生態系は「無駄」でできている?
近くの公園を通ったとき、足元でバシバシと、踏み割る音と感触がした。
公園のコンクリートの部分に大量のドングリが落ちている。見たところ、シラカシやコナラのドングリのように思えた。小さいし、とにかく大量だ。
踏まないように……と思っても踏んでしまう。すると頭上から、バタパタと落ちてくる。踏んだな、と恨まれたような気持ちになる。
しかし、これらのドングリが芽吹くことはないだろう。コンクリートの上ではどうにもならない。ほとんどが踏まれて割れて粉々だ。雨風、あるいは清掃で土の上に運ばれることもあるだろうが、水分がなかったら無理だろう。そのうえ昆虫類やネズミなど小動物に食われてしまう公算大だ。そもそも公園の敷地にどんどん木々が生えることは許されない。もし芽吹いても、すぐに刈り取られるだろう。
つまり、無駄に終わるわけだ。ドングリをつくるにも樹木はエネルギーを使っただろうに。ドングリよりも草などは遥かに多い種子を生産して飛散させる。それもたいていは無駄に終わる。100万粒の種子がつくっても大木に育つのは1,2本ではないか。大量に次世代の種を生産して、ほとんど無駄にするのが生態系。
もっとも、無駄に終わった種子は、腐植して自然界の栄養素に還元される。
一方でドングリは、中に栄養分を貯めているから芽吹く確率は高い方かもしれない。飛ばすだけの種子より数は少ないが次世代を育てる確率を上げた繁殖方法なのだろう。
芽吹けず無駄に終わったドングリは、動物の食物になったり、遠くに運ばれたりして、分布を広げる可能性が増える。種としては無駄だが、生態系としては役立つ。
人類も、昔は多産だったのが少子化に移ってきている。たんさん子供を作っても成人前に死ぬから。むしろ少なく産んで、それを丁寧に育てた方が生存確率を高め、種の繁栄に役立つとしたのだろう。
この自然界の摂理からすると、ドングリもそのうち少子化?になるかもしれないよ。
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小種子多産型と大種子少産型の戦略の違いはニッチの占め方にも通じてくるので、そう容易く戦略を変えてくるとは思いませんが、少ない次世代に、より投資する個体が有利な環境になり、そうした個体が増えていけば、その方向に進化していくかもしれませんね。繁殖とニッチの占め方の例では、例えば攪乱にいち早く侵入するカンバ類は小さい種子を大量に着けて、風散布で空き地に入っていきます。クリやナラは大種子を少なく(といっても多いですが)作り、小ギャップで更新することに長けている。という感じです
投稿: 0 | 2025/10/09 17:38
街路樹や公園木は、人間に植樹させるから、自分で繁殖しなくなり種子や木の実を作らなくてもいい……という風に進化するというのはどうですかね(^^;)。
地球環境の悪化で、植物も無駄な種子をつくる余裕がなくなるかもしれませんよ。
投稿: 田中淳夫 | 2025/10/09 20:55
ドングリの活用
宮脇昭方式で、土地の森にある種類のどんぐりであれば、まぜる種のなかにくわえて植林につかえます。イオン周辺の森づくりとかをやっています。
投稿: 岡本哲 | 2025/10/10 15:13
大量に撒けば、どれかが発芽するでしょう。
どの種子(ドングリ)が発芽して成長するかは、自然界に任せておくのがよいと思います。樹種を選ぶと、結局は人為が入って上手くいかない。
投稿: 田中淳夫 | 2025/10/10 23:01