陸軍中野学校で何を学んだのか
昨日に触れた小野田寛郎は、いわゆるスパイ養成機関の陸軍中野学校出身で、特務工作を学んだ人物とされている。
アナザーストーリーズでも、その点に触れていた。
私も中野学校および旧日本軍の特務工作について調べたことがある。
そこからすると、番組は若干説明不足である。まず中野学校といっても2種類あること。いわゆる東京の中野に陸軍中野学校。そして静岡県の二俣に設立された二俣分校。小野田氏は後者だ。
中野では、諜報や防諜など情報、そして破壊や後方攪乱の工作を行う、まさにスパイ養成を目的とした。一方で二俣分校は、ゲリラ戦要員の養成を行っていた。両者、ちょっと違うのだ。そして最大の違いは養成期間。中野学校は1年間で、二俣分校は3か月であったはず。
私は何人かの中野学校出身者に取材をしたが、「3か月じゃ何も覚えられないよ」と苦笑していた。いや、1年でも多岐にわたる分野を身につけることは不可能なのだ。
ドラマ「VIVANT」のようなレベルの技術を身につけるのは無理(> <;)。
では、何を学ぶか。知識や技術としては幅広く学んだが、結局は心構えだという。絶対の愛国心、でも捕虜となっても生き抜け、そして裏工作で出し抜け、絶対に秘密はばらすな、といったものである。私が取材した時は晩年で、「もういいだろうと思うから、話す」と言ってくれた。時期がよかったのだ。
だから、小野田少尉はゲリラ戦をしていたわけで、諜報工作が任務だったわけではない。
なお海軍にも特務機関はあった。ただし、養成機関を持っていなかったから、民間人をスカウトしていたらしい。
鳳(おおとり)機関というのがあって、戦前からポルトガル領ティモールに南洋興発などの会社員として潜入していたらしい。私が聞いたのは、どこだったかで映画館を経営していたそうである。またオートらラリアにも多数潜入していて、戦時中も情報を日本側に情報を送っていたらしいが、詳細不明である。
ただ、評判はそんなによくない(^^;)。憲兵もどきの真似もしていたようだ。陸軍との軋轢もあった。
日本のスパイも千差万別だが、私の印象としては、それほど特殊な技術によるものではなく、コツコツと軍隊の裏仕事をしていたイメージだ。
まあ、こんな戦中の話の発掘も、今となっては手遅れかな。
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