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森と林業と田舎の本

2023/01/22

奈良のイチゴ栽培はいつから?

朝日新聞の奈良県版に、こんな記事。

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近頃、奈良の農業ではイチゴが有名になってきた。生産量はさほど多くないのだが、次々と人気の高い品種を生み出してきたからだろう。あすかルビーに古都華(ことか)、珠姫(たまひめ)……いずれも甘さや旨味、そして巨大さなど自慢すべきイチゴ品種である。そのことについて紹介しているのだが、問題はいつから奈良県でイチゴ栽培が始まったのか、という点だ。

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この記述に、ん?と思ったのである。大正時代に栽培が始まったとあるが、その後の「でも、その前の明治時代から有名で」これはどこにかかるのだ? スイカのことではあるまい。つまり明治時代からイチゴ栽培をおこなっていたと言いたいのか。唐突にスイカと比べるのもどうか。作付けというのもイチゴのことか……古都華。読取りにくい悪文。

なぜ、この点にこだわるのかというと、土倉庄三郎である。今も出版に向けてラストスパートしているのだが、その中にイチゴに関する記述がある。

「吉野の山中とは思えぬほどのご馳走が出る。西洋イチゴやイチジクなど、まだ町でもなかなか知られていない果物が出て、和洋折衷の料理に灘の美酒が並ぶ。」これは、1903年発行の「吉野乃実業」という雑誌の記事から引用した。1903年は明治36年。おそらく土倉家では、その何年も前からイチゴを食べていたのだろう。しかも牛乳をかけて「イチゴミルク」にしていたらしい

ところが、現在栽培しているイチゴは、一般にオランダイチゴと呼ばれる品種で、日本に自生するノイチゴ系とは別種だ。オランダイチゴは18世紀にオランダで開発されたという。日本には江戸時代にもたらされたが、花の鑑賞用で食用としてはほとんど普及していない。(

現在に続く品種の食用イチゴ栽培は、1898年にフランスによってもたらされてから。新宿御苑の温室で福羽逸人農学博士は、フランスの「ゼネラル・シャンジー」という品種から国産イチゴ第一号となる「福羽苺」を作出したことから始まる。この新宿御苑の温室については、土倉龍次郎も後に関わってくるのだが、その点はおいといて、皇室御用達だった。(1872年、明治5年から栽培し始めたとウィキにはあるが、ちょっと早すぎる。途中で途絶したか。)

となると、土倉家で食べていたイチゴとは何か。はっきり「西洋イチゴ」と書かれているのだから、このフランス経由の「福羽苺」だろう。それはどこで栽培していたのか。生鮮品だから、たとえば奈良の農業地帯である盆地の辺りとすると、どうやって搬送したのかが問題となる。当時は自動車さえそんなに普及していないのだ。山を越えて川上村まで1日で届くとは思えないし、コールドチェーン(冷凍輸送)もない。

川上村、それも大滝で栽培していたのではないか。牛乳だって、わざわざ大滝で乳牛を飼育して絞っていたほどの土倉家だ。十分有り得る。つまり、日本に持ち込まれて数年以内に苗を取り寄せて栽培をしていたと思われるのだ。それは日本でも相当初期だろう。

日本のイチゴ史を書くとしたら、奈良県と土倉家は欠かせないよ。土倉家について調べると、イチゴに牛乳のほかにも、いろいろ新しいものに手を出していて驚くことが多い。小学生男子の洋服と女子の袴も、日本のファッション史で特異だ。

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古都華のかき氷があると聞いて食べに行ったが、デカすぎた……。

 

2023/01/10

今年の朝拝式

朝拝式。天皇が新年の拝賀を祝う式典とされるが、奈良県の吉野では少し意味が変わる。

後南朝の偲び、遺蹟に礼拝する儀式である。

有名なのは川上村で2月5日に行われる。金剛寺に納められた自天王(尊秀王)を祀る。これまでは秘祭として村民もなかなか参拝されずに550年続いてきたが、今から16年前に一般にも解禁になる。(私は、その前から覗きに行っていたが。)

そこで今年はツアーが組まれるようだ。ホテル杉の湯による企画だ。

川上村御朝拝式見学付宿泊プランー後南朝の歴史を体感ー 

悲運の最期を遂げた後南朝の自天王を偲び、毎年2月5日に自天王の遺品(兜、鎧袖、胴丸鎧、太刀、長刀)を御魂代として礼拝する御朝拝式。1454年から一度も途絶えることなく受け継がれています。
前日に、後南朝や御朝拝についてのミニ講座と川上村朝拝式保存会の方のお話を伺い、当日は第566回となる御朝拝式を見学していただく宿泊プランです。
哀しくもロマンあふれる歴史に触れてみませんか?

最小催行人数:5名
定員    :10名

 

私も、今年は土倉庄三郎伝の出版を控えていることから、参拝させていただこうと思っている。朝拝式に連なる後南朝は、庄三郎が最後の最後まで心を砕き、病を押して上京した問題でもあった。アポもなく首相官邸を訪れると、当時の大隈重信総理を呼び出したエピソードがある。すると大隈は飛んできて、庄三郎の椅子を引いて座らせ、自らは直立していたそうだ。

このツアーには参加は?だけど(^^;)。ひっそりと行きますよ。

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ちなみに南朝の朝拝式は、ここだけでなく天川村でも行われている。南朝遺臣がつくる位衆伝御組が行うものは、後醍醐天皇の即位を祝うもので、700回を超えているとか。

 

2022/12/09

土倉伝で新装書き下ろし!

東京から帰って来て、今週はマジメに仕事している。天気がいいのに山にも行かず……。

取り組んでいるのは、土倉庄三郎伝

そう、10年前に出版した『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』の新版である。最初は増補版とか改訂版をイメージしていたのだが、書き出したら新しい事実が次々と出てくるので、もはや8割方新しい書き下ろしとなった。だから書籍としてもまったく新たな本になると思っていただきたい。分量的にも3割増しぐらいになりそうだ。

どこが、どんな新しい情報があるのか全部明かせないが、ちょっとだけ枝葉瑣末な部分(^^;)を紹介しよう。

●土倉家は、明治初年時から牛乳を飲む生活を続けていたが、その牛乳は川上村大滝の山の上、太刀屋というところで牛を飼って採乳をしていたとされる。この乳牛飼育の記録、どうも日本でも最初期らしいのだ。もちろん牛は飼っていたから、牛乳の存在は知っていたのだろうが、それを人間が飲むことは少なかった。牛も役牛であった労働のために飼っていた。農作業や荷物運搬などである。肉も飢餓に陥らねば食べない。子牛が生まれたときだけ絞れる乳に注目することはほぼない。飛鳥時代には飲んでいたというけどね。

日本で近代酪農が始まったのは、明治2年、1869年だ。築地牛馬会社が設立され、新宿二丁目や下高井戸に牧場を持って牛乳を絞っていた。バターやチーズを製造販売した記録もある。土倉家の牛乳も、おそらくそれに近い年代のはず。子どもたちに牛乳を飲ませていたらしいのだから。

日本の酪農史として、驚異的だ。東京のど真ん中で行った酪農と山深い山村のさらに山の上が並ぶのだ。奈良県内でも最初だろう。

ちなみに小学校の制服が洋服だったのも、日本で最初期。1876年に横浜で縫わせて、男子児童たちに提供している。女子児童には袴。これも珍しい。当時、女性は袴を身につけなかったからだ。

●日常的にイチゴミルクを食べていた。しかし日本に現代のイチゴ(オランダイチゴ)が初めて栽培されたのは、1898年(明治31年)なのだ。それも栽培が広がったのは戦後である。いったいどうして、土倉家にそのイチゴが届いたのか謎。ほかにも中東原産のイチジクも食べていたらしい。ついでに言えば、土倉家では、和洋中華、どんな料理もつくれる厨房だったそうである。

●ほかにも、アフリカ原産のオクラを栽培したのも川上村とか……和名はドクラから取ったというんだけどね、これはガセネタ(^^;)。

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せっかくだから、こんな写真も。前列の真ん中に座っているのは、西太后。その左隣が土倉庄三郎の次女政子である。清朝の女帝に、ここまで接近した外国人はほかにいない。

出版は来春予定だから、乞う、ご期待。

 

2022/11/04

11月4日は何の日? 奈良県の……

突然だが、11月4日は何の日か知っているだろうか。

……誰かさんの誕生日であることは確かだが、何より奈良県が再誕した日。正確には、奈良県再配置の日である。

奈良県自体は、1868年に官軍が天領・旗本支配地を元に「大和国鎮撫総督府」を置いたことが始まりだ。そして1871年に廃藩置県によって大和の一五の藩や天領を取り込んで奈良県(当時は奈良府)が誕生した。

ところが79年、奈良県は大阪南部の堺県と合併し堺県となる。奈良県消滅である。もっとも、それには反対はなかったようで、案外、海とつながったと喜んだのかもしれない。堺とは昔から街道があって、関係も深かった。

ところが2年後、堺県はまるごと大阪府に吸収された。理由は「困窮する大阪府の経済を救うため」と、当時の文書に明記されている。

おいおい、である。当時の奈良は農林業に商工業と比較的裕福だったのだが、その財政を大阪に回すのが目的だったのである。ようするに奈良からの収奪を意味した。学校設立の縮小、道路計画の放棄が進み、大阪の地価は減免したのに、奈良は減額しないという有様だ。

しかし、その運動を徹底的に反対し邪魔したのが大阪府なのである。同じく再設置を要望してきた徳島、鳥取、富山、佐賀、宮崎は実現したが、奈良は外される。ちなみに私は大阪府生まれで幼少時までは大阪府民だったのだが、あまりに大阪側のあこぎなやり口に憤懣やるかたない。そこで奈良県再設置運動が起きる。

運動も行き詰まっていく。ところが87年に奈良の地価修正を陳情したところ、それは却下しつつも県の再設置が認められた。11月4日のことである。これが今につながる第二次奈良県である。

まあ、そんな奈良県民以外は興味の持たない歴史の一コマなのだが、実はこの奈良県再設置運動は、奈良県の自由民権運動と重なっている。そして壮年期の土倉庄三郎が運動にのめり込ませた一つの理由ではないかと睨んでいる。

ただ、庄三郎にとっては悪いことばかりではなかったようだ。奈良県の五條と吉野を結ぶルートに宇野峠があり難所だったのだが、ここに道を通そうと苦労した。当時は公共事業ではなく、沿線の金満家が資金を出して工事を行っていたのだ。土倉家だけでも十数万円(現在の数十億円)を負担しているのだが、なかなかみんな協力しない。ところが庄三郎は、大阪府の建野郷三知事と懇意だったのだ。そこで府知事が、みんなに声をかけて説得したのである。

かくして峠を超える東熊野街道は完成したのである。

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宇野峠に建てられた工事の経緯を刻んだ碑。庄三郎存命時に建った唯一の碑だ。

ともあれ第2次奈良県は、135年続いているのである。

 

2022/10/01

「土倉」というワイン

驚くべき話。

「土倉」というワインがある! アメリカ・カリフォルニアのナパバレーで醸造された有機栽培のブドウによる赤ワインである。ワイナリーは、MATERRA。

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ちょっとラベルのところを拡大すると……。

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読めるだろうか。漢字で「土倉」と浮き彫りになっている。実は、白ワインには「森閑」、ロゼには「よしの」と命名されている。(日本語シリーズ。)

驚くのは、これだけではない。

ワイナリー「MATERRA」は、キューナット・ファミリーの経営なのだが、実は当主ブライアンの妻は、土倉家の末裔。正確にいうと、土倉庄三郎の長男鶴松の子、安生の娘・美紀である。安生は養子に出て小幡姓になったが、娘がアメリカに渡っていた。アメリカ人は、ルーツ探しが好きだが、妻のルーツをたどって川上村の土倉家に行き着き、その名を残すためにワインに「土倉」と命名したのである。

土倉家の末裔は、各地に広がっていることは感じていたが、とうとう海外に。そこには波瀾万丈の歴史ストーリーを抱えていた。もはやトーマス・マンの長編『ブッデンブローク家の人々』、日本版なら北杜夫の『楡家の人々』なみの大河ドラマである。

実は、川上村で10月29日に催される「ガストロノミー」に出展されるらしい。もう満員御礼だけど。私も所用があるので参加できないが、味わえる人もいるだろう。

ちなみに、私はデザートワイン「AMABIE」をいただいた。

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名前がAMABIE 、あまびえだよ……。ラベルを拡大すると。

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これ、あまびえのイラスト。日本の抗コロナ・キャラクターも世界的になったもんだ。。。(^o^)

ただし、貴腐ワインのように材料費がかかりすぎて、市販できない代物らしい。私は、ちびちびといただいております。

2022/09/10

琵琶湖疏水と土倉家

京都市中の琵琶湖疏水沿いを歩いた。

驚いたのは、そこにある夷川発電所は、今も現役で発電中らしいこと。土木遺産にも選定されている。観光的にも有名な蹴上発電所だけではなかったのだ。常時出力280kWで、有効落差は3.42mだという。カワイイ(笑)ものである。

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写真は、鳩を撮ったのではなく、その背後の銅像目当て(^^;)。

琵琶湖疏水を作り上げた北垣国道、当時の京都府知事の像である。当時、東京遷都によって寂れた京都の町を産業振興で立て直すため、琵琶湖の水を引き込んで発電事業を展開したのだった。

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実は、北垣と聞いて頭に浮かぶのは、土倉家である。とくに庄三郎とはじっこんの間柄。庄三郎を追うと、何かと登場する。長女富子を原六郎と結婚させたのも北垣の紹介だった。

そして、もう一つ琵琶湖疏水とも関係があった。こちらは次男龍次郎になる。龍次郎は、台湾で産業振興のため発電所を計画して、台北電気株式会社を設立。当時としては大規模な落差15m程度のダムを築いて行う水力発電所を計画していた。

その株式は土倉家が出資するはずだったのだが、本家は拒否したらしい。その理由ははっきりしないが、庄三郎が、林業以外の事業はダメと言ったという説もある。しかし、庄三郎自身が多方面に出資していたから理屈に合わない。
むしろ長男鶴松に家督を譲った時期なので、鶴松の判断だろう。彼自身がいくつも新事業を展開していた(全部失敗する)から、余裕がなかったのかもしれない。

そこで龍次郎は琵琶湖疏水の京都電燈株式会社に出資してもらうよう交渉する。その話はまとまり掛けていたようだが、台湾総督府の後藤新平民政長官が、電力事業は民間ではなく公がすべしと判断して、事業を全部買い取っている。かくして龍次郎の計画は頓挫した。

そんなわけで、琵琶湖疏水と土倉家はニアミスしているというか、まんざら関係ないわけではないのである。

そんな因縁をつらつら考えつつ、鴨川まで歩いたのであった。

2022/07/19

「他人の山でも蔓を切る」?

実は、土倉庄三郎の本の改訂版を出そうとしている。『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』(洋泉社)を出版して10年、書き上げたときは、もうこれで書き尽くしてオワリのつもりだったのだが、その後次々と新しい事実やエピソードが浮かび上がってきた。それらを追いかけると、また違った庄三郎翁像が見えてくる。本は絶版になって手に入らないことから福製本として『樹喜王 土倉庄三郎』(芳水塾刊)を出版したのが、2016年。百回忌の年である。だが、こちらもそろそろ品切れ。

そこで、全面的に書き改めて新たな本にしようという目論見なのだが……。

庄三郎は「木を育てるのにどんな肥料を与えたらよいですか」という質問に対して、「これだ」と見せたのが腰の鎌だったとか。山に通い、苗の周りの草を刈ることで木の成長を促す。刈った草を苗の根元に置くことで肥料となる、と説明した。さらに「山で木に蔓が巻きついていたら、それが自分の山でなくても伐ってやる。それで、その木が大きく育ち国を富ませることを思えば、なんと楽しいことか」と言ったとかなんとか。

 

さて、先日の吉野の山の余祿。葉枯らし乾燥している現場のすぐ側にあったスギの木。

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なぜか、この木だけ蔓が伸びてしまったのだが……。なんだか見事な装飾ぽい。しかし、蔓が巻きついたら育ちが悪くなるだろうか。いや、もしここまで大きく育ったスギには関係ないかなあ……。が、そこで土倉庄三郎の言葉を思い出したのである。

他人の山でも蔓を切ってやるべきか。

ええと。これから車までもどって、積んである鎌を取り出して、また山を下って蔓を切ることは国を富ませるよいことでしょうか。

へたれの私は、結局放置したのであった。。

皆さんはどうする?

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2022/05/10

カーネーションは国産?海外産?

5月8日が母の日だったようだ。まあ、我が家は母はとうに亡くなり関係ないのであるが、それでもカーネーションを活けてある。ホームセンターなどにカーネーションがあふれているので、つい家にも飾ったのである。

そもそも、私はカーネーションというと母の日ではなく、土倉龍次郎を思い出すのであるが……(^^;)。

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カーネーションの温室栽培。日本で最初に成功させたのが土倉龍次郎だ。温室栽培も新しいが、カーネーションを日本に広めた点でも先駆の人である。

今年はカーネーションが高値だそうだ。史上最高値だという声もある。単に母の日だから需要が増えただけではなく、その理由はウクライナ危機らしい。正確にいうとロシア制裁のため飛行便が飛ばせにくくなり、燃料費も高騰。世界中の貿易が足止めを食っている。だから日本にも花が入ってこない……そう、今ではカーネーションの過半は、海外なのだ。

2021年シェアは、43%がコロンビア産。中国12%、エクアドルが5%。国産は37%なのである。国産の場合は、産地によって開花ピークが大きく違うので、産地がすべて母の日に最大量を出荷しているわけでもない。カーネーションは冷涼な環境を好むので、そもそも日本の気候向きではなかった。

そのほか市場に出回る花の多くが輸入品。花のような生鮮品まで輸入が増えているのは、国産が安定供給・安定品質にできないから。それができないのは雇用が不安定だから。季節性が強く低収入。それに需要も母の日以外は乱高下する。量と品質を安定させるには冷蔵などの技術はあって確立しているのだが、国内花農家には、それを採用する資金力と経営基盤がない。

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一方で日本は花卉の輸出も力を入れているのだが、なかなか伸びない。

このように書いていて、なんだか国産木材か外材かなんて言っている世界と似ていると気づいたのであった(⌒ー⌒)。

 

2022/05/05

新島八重の子ども? 

私が先月末に東京に行ったのは、書店巡りや街歩きのためではない。それなりに仕事もしたのだ。

そんな関係で帰って来てからも若干の資料整理やら確認事項がある。その時にストックから見つけ出した写真。「こどもの日」にぴったりかも。

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明治の10~14年頃に取られたものだ。写っているのは誰かわかるだろうか。

真ん中の婦人は、新島八重。そう、同志社を創設した新島襄の妻にして、戊辰の会津戦争では狙撃手として戦った八重である。大河ドラマ『八重の桜』の主人公でもある。そして右側が土倉龍次郎。左が亀三郎。土倉庄三郎の次男と三男だ。年齢は11歳と6歳と記されているのだが、これは数えかもしれない。また二人の子どもの生年月日がちょっと怪しい(資料によって違う)ので、余計にわかりにくい。

ようするに土倉家の幼子は、この時期に同志社英学校に預けられた。一応は入学という形をとっているが、この年で英語の勉強をしたというよりは、養育されていたというべきだろう。世話を見たのは、同志社女学校の生徒ということだが、亀三郎は宣教師の女性パミリーに引き取られたという。パミリーはアメリカへの手紙に写真を添えて「My little  boy」と裏書きしたという。そして、たまに校長の家に遊びに行って八重に可愛がってもらったようだ。

庄三郎は、息子も娘も幼いうちに大阪や京都の学校に寄宿させている。当時はわりと大胆だったのだなあ,と驚く。この年に外に出してしまうというのは、現代から見るとちょっと早すぎるように思うが、実家だとボッチャン・オジョウサン扱いされてしまうからかもしれない。

そして龍次郎は、その後同志社を卒業?する20歳ぐらいまで京都で暮らしたよう。そして大滝に帰ると、南洋を夢見て、台湾へ雄飛する。
亀三郎は、卒業を待たずに伊勢の瀧野家に養子に行った。それが何歳なのかわからないのだが。そこで名前は「三郎」に改名した模様。当時は、養子とともにわりと簡単に改名したようだ。ただし正式な養子になったのはずっと後のようだが……この当たりも謎が多い。なお瀧野家も大山主の家系だ。かつては瀧野村をつくるほどであった。この瀧野家を逼塞させたのも三郎なのだが(^^;)。

そんなこんなで、こどもの日に幼子の写真を見つつ行く末を想像するのも悪くはあるまい。

 

 

 

2022/04/23

津田梅子と土倉政子の接点

朝日新聞の別刷「be」の中に「はじまりを歩く」という見開きの巨大連載記事がある。ここに土倉庄三郎が登場していた。

実はこのコーナー、以前「割り箸」の「はじまり」を紹介する中で、拙著『割り箸はもったいない?』に少しだけ触れていたことがある。そのことは本ブログでも紹介したが、私的には第2弾?

今回は、女子高等教育の始まりの物語を取り上げていて、その中心は津田梅子と津田塾大学。そして後半が日本女子大学だ。

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その日本女子大の創設に関しては、当然成瀬仁蔵を紹介しているのだが、そこに広岡浅子が登場する。が、それに付随して庄三郎の名が。

読めるように拡大したものを添付する。

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ちゃんと成瀬に広岡を紹介したのが庄三郎と書いているのは喜ばしい。朝ドラ「朝が来た!」でさんざん広岡浅子が登場した際に、全然土倉に触れていないのはケシカランと私は随分アチコチに書きまくったものだが、ようやく触れるようになったか。広岡の功績をおとしめるものではないが、同じように支援をした土倉庄三郎を無視してはイカンだろう。そもそも女子教育に対する思い入れは、娘を梅花女学校、同志社女学校に入れた時期から強いのだから、浅子より早いほどだ。

そして、もう一つ重要な点として、津田梅子との接点がある。

津田梅子は日本で女子教育を行うために1889年にアメリカのプリンマー大学に二度目の留学をしている。なんと大学と交渉して授業料と寮費の免除を勝ち取っている。そこで出会ったのが土倉政子なのだ。政子は1890年に渡米した。私費留学生である。当然、庄三郎の援助があってだが……年間7000円とか、今なら1億円近いのではないかという仕送りを受けていたらしい。

残念ながら政子と梅子はどんな関係であったのかは記録が見つからない。梅子の留学は1年間だけなので滞米期間はすれ違い気味だが、わずかな日本人女子なのだから、会ってないわけはないのだ。政子はそれから7年間滞在し、97年に帰国する。梅子は帰国後学校づくりに奔走し1900年に女子英学塾を開くが、その準備期間が政子の帰国と日本女子大の設立運動と重なっている。政子が梅子の活動を知らぬわけではないだろう。ちなみに日本女子大学校が創設されるのは1901年だ。もっとも政子は99年に外交官の内田康哉と結婚しているのだが……。

津田梅子の伝記や研究書に目を通して二人の接点を探してみようと思っているが、誰か知りませんか。あるいは代わりに読んでくれ(^^;)。私は読む本が溜まっていて悲鳴を上げているです。。。

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