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森と林業と動物の本

2026/07/28

フェノロサと土倉庄三郎

昨夜、NHKBSの『英雄たちの選択』でフェノロサを取り上げていた。

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日本に国宝(古社寺保存法)が誕生する家庭でフェノロサが果たした役割を取り上げている。この番組は、こうしたマニアックなテーマを取り上げてくれる。

私は、土倉庄三郎を追う過程で、廃仏毀釈とフェノロサの日本の古美術保存運動に触れた。そこで庄三郎とフェノロサには接点があったのではないか、と睨んだのだが、確たる証拠は見つけられなかった。ただし条件証拠はある。

まず、庄三郎が主導した奈良の古社寺の保存請願。

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詳しく日本の美術、とくに古美術を取り上げて保護が必要だと訴えているのだが、そこに海外の動向などにも触れている。西洋では、どのように保存しているか、その経費まで説明する。その情報、どこから得たの?と思ってしまうほど緻密だ。

おそらくフェノロサの弟子である岡倉天心に聞いた(ほかに語れる人がいない)のだと思うのだが、いつ、どこで聞いたのか。

そこで浮かび上がるのが、奈良市の浄教寺で行われた講演会だ。

* 奈良の諸君に告ぐ(浄教寺のホームページ)

フェノロサが日本美術の素晴らしさを訴えたのだが、その解消には奈良県知事も含めて数百人が参集したという。その場に庄三郎もいたのではないか……と想像してしまうのだ。

番組では、この浄教寺の講演についてはわずかに触れるだけだったが、この場は大きな転機になったはず。もし、庄三郎が聞いて影響を受けたとすれば、その後の古社寺保存法の制定までの運動にも力になったはずだ。請願を出したのが明治29年、その翌年に国宝を定めた古社寺保存法が誕生している。

……とまあ、想像を膨らませているのだよ。ちなみに浄教寺には、私も縁がある。2週間前に、お参りに訪れたばかりだ。

2026/07/22

『造林の歴史』のトピックス

造林の歴史 木を植え森を育てた日本人』松本寛喜著 日本林業調査会発行

という本がある。日本史を通しての日本人と森林の関係を描いており、その網羅性が楽しい。それこそ神話時代から現代の林野庁の政策まで。個別の事象には深くないのだが、全体像をつかむのに重宝だ。狭く深く、の研究論文と真反対である。

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ただ、私は歴史全体の造林事情とは別にトピックスを楽しんでいる。

目をつけたのは、「都市周辺での苗木生産」。

もともとは山野に自生している苗を引き抜いて自分の都合のよい場所に植えることから造林は始まった。それが江戸時代になると各地で苗木の生産が始まったというのだが、実は場所が山村などではなく、都市周辺だったというのだ。というのも、最初の需要は、森づくりではなく、鑑賞用の植木だったから。

なぜ、この点に興味を持ったかというと、日本の苗木生産業者、いわゆるナーセリーの誕生と、鑑賞用の花卉栽培の原点を探していたから。

一般に花ビジネスが広がったのは明治以降と思われていたが、調べているうちに京都では生け花用の花栽培、また江戸の町でも後期になると花を求めて花栽培農家が登場していた。局所的だが、日本の苗農家は世界でもかなり早い時期に誕生していたのだ。

で、ここからコジツケめくが、花ビジネスの黎明期に登場するのが、土倉龍次郎なのである。1910年頃から目黒駅前に温室を建てて花卉栽培を始めているからだ。それはカーネーション栽培へと開花し、日本のカーネーションの父となっていく。

またカーネーションだけでなく、野菜苗やメロンやイチゴの苗を作って販売しており、これも苗農家ナーセリーの嚆矢となる。

ここでも都会で誕生している。

龍次郎の評価を台湾ばかりに求めるのではなく、日本の花卉業界の先駆けとして評価することができるのだ。

『造林の歴史』の中には「台湾における造林」項目もあるが、こちらで龍次郎に触れていないのは残念だ。誰よりも早く造林したのは龍次郎のの山なのだから。

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土倉龍次郎家に残されていた台湾の亀山事務所の写真。植林用の苗を育てていた。

2026/07/01

『大追跡グローバルヒストリー』から龍次郎を想う

NHKの『大追跡グローバルヒストリー』という番組を見た。不定期にやっているが、毎回海外で活躍した日本人、それもほとんど知られていない謎の日本人を発掘して紹介する番組。

今回はアメリカとの貿易を切り開いた佐藤百太郎と、彼の会社オーシャニック・グループの後継者たち。

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大追跡グローバルヒストリー ニューヨーク 謎のビジネスマンを追う

10代で英語をマスターして渡米し、貿易という高いハードルを超えて日本の産品、あるいはアメリカの支那を輸出入したというのは驚きだ。そして後継者は日本を生糸王国に仕立てるまでにしたという。

ただ、私は「この人が取り上げられるなら、土倉龍次郎も取り上げてくれ」と思ってしまった(^^;)。

彼の業績も、同じぐらいある。台湾探検家にして、林業と樟脳生産に取り組み、発電事業まで手がけた起業家である。台湾を開拓した男、として紹介したいと思っている。さらに「カーネーションの父」でもある。

彼の一代を調べて記しているのだが、まともに書けば長くなる一方なので、現在は1冊の本に収まる長さに削っている最中だ。削るという作業は泣ける。悔しくなる。でも、そうしなければ出版が難しい。梗概的には、こんな感じ。

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もし、龍次郎をNHKが取り上げるとしたら、私より詳しい資料を手に入れられるだろうか、と思ったりもする。台湾の資料も手に入れたけど、読むのが大変でなあ。見落としがあるかもしれない。

でも、私抜きでは手に入らない資料もあるぜよ(⌒ー⌒)。

2026/06/28

『台湾山岳大横断』で思い起こす龍次郎の探検

昨夜、NHKBSで『台湾 山岳大横断』という番組があった。

台湾 山岳大横断 〜最難関“天空ルート”を行く〜

登山家・田中陽希が台湾の台東の東海岸から3000m級の山岳地帯を縦走し、台南の西海岸まで行くドキュメンタリーである。以前より気に留めていて録画のセットもしていた。なおNHKONEでも見られる。

台湾の山岳地帯の様子がよくわかった。ただ、この撮影隊はどうしたのだろう、とふと疑問。彼と一緒に全コースを踏破したのか。それならカメラ機材を担いでの登山となり、田中クン(なれなれしい)よりすごいぞ。途中、幾度もドローンを飛ばしているし。途中の山小屋などで撮影隊の入れ代わりはしたのだろうか。

私の目的のもう一つは、土倉龍次郎の台湾縦断を想像するチャンスだと思ったからである。龍次郎は台北から台南へ、山岳地帯を90日かけて縦断している。それも1896年だ。残念ながら記録がないので具体的な様子はわからないのだが、その片鱗を今回の旅で感じ取れないか、と思ったのだ。記録としては、今回の横断よりもすごい。
龍次郎は、先住民をガイドに行ったので、必ずしも山の頂を究めるようなルートはとっていないが、縦断とは別に台湾最高峰の玉山を初登頂したとされるだけに、その山の様子は気になる。

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玉山山頂から見た雲海。

また田中クン(なれなれしいってば)は、途中、巨大な切り株を見ている。

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ナレーションで「
戦後の台湾経済を支えた」とあるから、タイワンヒノキだろうか。蒋介石時代だろう。日本でも台湾でも、タイワンヒノキを伐り尽くしたのは日本時代と思われているが、実際は戦後の方が伐採量は多い。

一つ気になったのは、こんな大草原に出くわしていること。

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なぜ、ここに草が生えないのかわからないとあるが、台湾の山は意外とはげ山が多い。一応、原住民が伐ってしまったと説明されているが、それ以上に木が生えない地質のところもあるのかもしれない。

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台湾縦断中と思われる龍次郎探検隊
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阿里山の一角らしいはげ山

なお、田中クン(しつこく、なれなれしい)は台湾の山岳地帯を一人で肉体で横断するというフィジカルな冒険だ。たしかにきついが、一応はトレイルも整備されていて、キャンプ場や宿もある。

その点、龍次郎は地図もないまま、先住民の案内を乞うて、彼らの道を進んだ。隊員は6人くらいいて、クーリーも雇った。こちらは未知の地を進む探検だ。危険度は、道行ではなく、先住民にいつ襲われて首を狩られる恐れの方が大きかった。

この点を私は証言を集めて、執筆した「(仮)龍次郎伝」にこのように描いた。

「今日は殺されるんではないかと思った日もあったそうだよ。ある村では男たちが『殺せ、殺せ』と言っていたらしい。ただその日、目が痛いという女に持っていた目薬をさしてやったら、よくなったという。その女が止めてくれた。さすがに、あの時だけは覚悟した、と父様が言われていた」
「(木の)枝が折れててまだ間がない所を通った時、生蕃が今通ったに違いない、逃げた方がいいと急いで走って下ったら、すぐ後で鉄砲の音がした」
 村と村の間を移動する時も警戒は解けない。ピリピリした雰囲気が伝わってくる。
 また崖下を歩くときは、鉄砲で撃たれたら逃げ場がないから、案内に立った酋長とその息子が龍次郎を挟んで歩いたという。原住民の案内人にとっても仲の良くない部族の領域を歩くときは命懸けだったのだ。それでも龍次郎を守る姿勢を示してくれた。龍次郎が十分な意思疎通を重ねたおかげだろう。
「ある時なんか、軒下に取ってきたばかりの首が吊るしてあって、血が垂れていた。さすが、気持ちが悪かったと言ってらしたよ」
 龍次郎が残した写真の中には、原住民の村を訪ねた際に撮ったと思われる、頭蓋骨が並べられた棚が写っているものもある。

これは奥さんのりゑが聞いた話を後に語った記録を元にしている。

この原稿、なんとか日の目を見せるつもりである。

 

2026/05/30

想像と創造~「豊臣兄弟!」に寄せて

NHK大河ドラマの『豊臣兄弟』、奈良県ではやたら盛り上がっている。秀長が大和郡山を中心として大和国を支配していたからだ。ただ、それは晩年の5年ほどにすぎないのだが……果たして、どれほどドラマに描かれるか。

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私は原作に当たる堺屋太一の『豊臣秀長』を随分昔に読んでいるが、その時の感想を思い出した。「これ、秀吉の物語だ……」。

そう、この小説に出てくるのは秀吉が中心なのだ。さまざまな秀吉を巡る出来事の際に秀長が横にいた、という作りなのである。

ようするに秀長の逸話が少なすぎるから秀長そのものの物語を書けなかったのだろう。仕方ないので秀吉の逸話に、実は秀長も関わっていたのだよ、的な書き方しかできなかったようだ。

堺屋氏はわりと史実に基づこうとしたのだろう。ノンフィクションに近い。あの頃から30年以上経って、新たな歴史的資料も見つかっているかもしれないが、それでも少なく、単体の物語にしづらい。「豊臣兄弟!」は全然史実に頓着なく、勝手に物語を作り上げているが。

小説やドラマはフィクションだから、わからない点も、想像で書ける。ストーリーを創造してしまえる。むしろ、創造部分に小説の価値がある。

だがノンフィンクションとなると、そうはいかない。論文ほど厳密ではないものの、想像してもそれが想像であることを明記する必要がある。創造してしまってはいけない。ある程度、裏付けになる資料や証言、条件証拠などがあることを前提に「~こうではなかったか」と記す。

それがノンフィクションの辛いところであり、宿命であり、醍醐味でもある。創造で物語を大きく羽ばたかせてワクワク感を持たせることはできないが、理詰めで納得感を持たせようとするのである。その分、地味になるが、それでも読ませるにはどうしたらよいか頭を絞る……。

何が言いたい? いや、私がノンフィクションの世界に迷い込んで、日々逡巡していることを記したかっただけ(^^;)。

現在「土倉龍次郎伝」を記しているわけだが、ある意味、秀長に通じるところがある。父庄三郎の陰になってしまったのか、資料が少ない。いっそ彼の人生を創造してしまいたいが、ぐっと抑えて、台湾領有初期と日本の花卉産業の黎明期を探って彼の足跡を拾いだす。そこから浮かび上がる壮大な人生を描きたい。

そんな呻吟苦吟していることを知った上で、出版してくれるところないかなあ。

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前列に座るのが龍次郎と政子や糸、小糸、末子? の妹たち。そして背後が庄三郎ではないかと思う。晩年だ。場所はわからないが東京だと思われる。庄三郎と龍次郎がともに写っている写真を探したら、これが見つかった。

2026/05/16

「フランダースの犬」を見た

たまたまテレビの番組表を見ていたら、「フランダースの犬」を放映していることに気づいた。JcomBSだ。 (この局は、以前はBS松竹東急だったが、ケーブルテレビ会社に買収されたようだ。)

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今のところ毎日2本。なおHPをよると、ほかに「母をたずねて三千里」や「あらいぐまラスカル」も放映しているらしい。以前は「アルプスの少女ハイジ」も放映していたとは。

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それにしてもフランダースの犬。なつかしい。アニメ版は、同時代に見たかどうか記憶が定かではないのだが、少なくても原作は小学生の頃に読んでいる。泣ける。
放送はまだ初めの方なので、ノホホンとした雰囲気。今後、画家をめざすも悲劇が起きるはずだが……そして最終回は今も伝説となっている。

これは「カルピスこども劇場」(元はカルピスまんが劇場)の一作。カルピス1社提供枠であった。

そして当時のカルピス社長が土倉冨士雄だ。いうまでもなく、土倉龍次郎の長男であり、土倉庄三郎の孫である。Wikipediaには、以下のように記されている。

ムーミン・アルプスの少女ハイジ他カルピスがスポンサーであったフジテレビ系列のカルピスこども劇場シリーズには、土倉自ら積極的に関わりフランダースの犬では全話の脚本をチェックしただけではなく、最終回のシーンでは自ら具体的な演出や使用音楽の指示を出す[5]などしていた

この点については私も取材しているのだが、脚本をチェックしたことはないそうである。ただ広告代理店が気を利かせて事前に持ち込んでいたとのこと。

最終回は、原作ではネロとパトラッシュが死ぬことがわかっていたので、全国から助命嘆願が寄せられた。それで困って制作側からも改変するかどうか相談された。しかし冨士雄は、ナレーションで「天に召される」のは悲しみではないと示すことを提案し、その場で原案文を書いたら、そのまま採用された、という成り行きだったそうだ。

正確なナレーションを確認すると、以下のようだった。探すとネットで見られる。最近は便利だ。

「パトラッシュ、疲れたろう。ぼくも疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ...パトラッシュ......。
ネロとパトラッシュは、おじいさんとお母さんのいる遠いお国へ行きました。もうこれからは、寒いことも、悲しいことも、おなかのすくこともなく、みんないっしょにいつまでも楽しく暮らすことでしょう

冨士雄はクリスチャンだった。キリスト教的な天国を描いたのだろう。龍次郎が、晩年に福音派のクリスチャンとなり、子どもたちも教会に通っていたようである。

ちなみに、このアニメがヨーロッパ各国で放映される際は改変されて、最後に死ぬことは示されなかったという。

2026/05/03

連休の推し活で発見!

連休で帰省中の娘が、同窓会の前に大阪に出て推し活グッズを買いに行くという。

推しは「お茶犬」だ。そのグッズを“大人買い”するというのだが……ならば私も推し活?に大阪の古書祭に出かけた。古書から珍しい本を探し出すのは、私の趣味であると同時に執筆活動の資料収集にもなる。

そして、なかなかよい資料を見つけ出すことができて“大人買い”してしまった。今回の掘り出し物の中でも珍しいのはこちら。

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同志社大学出版部発酵の非売品『新島八重子回想録』。昭和48年発行である。(回想録は昭和3年筆)

どこが掘り出し物なのか。まず回想録とあるとおり、新島八重の肉声が記録されていること。内容はこれから呼んで確認するが、なかなか第一次資料はなかっただけに期待したい。と同時にタイトルに「八重子」となっていること。一般に会津戦争で活躍し、新島襄と結婚した人物は「新島八重」と呼ばれている。が、こちらでは八重子なのだ。

おそらく子は後に付けたのだろう。当時は女性の名に子を付けるのは流行りというか、オシャレだったのだ。現在は〇〇子と呼ぶのはむしろ古くさくて敬遠されがちだが、戦前は反対だったらしい。

実際、『山林王』の執筆の際に気づいたのだが、土倉家の女性には富子、政子、などの娘名が残るが、戸籍謄本を見ると「富」「政」であった。わりと気軽に改名している(^o^)。たとえば龍次郎も、戸籍では龍治郎だが、本人が龍次郎と記すし、ほかに辰二郎なんて表記もある。あまり名前に正確性は求めなかったらしい。

現代では、漢字表記を間違えると大騒ぎになる。私も記事にする際に間違ったことがあって(これは変換ミスのため)記事に訂正を出さねばならないし、詫び状を書かされた。その点、昔はおおらかだったのだ\(^o^)/。

ちなみに私の名前の表記もしょっちゅう間違えられる(敦夫など)が、私は平気の平左である。

そんな面白さを、この回想録から感じた。

そしてこんな写真も掲載されていた。

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キャプションに下村孝太郎結婚記念と書かれているが、写っている人の名は4人だけで「その他来客」となっている。この下村夫妻というのが、どういう人なのかまだ調べていないが、新島家に近しい関係なのだろう。また外国人二人は宣教師か同志社の教師だろう。

が、この2列目の右から二人目、立っている女性は土倉政子ではないか。また1列目で座っている左の女性は、おそらく土倉糸か土倉小糸だ。

そんなプライベートな記念写真に、当時の同志社女学校の学生である土倉家の二人が写っているのである。新島家と土倉家の関係性が読み取れるではないか。

この写真から、そんな点を知ることができる。土倉家探索の一助になる。

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お茶犬グッズ。私もいくつか持っている( ̄^ ̄)。

2025/12/21

土倉庄三郎は吉野山の桜を守ったか

拙著『山林王』では、土倉庄三郎が吉野山の桜を買い取って守ったという逸話を紹介している。

明治初年に吉野山では廃仏毀釈が吹きあふれ、桜を見る人もいなくなったので伐って材木として売り飛ばす算段をしていた。それを聞いた庄三郎は、怒って売った金額と同等の金を渡して「今後、吉野山は海外からも人が来て見直される日が来るから、買い戻せ」と言った。だから吉野山の桜は庄三郎あってこそ現在まで残っているのである……という話である。

Photo_20251221162201大和名所図絵の吉野山

ただ、これは土倉家に伝わる伝承で、それを裏付ける話がない。とくに吉野町側からは出てこない。また明治時代の桜は、かなり今より小規模だったらしい。庄三郎は桜が伐られてから援助したのではないか、という見方もある。
だから私も、あくまで伝承として書いたのである。たまに取材を申し込まれる(テレビ局的には飛びつきたいネタらしい。とくに「これからは海外の客も来る」と言ったのが、インバウンドの予言になる。)が、私は本当かどうかわからんよ、と伝える。すると企画は消えてしまう(笑)。

だが、ついに裏付け証言を見つけた。

吉野山の桜を守る吉野山保勝会という組織があるが、その前理事長で竹林院という寺・宿坊の住職である福井良盟氏に話を聞いたら「ああ、本当だ」とあっさり言った。

なんと彼の祖母が土倉家のある川上村大滝の出身で、しかも庄三郎が生きていた時代に少女だった。竹林院に嫁に来てからも、ずっとその話をしていたらしい。それも微に入り細に入り。その中には「海外からの客」の話もあったそうだ。そのとき、庄三郎はドン!と机をたたき……とまで具体的な証言したという\(^o^)/。だから大滝の人には優しく、庭の観覧料金をとったら怒られたという。

素晴らしい。もちろん歴史学的な考証ではないが、両者から証言が取れたら確度は高いとして私的には認めるのである。

吉野山の桜は、土倉庄三郎が買い取った。これからは、ドンと大きく売り出していこう。

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2025/12/10

ばけばけとカーネーション

NHK朝ドラ「ばけばけ」で、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)をモデルとしたレフカダ・ヘブンの半生が語られた。日本にお雇い外国人としてきたヘブンだが、実はギリシャ出身で欧米を転々とした貧乏な男だった……という。

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このドラマでは、主人公のトキの家庭が没落士族で超貧乏であることは幾度も説明されてきた。そしてヘブンの女中となったわけだが、その給金は20円だという。ちなみにヘブンの給金は100円。

これが現在のいくらに当たるかは、ネットでも話題になっている。当時の旅館の女中が90銭なのだから、20円はざっと22倍! 今なら安月給でも15万円ぐらいはあるので、それでは300万円以上になってしまう。ヘブンにいたっては1500万円以上の給金なのだ(月給だぞ)。もちろん、比較する給金によって違うが、感覚的には80万円ぐらいかと。

ちなみにモデルの小泉セツが受け取っていた実際の額は15円だったというが……。現代の価値との換金は難しいが、当時の高級官僚並みではあったそう。ハーンの給料はいくらかわからないが、やはり外国人を招聘したのだから、1000万円以上のレベルになるだろう。

アメリカでは貧乏だったヘブンが、日本では金持ちになったのは、貨幣価値の違い、ようするに為替の問題が大きい。日本で受け取る100円をアメリカに持ち帰ってもたいした金額ではなかったろう。

そこで思い出したのが、大正末期にアメリカから日本に帰国した犬塚卓一のこと。

彼は、アメリカでカーネーション農園に働いていて、その栽培技術を持って帰った。そして土倉龍次郎と組んでカーネーションを日本に根付かせる役割を果たしている。だから龍次郎をカーネーションの父、犬塚をカーネーションの母と呼ぶのだ。

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犬塚は小学校卒業後、1907年にアメリカに旅立つ。叔父がオレゴン州ポートランドで花の栽培をしていたからだ。そこで20年間働いて、温室のカーネーション栽培のほかさまざまな草花の栽培の技術を学んだ。500坪の温室があったという。

大正の末に帰国したのは、世界恐慌が発生し、経済が大混乱に陥ったから。ただアメリカ以上に経済が落ち込んだ日本は、為替相場が暴落したため、非常にドルが強くなっていた。当時、1ドルが4~5円になったというから、現在の価値なら1ドル5000円くらいだろうか。157円まで落ちた現在の円安とは比べ物にならない(笑)。

だから、アメリカで貯めたお金を日本に持ち帰ると、なかなかの大金持ちになったのだ。その金でアメリカから温室やボイラーまで一式の機材を持ち帰った。だから日本でアメリカ式の巨大温室栽培を始められたのだ。そして開いたのが「日本フローリスト東京」である。

当時は、土倉龍次郎もカーネーション事業を軌道に乗せていたが、犬塚ほどの金があったかどうか。

龍次郎は兄の鶴松の借金の肩代わりをさせられた。私の見立てでは、約10万円ぐらいになる(いくらか借用証書が残されている)。大正時代だから、現代の数億円にはなったかと思う。それを農園にしていた土地や家屋を売って返済したのであるが、果たしていくら手元に残ったか。そうした状況下でのカーネーション栽培だった。

……とまあ、そんなことを「ばけばけ」給金から考えたのであった(⌒ー⌒)。

 

2025/09/20

土倉家の家紋の植物を読む

土倉家の家紋入り袱紗を見せていただく機会があった。

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長く土倉庄三郎を初めとする土倉家について随分調べてきたのに、家紋については目を向けていなかった。

この家紋を、「隅切り角に立ち沢瀉」という。読み方は、「すみきりかくにたちおもだか」。隅切り角というのは、周りを囲んでいる枠の隅が切られているものを示す。沢瀉とは、オモダカという植物名。水田やため池、沢などに自生するオモダカ科の多年草だ。

このオモダカの花と葉を図案化しているのだが、それが立っているから立ち沢瀉なのだろう。オモダカは面高とも記す。

沢瀉紋について調べてみた。

瀉の葉の形は、矢尻に似ていることから「勝軍草」「勝ち草」ともいい、戦陣の縁起物とされ多くの武将に好まれた。また「面高」と呼ばれるように「面目が立つ」という語呂にも通じる。

戦国大名「毛利元就」が沢瀉にトンボが止まっているのを見たあとに戦に勝ったことから、吉祥のものとして毛利家の家紋とった……という伝説もあった。この沢瀉紋を使う武家は、椎名、梁田、毛利、木下、浅野、酒井、堀越、沢井、水野、土井、福島など、わりと多い。

そこでよく似た家紋を探してみた。

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いろいろある。

土倉家とは、どこでつながるのだろう。土倉家の素は楠木家とされるのだが、楠木正成の使った家紋は菊花と流水、いわゆる菊水である。しかし、それは後醍醐天皇から下賜された紋なので、その前の紋があったのかもしれない。

しかし、オモダカは水田の雑草だと思う、写真で見ると、小さくて見映えもよくない。しかし平安時代には蒔絵の紋様にも描かれた。そして古武士たちは有り難がって紋や衣装のデザインとした。そういえばオモダカの一種クワイは、「芽が出る」縁起物である。

日本人と植物の関係は、家紋から見ても趣がある。

 

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