『造林の歴史』のトピックス
『造林の歴史 木を植え森を育てた日本人』松本寛喜著 日本林業調査会発行
という本がある。日本史を通しての日本人と森林の関係を描いており、その網羅性が楽しい。それこそ神話時代から現代の林野庁の政策まで。個別の事象には深くないのだが、全体像をつかむのに重宝だ。狭く深く、の研究論文と真反対である。
ただ、私は歴史全体の造林事情とは別にトピックスを楽しんでいる。
目をつけたのは、「都市周辺での苗木生産」。
もともとは山野に自生している苗を引き抜いて自分の都合のよい場所に植えることから造林は始まった。それが江戸時代になると各地で苗木の生産が始まったというのだが、実は場所が山村などではなく、都市周辺だったというのだ。というのも、最初の需要は、森づくりではなく、鑑賞用の植木だったから。
なぜ、この点に興味を持ったかというと、日本の苗木生産業者、いわゆるナーセリーの誕生と、鑑賞用の花卉栽培の原点を探していたから。
一般に花ビジネスが広がったのは明治以降と思われていたが、調べているうちに京都では生け花用の花栽培、また江戸の町でも後期になると花を求めて花栽培農家が登場していた。局所的だが、日本の苗農家は世界でもかなり早い時期に誕生していたのだ。
で、ここからコジツケめくが、花ビジネスの黎明期に登場するのが、土倉龍次郎なのである。1910年頃から目黒駅前に温室を建てて花卉栽培を始めているからだ。それはカーネーション栽培へと開花し、日本のカーネーションの父となっていく。
またカーネーションだけでなく、野菜苗やメロンやイチゴの苗を作って販売しており、これも苗農家ナーセリーの嚆矢となる。
ここでも都会で誕生している。
龍次郎の評価を台湾ばかりに求めるのではなく、日本の花卉業界の先駆けとして評価することができるのだ。
『造林の歴史』の中には「台湾における造林」項目もあるが、こちらで龍次郎に触れていないのは残念だ。誰よりも早く造林したのは龍次郎のの山なのだから。
土倉龍次郎家に残されていた台湾の亀山事務所の写真。植林用の苗を育てていた。
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