脱炭素に「森林」は必要か
先月だったか、地球温暖化防止の講演を聞きに行った。
主催者が林業界の人だったので、当然ながら森林、そして林業が二酸化炭素吸収に関わる状況を取り上げると思っていた。
ところが、話にほとんど森林は登場しない。あれ?という感じ。
そこで質問で「日本の森林は日本の脱炭素の目標を達成するだけの吸収力があるのではないか」と投げてみた。ちょうど演者と同じ東京大学大学院の研究チームの発表があったばかりだから。
が、返答はそっけなかった。そうした研究があることは認めつつも、関心がないらしい。脱炭素は発生源であるエネルギー消費の削減でなし遂げるべきと考えているようであった。
こうした傾向は、この講演者だけでなく、全般に感じることである。日本では、意外と脱炭素は森林吸収分と結びついていないのである。
もちろん気候変動に関する政府間パネル(IPCC)では森林吸収分を重要視しているし、京都議定書から始まる脱炭素政策の中で森林は大きなポイントとして掲げられている。日本も、それで恩恵を被っている。が、研究者(だけでなく、行政関係者も含む、脱炭素政策推進者)の頭の中では、両者は切り離されている様子だ。
加えて言えば、ネイチャーポジティブ、生物多様性にもあまり関心を示さない。だから日本で「脱炭素のために森林面積を増やす」とか「林業施業法を見直す」という論議にはつながらない。
むしろ林業関係者の方に「森林は二酸化炭素の塊」「だから森林の所有者に金よこせ」意識が強い(笑)。
だが、こちらはこちらで「森林を木材としてよりも脱炭素の道具として利用してくれ」と言っているようで気持ち悪い。
なぜか。ようするに脱炭素と森林の担当者が別々であるからだろう。縦割りなのだ。理屈では森林吸収分を使えば脱炭素になるとわかっていても、森林は自分の担当じゃないという意識が働いている。自分の担当は、企業に排出を減らさせることだ、と無意識の線引きが行われている。
森林林業担当者は、正直、脱炭素に興味がない。これを唱えたら金を引っ張ってこれるかな、ぐらいであろう。林業関係者は生物多様性にも興味が薄い。林業は単相のスギ林、ヒノキ林が舞台だから生物多様性を持ち出したら不利になると思っているかもしれない。
本来、総合的に考えるべきなのは政治家の役割なのだろうが、そんな意識高い系政治家はいない(´Д`)。
聞くところによると、ヨーロッパなどの脱炭素と森林の結びつきは非常に強いらしい。もちろん排出削減も強力に進めているが、森林も増やして吸収させようという政策を進めている。危機感が強いのだろう。日本は遅れているというより、次元が違う(低次元だ)。
さて、今夏も酷暑、熱波に包まれそうだ。こちらはヨーロッパに負けないよ。
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