沖縄の印部石
沖縄に行って、ぜひ見たかったのが、これだ。
この石ころ(笑)。高さ50センチくらいだ。何やら遺跡ぽいが……まあ、遺跡ではあるのだが、古代の巨石文明の名残……とかいうのではない。
ようするに測量の起点とした目印。印部石という。琉球王国全土を測量して地図をつくった際の忘れ形見のような石である。
問題は、それがいつ行ったのか、という点だ。1737年からなのである。地図づくりと言えば、党賞するのは伊能忠敬である。精巧な測量による日本地図をつくったことで知られるが、それは1800年から初めて17年間かけた。その後も蝦夷地など残ったところは弟子たちが受け継いだが、完成したのは1904年とされる。
つまり、伊能より63年も前に測量して琉球全土の地図がつくられたのだ。それも三角測量を基とした精緻なもので、現在の地図に見劣りしない。
で、こちらをつくったのは宰相の蔡温の命令による。日本で最初の地図づくりはこちらに譲るべきだろう。
しかも、この時期はフランスで三角測量が始まってさほど年数が経っていない。フランス全土の測量が始まったのは1682年。地図の完成が1737年……あれ、琉球の測量開始と同じ年だ。この速さ。三角測量技術が中国(清)に伝わり、中国から見た属国琉球の位置を知るために測量術が伝えられ、蔡温はいち早く取り入れて自ら地図をつくってしまったのだ。完成時と比べても17年しか差がない。
そして蔡温の地図は、その後、「林政八書」と呼ばれる林業技術書にも受け継がれる。
まあ、そんな原点の印部石が見たかったのである。かつては沖縄全土に1万以上あったそうだが、いまは200くらいしか確認できていないという。とりあえず私の行ける場所で探したら、浦添城跡にあることがわかった。「仲間あさと印部土手」と呼ぶ。
これ、地元の人でも知る人は少ないらしく、聞いて回ってようやく確認。こんな石を見る観光もよろしいだろう。
ちなみに浦添城跡とは、首里の琉球王朝より前の中山王朝時のもので、これも面白い。戦争でかなり破壊されたらしいが、復原が進んでいる。首里だけではないのだよ。首里と浦添は、いわば京都と奈良みたいなものだ。首里は観光客だらけだったが、浦添は静かなものだった。奈良と似ているだろう(笑)。
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