本当の終戦記念日とチモール
昨夜、『火垂るの墓』をテレビで見た。見たくなかったのに……。「二度と見たくない傑作」というヤツだ。
思うところはいろいろあるが、今回気になったのは、終盤、銀行で有り金を全部下ろすシーンで、清太が日本は降伏したことを知ったこと。これは、いつなんだろう。8月15日以降だろうが、2、3日遅れなのか、もしかして9月に入っていたのか……。
日本では8月15日が終戦記念日となっている。しかし、正確には前日の14日にポツダム宣言を受諾しているので、こちらが本当の終戦の日だろう。
だが、より正確には8月10日にポツダム宣言の受諾について連合国側に問い合わせている。いわゆる「国体の護持」ができるかどうか、だ。だから、その翌日の11日が実質的に終戦日になる。そして翌12日に世界に向けて「日本の降伏」が放送された。
それを知ったのは、私が東チモール(ティモール)の独立運動について取材しているときだった。当時、チモールに駐屯していた兵士から、連合国の放送を受信して聞いていたのだ。だから12日には日本は負けたことを知っていたという。この謎については、以前から気になっていたので調べたが、なんと10年も前に拙ブログに記していた。
ポツダム宣言受諾をいつ知ったのか
ただ、ややこしいのは、実際にアメリカが終戦記念日としているのは、戦艦ミズーリで日本が降伏文書に調印した9月2日である。
また当時のソ連は、8月9日に対日宣戦布告をして満州や樺太、北千島列島に攻め込んでいる。9月2日も戦闘は止まず続いていた。だから3日が終戦である。(さらに、その後日本人のシベリア抑留もある。)
つまり、8月15日を終戦記念日としているのは日本だけなのだ。
今、無性に東チモールに行きたいと思っている。
私は、40年以上前に東チモール潜入を企てて、あえなく失敗している。当時の東チモールはインドネシア軍の支配下にあり、おそるべき弾圧が行われていた。おそらく現在のイスラエルによるガザやヨルダン川西岸、なみ。住民統制は北朝鮮なみだった。その中で抵抗運動が送られていたのだが……。
潜入に失敗したおかげで、私は生き存えたのかもしれない。下手に潜入できていたら、軍に捕まって「行方不明」扱いされた可能性が高い。(実際に、そうして消えた外国人が数多くいる。)
だが、インドネシアのスハルト体制が崩壊して21世紀に入ると、東ティモールとして独立した。今なら、日本人も入れる。一応、観光コースもできているよう。今なら、行ける。40年前の雪辱を張らしたい……。観光客として(^^;)。
これは、かろうじて潜入できた西チモール内の東チモールの飛び地であるオクシ。山がはげ山だが、これは気候がサバンナだったせいだ。
こちらは飛行機から見たチモール島。こんな草原状態である。
80年前の戦争と、21世紀初頭まで続いていた独立戦争の地を、この目で見たい。そして考えたい。
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