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森と林業の本

2023/11/06

智頭の森林鉄道跡はいま

なんでも11月4日に、高知県田野町で「第1回全国森林鉄道サミット in 高知」が開催されたそうだ。こちらは魚梁瀬杉を運んだ森林鉄道が有名だが、なんだか森林鉄問うが密かなブームになっている模様。鉄オタが、現役鉄道に飽き足らず、その毒牙を林鉄に向けたか……なんて想像してしまう(^^;)。ちなみに私は昨日、智頭町の森林鉄道跡を歩いていたのであった。

智頭町で寄った森カフェ……というには大きすぎる巨大テーマパークレストラン(笑)、みたき園。その敷地を歩いていた際に受けた説明によると、ここに森林鉄道が走っていたそうだ。

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今は川岸の道であるが、洪水で水に浸かった際に、上部に道路を入れたので廃棄されたそうだ。何の変哲もない道も、ここに走ったトロッコを想像すると、不思議な光景が脳裏に浮かぶ。

そして、次に訪れたのが、智頭町の森林セラピー基地。その一つのセラピーロードである。

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これも森林鉄道跡だった。トロッコを走らせたのだから、傾斜はゆるやかだし、幅もそこそこある。ゆったり歩くことを旨とするセラピーロードに向いている。ちなみにトロッコは駆動車によって引っ張られて伐採奥地に上がったが、丸太を積んで運ぶ時は動力なしだったという。暴走はしないと思うが、ちょっと怖い。木馬と同じ発想か。

ところで森林鉄道と言っても知らない人もいるだろうから、見本の写真を載せておく。

こちらは宮崎県日之影町のかつての森林鉄道。

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こんな崖に縫うようにつくられた軌道を走った。

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そして日之影町の森林鉄道跡も、今は森林セラピーのセラピーロードになっている。

2022/07/16

献花と花卉産業

今日は甥が訪ねてきたのだが、用件を済ませた後にどうするか、となって「どこか見学する?」。

そこで訪れたのが大和西大寺駅前。。。まだ献花の列は続いているのだ。

私は送って行っただけだけど、現場写真をいただいた。

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若者が多い気がする。もはや連鎖反応的にバズッている感覚。我れも行かねば、という心理が漂う。

不謹慎?不謹慎なのは、安倍氏を利用する政治家だろう。いきなり安倍氏と並んで撮った写真やメールを公開し始めたし、あげくは国葬だそうである。ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相でさえ国民葬だったのに、随分敷居が下げたものだ。そのうち国会議員を一期でもした者は国葬にしようなんて言い出しかねない。

ところで献花とは何だろうか。本来の仏教にはない習慣だ。仏壇や墓に供えるのは供花。献花はキリスト教の葬儀に花を手向けるものだが、それを葬儀業者が取り入れて日本の新たな儀式にしたらしい。私も、身内の葬式で葬儀を案内した担当者の言われるままに棺桶に花を供えた記憶がある。
まあ、絵になるというか、一人一人が何か役割を得るのは儀式としては様になるのだろう。

献花はなんでもよいというが、基本は白い花だ。ユリやカーネーション、キクなど種類は多いが、花屋も頑張って集めたようだ。ちなみに奈良県は花卉の産地であり、多くの花を栽培している。ただ7月はわりと花の端境期ではなかろうか。小ギクなどは夏のお盆シーズンに向けて花を咲かせようと電照栽培していたから、今はまだ少し早いと思うのだが……。ユリも通常ならこれからだ。
それでも葬儀に季節性はなく、春夏秋冬いつでも供給してみせるのが、花卉産業なりの矜持かもしれない。

世間に必要とされたときに必要とされる分だけ提供してみせるというのは、ビジネスであるとともに、関わっているプロならではの誇りである。ウッドショックのこと言ってるんじゃないよ。

 

 

2022/06/22

触る樹木、触る木材 そして触る森

写真は、ニッポニア・ニッポン。トキの模型である。木製だ。

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大阪の国立民族学博物館に展示されていたもの。単なるデコイではなく、足元に書いてある通り「じっくりさわる」ための模型だ。

これを展示しているのは、「触る文化」を提唱しているかららしい。主催者は、盲目の文化人類学者広瀬浩二郎氏だという。

なるほど、盲人は触って対象を理解するわけだ。それは目が見えないからではあるが、この手法を健常者も応用すれば目で見る姿とは別のものを感じるはず。つまり目が見えようと見えまいと、触って理解できる・触った感触からつかめる対象の姿を捉えようというわけだ。

ふと、これを樹木でやってみたらどうなるか、と考えてしまう。樹木の全体像を触るのは難しく、それが森林となると不可能かもしれないけれど、目で見ても森どころか1本の木だって全部を子細に見て理解しているわけじゃない。おそらく全体のごく一部しか目に情報として入っていないはず。高い梢も、地中の根も見ないで、どうして樹木がわかる? 花も葉も一枚一枚違うかもしれないし、樹皮とその下の木肌の違いは?樹液に触ったらどうしよう……。

ようは、人の感覚器官なんぞ対象を全部捉えるわけではないのだから、触覚に頼るのもアリかもよ。加えて聴覚で捉えた森、嗅覚で捉える森もあるだろう。舌で感じる味覚の森も(^o^)。

 

木育は、ここからスタートしてもよいかもしれない。木を見て森を見ずというけれど、木を触って森を理解することもあるはずだ。

2022/06/21

雨の森を歩く

新しい雨具を買ったので、あえて雨の森に出かけることにした。使い心地と機能の確認のつもりで。

考えてみたら、これまで森歩き・山登り中に雨が降ってきたから(仕方なく)雨具を身にまとうことはあったが、あえて雨の日に出かけて歩いてみた経験はなかったような気がする。しかも傘なしカッパオンリー、足元はゴム長靴である。

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場所は生駒山だが、人目がなく、ちゃんと斜面を登り下りのできるルート。平坦な森を歩くだけでは機能は確認できないと思ったから。

さて、結果というと……それが意外なほど快適なのである。正確に言えば、手首の締めつけはきついなとか、長靴の中で足が動くなとか、汗をかけば内側がべとつきベント機能はイマイチかな、などと思うところはある(文句多い)が、森の空間が素晴らしい。そう、雨具ではなく森歩きが楽しかった(^o^)。

ガスで煙る木立、濡れて光る葉の紋様と景色もよいが、雨が身体に当たる音が頬かむり状態なので耳元に音が増幅される。それが幻想的。それに森の中は雨をあまり感じないのだが、時折、枝葉から大きな雨粒がどさり、と落ちてくる。足元の落ち葉混じりの泥も感触がよい。滑らないように注意はするが、カツンと跳ね返る舗装路よりよっぽどよい。急斜面もわりと登れる。草木をかき分けても、雨具がはじいてくれるから顔以外は平気。

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雨の森歩きというアウトドア・アクティビティーになりますな。梅雨シーズンならではの楽しみ方を考えてみたい。

あえて言えば、後の後片付けが大変。単に雨具を脱いで乾かすだけではない。やはり泥や草の葉などが跳ねてこびりついているから水でゆすぐが、脱水かけても効かないから面倒なのであった。

2021/02/02

鬼の国の森のようちえん(^o^)

某森のようちえんを取材に訪れたのだが、本日は2月2日、節分であった。そこで、特別ゲストとして鬼さんが呼ばれていた(^o^)。

鬼役(よーするに保護者が務めるのだけど)は二人いたのだが、なかなかの熱演。一人は裸足で野山を駆けめぐる。痛いし冷たいだろうなあ~。そして、もう一人はイギリス人であった。

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みんなでマメ(代わりのどんぐり)を投げつける。かくして鬼滅に成功したのであった……。

さて、その後、鬼さんのイギリス人と少し話した。と言っても、私は片言の英語しか話せない。あちらも日本語は片言。なんだかんだとわかったようなわからん話をしていたが、だんだん集中力が欠けてくる。相手の英語を聞き取って、また英語の返事を考えるのは辛い。そこで取り出したのが、スマホの翻訳アプリ。これが楽でいいわ。

もっとも翻訳機能はイマイチで間違いも多いのだが、なんとか話を通じさせる。あちらも同じようなアプリを立ち上げたほか、いろいろ検索して見せてくれる。英語の文章だと少しわかりやすい。

「日本には森のようちえんが増えている。イギリスにはあるか」といった質問には、「たくさんある」という答え。そして検索して、なんとイギリスのネイチャー系学校のマップを見せてくれる。どこにどんな学校があるのかブリテン島で示してくれるのだ。とくにイングランドは多い。

ところが「授業料が高いのだよ」という話になって、わざわざ計算して日本円に換算してくれるのだが、なんと1日6300円という金額が出た。さすがにびっくり。1日その手の学校に通わせると6300円なら毎日通わせたら月にいくらになるのか。
ただ、ヨーロッパはみんな物価高で、全体に高いのだろう。その分、給与所得も高い。

ちょっと日本の森のようちえんのような内容というより、環境教育系の専門的な学校(でも、幼稚園や小学校の年代らしい)のようだ。

こんなところでイギリスの教育事情をちらりと知ってしまったよ。

 

2021/01/21

子どもの「遊び」と「遊び場」について

先日訪れた大阪城公園で見かけた施設に、「プレイヴィル」というものがあった。ようするに子どもの遊び場なのだが……。

株式会社ボーネルランドが経営している屋内と屋外の大型遊具を揃えた遊び場だ。このご時世だが、満員であった。ここでソーシャルディスタンスが……とは言うまい。ただ入場料がねえ(^^;)。子どもが30分で800円とか。付き添いの大人も600円取られるし。大人が遊んだ方がコスパがよいぞヾ(- -;)。

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大阪城公園そのものは広くて森林もあるのだが、そこで子どもを遊ばせるのではなく、遊具の揃った場所を求める親、保護者が多いのだろう。また子どもも単に公園内では何をしていいのかわからんのか。

そこで思い出すのが、この前取材にお邪魔した奈良の「森のようちえん ウィズナチュラ」。閉鎖中のキャンプ場を使っているのだが、保護者などがつくった手づくり遊具で遊んでいる。何を使ってどんな遊びをするかは、子どもが自分で考える。

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焚き火もできるし。木に登れるし。ナイフで木を削っている園児もいるし。火と刃物というのは、子どもにとって、どれほど魅力的か。まあ、それを見守る保護者にも、“覚悟”はいるけどね(笑)。それに安上がりだ。毎日がアウトドア\(^o^)/。いや木育と言っておくか。

 

遊び」はなぜ必要か。遊びは、人間だけでなく動物も子どもの時代に必ず行う。イヌ、ネコはもちろんもっと下等なネズミ以下の動物もするし鳥類にもあるようだ。爬虫類や両生類、さらに魚類はどうかわからないが、実は似たことをやっているのではないかと思う。

なぜなら「遊び」の役割は、一つには「訓練・練習」であるからだ。ケンカは敵対者と戦う訓練であるだけでなく、同類との争いでどの程度までなら相手に怪我させずに屈伏させるかという加減やテクニックを覚える意味がある。逆に攻撃を受けた際に身を守る方法も覚えるだろう。

同時に「ストレス解消」と「スキンシップ」の役割もあるはずだ。目一杯身体を動かしたり、わざと仲間にちょっかいを出したり。これを幼児時代に覚えないと、精神面のコントロールが難しくなる。性格形成にも響くだろう。

これらは大人が教えるのではなく体得していくべきなんだな。「子どもは未熟な大人」ではなくて「子ども」なのだから。ルソーのいう「子どもの発見」についても考えてみなければなるまい。「教育は消極的でなくてはならない」なんて言葉もある。

ま、そんなことを考えると、上記のどちらがいい?

 

 

2020/12/03

森のようちえんの焚き火力

森のようちえんにお邪魔した。

私は遠くからそっと見守るというか、眺めているつもりだったのだが、気づいたら子どもらとぐでんぐでんにと遊んでいた……。
思えば20年ぐらい前には私も娘とぐだぐだと遊んでいたのであった。保育園に迎えに行くと、ドトドと子どもらが集まってきて組んずほぐれつ格闘していた。それがフラッシュバックする。トラウマ 今と違うのは体力だな。昔は1時間ぐらい続けても平気だったが、もはや何分持つか。
コロナ禍も考えたら、濃厚接触はマズかったかなあ。まあ、森林療法で免疫力が高まっていたということで。。。

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森のようちえんを一応説明しておくと、屋内施設は使わず野外保育を行う保育活動。主に森というか、自然の中に未就学児童を連れ出して彼らの好きなように過ごさせる。保育スタッフや保護者も交えるが、なるべく、というかほとんど手も口も出さない。危険な行為も、ギリギリまでやらせておく。だからケンカもあれば、転んだり滑ったり、木から落ちたり……。それも、子どもたち自ら経験でルールを決めたり,何をどこまでやってよいのか学んでいくのだという。

で、こんなシーンもあった。

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自分たちで焚き火。ちゃんと燃えるものを集めてきて、マッチで火をつける。大人としては、つい口を出したくなる。「焚き火っちゅーうのはなあ、こうして薪をくべていくんやでえ」。誰も聞いていない(泣)。やっぱり「お口にチャック」なのであった。。。

それでも火は燃え上がり、サツマイモを放り込んで焼き芋にする。想像以上に子どもたちの焚き火力は高い。

森のようちえんの運営者は、「最初は野外保育をやりたくて始めたのだけど、子どもらと一緒に森について学んでいくうちに、日本の森の現状や林業にも興味を持つようになりました」。

私は日本の林業には絶望してしまった結果、これを建て直すには根本の教育からやり直さないといけないのではないか、と思いかけている。そしてそれは、子ども心に焼き付けねば身につかないのではないか、と。

正反対の立場から、同じ所に行き着く。

 

 

2020/10/08

森の幼稚園?森のようちえん?

先日の日曜日、生駒山の大阪側の「むろいけ園地」に出かけた。大阪府立公園の一つで森林公園である。

私はここにある湿原を定点観察の場としているので、ちょくちょく行く。通常は平日だが、今回は思い立ったのが日曜日だった。
いつもはのんびり一人もの思いにふけるのによい場所なのだが、その日はやたら人、それも親子連れが多い。湿原の木道を走り回るなよ……。

最近は湿原が草むらになっている。干上がったわけではないのだが、水かさが増していないのか、草が盛り上がるように繁っている。ツリフネソウとミゾソバの群落ができている。これで湿原としての将来はどうなるのかなあ。

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なんだか人影が多いと落ち着かない。それで早めに退散しようとしたが、「森の工作館」のところに案内板が出ていた。

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なんと、「森の学校」と「森の幼稚園」と「お母さんの自然学校」が開かれているらしい。それで賑やかだったのか?

まあ、それはいいのだが……「森の幼稚園」という名称もわりとポピュラーになったな、という感慨。

もともと「森の幼稚園」とはデンマークで始まりドイツや北欧に広がった野外教育だが、基本は教育機関だ。一般の幼稚園と同じく平日の昼間開かれるものである。ただ、日本の場合は保育園もあるし、無認可の様々な幼児教育・育児サークルもあるし、野外施設の環境教育プログラム、さらに森とは限らず田園や海など野外を使うものもある……ということで広がっている。だから全国ネットワークを作る際は「森のようちえん」と平仮名にしたようだ。

この「むろいけ園地」の場合は、月1回のイベント的な学習会らしい。でも「幼稚園」と漢字(^^;)。しかも保護者も参加するのか。お母さん(お父さんはどうなるんだ!)は別の場所で、改めて勉強?するみたい。森林公園の定期プログラムなのだろう。

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それが「森のようちえん」の理念に反しているとか間違っているとか流派争いをする気は毛頭ないのだが、なんだか定義が広がりすぎたなあ、と思った次第。今は試行錯誤しつつ、いつか収束するのだろうか。それとも、より拡散するのかも。

どちらにしても、指導者・講師の質が問われるね。単に自然と触れさせるだけのものから、自然の見方や環境の概念を身につけさせたり、遊びも児童自ら考えさせる理念のものまで。

その点、林業学校と同じ。

 

2020/08/03

林野庁は教育官庁になる、か?

林野庁は、今月中に「森林環境教育」を推進するための有識者委員会を立ち上げる予定だという。これまでも、森林のガイドになる森林インストラクターや森林セラピストの養成など、多少は教育ぽい分野もあったが、今度はもう少し前のめりの様子だ。
どうも新型コロナウイルス感染(COVID-19)対策から「3密」回避を持ち出したら、自然の中の保育が推進できると思いついたのではないか。

森林を舞台にした環境教育は、これまでもあった。ただイマイチ広がりに欠いているうえ、国レベルの教育分野としては、ちょっと傍流というか白い目で見られてきたと思う。野外体験なんて本来あるべき教育から外れるという声があるようなのだ。
教育とは、ちゃんとした施設の中で席について学ぶもの、という概念が抜けない人たちが多い。森の中で行うなんて、お遊びで教育じゃねえ、というわけだ。たから環境教育というか、「木育の敵は、教育者」(某大学教授の言葉)というわけだ。

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実際、林間学校、臨海学校などで野外に子ども達を出しても、単に遊んでいるだけ、何も学んでいない、と心の奥で思っている「教育者」は多いのだ。楽しく遊んでいては学べないという思い込みというか、自らの受験勉強で刷り込まれたのか。

林野庁としては、COVID-19が起きたのを機に「野外で教育しよう」という機運に乗ろうと考えたのかもしれない。ちょうど今年より始まった新たな学習指導要領でも、自然体験などの体験活動の充実が打ち出されている。

私は、林野庁よ頑張れ、とエールを送りたい。その代わり、もう林業に口を出さないでほしい。目先の対症療法的な政策を打ち出してボロを出すより、森林環境教育、木育を推進する方が似合っているし、効果的。深慮遠謀・長期展望を持って教育に取り組むのがよいのではないか。

そもそも絶望的な日本の林業だが、それを何とかする林業政策はあるのかと疑問に感じる。何をやっても上手くいかない。本気で建て直そうと思うのなら、遠回りでもよいから教育から始めないと無理ではないか、という思いがある。林業現場でも、(潜在的に)森林なんか愛していなくて林業を金づるとしか思っていない人が大半なのだから。打開策は、子どもたちから変えていくことだ。

実は、地方レベルではかなり進んできたのだ。森そのものを園舎とし、森で過ごすことから子ども自ら学ぶことをめざす「森のようちえん」も、全国に増えている。それを県あげて推進しているところも増えてきた。これまでの鳥取県や長野県、広島県に加えて滋賀県、岐阜県も動き出したのである。
面白いのは、これらの自治体では、いずれも最初は林務関係部署が動き出して実現したことだ。文科省につながる教育委員会がやろうとすると、必ず既成の教育者から横やりが入るから、外部の部署が手を出した方がよいのかもしれない。何より、森についての最低限の知識を持ったものがやるべきだろう。学校現場の教師には虫嫌い、土や泥嫌い、ようするに自然嫌い森嫌いが多いから。


もっとも、有識者会議の立ち上げねえ。森林教育の先進事例に関する文献調査や関係団体へのヒアリングから、効果や課題を検証するとか、具体的な教育プログラムの提案まで考えているらしいが……。
その時点で、なんだか自由度の低そうな内容になりそうだ。まあ、しぶしぶ取り組む学校関係者にとってはマニュアルがほしいのかもしれない。教科書なしでは教えられない教師も多いだろうから。

しかし年度末までに新たな教育プログラムを策定する予定らしいが、それだと実質半年、会議はせいぜい3回ぐらいしか開けないだろう。有識者の意見はアリバイ工作で、庁内で案をつくってしまう魂胆か。

なんだか自然観察会みたいな矮小化した森林教育に陥らなければいいけどなあ。思い切りはじけた内容を提案してくれたらよいが。まあ、「期待」しておこう(笑)。

 

2020/07/27

森林セラピー事業の失敗理由?

今、林野庁が力を入れているのは、実は木材生産の増大ではない。というと驚くだろうが、多分興味というかやる気は健康づくりや教育分野などで森林空間を活用する「森林サービス産業」に移っている。これまでの延長で頑張るより、新しいことをしたいという意識が強いのだろう。すでに企業の研修や福利厚生の受け入れ環境を整備するモデル地域も選定したところだ。

しかし、この「森林サービス」の中身を見る常に思い出すのが森林セラピー。約15年前に森林セラピーを提唱し、基地づくりやセラピーロード認定、そして森林セラピーガイドと森林セラピストの資格を作って認定ビジネスにも進出した。この点は、本ブログでも幾度も記してきたとおりだ。
ところが、たまたま目にした森林サービス産業の記事によると、森林セラピー事業が長続きせずに尻すぼみになったことに触れていた。そして昨年度には、有識者検討会で森林セラピーがなぜ上手くいかなかったのかを分析していたのだそうだ。

そんな検討会があったのか。検討会の委員は誰だ。なぜ、私を呼ばなかった(笑)。いかに森林セラピー事業がデタラメで裏がわて酷い現実があったのか告発して上げたのに。

あきれたことに検討会では、集客第一で「顧客が期待する水準に達しない段階からプログラム提供が行われ、参加者が十分満足できず結果として『負のブランディング』がなされた」からだと結論づけたそうだ。

おいおい、それは分析ではなく、言い訳だろう。正確に言えば責任を各基地になすりつけたにすぎない。

集客第一というほど集客できたところがどこにある? そもそも基地の認定取れば、客は幾らでもくる、送り込んでやる、と豪語したのは誰だ。森林地域の地域起こしの起爆剤的な宣伝したのではないか。あげくに森林セラピーの意味をトップがまったく理解していなかった。なんと「森林セラピー基地でリモートワークをしよう」という提案までしていたのだ。

負のブランディングをしたのは、何より森林セラピー研究会(現・森林セラピーソサエティ)ではないのか。藁をもすがるように認定を求めてきた自治体に対して、パワハラを連発し、金をゆすった理事は誰か。人を癒す力のある森か試験をすると称して愚にもつかない実験を実施して、結果が出なくても認定を乱発したのは誰か。上から目線で地元の状況を無視したプログラムを“開発”して押しつけたのは誰か。「マイナスイオンで癒される」というオカルトの宣伝までやった理事は誰だ。

付け加えると、現在の森林セラピーソサエティは、事務局や理事メンバーも入れ代わり、当時とは様相を一新している。そして林野庁の手を離れて地味にコツコツと(^^;)、森林セラピーの普及と運営をしている。
ま、逆に言えば林野庁とは関わりがなくなったから、林野庁は新たに森林サービス産業と名を変えた事業を展開しようとしているのだろう。だが、下手すると「森林サービス産業」事業が森林セラピーの顧客を奪いかねないということだ。なんだか自分らの思い通りに動かない森林セラピーを、切り捨てて潰しにかかっているように見える。

この森林サービス産業が、かつての森林セラピー基地のように利権まみれにならないことを願う。私は、今となっては生き残っている森林セラピー基地の方を応援するよ。

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某森林セラピー基地にある滝。

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