうした人物が龍次郎の周りに何人も現れる。
その後、石川県の県会議員になったが、疑獄に巻き込まれてひどい目にあったという回想もある。まあ、何にしろ愉快な人物である。
そうした静狩金山が、21世紀になって、改めて金脈を探されようとしているのだ。ちょっと本筋とは違うが、龍次郎外伝として紹介しておく。まあ、外伝の前に正伝はどうなったのか、と言われそうだが。
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