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本の紹介

土倉庄三郎

2017/03/01

女子大生の土倉発表

大都会の埼玉~東京から帰った翌日は、吉野の川上村へ。

 
実は日本女子大学の学生が4人来訪したのだ。そして、土倉庄三郎について調べたことを(主に)村民に発表するという大舞台。参加しない手はありませぬ(~_~;)。
 
そもそも日本女子大学と庄三郎は、並々ならぬ関係がある。成瀬仁蔵が女子大学を創設しようと思って最初に頼ったのは庄三郎であり、広岡浅子(NHK朝ドラ「あさが来た」主人公モデル)とともに大学側には大恩がある。
 
昨年の百回忌もあって、ゼミ生が土倉家について調べたものを教授会(的なもの)で発表し、好評を博したので川上村でも行なってもらうことになったのである。
 
これを私的には、今年の土倉翁没後100年に際して行なう連続イベントの第1回と位置づけている。
 
1
 
発表は3人で。4年生二人に3年生一人。
 
内容?  いや、清々しい(^o^)。
 
特段新しい事実はなかったが、それでも女子大側に残されていた「土倉氏ヨリ借入金」(1700円分)の証書は興味深い。庄三郎は5000円を寄付したことで知られるが、それ以外にも借金の形で金を拠出していたことを示している。果たして返済されたかどうかは怪しいが……。
 
ほかにも女子大の舎監として務めた土倉千代(庄三郎の弟の孫)の話も登場する。
 
会場からいくつか質問(というか、林業等に関する解説)も出た。私も、実は甘いところを突っ込み、宿題を課す(笑)。
ついでに土倉情報の収集も依頼。このことは、彼女らの指導教官にもお願いしておいた。転んでもタダでは起きない(⌒ー⌒)。 
 
 
終わってからは村長とも面談。なぜか私も同席。
 
2 (左端が村長)
 
 
その後、彼女らは林業体験を行なうことになる。今春卒業する二人は、どちらも小学校の教師になるそうで、森を育てる林業から人づくりも学んでもらおうという趣向である。
 
私は、遠慮しましたけどね(^0^)。

2017/01/17

土倉翁、晩年の言葉

今朝は、なぜか暗いうちに目が覚めた。

昨夜、就寝したのはそんなに早くてはないし、なぜこんな時間に……?と布団から出ずにジリジリと過ごし、二度寝を試みる。
 
結局、うとうとしただけで十分に寝つけず起き出したのだが……今思えば、目が覚めたのは午前6時前、阪神淡路大震災の発生時刻に近かったのではないか。
 
関西に住む(ある年代以上の)者として、実は東日本大震災より大きな衝撃を受けたのが22年前の、あの震災だ。昨日の次に今日、今日の次に明日が連続しているという漠然とした戦後観をひっくり返した日だった。
 
 
さて。今朝最初にパソコンを立ち上げて受信したメールには、土倉庄三郎に関して新たに発見された資料が添付されていた。川上村の森と水の源流館から送られてきたものである。
 
それは、昭和43年に川上村高原で92歳だった岩井倉次郎に聞き取りをした記録なのだが、その中に土倉庄三郎に直接会って会話した内容があったというのだ。
会ったのは青年の時というが、庄三郎の晩年というから30代だろう。話の内容から、すでに土倉家が逼塞していたとわかる。それが貴重なのだ。自分の若い頃を振り返ったり、現状を語ったりしている。土倉家が山林の大半を失ってからの庄三郎の生の声を記録した資料はほかにない。(伝聞ばかり。)
 
この資料、『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』(『樹喜王 土倉庄三郎』)を執筆の際に得ていたら、描き方が変わったなあ、と嘆息する。
 
その中でも私が引っかかったのは、「わしは一代で儲けさしてもろたが」という言葉があることだ。そして小さいときは雑炊を食べていたのだと。そこから財を成したと語っている。
 
一般に土倉家は、庄三郎の父・庄右衛門の代に大山林主になったとされている。実際、庄右衛門時代の土倉家も川上郷では名家であり財産家であったはずだ。
 
しかし子供の時は雑炊炊いて食べていたというのだから、かなり厳しい教育を受けたのではないか。決して贅沢はさせてもらえなかったのだろう。使用人と一緒の待遇で山仕事を修業していたのではあるまいか。
そして、それは家督を継いでからも続けていたようだ。官林(おそらく大杉谷)から材を出す際は、自らイモの皮剥いていたという。
 
同時に、庄右衛門の代と庄三郎の代とでは、財産の額が違っていた。庄三郎は、自分一代で巨額の財産を稼いだと認識していたのだ。
 
ただ所有していた山林面積がとくに膨らんだわけではないはずだ。やはり明治に入って、流通網を整備したり吉野材を宣伝することで木材価格を上げ、財を築いたのである。
 
明治時代の林業経済が、わずかな証言から浮き上がる。
 
そして、「あんじょう(財産は)無いようになってしもた」と語ったという。どんなに財産を築いても、時代の波に飲まれたら消えてしまうことを自嘲的に言ったのか。直接的には長男の事業の失敗が原因だが、庄三郎はそれも運命と捉えていたのかもしれない。
 
P7100050
 
土倉翁、最晩年の写真。

2017/01/11

週刊ポストに土倉庄三郎

先に少し触れたが、今週発行している週刊ポスト1月13日/20日号に、土倉庄三郎が登場している。

 
「戦前の大金持ち列伝」の一角に紹介されたのだ。
 
201711320  
 
土倉のほかには、薩摩治郎八、梅屋庄吉、大倉喜八郎、鹿島清兵衛が取り上げられている。
何人知っているだろうか。それぞれ癖のある人物ばかりだ。
 
共通点を探ると、みな晩年もしくは死後に家は没落していることだろうか……。ただ、あまり暗くなく、一本筋を通した潔さを感じる。
だから彼らの紹介にも、なぜか明るさ爽快さをにじみ出しているように思うのだ。
 
私も、土倉翁についてまだまだ調べて発信していきたい。
 
 
さて、もう2点。
 
静岡新聞の1月8日の書評欄に、『森は怪しいワンダーランド』の書評が掲載された。
 
1718
 
ただ内容は、これまでも地方紙に載せられたものと同じ。つまり共同通信配信のものだ。
ありがたい。ただ、どうせなら「この本の著者は静岡大学出身で、本の中に登場する探検話の幾つかは静大探検部時代のものなんだよ」と触れてほしかったなあ(~_~;)。その方が読者にも影響あっただろうに。
ぜひ、静岡にお住まいの皆さん、その点を宣伝してくださいませm(._.)m。
 
 
さらに同日の東京新聞・中日新聞の書評欄に、『林業がつくる日本の森林 』(藤森隆郎著 築地書館)が紹介されている。
 
 
その本の最後を見ていただきたい。。。
こんな紹介のされ方もあるんだねえ。何はともあれ、ありがたい。
 
 
◆もう1冊 
 田中淳夫著『森と日本人の1500年』(平凡社新書)。日本の森が人との関わりの中でどう変わってきたかを追う。
 
以上、3連発でした。

2017/01/08

『森と近代日本を動かした男』と『樹喜王 土倉庄三郎』

たまたまAmazonのサイトを開いたところ、拙著『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』が目に止まった。

 
ところが、価格は「7299円から」となっていた。
 
本書は絶版だから、手に入れようとすると古書扱いになるわけだが、出品者の付けた価格がこの値段なのである。3冊出展されていて、ほか7300円と7823円である。実際は、これに送料が上乗せされるので8000円近くになるわけである。
ちょっと仰天のお値段。それだけの価値があると思って喜ぶべきか、それとも。。。
 
 
複製本の『樹喜王 土倉庄三郎』を出しているのに、書店には卸していないからなあ。。。内容はまったく一緒である。誤字を直した程度。価格もずっと安いよ(^o^)。
 
 
 
Photo  Jukiocover1
 
 
それで、『森と近代日本を動かした男』の価格は古書の世界ではどうなっているのか気になって検索してみた。
 
……すると、意外な記事を見つけた。CiNiiの論文として検索に引っかかったのである。。(CiNiiとは、学術情報ナビゲータのこと。論文、図書・雑誌や博士論文などの学術情報で検索できるデータベース・サービス。)
 
見ると、学会誌(多分、林業経済学会誌)に3年前に掲載された書評らしい。
 
Photo_2
 
あらら。知らなかった(^o^)。3ページに渡って掲載されていた。  読みごたえあるよ。
オープンアクセスだから、誰でも読める。
 
 
さすが、と思えるのは、私が記した吉野林業と土倉庄三郎の唱える林業技術を分析しているところで、庄三郎を「決定的に必要なものは標準化 されたマニュアルよりも、個々の状況に即 した解決法 を創造できる総合的な力を持った人材といえるかもしれない」と評している。
 
そして「総合的な力を持った人材とは、昨今期待されるフォレスタ ーそのものだろう」としている点だ。
 
実際、庄三郎は、当時の山林局の林政を机上の「文書的経営」として批判している。林業とは、その時その時に森を見て判断するものであり、ガチガチの施業計画をつくるものではない、と喝破しているのである。その点を「フォレスター的」ということは可能だろう。いや、庄三郎(と当時の吉野林業人)は、フォレスターだったと言って過言ではない。
 
加えて、現代の台湾には次男・土倉龍治郎の手がけた吉野杉の森林が今も残れされていて、台湾の林学者は土倉庄三郎の名を伝えているらしい。
 
 
拙著では、あまり林業論には踏み込まなかったつもりだが、改めて土倉翁を林業技術と林業政策、さらには林政史の面から追求しても面白いかもしれない。
 

 
ちなみに、現在発売中の週刊ポストに「土倉庄三郎」が紹介されている。私もコメントを寄せているので、ぜひ手に取っていただきたい。こちらの内容に関しては、改めて。
 
 

2016/11/28

ウィキペディアの土倉翁

明日の夜、奈良市内の某所で土倉庄三郎の事績に関する講演を依頼された。

 
百回忌後、少々遠ざかっていた土倉翁関係の話だから、張り切って臨みたいと思う。
 
 
だから、というわけではないが、何気なくウィキペディアで土倉庄三郎の項目 を引いてみた。
 
結構、詳しく載っている。参考になる(^^;)\(-_-メ;)。
 
いや、これまでも幾度か見ているのだが、以前はなかったし、登場しても情報量はわずかだった。少しずつ増やされているのを感じる。
それに私も細かな年代を記憶しているわけではないので、今回の講演話の際に、「あの事績は何年のことだったかな」と思った際に、自分の本を手に取るのだか、案外どこに載っているのか迷う。原資料から確認しようとするともっと大変で、全部紙の資料だから検索もできず、七転八倒する。そんな際に整理されて掲載されていると便利だ。
 
 
が、今回読んで驚いたのは、百回忌に関することが記されていたことだ。ちゃんと式典後に書き足したことになる。この筆者は、百回忌と式典に出席していたのだろうか。それとも新聞記事などで補ったのか。。。。
 
結構、筆まめ(~_~;)。執筆したのは誰だろうなあ。私の知っている人かなあ。。。
 

百回忌・記念式典 [編集]

2016年6月19日、川上村に於いて、百回忌法要(龍泉寺)・没後100年記念式典(やまぶきホール)が行われた。式典では、幅広い分野に貢献した庄三郎の遺徳を偲んだ。ジャーナリストで庄三郎研究者である田中淳夫氏の基調講演の後、シンポジウム等を開催。席上、学校法人同志社の大谷実総長は「土倉翁の存在がなかったら、同志社の設立は違ったものになった。同志社にとって忘れがたい恩人」と述べ、又、日本女子大学の佐藤和人理事長・学長は「庄三郎さんは日本発展のため、女性の活躍が重要であることを学生に説いていた」と話し、「共に女子大設立に協力した広岡浅子さんにとって最大の恩人」と強調、それぞれ感謝の意を表した。

 

 

一点だけ、修正。「台湾でも造林事業を行った」とあるが、台湾は次男・龍治郎の事績である。庄三郎もそれなりに援助はしたが、一緒に並べることはできない。

ちなみに、龍治郎の項目 もウョキペディアにはあるんだな。

また、私の「森林ジャーナリストのページ」にリンクが貼られているが、私のHPは移転しております。今のところ移転通知はああるが。

2016/10/08

益田孝翁の語る土倉翁と林業

益田孝をご存じだろうか。明治時代の財界人だ。

 
一般には三井財閥の大番頭と言われているが、むしろ本人自身が巨頭として活躍したと見るべきだろう。彼がいてこそ、三井財閥が築かれたと言っても過言ではない……という評判もある。
 
彼の自叙伝(と言っても彼が書いたのではなく、彼と同時代に生きた長井実がまとめたもの)を古本屋で手に入れた。
 
自叙益田孝翁伝』 
 
なぜこの本に目を止めたかというと、益田は土倉庄三郎と交流があったからである。そして庄三郎は益田を通じて三井に山林経営を勧めたのだ。つまり現在日本で4番目の山林主である三井物産の原点なのだ。
そのエピソードはすでに私も知っていたが、その点に触れているかな? と思って本を手に取ったのである。
 
さて、本の目次を繰ると「山林」という項目があった。たった3ページしかない。
 
ところが、それを読むと実に興味深いエピソードがいくつも書かれているではないか。
 
全部披露するのは惜しいので(^^;)、少しだけ紹介しよう。
 
1  
 
冒頭部分である。庄三郎が山林経営を勧めたことが記されている。いきなり三井家として山林を購入したのではなく、まず自分が試みに500ヘクタール!買って、植林したという。
 
が、私が注目したのはその事実ではない。そこまでは知っていた。むしろ驚いたのは、その際の庄三郎の言葉だ。
 
素人は木が大きくなるのを待ってそれを伐って売ることばかりを考えているが、何も木を伐って売るには及ばぬ、売るなら山を売ればよい……」
 
どうだ、すごいだろう。
 
えっ、何がすごいかわからない?
だって、木を伐って売るのは素人と書いてあるのだよ。木を植えた山は、年々育つから価値が増す。その山を売買するのだ。これこそ、吉野の森林ビジネス!と感じたのだよ。
 
実際、吉野では、山で売り買いした。山を売買と言っても、価値は土地ではなく立木に置く。つまり立木権の売買である。
植林して下刈りして、10年もしたら売る。買った人は除間伐を施して20年したら売る。何も植えてから80年~100年間、金にならないのではないのだ。
 
これを今風に言えば森林の証券化みたいなものでみないか? 
いわば金融資本主義もどきを行っていたのが吉野林業だったわけだ。
 
まあ、今だと木が育っても価値は上がるとは言えず、下手すると下落しかねないけれど。。。
 
ただし「金持ちの事業としてまことに適当」という言葉も紹介している。つまり、目先の上がり下がりは気にせず時間をかけるのが山林経営の要諦ということか。
 
 
もう一つ。
 
4
 
これは読めばわかるとおり。
明治時代でも伐採と搬出の経費がかかりすぎて利益が出ないことを示している。そしてアメリカから木材持ってきた方が安い、というのだ。
 
これは大井川流域である(吉野は、河川運搬組織が整備されているので利益が出たのだろう)が、いかに運搬方法の改善が林業に重要か、明治時代に指摘している。
 
日本の林業は、当時よりさして進歩していないようだ。。。
 

2016/09/16

吉野林業全書と獣害対策

近畿中国森林管理局が開催した「産官学共催セミナー国産早生樹林業によって何ができるのか」に顔を出してきた。

 
全体の状況とセンダンのほか、広島のコウヨウザンや北海道のシラカンバの事例報告など盛り沢山で、少々胸いっぱいなのだが、興味深い点がいくつもあり、勉強になった。
 
ただ、ここではまったく別の観点から。
 
京都大学大学院の高柳敦講師による「人工林とシカ被害対策」の話があった。これだけ、早生樹とは関係ないのであるが……。
 
そこでは、いかに昔から農林業は獣害に苦しんできて、さまざまな対策を取ってきたか、そして現在の対策が失敗するのはやり方が悪いから、という指摘があった。防護網一つとっても、張り方を誤ったら効果が出ないのだ。
 
そこで紹介されたのが、なんと吉野林業全書であった。明治時代も林業は獣害に悩まされてきたのだよ。
 
2
 
たしかに、指摘されたページにはこんな獣害対策図が載っている。
 
これが、完璧!らしい。
ウサギ害を中心に単木防御、つまり苗一本一本にシェルターを被せている。
加えてイノシシなどが下から入らないように柵があり、その柵を乗り越えないようにしている。そして皮剥ぎ対策も施している。
 
現在の防護の仕方の誤りも含めて、完全に示しているという。
 
1
 
こんな具合に指摘。
 
現場で、実際の被害を見つつそれに合った方法をきっちりこなす。これに優る防御はない。
吉野林業全書は、まさに現場の声を集めて編集されたことを示している。今更ながらに吉野林業全書は森づくりの教科書として優秀であると言えよう。
 
手間やコストや労力を惜しんで手抜きの防御をして、結果失敗して、「獣害を防げない」と嘆き、「オオカミを放て」とアホなことを言ってはいけないのである。
 
 
ちなみにシカが防御網の中に入るのは、飛び越えは意外と少なく、網の下からくぐり抜けるのが多いそうである。次は乗り越え。網に体重をかけて、よいしょと乗り越えるらしい(掛け声はないと思うが……)。この点を防ぐことが肝要なのだろう。
 
早生樹林業については、またの機会に(^o^)。
 

2016/07/06

土倉翁の教え「施業案は必要ない」

土倉翁百回忌も過ぎて(本当の百回忌は7月19日なんだけど……(^o^))、ちょっと土倉翁からは一服(-o-)y-°°°という気分だったのだが、自宅のデスクに散乱した資料を片づけ半分整理し直していた。

 
そこで見つけた一文に目が惹きつけられた。
 
それは精密な施業案づくりに莫大な金を投入しつつ、現場の造林が計画の半分も進んでいないとを批判したものなのだが……。
 
そこで、こんな言葉を記している。
 
今日、いかに立派なる施業案を編製するも、いかに我が国将来の林業に適用することを得ざらん。何となれば、将来、我が国有林の大部分は、必らず今日の樹種と相異るものを以て造植せらるることとなるべく、随て今日までの材料によりて調整したるものは、無用の長物となるに至る可りが故なり」(林政意見)
 
細かな前後の説明は省くが、将来は、今日植えている樹種とは違うものを造林することになるよ、今の森は(必ず)役立たずになるよ、と指摘しているのだ。
 
すごいな(^^ゞ。
 
将来必要とされる木材は、今植えているのと違うようになるという指摘は、まさに我が意を得たり。
林業で木材を得るには最低40年、できれば50年60年、いや可能なら100年以上かけて大径木を育てたいと思いがちだが、そんな先の木材需要が読めるのか、と思うのだ。
 
とくに時代は政治も経済も短期間に激変を重ねている。今売れているものが、来年にはさっぱり売れなくなることも多い。今売れると思って植えた木が育った頃には、別の需要に移っている可能性は高い。
 
そして、こんな文言も。
元来、施業案なるものは、広く、その地方一般経済の状況に照らし、植伐利用の方針を立てるを以て、主なる目的となすべきものなれば~」
 
だから、簡略な仮の施業案で進め、後は現場の技術者が育つ状況や経済事情を見極めて判断するのがよい、というわけだ。
 
 
面白いのは、ドイツの例を引いて、精密な施業案は必要ないと指摘している点。みんな営林署長が、地域に則して自己流に施業しているという……と記す。「文書的経営」ではなく、現場に即してやりなさい、彼の地ではそうしているのだ、と。
 
 
実は、同時期(明治30年代)に行ったインド林業視察の報告がある。インドはイギリスの治世下にあったが、林政は代々ドイツ人が担ってきたそうだ。しかし、
「ドイツをそのまま模倣した形跡がない」
「ドイツの山林は最も発達したるものにして、山林というよりも、むしろ公園と形容すべき」
「その精を摘み、おのおま適用せんとする国情を鑑みて実行」
なのだそうだ。土倉翁も、そんな報告を聞いていたのかもしれない。
 
 
実際、日本だけなのだ、これだ、と決めたモデルを画一的までに真似た施業をしようとしているのは。
 
あ、これは……明治の話ではなくて、現代の林政ね(^o^)。
 
しかし、まだまだ土倉翁に学ぶ点はあるなあ。

2016/06/19

燃え尽き百回忌

土倉庄三郎没後100年記念事業、百回忌と記念式典、終わりました。

 
燃え尽きました……。
 
百回忌法要に続いて会場を移り、リレー対談相手と打ち合わせ。基調講演、それが終わるとすぐにエントランスで『樹喜王 土倉庄三郎』販売顔見せ。そしてすぐにリレー対談。終わると本の販売(とサイン)。来賓や関係者と撮影。土倉家の子孫と面談。気がつけば撤収……。
 
会場のホールは満席で階段に座る人も。さらに100人ほどがホール外エントランスにいたという……。さすがに初めての経験。
 
内容も、まずまず。リレー対談では私も知らない土倉翁の逸話が結構出たし、展示会場でも貴重な初見参の資料が並んだ。来賓挨拶などで押した15分も、私の絶妙の仕切りで(^o^)、きっちり時間内に終わらせるという技を見せたし。
 
 
ただ一つ失敗だったと思ったのは、服装である。
 
事前に「平服で」と言われていたので、私は黒のスーツだけどネクタイだけ明るい色にする予定だった。が、昨日のリハーサルで各者に聞いて回ると「礼服なんか着ません。ネクタイもしません」とみんなが言うものだから、シルバー系のグレースーツに変えた。さすがにネクタイはしたけれど。
ところが百回忌の会場では、3ぶんの2が黒スーツに白ネクタイではないか。(百回忌はメデタイので白ネクタイ。)
やられた……と思ったね(-_-)。ま、ネクタイだけは白も用意していたのでカッコがついたかな。
 
 
さて、私の講演では、「禁断の壇上撮り」に期待する向きがあるので、今回の成果を披露しよう。
 
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以上です。

2016/06/18

土倉翁百回忌前夜

本日、川上村に「土倉庄三郎翁没後100年記念式典」のリハーサルに行ってきました。

 
 
会場のやまぶきホールの周りは、ノボリが林立。
2  
 
展示準備も進んでいる。
 
なんと、私も初見参の資料も目にする。こうしたイベントを行うことで資料収集できるな、と喜びを感じますね(~_~;)。
 
そして、式典に関しては、いくつかの事実も確認。
 
たとえば来賓には、林野庁から沖修司次長が出席することになった。林政部長から格上げ(~_~;)。実は、林政部長が人事異動したからだけど……。
 
 
そして、そして最大の驚きは、司会者。
 
ミス日本みどりの女神の飯塚帆南さんになったのだ。おお、彼女も初対面だ。(林野庁から、ごり押ししたんじゃないよね?)
 
しかも、会場には明日来ると聞いていたが、本日到着。
 
思わず記念撮影(^o^)。
 
9
 
せっかくだから、ノコギリ手にしてもらう\(^o^)/。
 
明日も壇上から写真撮ろうかな……もちろん、帆南さんを。ヾ(- -;)

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