小野田寛郎はいつ終戦を知ったのか
一昨日は、チモールの日本軍は終戦を8月8日、そして12日に知っていた……と記した。すると、その晩にNHKで小野田少尉を取り上げた。
アナザーストーリーズ 運命の分岐点 小野田少尉 帰還〜戦後29年ジャングルの中で
いわずとしれた、フィリピン・ルバング島に潜伏していた日本兵小野田寛郎の物語である。そこで、面白い矛盾を指摘していた。
記者会見では「終戦を知らなかった」というが、厚生省の聞き取りでは「ラジオを手に入れて、日本の情報を知っていた」というのである。
ほかの資料では、「日本は中国と戦争をしながら貿易をしていた」から、今も同じような状態ではないかと想像していたという証言もしている。もともと小野田氏は商社マンとして中国と貿易していたのだから、考えられなくもないが、どうかな。
私は、太平洋戦争の最前線の日本兵はいつ終戦=敗戦を知ったのか、という点に興味を持っている。小野田氏の前にグアム島の横井庄一氏が戦後27年目に発見された。小野田氏は29年目、インドネシアのモロタイ島で中村輝夫氏(台湾アミ族出身)も29年目に投降した。中村氏は終戦を知っていたが残留したという。
実は、この3人以外にも、終戦後何年も経ってから投稿した日本兵はたくさんいる。そして投降せずに、ジャングルで朽ちていった人も……。
ソロモン諸島には、長く終戦を知らずにジャングルに潜伏していた将兵は数多くいた。ベララベラ島には、40年以上後まで日本兵がいるという噂が尽きなかった。私は、その噂を追ってベララベラ島の森に分け入ったこともある。
この点は、『不思議の国のメラネシア』に記している。正直、ソロモンの森は、グアムやルバングとは桁違いの難関だ。マラリアもあるし、毒ヘビもいる。雨期は土砂降り続き。
そういや、昨年見た映画「木の上の軍隊」や「ペリュリュー楽園のゲルニカ」でも、投降するのは終戦後数年経ってからだ。彼らも、どちらかというと終戦は知っていたが、なかなか投降できなかったといった方がよい。
さらに樺太や千島列島などではポツダム宣言受諾後にソ連軍に攻め込まれているから、物理的に終戦は9月に入ってからだ。
もっと突っこんで彼らが「終戦を知った時期」を取材したい気持ちはあった。日本兵にとっての終戦はいつだったのか……。
今となってはきびしいが、終戦記念日は1945年8月15日と決めつけない方がよいのかもしれない。
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