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2026/01/27

日本最古の街路樹

古代道路の謎』(近江俊秀著・祥伝社新書)を読んでいる。

この本によると、奈良時代に全国に伸びる巨大道路網が建設されたのだという。これを駅路と呼ぶ。
その総延長6300キロ! 幅6~30メートルあり、可能な限り直線につくられていた。そのため山を削り、池や湿地を埋め立て、盛り土をして……とてつもないプロジェクトである。

江戸幕府のつくった五街道などよりはるかに大きな道が伸びていたというのだ。

目的は、やはり軍の速やかな派遣と、物資輸送、そして情報伝達のためらしい。奈良時代は各地で反乱が起きたが、そこにすばやく軍勢を派遣して鎮圧する役割があったという。また唐の街づくりにも駅路があり、それを真似る意味もあったのだろう。

すでに各地から遺跡として道路は発見されている。だからあったのは間違いない。ただ文献にはほとんど登場しないのだそうだ。道路を建設したとか、道路建設を命じた命令などが見つからない。そして、ある時期からいきなり廃絶されて消えていく。

この謎も面白いのだが、この本にはそれに関連して、街路樹の誕生について触れている。私は、こちらに反応した(^^;)。

それによると、『類聚三代格』という平安時代、11世紀に編纂された法律書に記されているらしい。『類聚三代格』巻七「牧宰事」
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なんでも、つくった道を納税のため都に登った人々が、帰り道に餓死するケースが多発したらしい。なにしろ重い荷物を担いで、1日20キロ進むのが決まりだったという。しかも食料などは自前。当時は治安もよくなかっただろう。行きは国司が付き添うというか、睨みを利かせているが、帰りは放置なのだ。

そこで東大寺の僧普照により、度を路の両側に果樹を植栽するよう意見書が出され、それを受けて命令が出された。天平宝字3年(759年)のことであった。これは奈良時代の後期である。行き交う人は、木陰で休み、果樹を食べて飢えをしのぐわけである。

こうした道路際の樹木の遺跡は発見されていないが、街路樹伐採禁止令も出されたというから植えられたのは間違いないのだろう。

そのほかの文献にも並木に果樹を植えた記録はあった。

 ・光明皇后が桃や梨の木を植えた。
 ・藤原京や平城京に柳や橘を植えた。
 ・平安京には柳や槐を植えた。

これが、街路樹の原点か(当時は街路樹という言葉はなく、並木だった)。織田信長も街道奉行を設立し木を植えさせたと聞くが、はるか前に街路樹、並木の原形が生まれていたようだ。

面白いので、私なりに調べてみた。こんな本も見つかる。

王朝時代の道路法

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これは江戸時代の木曽街道。ちゃんと並木が描かれていた。

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森林学・モノローグ」カテゴリの記事

コメント

土佐ではすべての道路に旅人のためセンダンを植えていたと高知城内の案内板に書かれていました。理由が書かれていないのですが、南国で日差しが強いからかなあと思った次第です。

センダンですか。面白い情報です。
生長は早いから、木陰にはなりやすかったでしょうが……。
実は毒を含むから食べられないはずですけどね。ただ毒ゆえに薬にもなったらしい。駆虫剤とか。
もしかして、土佐藩はそんな薬の材料を生産して販売していたのかもしれませんね。

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