日本の風景に欠かせなかった柿の終焉
今年は庭の柿の木のことはかり柿、いや書き続けたが、これが最後かも。
いよいよ残る柿の実を収穫したのだ。ざっと200くらい。
と言っても、まだ届かぬ枝の先の実は手が届かないので残されている。それらは、おいおい枝を切り落とすなどして採るつもりだ。
と言っても、この柿をなんとか食べようという努力は放棄した。すでに実は軟らかく、熟して落下を始めているから無理に収穫したのだ。
そして、この中でも大きめで、硬さも残るものを選んで、残りを処分するつもり。
これらをどうするかが課題だ。これまでも食べない柿はコンポストに捨てていたが、これほど入れると満杯になってしまう。柿の実ばかりを発酵させてもよい堆肥にならない気がする。タンニン多いし、柿渋が出るかも。庭に穴を掘って埋めることも考えるが、そこから柿の木が生えるかもしれない(⌒ー⌒)。なんか中和させるべきだろうか。その堆肥を元に、また別の木の実が実ればよいのだが。
思えば、今年のクマ出没ニュースにつきものだったのが柿の木。全国的に田舎の敷地には柿の木を植えていることに気づく。もちろん食べるためだろうが、秋の田園風景に欠かせないのが赤い柿の実だったのかも。
それをクマの予防のために随分伐られた。もしかして、その中には超絶銘木・黒柿の材もあったかもしれないのだが、ほとんど捨てられたか燃やされただろうね。
柿のある風景の終焉である。
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