想像と創造~「豊臣兄弟!」に寄せて
NHK大河ドラマの『豊臣兄弟』、奈良県ではやたら盛り上がっている。秀長が大和郡山を中心として大和国を支配していたからだ。ただ、それは晩年の5年ほどにすぎないのだが……果たして、どれほどドラマに描かれるか。
私は原作に当たる堺屋太一の『豊臣秀長』を随分昔に読んでいるが、その時の感想を思い出した。「これ、秀吉の物語だ……」。
そう、この小説に出てくるのは秀吉が中心なのだ。さまざまな秀吉を巡る出来事の際に秀長が横にいた、という作りなのである。
ようするに秀長の逸話が少なすぎるから秀長そのものの物語を書けなかったのだろう。仕方ないので秀吉の逸話に、実は秀長も関わっていたのだよ、的な書き方しかできなかったようだ。
堺屋氏はわりと史実に基づこうとしたのだろう。ノンフィクションに近い。あの頃から30年以上経って、新たな歴史的資料も見つかっているかもしれないが、それでも少なく、単体の物語にしづらい。「豊臣兄弟!」は全然史実に頓着なく、勝手に物語を作り上げているが。
小説やドラマはフィクションだから、わからない点も、想像で書ける。ストーリーを創造してしまえる。むしろ、創造部分に小説の価値がある。
だがノンフィンクションとなると、そうはいかない。論文ほど厳密ではないものの、想像してもそれが想像であることを明記する必要がある。創造してしまってはいけない。ある程度、裏付けになる資料や証言、条件証拠などがあることを前提に「~こうではなかったか」と記す。それがノンフィクションの辛いところであり、宿命であり、醍醐味でもある。創造で物語を大きく羽ばたかせてワクワク感を持たせることはできないが、理詰めで納得感を持たせようとするのである。その分、地味になるが、それでも読ませるにはどうしたらよいか頭を絞る……。
何が言いたい? いや、私がノンフィクションの世界に迷い込んで、日々逡巡していることを記したかっただけ(^^;)。
現在「土倉龍次郎伝」を記しているわけだが、ある意味、秀長に通じるところがある。父庄三郎の陰になってしまったのか、資料が少ない。いっそ彼の人生を創造してしまいたいが、ぐっと抑えて、台湾領有初期と日本の花卉産業の黎明期を探って彼の足跡を拾いだす。そこから浮かび上がる壮大な人生を描きたい。
そんな呻吟苦吟していることを知った上で、出版してくれるところないかなあ。
前列に座るのが龍次郎と政子や糸、小糸、末子? の妹たち。そして背後が庄三郎ではないかと思う。晩年だ。場所はわからないが東京だと思われる。庄三郎と龍次郎がともに写っている写真を探したら、これが見つかった。
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