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森と林業と動物の本

2025/12/21

土倉庄三郎は吉野山の桜を守ったか

拙著『山林王』では、土倉庄三郎が吉野山の桜を買い取って守ったという逸話を紹介している。

明治初年に吉野山では廃仏毀釈が吹きあふれ、桜を見る人もいなくなったので伐って材木として売り飛ばす算段をしていた。それを聞いた庄三郎は、怒って売った金額と同等の金を渡して「今後、吉野山は海外からも人が来て見直される日が来るから、買い戻せ」と言った。だから吉野山の桜は庄三郎あってこそ現在まで残っているのである……という話である。

Photo_20251221162201大和名所図絵の吉野山

ただ、これは土倉家に伝わる伝承で、それを裏付ける話がない。とくに吉野町側からは出てこない。また明治時代の桜は、かなり今より小規模だったらしい。庄三郎は桜が伐られてから援助したのではないか、という見方もある。
だから私も、あくまで伝承として書いたのである。たまに取材を申し込まれる(テレビ局的には飛びつきたいネタらしい。とくに「これからは海外の客も来る」と言ったのが、インバウンドの予言になる。)が、私は本当かどうかわからんよ、と伝える。すると企画は消えてしまう(笑)。

だが、ついに裏付け証言を見つけた。

吉野山の桜を守る吉野山保勝会という組織があるが、その前理事長で竹林院という寺・宿坊の住職である福井良盟氏に話を聞いたら「ああ、本当だ」とあっさり言った。

なんと彼の祖母が土倉家のある川上村大滝の出身で、しかも庄三郎が生きていた時代に少女だった。竹林院に嫁に来てからも、ずっとその話をしていたらしい。それも微に入り細に入り。その中には「海外からの客」の話もあったそうだ。そのとき、庄三郎はドン!と机をたたき……とまで具体的な証言したという\(^o^)/。だから大滝の人には優しく、庭の観覧料金をとったら怒られたという。

素晴らしい。もちろん歴史学的な考証ではないが、両者から証言が取れたら確度は高いとして私的には認めるのである。

吉野山の桜は、土倉庄三郎が買い取った。これからは、ドンと大きく売り出していこう。

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2025/12/10

ばけばけとカーネーション

NHK朝ドラ「ばけばけ」で、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)をモデルとしたレフカダ・ヘブンの半生が語られた。日本にお雇い外国人としてきたヘブンだが、実はギリシャ出身で欧米を転々とした貧乏な男だった……という。

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このドラマでは、主人公のトキの家庭が没落士族で超貧乏であることは幾度も説明されてきた。そしてヘブンの女中となったわけだが、その給金は20円だという。ちなみにヘブンの給金は100円。

これが現在のいくらに当たるかは、ネットでも話題になっている。当時の旅館の女中が90銭なのだから、20円はざっと22倍! 今なら安月給でも15万円ぐらいはあるので、それでは300万円以上になってしまう。ヘブンにいたっては1500万円以上の給金なのだ(月給だぞ)。もちろん、比較する給金によって違うが、感覚的には80万円ぐらいかと。

ちなみにモデルの小泉セツが受け取っていた実際の額は15円だったというが……。現代の価値との換金は難しいが、当時の高級官僚並みではあったそう。ハーンの給料はいくらかわからないが、やはり外国人を招聘したのだから、1000万円以上のレベルになるだろう。

アメリカでは貧乏だったヘブンが、日本では金持ちになったのは、貨幣価値の違い、ようするに為替の問題が大きい。日本で受け取る100円をアメリカに持ち帰ってもたいした金額ではなかったろう。

そこで思い出したのが、大正末期にアメリカから日本に帰国した犬塚卓一のこと。

彼は、アメリカでカーネーション農園に働いていて、その栽培技術を持って帰った。そして土倉龍次郎と組んでカーネーションを日本に根付かせる役割を果たしている。だから龍次郎をカーネーションの父、犬塚をカーネーションの母と呼ぶのだ。

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犬塚は小学校卒業後、1907年にアメリカに旅立つ。叔父がオレゴン州ポートランドで花の栽培をしていたからだ。そこで20年間働いて、温室のカーネーション栽培のほかさまざまな草花の栽培の技術を学んだ。500坪の温室があったという。

大正の末に帰国したのは、世界恐慌が発生し、経済が大混乱に陥ったから。ただアメリカ以上に経済が落ち込んだ日本は、為替相場が暴落したため、非常にドルが強くなっていた。当時、1ドルが4~5円になったというから、現在の価値なら1ドル5000円くらいだろうか。157円まで落ちた現在の円安とは比べ物にならない(笑)。

だから、アメリカで貯めたお金を日本に持ち帰ると、なかなかの大金持ちになったのだ。その金でアメリカから温室やボイラーまで一式の機材を持ち帰った。だから日本でアメリカ式の巨大温室栽培を始められたのだ。そして開いたのが「日本フローリスト東京」である。

当時は、土倉龍次郎もカーネーション事業を軌道に乗せていたが、犬塚ほどの金があったかどうか。

龍次郎は兄の鶴松の借金の肩代わりをさせられた。私の見立てでは、約10万円ぐらいになる(いくらか借用証書が残されている)。大正時代だから、現代の数億円にはなったかと思う。それを農園にしていた土地や家屋を売って返済したのであるが、果たしていくら手元に残ったか。そうした状況下でのカーネーション栽培だった。

……とまあ、そんなことを「ばけばけ」給金から考えたのであった(⌒ー⌒)。

 

2025/09/20

土倉家の家紋の植物を読む

土倉家の家紋入り袱紗を見せていただく機会があった。

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長く土倉庄三郎を初めとする土倉家について随分調べてきたのに、家紋については目を向けていなかった。

この家紋を、「隅切り角に立ち沢瀉」という。読み方は、「すみきりかくにたちおもだか」。隅切り角というのは、周りを囲んでいる枠の隅が切られているものを示す。沢瀉とは、オモダカという植物名。水田やため池、沢などに自生するオモダカ科の多年草だ。

このオモダカの花と葉を図案化しているのだが、それが立っているから立ち沢瀉なのだろう。オモダカは面高とも記す。

沢瀉紋について調べてみた。

瀉の葉の形は、矢尻に似ていることから「勝軍草」「勝ち草」ともいい、戦陣の縁起物とされ多くの武将に好まれた。また「面高」と呼ばれるように「面目が立つ」という語呂にも通じる。

戦国大名「毛利元就」が沢瀉にトンボが止まっているのを見たあとに戦に勝ったことから、吉祥のものとして毛利家の家紋とった……という伝説もあった。この沢瀉紋を使う武家は、椎名、梁田、毛利、木下、浅野、酒井、堀越、沢井、水野、土井、福島など、わりと多い。

そこでよく似た家紋を探してみた。

3266 12410 Itsutsukannidakiomodakab Marunidakiomodakab

いろいろある。

土倉家とは、どこでつながるのだろう。土倉家の素は楠木家とされるのだが、楠木正成の使った家紋は菊花と流水、いわゆる菊水である。しかし、それは後醍醐天皇から下賜された紋なので、その前の紋があったのかもしれない。

しかし、オモダカは水田の雑草だと思う、写真で見ると、小さくて見映えもよくない。しかし平安時代には蒔絵の紋様にも描かれた。そして古武士たちは有り難がって紋や衣装のデザインとした。そういえばオモダカの一種クワイは、「芽が出る」縁起物である。

日本人と植物の関係は、家紋から見ても趣がある。

 

2025/09/05

龍次郎の写真に見る目黒界隈の今昔

貴重な写真を紹介しよう。

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これは大正年間に発行された「日本園藝雑誌」の口絵。つまりグラビアである。写っているのは、目黒駅前にあった「菜花園」。その経営者は、土倉龍次郎だ。台湾から帰って来た龍次郎は、目黒駅前の上大崎に約2000坪の土地を取得した。今なら何十億円にもなりそうな一等地だが、当時は山手線ができてまもなく、目黒駅も田舎駅扱いだった。上大崎も丘になっていて川も流れる田園地帯。そこに温室を築いたわけだ。

この温室には、カーネーションのほかトマトとキュウリを育てたという。その記念撮影らしい。一部をアップすると、こんな具合。

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顔までわからないのだが、おそらく右端の子供を抱いているのが龍次郎だろう。ほかのメンバーはわからない。7人いるが、全員が雇っている園丁ではなく、書生なども混ざっているのではないか。

私が注目したのは、背景の街並み。家もあるが、全体に木立が目立ち、煙が上がっている。暖房なのかもしれない。どちら方面からの撮影かわからないが、後ろの方が高く丘陵地だという点から、白金台辺りではないか。これが大正の始め、おそらく1915年ぐらい。

せっかくだから、当時の地図を見る。

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1917年発行の地図だから、ほぼ写真と同年代。

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せっかくだから現在の目黒駅前の写真も。変貌ぶりを眺めるのも悪くない。

2025/08/30

林業遺産のクスノキ林

林野庁の機関誌「林野」8月号を見ていたら、林業遺産に東京大学演習林「樹芸研究所」が選定されていた。

ここは南伊豆にあって「岩樟園」と名付けられたクスノキ林があるのだという。

詳しくはリンク先を見てほしいが、簡単な紹介は……

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林業遺産のホームページなら、こちら

100~120年生のクスノキ林が48ヘクタールもあるという。クスノキは、もともと群生しないはずなので、珍しいかも。行ってみたいねえ。

クスノキは、かつて日本の歴史を動かしたとも言われる。クスからは樟脳が採れるが、これが幕末の頃、西欧列強はこれを欲しがって高値で売れた。九州四国の雄藩は、その財政で倒幕をしたという……というのはちと大げさに感じるが、樟脳は火薬の原料になっかたらね。ほかフィルムやセルロイド、強心剤などの医薬品……と重要物資だった。

私が興味があるのは、土倉龍次郎が台湾で樟脳生産を手がけていたから。明治後半に入ると、そろそろ日本のクスノキは枯渇していたのだが、そこに領有した台湾はクスノキの宝庫だったのだ。(その点ではクスノキも群生したのか、と思ってしまう。)
1900年代初頭は、台湾の樟脳が世界を席巻していた。そんなクスノキだらけの山の風景を見てみたい。

龍次郎が台湾で1万町部の山林を租借して、伐採と植林を行っていたが、その資金は樟脳で得ていたとされる。(たいして高く売れる木がなかったので、木炭にしていた。木材では稼げなかったのだ。)

台湾博物館南館の樟脳に冠する展示。

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台湾でクスノキを見つけたら、そこに小屋を築いて、伐採したクスを砕いて写真のような釜に入れて樟脳成分を抽出する。それが粗脳。そこから、様々な製品をつくった。

その頃、日本でもクスノキの植林を始めていたのだなあ。しかし樟脳を抽出するには、少なくても数十年かけてクスが大木にならないといけないのだから、気の長い話だ。その前に、合成樟脳が発明されてしまったため、クスノキは必要なくなってしまった。

この林業遺産のクスノキ林、今なら樟脳が採れますぜ。伐りませんか……( ̄∇ ̄) 。

 

2025/08/15

仏壇にカーネーション

お盆である。お盆と終戦記念日が重なっているのは偶然なのか必然なのか……。

ということを考えつつ、仏壇に花を供する。

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カーネーションにした(^_^) 。菊花は好きでないのでね。墓には、従来通りの菊花とほおずきなどの仏花にしたが、毎日目にする自宅の仏壇は、ちょっと華やかな西洋花の方がよい。このカーネーション束は色とりどりである。

✳️お茶犬もお供え。

実は、土倉龍次郎の葬儀はカーネーション葬だったそうだ。この夏、龍次郎研究が飛躍的に進んで、新事実が次々と明らかになり、静かに興奮している。とくにカーネーション栽培にかかわった空白の時代が、少しずつわかってきた。

龍次郎は、日本で最初にカーネーションを商業的に栽培して花卉ビジネスを成功させた。そのため非常な苦労をするのだが、問題は害虫や土壌の病気である。アカダニやアザミウマなどの害虫が発生するのだが、当時は有効な農薬もなく、水で洗い流すしかなかったそうだ。
そして土にはネトマーゼ(センチュウ類)などの微生物や菌類が発生する。今なら土壌消毒を行うのだが、なんと彼は土を全部入れ換えていたのだそうだ。ときに「ネトマーゼには馬糞が効く」と聞いて、馬糞を大量投入するも、逆に全滅させたり……(馬糞説は、農業試験場の意見だそうだ。当時の研究者はそんなことを言ったのか)。

また育種では、ドクラス・スカーレットなど25種の新種を生み出したという。生涯では50種以上の種類を開発した。

だが、そうした新品種は、現在一つも残っていない。これはカーネーションだけのことではなく、たいていの花は、新品種が出てくるたびに古い品種は忘れられていくのだそうだ。その遺伝子を残す試みは、現在でもほとんど行われていない。(育成母種になった場合のみ、残される。)

上記の写真のさまざまなカーネーション花も、いつまでも残っていないのかも。

龍次郎は、温厚でひょうひょうとした人柄だったというが、その人生は波瀾万丈であった。そこで悩まなかったわけではなく、苦悩の日々もあったらしい。その足跡も残さず消えてもよいのだろうか。できれば片鱗でもよいから記録しておきたい。

 

2025/06/29

台湾から北海道へ金山の夢

北海道の静狩金山。すでに金は掘り尽くしたと閉山しているが、ここに外資が続々と4社が、試掘許可を求めている。
今の技術で掘れば、まだまだ金は発掘できる、と睨まれているのだ。それに対して、仮に金の採掘が始まっても、それは環境破壊になるのではないか、と地元では反対の声が高まっている。

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新聞でも、今頃扱いだした。地元では、もっと早くから騒ぎになっている。

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実は私は以前より静狩金山に興味を持って調べていた。なぜか。

それは台湾から始まるのだ。

土倉龍次郎が台湾で事業を始めたとき、その手助けした部下が何人もいたことは言うまでもない。とくに知られているのが、津下紋太郎。そして、彼の指揮下にあったのが、緒方正基と木山与一である。いずれも軍属として台湾に渡り、そのまま軍を離れて居残った人物で、龍次郎と意気投合して彼の事業を手伝ったのだ。

ここで注目すべきは、木山与一だ。石川県出身で智の人として参謀・軍師的な人物だったそうだが、とくに金鉱探しに凝っていた。同じく龍次郎の部下だったアメリカ帰りの清水泰次郎に鉱脈探しの技術を教わって、台湾でも金鉱を探したのだ。実際に九扮で発見したともいう。九扮は、今でこそ観光地だが、元は金山で栄えた地域だった。その一角で金脈を見つけたらしい。

その後、龍次郎の台湾事業に関してもいろいろと活躍するが、そこは飛ばして故郷の石川県に帰国。そこでも金鉱を探して山々を歩き、七尾近辺で見事見つけたらしい。ただ、そうした金山は、大会社に売却して、また別の金脈を探して歩くなのである。

そして、最後に行き着いたのが、北海道静狩。もともと金の出る噂があって山師が集まって来ていたらしいが、1918年に先んじて発見。大儲けをしたという。静狩金山は、全国9位の出金量だったというから、かなりの良金脈だったのだろう。当時は、環境破壊という概念もなかったのだろう。

龍次郎とは帰国後もつきあいが続いたというから、彼の来歴を追いかけていたのだが、こうした人物が龍次郎の周りに何人も現れる。

その後、石川県の県会議員になったが、疑獄に巻き込まれてひどい目にあったという回想もある。まあ、何にしろ愉快な人物である。

そうした静狩金山が、21世紀になって、改めて金脈を探されようとしているのだ。ちょっと本筋とは違うが、龍次郎外伝として紹介しておく。まあ、外伝の前に正伝はどうなったのか、と言われそうだが。

 

2025/05/08

土倉翁の山で火事が起きない理由

某氏より、土倉庄三郎についての記載のある文献を教えてもらった。

「名士奇聞録」というのだが、国会図書館にある。明治44年の発行らしいが、そこに登場する土倉庄三郎の項目が素晴らしい。タイトルからして「土倉庄三郎の美徳」である。

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庄三郎の人望を語っているが、絶対に土倉の山では煙草を吸わない。農具が遺棄されていたら持ち帰って届けるという。農具というのは林業道具も含むのだろう。だが、 重要なのは「若し其山林に火あらしめんは我の恥辱なり」という言葉だろう。

煙草を吸わないのも、そのためであり、結局は、山火事を起こさないのは、彼(庄三郎)の徳望ゆえなのだ、と。

これは、山林火災が相次ぐ昨今、身に沁みますね。もっと考えれば、庄三郎という人そのものというより、山林への愛、思い入れなのだと思う。(あの人の)山林を傷つけてはならぬという強い思いが必要なのだ。

どうだろう。現代にそうした精神があるだろうか。

2025/05/02

吉川小一郎と土倉家の因縁

京都・龍谷ミュージアムで開催中の「大谷探検隊 吉川小一郎」展に行ってきた。

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浄土真宗本願寺派(西本願寺)法主・大谷光瑞が行った中国・西域の仏教遺跡調査の第3次探検隊を率いた人物である。遺族の家から新たな資料が発掘されたことから開かれたとある。

吉川の展示物そのものは3階だけで、しかも主に書簡類が中心ということで地味な印象であった。人物も、いわゆる探検家的な豪放磊落さというよりは、生真面目な印象。大谷光瑞から命じられたことをしっかりこなした探検であった。それでも、幾つかの点で発見があった。

たとえば三島海雲(カルピス創業者)が探検を支援していたことを示す葉書があったこと。三島は、若いころ、中国に渡って内モンゴルに分け入って馬の買い付けなどに従事している。その時は、土倉五郎、つまり土倉庄三郎の5男と一緒だった。後に4男の四郎も加わっている。資金は土倉家が出して内モンゴルの王家と人脈をつくろうとしていた。また当時の清国公使は内田康哉であり、その妻政子も北京にいた。そこに大谷探検隊が絡んでいたのかもしれない。ということは、吉川は五郎や四郎とも会っていた可能性が高い。

庄三郎の次男龍次郎の息子(つまり庄三郎の孫)正雄の奥さん宣子さんに生前お会いしたとき、吉川小一郎と会った話を聞かせてくれた。

当時、宣子さんは友達と「シルクロードの会」というのをつくっていて、中国西域の勉強をしていたそうだ。そして吉川に会いに行ったのだ。1970年代と言っていたから、吉川は90歳前後のはず。ただこの展覧会では、吉川をインタビューした際のテープで音声を披露していた。そこでは元気に話しているから、十分あり得るだろう。

そしてメンバーの自己紹介をした際、「土倉宣子」という名の姓に反応したという。

「土倉さんにはお世話になった。上の人が言ったら、いくらでもお金を出してくれた」
そして感謝の意を伝えたという。上の人とは、大谷光瑞だろうか。

当時、法主である大谷光瑞も、探検隊の金を自由に出せなくなっていたのだろう。その後、金の使いすぎで失脚している。そこで土倉家に頼ったのではないか、と思われる。

ただ、吉川の探検隊は1911年出発だ。その準備期間中としても、前年の1910年か、せいぜい09年。その頃の土倉家は、身代が傾いていた。長男鶴松が野放図に事業に投資して破綻しかけていたのだ。09年には山林売却を家族会議で決めている。龍次郎も台湾の事業を売却して帰国している。
そんな時に、西域探検に金を融通するか? 鶴松ならやりかねない気もするが……(´Д`)。ちなみに鶴松は「在家の大谷光瑞」と呼ばれていた。二人とも、湯水の如く金を使うという共通点がある(笑)。

もっとも11年には済生会病院設立に1000円寄付した記録もあるから、その程度なら出せたのかもしれない。ただし、こちらは庄三郎の事績である。鶴松は家を出た。家政を破綻させたうえに妻の死去と即再婚などから土倉家にいられなくなったのである。

やはり、わからないことが次々と出てくる。土倉家のことは調べ尽くして、もう終りにしようと思っていたが、謎が謎を生み困る。

まあ、土倉家の破綻には、大谷探検隊も関わっているんですぜ( ̄∇ ̄) と言ってみたくもあるが(笑)。

 

2024/10/23

朝ドラで気づく土倉家の物語

現在の朝ドラ「おむすび」は、「カンナの無駄遣い」というそうだ。何も大工道具の鉋を無駄遣いしているのではなく、橋本環奈の魅力を思い切り殺す役柄だから。なんで彼女をこのキャラに配役したのか不思議なほど。

私は、BSの「カーネーション」に夢中。そしてBS11の「半分、青い」。いやあ、どちらとも面白い。とくに「半分、青い」が描く高校生の姿は、いいなあ。会話が断然いい。「おむすび」は、同じ高校生でも、まったく会話が弾んでいない。

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そして気づくのだ。「カーネーション」は、日本人、とくに女性が着物から洋服へ移り変わる時代を描いているのだなあ、と。だいたい大正から昭和初期の時代だ。(その後に戦後編に移る。)その陰で悪戦苦闘をしている主人公にはワクワクする。実際に、こうした開拓者がいたのだろう。

そう言えば思い出した。土倉庄三郎は、明治9年に川上村の大滝小学校の生徒に制服として洋服をプレゼントしている。生地はちょっとジーンズに似ていて、デザインはブレザータイプ。横浜の店でつくらせたという。「カーネーション」より時代的には60年以上早い。実際、早すぎて根付かなかったわけだが、奈良の山村に洋服を着た子供たちがいたことは特筆すべきだ。なお土倉家は、みんな洋服を着て写された写真がある。当時は、写真館で洋服を貸し出して写真を撮るのが流行ったらしい。まあ、コスプレのような……。

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ちなみにタイトルのカーネーションは、何を意味するのか。ドラマの中では、子供の頃に洋館のパーティで見かけた花として描いている。時代は、やはり大正か。

日本にカーネーションが広がったのは、土倉龍次郎が温室栽培に成功してからだから、大正10年以降。ぴったり符合する。土倉家二代に渡る朝ドラとの縁。こじつけだけど(^-^;

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土倉龍次郎の著した『カーネーションの研究』より。

 

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