森林療法・森林セラピー

2009/11/05

雨の森歩き

島根では、森林セラピー基地の一つである飯南町を訪ねた。

あいにくの雨……いや、雨の日の森歩きを体験したかったのだ。

実は、これまでの雨模様の天候の中に森歩きをすることはあった。それは、多少仕方なく実施した面もあるが、実はなかなか楽しかったのだ。私は、雨の日こそ、森林療法に向いているのではないか、という仮説を立てている(笑)。

というのも、
雨の音ゆえに、雑音が遮断される。
しかも視界が悪くなるため、遠くの景色がぼやける。
でも目の前の景色は、雨に濡れるためか、清々しい。
濡れるという感触が、五感を意識しやすくする。

もちろん、あまりに雨が強かったり風があると、外界の刺激が強くなりすぎるからダメだが、しとしと、あるいは霧雨のような天気の方が森林療法の効果が高まるように感じていた。

ある意味、日常からの環境を変えつつ外界からの刺激を最小限に抑えるという矛盾した条件で、心の内面に向き合う場として「雨の森」を推奨したい。

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で、実際に歩いてみると、ボソッ、ボソッ、と傘に落ちる大粒の樹冠雨の音が耳に響く。これが催眠効果をかもしだす(^^;)。いや、寝不足だったからか。

狸の溜め糞があった。なんでも熊も出たらしい。これは、癒しには困るが。

標高が500メートル越えるらしいので、下界より一足先の紅葉も訪れていた。

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足下の黄葉。

                                                                                                                                                

30_2 ともあれ、飯南町は山陰気候で雨の多い土地柄。それなら雨の森林療法を売り出すのにもってこいだろう。

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2009/08/26

上原巖氏の講演

Photo今日は、奈良県川上村の「森と水の源流館」主催のシンポジウムに出かけてきた。

                                                  

昨年度は私が講演・対談を行ったのだが、今年は森林療法創始者の上原巖氏が講演を行う。これは聞き逃せません。

始まる前に挨拶したのだが、その際に「森林療法と森林セラピーの違いは話しますか」と聞いてみた。返事は「ええ、少しは」だった。

言いたいことは山ほどあれど、さすが人柄、オブラートに包んだように話すんだろうな、というのが私の想像だった。

さて、講演が始まると、なんと初っぱなから「森林療法の経緯」を話しだした。どのように森林療法がスタートして、どんな風に進展していったか。そして森林セラピーが突如として?登場したこと。
それまでは、細々ながら医療・福祉の見地から研究を進めてきたのが、セラピーと名を変えると村おこし、地域活性化策が主体となってきたこと。そして活性化策となると、お金が動めくこと……。

う~ん、すごい。私なんかよりズバリと本質をつくではないか。

そして森林セラピー基地でも、うまく行っているところとうまく機能していないところの差もスバリ指摘した。しかも、「会場には、森林セラピーで村おこしを考えている方も多いでしょうね」と釘をさす。いやはや、強烈である。
こうした話が、全体の3分の1に及び、それから本題? の森林療法に入るのである。

なお、これは内輪で聞いたことでもあるが、彼は森林療法と森林セラピーを分けているだけではない。森林療法の中でも分裂が起きているのだ。まさに森林療法を医療として取り組む側と、生業としたがる人の側に。

しかし、よかった。私は久しぶりに観客側に回ってのシンポジウムだったが、感動した(^o^)。

上原氏の話し方は独特である。その抑揚は、個人の癖なのか、あるいは。カウンセリングの技術として身につけたのか、催眠効果があるように引き込まれる。 よくいるプレゼン名人のような流暢なしゃべりではなく早口でもあるのだが、ストンと理解が胸に落ちる。
さらに質疑応答では、かれは壇上から下りて会場を歩いて質問者の側まで近づくのだ。大勢の会場で手を挙げにくい人への配慮だろうか。これはたまりません。私もやってみようかな(~_~;)。

ここんところ原始クナイプ療法だ、フラワー療法だと、アブナイ系を紹介してきたが、ようやく王道であり本物に触れることかできた気分。

実は、東京の某テレビ局から割り箸に関する番組を作るから出演してくれないか、という依頼があり、その収録日が今日だった。しかし、「先約があります」と断っての参加である。でも、こちらを優先してよかったかな。

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2009/08/23

フラワー療法

今日はお休みのつもりだったのだけど、クナイプ療法で盛り上がった? ので、やっぱり書こう(^o^)。で、取り上げるのが、フラワー療法だい!

ご存じか? フラワー・レメディーとか、フラワー・エッセンスともいう。考案者のエドワード・バッチ博士の名をとって、バッチ・フラワー療法なんて言い方もするらしい。今から約80年前に誕生した。

ごく単純な紹介の仕方をすると、花から取り出したエキスを利用して、人間の感情や体調を整えるヒーリング・システムだ。
花のエキスと言っても、アロマではない。取り出し方には、サン・メソッド(太陽法)とボイル・メソッド(煮沸法)がある。花の摘み方や時間も重要なのだが、ようするにミネラル・ウォーターに花のエキスを転写させる。そのエキスって何かというと、花に含まれる成分ではない。花が持っている波動エネルギーなのだ!!!!

このようにして作ったフラワー・エッセンスを水で薄めたり、スポイトなどで服用する。花によって様々な効用があるという。この後は私にはついていけない世界なのだが、バッチ博士は、38種類のフラワー・レメディーを開発している。だいたいにおいて、マイナス感情を振り払う機能があるそうだ。カウンセリングもあって、自分に合う花を見つけることが大切だとか。

なお、このエッセンスの成分を調べたところ、何ら意味のある物質は含まれていなかったという。あくまで波動エネルギーなのですよ(笑)。

なんで、私がこんなことを知っているか。

実は、『森を歩く 森林セラピーへのいざない』を出版してから、このフラワー・レメディを日本で広めるために頑張っている女性が接触してきたのでした。彼女は、大いに森林療法に関心を持っていて、本当は施療する予定だった。当日が雨だったのでやらなかったが。やっていたら、私も森林セラピストとしてデビューしていたかもしれない(笑)。

まあ、その前に、私が森林療法に波動とかスピリチュアルなものを持ち込むことを断固否定したから、興ざめしたのかもしれないけれど(⌒ー⌒)。

ほかにもスピリチュアルなことに興味のある人が、森林療法に関心を示す例は多い。それが自己啓発セミナーへとつながるのかもしれないが……。どこか両者に親和性があるんだな。

だから私は、最近は森林セラピーはもちろん、森林療法という言葉も不用意に使わないようにしている。あまりに効果を重視しすぎて、森歩きの楽しさから遊離してしまいそうだからだ。かといって、森林浴では、ちょっと古い感じ。

で、今度、好日山荘の発行する雑誌?冊子?新聞? 「グッディ」で連載することになったのだが、そこでは「森林ウォーカーズ」という言葉を使うことにした。 森林療法ほど重くなく、森林セラピーほどいかがわしくないでしょ。東京ウォーカーと同じノリ。

ん? これを「森林を歩く人々」と訳さないでくださいよ。「『森を歩く』を読んだ人」という意味ですからね(~_~)\(-_-メ;)。

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2009/08/22

原始クナイプ療法

先日の山村視察の一団に、クナイプ療法の専門家がいた。

クナイプ療法を、森林療法の原型のように思っている人がいるが、基本的に、というか全く別物である。上原巖氏が後に森林療法と名付ける森林散策の研究をするために、たまたま訪れたドイツのバート・ヴェリィスホーフェンがクナイプ療法発祥の地であり、たまたま森林散策がクナイプ療法の運動療法の一部として取り込まれていたから、勘違いが起きた。
本当のクナイプ療法は、主に水療法。そして運動は、ゴルフでもテニスでもいいのだよ。森林散策は、クナイプ療法というより、近代を迎えた中欧に広がったワンダーフォーゲルや、ワンデルン・シューレの流れを汲んでいると、私は思う。(詳しくは、拙著『森を歩く 森林セラピーへのいざない』を参考

なお公的機関が主催した「森林療法の本場を訪ねる旅」というヨーロッパツアーでは、「金返せ!」という声が出たという(笑)。ま、森林療法をマジメに考えていない機関が森林療法の窓口になったゆえの企画だからだろう。

ところで、視察した某山村でクナイプ療法に絡んだツアーはできるか、という問いかけには、設備がないから無理とのことだった。ただし、クナイプ神父が試みた当初の療法は、川辺などで行う原始的なものだったらしい。そこで「原始クナイプ療法を体験してみませんか」というツアーなら可能かも、という話になった。

その話に興味を持って、クナイプ療法事始めを少し調べてみた。すると、なかなか凄まじい代物だった。

                                                           

今から約150年前に、カソリック神父(の学生)だったカプラン・セバスチャン・クナイプは、アルゴイ地方で、自分で考えた妙な療法を地元の人々に施していた。彼自身が患った結核を治すために考案し、治療に成功した方法である。
だがクナイプは、現地の医師、薬剤師、そしてカソリックの信者たちから「エセ医療」を行っていると訴えられた。教会本部は、幾度も注意したが止めないため、彼をバート・ヴェリィスホーフェン村の修道院へ異動させた。まあ、左遷ですな。

そこでは農業を研究するように命じられたのだが、彼はそこでも民間療法を実施した。

その中身はスゴイ。病気が結核であろうがコレラであろうが、基本は冷水を体に浴びせることだ。また小川の冷水に足や手をつけさせる。冷水で痺れてくると外に出て、温水を浴び、さらに冷水……。ホースやバケツで体のアチコチに水を浴びせることもする。いずれも症状に合わせた処方を行って行うものだ。
そのほか冷水や温水で濡らしたタオル、あるいは蒸しタオルを患部に巻きつけることもする。真冬のドナウ川に飛び込ませたり、体が動かなくなった老人に薪割りをさせたり、農地を耕すよう命じることもあった。さらに修道院では薬草を栽培させ、ハーブティーを作って飲ませることも行った。

ようするに水と薬草、そして運動を組み合わせた代替治療法なのである。

                                                         

どうしてこんな療法を思い付いたのか? どうやら根本は、神学校で読んだ神学書の一文「新鮮な水の治癒力」を信じた信仰の実践だったらしい。
宗教的行為が治療法の源流となれば、今ならカルト教団の怪しげな療法として指弾されるだろう。ライフスペースの成田ミイラ事件も、治療の一環として行われた結果だし、オウム真理教も温熱療法と称した独自の治療行為を行っていた。

ただ相手としたのは、医師にかかれない貧しい人々や、不治の病の患者だったことが、現代の宗教や金目当ての民間療法と一味違う。中南米で、貧民に安い東洋の鍼灸治療が広がっている事実と似ているかもしれない。

村には全国から時に1日に300人もの患者が訪れたというが、クナイプはそれぞれの症状に合わせて異なる処方を指示して治療に成功したらしい。おかげで村では、老若男女とも、足を濡らして裸足で歩いていた……と伝えられる。

結果的にクナイプは有名になり、今やドイツではクナイプ療法は認められている。そして科学的な研究も行われた。だから現代のクナイプ療法は、無茶はさせない。

ちなみに、某山村で原始的クナイプ療法を行うとしても、厳冬期の川に飛び込ませるわけには行かないなあ(笑)。

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2009/08/19

森林療法で自己啓発?

森林療法・セラピーについてのタレ込み情報があった。

それによると、某セラピー基地の地域で開かれたセミナーでは、講師が「受講すると店の売上が伸びた!」という事例集が配ったそうだ。

??? なので、その講師について少し調べてみたら、結構有名人らしい。本も書いているし、テレビも多数出演。森林セラピーのガイドほか様々な自然ガイド? 自然療法ガイド? をしているようだ。
ところが、彼のセミナーでは、癒されたうえに、仕事がバリバリできることを宣伝しているのだ(@_@)。受講後は、身体からやる気のオーラが漂うらしい(笑)。しかも、一度や二度ではなく、繰り返しセミナーに参加すると効果が出るとしている。

これって、自己啓発セミナーじゃないのか?

精神修養セミナーともいうが、性格を変えてやる気を出させたり、前向きに人生を歩けるようになる、というのが売り物。一部に心の癒しも含むらしいが、基本は「殻を破って、新しい自分に生まれ変わる」ことである。特定の刺激を与え続けることで脳内麻薬を発生させて、別人になった、と勘違いさせるものだ。
以前はよく会社の社員研修にも使われた。しかし、いわゆるマインドコントロールや洗脳に近く、神経をおかしくする人が続出したうえ、主催者は、中毒(依存症)になった受講者を高額のセミナーに勧誘し続ける(また本人も抜け出られない)有り様になった。そのため社会問題にもなったのである。

加えて、セミナーの内容がオカルトぽくなる傾向がある。また宗教的になることも多い。もちろん、お金儲けが一番の目的であるが。一時期、成田のミイラ事件で有名になったライフスペースも、この自己啓発セミナー団体だった。

どうやら、この種のセミナーと森林療法を合体させようとしている動きがあるらしい。

とくにセミナー講師を生業とすると、いかに世間の耳目を集めて客を増やすか考えないといけない。勢い流行を追いやすい。その時々の人気の癒し要素を盛り込んだメニューを作りたくなるのではないか。

精神系のセミナーは、一歩間違えると非常に危険なものなのだが、それが森林療法の世界にも侵入しているとは。しかも、森林セラピーともなれば、たいていお役所がらみ。つまり公的な機関が、後押ししていることになる。

そう言えば、以前には森林総合研究所の報告書として、森林のマイナスイオンを測定(^^;)をしている論文を見せていただいたことがある。ようするに森林療法の効果を説明するのに、当時流行りのマイナスイオンを利用したのだろう。今や、まったく流行っていないが……。いずれにしても、林野庁系団体もオカルトに手を染めていたわけだ。

心を穏やかにする療法が、「心を強制的に入れ替え、別人になることで悩みを忘れる」方向に向かってどうする。

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2009/08/16

森林療法「みんなの森」

梅雨が明けたと思えば台風の悪天候が続き、ようやく夏らしくなったかと思えば、立秋。早くも夜には涼やかな風が吹く。昨日は、お盆に終戦記念日ということで、世界平和を願って拙ブログもお休み……なんてことではなく、単に忘れていただけ(^o^)。

以前、森林療法創始者である上原巖氏が、NPO法人日本森林療法協会の理事長を退任したことを知らせた。上原氏は、その後、新たな森林療法を普及するための団体として、  「みんなの森」を立ち上げている。

そのホームページは、次の通り。
http://www.geocities.jp/ueharaiwao/

なぜ、協会を退任したのか、新たな運動体を設立したのかについては、はっきりと語っているわけではないが、よく読むとわかってきた。

「みんなの森」では、それぞれの地域にある森林・山林での活動や休養を通して、森林と人とのコミュニケーション、人と人のコミュニケーションがより良い形で取れる時間が過ごせるような機会と場を作っていきます。森林療法もこの中に含まれます。

また、現在の長期の不況のもと、森林療法に関心があったり、興味がありながらも、様々な会の入会金や研究会、体験会の費用を払うことができない方も世の中には大勢見えます。 けれども、必ずしもお金を支払わなければ森林での保健休養や森林療法はできないというものではなく、また、特定の団体に属している人だけがそれらを享受できる資格や特権があるわけではありません。

もちろんある程度の団体の組織運営を行うには、お金を集めることは必要なことだと思います。 しかしながら、そのような営利や事業拡大のような路線は選択せず、どなたでも広く市民が心のよりどころとなるような機会と場を、できる範囲でささやかながら作っていきたいと思います。

(中略)

自分の身の丈にあった森林療法の活動の原点にもう1度はじめから戻ろうと思っています。そして、ずっと前から自分を必要として待っていてくれた森や、また多忙な毎日の中で置き去りにしてしまっていた森、人々のところに帰ろうと思います。

やはり森林療法協会では、路線対立があったようだ。辞任したのは理事長である彼一人ではなく、全部で6人の理事も一斉に退任しているのだから。

その対立は、大雑把に言って「着実推進派」と「事業展開派」だそうだ。
一つのテーマを、理念を大切に内実の充実を図ることを重視する考え方と、規模の拡張をめざす考え方の差である。

その点を次のように記す。

地域の森林で、地道で、素晴らしい実践を積み重ねていらっしゃる方もいれば、いちはやく事業・営利としての展開をはかりたい方、広告・顕示も含め、ご自身のアイデンティティとしたい方、すでに「森林療法」が生業として必要な方も中にはおみえのことでしょう。

わかるなあ。私も、各所で同じことを感じているもの。

別に理念を重視すればよいというわけではない。理念とは、何も理想論だとも思わない。むしろ広く目的を達するために必要なものだ。目的と言ってもよい。 しかし、事業ばかりに目を向けると、本質から離れてしまう。

たとえば日本の森林を美しくしたい、という理念(目的)のために、林業振興を行うとしよう。これは手段だ。新しい考え方の施業や商品開発を行う。そして、その方法を広く世間に知らしめて、みんなで林業を活性化すれば結果として森林が美しくなる…… 。

ところが往々にして、振興事業そのものが目的と化してしまう。自らの事業の拡大をめざして、他の林業事業体あるいは林業地を敵対視したり、自らの利潤を上げるために、本来の「日本の森林を美しくする」という目的をないがしろにする。
売れる商品を作り出したら、その作り方を囲い込んで他者に教えない、国産材を使って作るはずが、より安い外材に替えて、製作も中国に下請けに出せば、より儲かる……なんてことを考えてしまう。また事業体の施設や規模の拡大を望む傾向もあるようだ。あるいは関係者が、自己の肩書として利用する動きもある。いわば自らの満足を得るための事業展開になってしまうのである。

ともあれ、森林療法にも、さまざまな流派? 教義? ノウハウ? を持つところが現れて、分散し始めたのだろう。すでに森林療法から森林セラピーという狭義のカテゴリーができて、、それに属さぬ森林療法団体が登場していたが、さらに違った考え方を元に、その中でも分かれ始めたことになるだろうか。

これは、どんな世界でも起こることだ。すでにチェンソーアートの世界で、これが進行している。もはや地域づくりの手段としてのチェンソーアートを唱えても、誰もあまり耳を貸してくれない(~_~;)。完全な趣味あるいはビジネス、さらに芸術、自己実現、事業欲の元に拡散してしまっている。 こうした段階を経て、ポピュラーな業界になっていくのだろうけど。

しかし、森林療法界は早い。私は、もう少し後(数年後)に始まると思っていた。これでは拙著『森を歩く 森林セラピーへのいざない』の内容があっという間に古くなるじゃないか(苦笑)。

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2009/08/04

露天風呂の森林セラピー

和歌山からもどってきた。

今日は午前中に取材を終え、どうせならと新宮から十津川村に入って、奈良を北上するルートで帰る。(ただし、葛城市からまた大阪に出て、再び奈良に入るという変則ルートだけど。)

そして、十津川を通るなら、やはり源泉掛け流しの温泉につからねばならない、という強迫観念で公衆浴場「滝の湯」に入る。日帰り客向きにオープンしている温泉だ。

まずは内湯に入るが、その奥に扉があり、「露天風呂」の文字が。当然、引き寄せられる。

で、扉を出ると階段が下に伸びている。下りていくと、野外に出て、スリッパを履いてまだ進む。露天風呂は見えない……と思っていると、また階段。もちろん野外だ。どちらかというと、山の斜面を下る遊歩道的。おいおい、どこまで下るんだよ、と思いつつ進むが、この間、もちろん裸である。そして周りは森である。一応、タオルは持っているが、何にも身繕うことなく、真っ裸で森の中の階段を進むのである。
途中、上がってくる別の客とすれ違ったが、まあ気にすることもあるまい。

ようやく谷底に下りると、ありましたよ、露天風呂。すぐ下が渓流で、滝になっていた。

滝の音を聞きながらゆったりと浸かる。

そこで思い出した。

昨年の今頃、取材で歩いた全国各地の森林セラピー基地のことだ。『森を歩く 森林セラピーへのいざない』に紹介した基地群は、その後も増え続けているが、実はまだ内実が伴っていないところが多い。そこで早急に整備しないといけないのは、森林セラピーメニューだ。

それぞれ各地の基地ならではの、セラピーメニューを作ることが、基地の特徴を出す近道なのである。私も、取材の後半戦に入ると、逆に「どんなメニューを作れるか」一緒に考えるようになっていた。その中で「石のセラピー」を提案したり、トンネルを利用した「暗闇のセラピー」を考えたりした。(それを採用してくれるかどうか、知らないけどね。)

そこで思い付いた。「裸のセラピー」はどうだ! 裸で森林を歩くのである。解放感の極みではないか。もちろん、いきなり裸になりにくいのなら、露天風呂を利用するのが一番だ。木に囲まれた露天風呂までの路を、脱衣場から裸で進むのである。

裸では緊張して、癒されない?  そんなことはない。そもそもセラピー、つまり癒しを得る過程は、くしゃみに似ていると感じていた。鼻をムズムズさせながら緊張を高め、クシャン! と吐き出すことで心身を緩和させる。「くしゃみ」がおかしければ、「笑い」でもいい。最初に緊張があって、どっとゆるむ感情こそが笑いなのだ。

だから、裸になって、緊張しつつ、森の中を進み、やがて解放感いっぱいになり、最後に露天風呂に飛び込んで、一気に癒されるのである(^o^)。

外国にあるヌーディスト・ビーチなんかも、同じ効果を狙っているんじゃないかなあ。

日本では独りで行う方がよいが、同性なら、裸同士でいいんじゃないかなあ。ちなみにこの温泉、女湯は覗いたわけではないが、同じく谷の下に露天風呂があるよう。

どこか、この森林セラピーメニュー、採用しません?  

                                                         

032 写真は、全然関係ない十津川で食べた釜飯。

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2009/07/02

森林セラピー検定の結果発表

いつのまにか、森林セラピーガイド、森林セラピスト検定試験(正確には、森林セラピー検定2級、1級らしい)の結果が発表されていた。

と言っても、私が受験したわけではないので、何もわかんない(^^;)。合格率も内容も示されていない。ただ、受験番号から推測するに、2級、1級とも、ざっと1300人以上が受験して(多分、同じ人が両方受験するケースが多かったのだろう。1級だけ受けるとは思えない)いる。そして合格者が528人、153人となる。この数字をそのまま使えば、2級の合格率は、約40%。1級は、合格率10~11%か。ただ受験番号は欠番もあるし、申し込んでも実際に受けなかった人もいるだろう。

実は、前回検定試験について、中身がわかんない、と書き込んだら、詳しく報告してくれた人がいた。それによると、2級、1級受験者数は、648人、336人だったという。 こちらの数字を使うと、合格率は81%と46%程度ということになる。

2級の合格率が半分以下だと、かなり厳しい数字なので、後者が実勢ではないか。

ただ、問題なのはこの後で、決して試験に合格したからといって、すぐにセラピーガイドやセラピスの認定資格をくれるわけではないらしい。

2級合格者は、9月にインターネットによる認定講習を受講して、ようやく「セラピーガイド」に認定される。 これは講習だけだから、受講さえすればいいのかな。でも受講料は1万5000円。

1級の合格した人は、まずインターネットによる講習を受けた後に、10月に1泊2日の認定講習を受けたのち、論文ならびにもう一度試験を受けなくてはならない……。もちろん合格しないと、森林セラピストにはなれない。
これらの講習や試験は、もちろん有料である。3万円とか。当然試験会場に泊まり掛けだろう。地方の人にとっては交通費・滞在費を考えるとかなりの支出になる。

しかも、資格を取ったからと言って、すぐに何かに使えるわけじゃないしねえ。

逆に言えば、これらをクリアして、「俺は森林セラピストだ!」と名乗られても、なんと応答すればよいのか……。

待てよ。セラピスト研修の開催地になれば、かなりのお金が落ちるぞ(^^;)。100人くらいが滞在する(試験官も含めれば、もっと増える)と、その地域にとっては結構な経済効果が見込めるのではないか。

と思って調べると、予定地がわかった。

西日本---福岡県黒木町森林セラピー基地を予定
東日本---神奈川県厚木市森林セラピー基地を予定

どちらもオープンまもないところだが、よい講習場所になるのだろうか。

ともあれ、今後は森林セラピー基地およびガイドの競争と淘汰の段階に入るだろうな。

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2009/06/08

森林セラピー資格試験

森林セラピーガイド、森林セラピストの資格認定試験が、昨日7日に行われたようだ。

内容は50問4択だとういが、私にはまったくどんなものなのかわからない。一般教養的なものから、医学的なものまであるのだろうか。もし受験者がいたら教えてほしいものである。
また初めてだけに、合格率も、合格ラインもわからないのだろう。結果発表は6月30日

ところで森林セラピー基地も、この春から新認定されたところも出ている。たしか昨年よりも4つばかり増えたのではなかったっけ? さらに昨年までに認定を受けたところが、受入れ準備を終えて、次々とオープンし始めたようだ。

いよいよ森林セラピーは新段階を迎えたと言える。これは、すべての政策において言えることだが、賛成反対、毀誉褒貶、いろいろあっても、いざスタートした限りは、うまく稼働してもらいたいものだ。反対運動の果にダムを造って、でもそのダムに欠陥があって水も溜められません……なんてことになっては、何もかもが無駄で虚しい。

このブログでも、問題点などは指摘したつもりだが、森林療法自体の価値は私は認めている。また基地に選ばれた森林は、いずれも十分魅力的だ。この認定は、魅力ある森林の認定でもある、と思っている。
それだけに森林セラピー基地も森林セラピーガイドもうまく成功させてほしい。そして、願わくば『森を歩く 森林セラピーへのいざない』も売れてくれないと(^o^)。

一方で、創始者である上原巖先生が、この春NPO法人日本森林療法協会の理事長を退任された。どうした事情か知るよしもないが、その点からも新しいステージに移った感がある。

おそらく、今後は個人の思いや林野庁の意図をすっ飛ばして、事態は進行するだろう。不特定多数の人が絡んで作ったムーブメントは、常に想定外の方向へと進むのだ。その点は、チェンソーアート事情と似ているかもしれない……。

私は、資格を取るつもりは毛頭ないが、いっそ資格を作る側に回るか。
森林ウォーカーズ認定試験なんてのはどうだろう。森を歩く際の足の運び方手の動かし方を微に入り際に入り規定する(^^;)。3級から1級、特級まであり、さらにアドバンスコースとか、マスターコースも設ける。最上級になると、道なき森の中を音を立てずに秒速20メートルで進める……とか。

漢字検定のようには行かないかねえ。

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2009/04/15

森林セラピー元年?

昨日の記事に続くが、こんなサイト記事があった。マイコミジャーナル

日本に「森林セラピー」は普及するのか--第1回 森林セラピーガイド・森林セラピスト試験迫る
1 今年は森林セラピー元年?

第1回とあるから、まだ続くのだろう。また別に「ヘルスツーリズム」を紹介していて、信濃町ルポも付いている。なかなか筆者は力を入れているようだ。

そうか、今年は森林セラピー元年だったのか(^o^)と思った。

たしかに6月には森林セラピーガイドや森林セラピストの検定試験もある。本当に大丈夫か? と思える点も多々あるのだが、始まってしまったのだから、もう後戻りできまい。

ただ資格のうんぬんよりも、前回に触れたとおり、現場でそれが活かせるかが心配。いくらセラピストが「5人まで」と言っても、本当に5人で打ち切れるのか。そして作ったメニューを実行に移せるか。

私自身はガイドでも何でもないが、取材を通してその難しさを感じている。

もっとも「森林セラピーでは、何の知識披露や解説、おしゃべりもなく、ゆっくり被験者に付き添うだけ」という考え方もあるので、それは楽かもしれない(^o^)。

ともあれ゛資格認定試験は6月7日である。どんな要項で受験できるのかは、調べていない。でも、いくら資格を取っても、森林セラピー基地がないと使えないんだけど。いくら合格しても、勝手に肩書に使うことは禁止されているんじゃないか。

記事の結びは、「仕事でのストレスで心やからだを壊す前に、森林セラピー基地に滞在して心身ともにリフレッシュするというライフスタイルは、もうじき当たり前のことになるのかもしれない。」とあるが、本当にそうなるだろうか。

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2009/03/30

森林セラピー基地の閉鎖

突如、北海道唯一の森林セラピー基地「山﨑山林」の閉鎖が伝わってきた。

拙著『森を歩く 森林セラピーへのいざない』でも、紹介しているのだが、ここはセラピー基地唯一の民間事業体。道東鶴居村の258ヘクタールに及ぶ森林を利用した基地なのだが、ここを所有・経営するのは株式会社北都である。

1日1組しか受け入れないという方針で、広い森林を独り占めできる感が魅力だった。加えてアイヌの遺跡や釧路湿原に面する立地、エゾジカどころかタンチョウヅルも出る環境だ。

閉鎖と言っても、森林セラピー基地の認定が取り上げられるわけではない。ようするに人を入れて案内する事業として行うのが難しくなったということだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/yamazakisanrin

これまで一人で切り盛りしてきたマネージャーは、今後山﨑山林の周辺部で個人の資格で森林セラピー事業を続けるという。無念だろうが、

なぜ、閉鎖なのか。実は、本業が厳しくなったからだ。

北都は、林業会社である。主にカラマツなどを道内の合板会社に納入していたようだが、それが金融危機で立ち行かなくなったのが原因だ。森林セラピー事業を支える余裕がなくなってしまった。不景気のあおりが、こんなところまで押し寄せるとは。

森林セラピーは、収益事業として維持するのは、非常に難しい。私か感じていた懸念は、まさに的中した。どう見ても、今のところは持ち出しだからだ。それは民間だけでなく、むしろ自治体の方が赤字額は大きいだろう。

これで民間には無理と判断されるのは悔しいが、私は、むしろ個人事業の方がまだ可能だと思っている。一人のガイドの食い扶持くらいならなんとかなるかもしれない。むしろ自治体主導の場合の方が財政的に大変になるのではないだろうか。

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2009/03/23

森林療法は、里山か原生林か

毎日新聞の「余録」に、今森光彦さんが、第28回「土門拳賞」を受賞したことに触れて、「里山」を紹介している。

今森さんの受賞に関しては、「あれ、まだ取っていなかったの?」と思うほど順当だ。里山をあそこまで美しく表現した功績は素晴らしいものがある。実は、今日書いていたのは里山に関する記事だったもので、余計に考えさせられた。

ほんの少し前まで、美しい森と言えば「原生林」だった。人の手がはいらない世界こそ、美があるという概念が強くあった。だが、本当に人にとって美しく感じる景観、心癒される風景とは何かと考えると、原生林のような世界は少々きつくなる。混沌とした世界は、すぐに人を受け付けないのではないか。あるいは厳しく刺さってくるのではないか。
想像だが、重篤な鬱症状の人は、原生林で森林療法を試みない方がよいのではないか、とも思う。

逆に、里山を歩くと心穏やかになるが、刺激は少ないかもしれない。景色が概して静かだし、格別珍しいものを見ることもない。リフレッシュして、明日からの“戦い”に向かおうと思っているビジネス戦士?には物足りなく感じる人もいるだろう。

これは『森を歩く』執筆の際にも、悩んだところだ。歩いた森林セラピー基地には、原生林を活かしたところもあれば、里山景観のところもある。天然性二次林もある。木がない世界もある。それぞれを、どのように紹介するか、どんな読者がどの森に行きたくなるか、書き方によっては誤った森に誘導することにならないか……。

ちなみに、本書の担当編集者は、同行取材の際に、某基地の現地ガイドに「あなたには森林セラピーは必要なさそうですね」と言われたそうだ。たしかに、パワフルな人だからなあ(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)。よくぞ、森林セラピー本の企画をしたものだ。でも、当人は、「木のない草原の写真が好き」と言っている。案外……なのかも。

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2009/03/20

もう一つの森林療法

今、森林療法という言葉が少しずつ市民権を持ちつつある。

その内容は、森林を散策したり森林内で何か軽い運動をすることで療養や教育、福祉に役立てるものだ。

しかし、この定義とは違う、もう一つの森林療法があるらしい。実はこのことを『森を歩く』執筆中に気づいたのだが、話が混乱するので触れるのは止めた。その話をここで記そう。

まず、森林療法という言葉を最初に使ったのは誰か。そして、どんな意味だったのか。

一般的には、現・東京農大の上原巌氏が使いだしたものである。

まず森林療法の原型としてのクナイプ療法がある。これはドイツで広がっている自然療法の一つで、クナイプという人か創始したからこの名が冠しているが、その中の運動療法は森の中を歩く。それを森林療法と呼んだのではないか……と考える見方がある。つまり、上原氏を名付け親とするわけだ。研究を始めたのが1993年だという。

これは、そんなに的外れではない。園芸療法や音楽療法など、さまざまな「療法」が世間に登場する中で、森林の保養機能の研究をしていれば、森林+療法という言葉を思い付くのは自然なことだ。

ところが、1983年発行の「森の不思議」(神山恵三著)の中に,森林療法という言葉が登場していた。この本は、上原さん自身が研究にも大きな影響を与えた本である。

そこには「ドイツのバート・ノイエナールで森林療法の名の元に」行われている療法があることを記してある。

ただし、その内容は、現在の森林散策的なものと少し違う。

森の中のバンガローに体を横たえて休み、たっぷりと森林の空気を吸い込んでくる、というものなのだ。

運動をするわけではない。むしろ神山氏の専門である大気療法に近い。

こちらの森林療法の説明は少なく、実態はよくわからない。しかし、まったく新しい造語ではなく、しかもやることも違った療法がもう一つあったことを覚えておいても、トリビアになるよ。

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2009/03/19

森林療法は途上の学問

これまで幾度か記してきたが、森林療法・セラピーは、まだ途上の学問である。

まず、森林療法の効果は、それなりに認められている。その裏付けとなるデータも集まりつつある。血圧や心拍数、自律神経活動、ストレスホルモン(唾液中コレチゾール)活性、副交感神経活動。また免疫機能に関わるナチュラルキラー細胞の活性……。

いずれも有意差が認められる結果となっている。だから、科学者集団であるはずの森林セラピー研究会のメンバーも発表したのだろう。

ただ、よくよくデータを見ると、ちょっと心配だ。何百人も調べたとあるが、実は同じ時期に実験したのではなく、それところか森も違う。当然、被験者の条件も違う。森の種類も北海道から沖縄まで全然違う……。こういうのを一緒くたにして数字に変換してはいけないなんて、科学実験のイロハだろう。
かといって、一カ所の実験では12人の被験者しかいず、これまた統計的に耐えられない。

もともと条件のバラツキが多すぎる森林と人間は、実験データを取るのに無理がある。

だからといって効果がないというつもりはない。数字ではなくても、全体の傾向を読み取ることはできる。概ね、森林を歩くことによってリラックス効果と心身の活性化に役立っていると見て大きく間違っていないはずだ。

そこで、考えてしまうのは、やはり「なぜ効くのか」という原因だ。実は私も、その点にこだわった。

少なくても、「人類の歴史500万年のうち99%を森で過ごしたから」という理由で説明したくない。なんとなく納得する人もいるだろうが、疑似科学の世界だ。それこそ獲得形質は遺伝するのか? なんて議論に成りかねない。

そこで私も悩んで、そもそも「疲れとはなんぞや」という点から勉強するはめになった。
そして「脳疲労」という言葉に行き着いた。

それを本書には仮説として提示したわけだが、一つの考え方として受け取ってほしい。もしかしたら新たな説明がそのうち登場するかもしれない。

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2009/03/18

森林療法は、地域づくりの手段になるか

これは『森を歩く』の裏話にもなるのだが、最初の企画時に読者層を考えた。

私が設定したのは、「森林療法・セラピーで癒されたいと思っている人レスを溜めている人、何かに行き詰まり打開策を探っている人……」が読む本だ。内容も、森を歩くことで心身をよくするためのハウツウを含めた。

当たり前だと思われるだろう。森林療法をやりたい人向けに出版するなんて。ところが、そうでもない。これがなかなかの難物なのである。というのは、現実に取材するのは「森林セラピーを地域づくりの手段にしたい人々」が大半であり、話もそうした視点になりがちだからだ。彼らは、森林セラピーはビジネスとして成り立たせなくてはならないと思っている。
だが、その視点はセラピーを体験したい側と、まったく違うのである。

被体験者にとって、森林セラピーが地域づくりに役立つかどうかなんて、どうでもよいことなのだ。むしろ、そんなことを微に入り際に入り内幕を記せば、興ざめだろう。どうせ森林セラピー基地の人らは、おれらの懐を狙っている……なんて思ったら癒されるわけない。
だから、私も本書では、ほとんど触れなかった。

だが、取材先では経営手法について意見を求められることもあった。実際、全国各地の森林セラピー基地はもとより森林療法地を歩いて来たので、ミョーに評論家的・アドバイザー的になる(笑)。

でも、結論としては、森林療法・セラピーは、経済的な地域づくりにはならないのですよ。
みもふたもないことを書いてしまったが、原理的に無理。

だって、森林療法で受け入れられる人数は、限度がある。たくさん受け入れたら癒されない。一人のガイドにつき、せいぜい5人。たまにイベント的に10人以上受け入れているところもあったが、それでは本来の森林療法になっていないだろう。しかし、5人以下ではガイドに人数からも経済的効果は小さい。ガイドの日当がせいぜいで、それも本業をほったらかしにした代償になるか心もとない。

現在行っているところも、行政などの補助をつぎ込んだり、持ち出しが多い。もちろん経済ではなく、地域住民の意識を高める、ソーシャルキャピタルを高めることを目的とするなら悪くない。しかし、それも経営の裏付けがなければ、長続きさせるのは難しくなる。

結局、利益を上げて地域を経済的に潤すためには、森林療法・セラピーに付随して宿泊を増やす、グッズを販売する……などの手段がいる。地域のイメージブランド化も必要となる。しかし、そのためには客を迎える宿泊施設などのインフラが必要だ。グッズだって、そんなに売れるものはあるだろうか。

私は、各地を見て、いろいろ地域ごとにいろいろなアイデアは浮かぶのだが、簡単に紹介できない。いっそ、それを提供する森林セラピー基地経営診断士を旗揚げしようかと思ってしまうなあ(^o^)。

Shikanotuno

                                            

森に眠る鹿の頭骨

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2009/03/08

森林セラピー関係の資格づくり

書店で見つけたのが、この本。

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NPO法人森林セラピーソサエティが実施する「森林セラピスト」と「森林セラピーガイド」の資格検定制度のテキストである。

6月に試験があるそうだが、この資格にどんな意味があるのだろうか。
資格試験に合格しても、勝手にガイドとかセラピストとしての活動ができるわけではないようだ。まず森林セラピーソサエティへの入会、森林セラピー基地・ロード認定地への登録が必要となのである。登録認定地でしか森林セラピー活動はできないとある。それだけではない。登録してしても、認定地が設定している登録条件がバラバラなのだ。いや、肝心の登録条件を決定しているところが少ないと聞いた。

なおセラピーガイドとセラピストの違いも、よくわからない(^o^)。某氏からの情報によると、検定試験の内容は、森林セラピーガイドは全て4択。高校生レベルで、50%以上の合格率を想定しているという。森林セラピストは記述問題があり、レベルも高くなり、講習会では論文・実技試験・面接もあるそうだ。

これは私の予想だが、この資格を活用できるのは森林セラピー基地関連の人だけに限られるので、実際の受験者は活用というよりは資格マニアぽくなるのではないか? 自分を癒すために勉強する、自分に森林療法を施すために試験を受ける。

世には、全然仕事と結びつかない資格を持っている人が、結構いる。たとえばボイラー技師とか宅建とか危険物取扱……森林インストラクターも、それに近い。

ちなみに私は、『森を歩く』を書くために、取材だけでなく、実際に自分に施すための森林散策を相当回数行った。そして、何をしたら気持ちよいか、癒されるか(あるいは癒されないか、ストレスを与えてしまうか)確かめてみた。その中で体感したことを記したが、もう気分は森林セラピストである\(^o^)/。いっぱしの指導ができるつもり。

さらに森林セラピー基地経営診断士とか、森林セラピーメニュー・アドバイザーの資格も持っている。なお認定機関は森林ジャーナリスト協会(会員一人だけど)だ。

もし、取得したい人がいたら、申し込んでほしい。厳正な審査と試験の上で認定する。もちろん有料である。

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2009/03/07

森林セラピーとパワースポット

今日は、生駒市で開かれた第5回「生駒山系歴史・文化フォーラム」に参加してきた。

このフォーラムは、生駒山系歴史文化研究会の主催で、私もその委員。ただし、母体が大阪府みどり公社だから、これまでの4回は大阪で開かれてきた。今回、初めて奈良側なのである。

とはいっても、今回私の出番はない。あくまで観客のつもり。内容的には、歴史的な講演のほか、生駒山で活動する団体の発表があったのだが、その中に

「心と体を元気にしてくれる生駒のパワースポット」というものがあった。

で、聞いていたらいきなり出てきたのが、森林セラピーなのである。生駒山を森林セラピーの場所として捉えようという提案・活動内容の紹介だ。森林セラピーという言葉は、商標登録されていることもあり勝手に使わない方がよいのだが、それはおいておく。内容的には、森林を歩くと、これこれの効果があるよ、ということを語る。ちょうど私の本に書いていることだから、妙な気分(^o^)。

が、ちょっと困ってしまったのは、同時に「パワースポット」という言葉を盛んに使うことだ。いわゆる風水の「気」の概念で使うのである。さらに波動エネルギーとか、「チャクラ」なんて言葉まで飛び出す。そして山や峰があったり、巨石がある、聖人にゆかりがある……ところにパワースポットがある、なんてこと言い出したのである(^^;)。

いやあ、困った。森林セラピーは、森林浴を科学的に証明することを目的に研究されているのに、ここでオカルト?と結びつけられてしまった。

私は、何も「気」を信じないとか排斥するつもりはないのだが、少なくてもそれを持ち出したら科学にはならないだろう。

でも、世間的には一緒なのかもしれない。そもそも森林セラピーの研究者だって、バイオリズムとか人類500万年の記憶などを持ち出して説明しようとしたり、「ここには聖なるエネルギーを感じる」なんて言い出す人もいる。私自身も沖縄の集落を歩いて巨木に出会った時は、ビンビン感じたもの。

案外、似たものなのかもしれんなあ。胡散臭さも含めて(^^;)オイオイ

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2008/09/28

石のセラピー

今日も生駒山で取材。地元とは言っても、結構走り回って疲れた。

その間に、少し寄り道したのが、ここ。

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生駒スカイライン沿いにある巨石だ。不思議な岩がいくつも並んでいるのだが、そこに枯れ枝が何百本も立てかけられている。

                       

どうも宗教色があり、小銭もかなり置かれていた。何らかの信仰があるのだろうか。

さすが、生駒は神の山・神奈備山である。巨石信仰まである。正直、薄気味悪さもあるのだが、私はこーゆーのが好きだ(^o^)。

それで思い出したのだが、四国の背骨に広がる四国カルスト。

ここはカルスト地形が広がっていて、石灰岩がごろごろしている。

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ここを訪ねたとき、一つの岩がよい形に窪んでいて、思わずそこに座り込んでしまった。

すると身体が石に包まれるような感覚になった。

おおお、これは癒される!

岩の冷たさと、目の前に草が覆いかぶさるように生えていることで他者から見えなくなっているような感覚。視界が遮られつつも、草の間から広い草原が見えることも、安心感につながった。音も遮られるのか、ほとんど聞こえない。

森林セラピーならぬ、石のセラピーである。石、とくに巨石には人を引きつける魅力があるのだ。そして落ち着く。

これ、流行らせましょう! と、地元の人に進めておいた(~_~;)。たくさんある草原の中の石から自分のお気に入りを選んで、そこに座り込む、あるいは上に鎮座する。ストーンパワーを得られるかもしれない。

森林セラピーなんて、もう古いぞ。これからは石のセラピーである。

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2008/08/09

森林セラピストの資格

吉野の山の師匠と話していたこと。

師匠は、かつて森林インストラクターの資格を取ろうと勉強したことがあって、1次試験は通って2次に向かった。すると主宰する旧知の森林レクリエーション協会?の会長に出会う。それで会長の言ったことは、
「なんであなたが、こんな資格取るの?」

師匠は、山仕事何十年のベテランである。誰よりも森林や林業、山のことに詳しい。
そして森林インストラクターの資格は、建前として山村の人がこの資格で都会の人が森林と触れ合う指導をして、山村振興に役立てる……ことのはず。

でも、会長もわかっているんだな、建前であることが(^^;)。だって受験者はほとんど都会の人で、ペーパーテストを受けて合格する。本当の山や森林のことを知らない森林インストラクターばかりである。そこに本物の森林のプロが、あえて資格とってどうするの?

結果的に、師匠は試験に落ちて、資格はとれなかったんだけど、その後、森林インストラクターの資格を取った都会の人を現地で教える仕事をしていたよ(^o^)。

こんなことを今更書くのは、今年9月から森林セラピーの専門職「森林セラピスト」「森林セラピーガイド」の資格検定制度がスタートするからだ。

主催は「NPO法人森林セラピーソサエティ」だが、ようするに林野庁の外郭団体だろう。

すでに森林療法、森林セラピーはそれなりに広がりを持っていて、各地で森林メディカルトレーナー(信濃町)とか「森の案内人」(飯山市)とか、さまざまな資格をそれぞれの自治体や、あるいは民間団体でも作っている。それを国家資格みたいに全国統一するつもりなのだろうが、いかにも怪しい。

この「森林セラピスト」の資格が公式となれば、これまで独自に養成されてきたガイドはどうなるのだ。改めて取り直せというのか。だいたい、試験の内容は、誰が決めるのか。各地の森林状況は、みんな違うよ。森林療法のシステムも違うよ。

ようするに、認定料を稼ぐつもりなんじゃないか、と疑いたくなる。団体職員の給料になるだけではないか。

おそらく、この資格を取ろうとする人は、何も森林地域と結びつかず、個人で「森林セラピー」の営業することをめざす人、あるいは本人が癒されたい人ではあるまいか。でも、森林セラピー自体が、登録商標になっているので、勝手に使えないよ……。

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2008/05/03

森林療法と地域づくり

今日は全国的に青空が広がり、森林療法びよりだろう。

さて、林野庁は全国に森林セラピー基地とセラピーロードを選定した。この春の11カ所を合わせると35カ所になるのではなかろうか。

これはどんな意図で展開されているのか。一つには「国民の健康」という理由があるだろうが、それは建前だ。縦割り組織の林野庁が唱えても嘘くさい(笑)。そんなこと、厚生労働省のお仕事である。もっとも瑣末で本音のところでは、認定料を稼ぎ、実施主体の国土緑化推進機構を維持する、という意図もあるかもしれない。
しかし基本は、森林地域の活性化、いわゆる地域づくりである。

では、認定された地域のうち、地域づくりに結びつくところはいくつあるだろうか。もちろんこれから、という面はあるが、私は一桁……いや複数あるかどうか怪しいと思う。多くの地域は財政的に持ち出しであり、垂れ流しの公共事業にしかならない。

ここで、森林療法≒森林セラピーの科学性や効能については触れない。数値的には効果は認められているが、理論面が確立していない。ただ、地域づくりに役立つかという点で見ると、ほとんどの地域が失格だ。

希有な例外が、信濃町だろう。だから私は取材先に選んだのだが。

そう感じたのは、まず計画が住民有志の動きから始まり、それを行政が受け入れて動いていること。国の構想に乗っかったのでもなければ、行政の先走りでもない。また当初から森林療法のマニュアルづくりに取組み、「癒しの宿」と「森林メディカルトレーナー」の養成を行っていることも大きい。そして住民に還元する仕組みがある。
システマティックなのだ。明確な理念があるし、具体的な運営ノウハウも蓄積している。

聞けば視察は多いという。だが、信濃町が築いたシステムを真似て実行している地域はあるのだろうか。少なくても私が調べたかぎりは見つからなかった。
先行事例を視察しても、誰も自分のところでは実行しないというのは、日吉町森林組合のケースと同じかもしれない。

少なくても国主導では、無理だ。

森林の中を歩きながら、そんなことを考えていた私は不純かもしれない。癒しになっていない? いや、私にとっては、こうした考察をすることが癒しなんだよ。イヤな性格(~_~;)。

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2008/05/02

森林療法と童話

いよいよ明日から連休後半戦。私は、むしろ忙しいけどね(-_-)。

爽やかな森林に触れ合うことを願っている人も多いだろう。そこで、一足先に経験してきた森林療法の話。訪れたのは、長野県信濃町。黒姫高原だ。
この町の取り組みは、システマティックだ。この仕組みについては、改めて考察したいが、今日は私も体験した「童話と森林」の話。

※ちなみに、イマドキは「森林セラピー」と表現することが多いが、実はこれ、林野庁が言い出した呼称。その前は「森林療法」だったし、私も取材して記事にするときは「森林療法」を使っている。何より、信濃町の事業は「森林療法」となっているから、こちらを使う。セラピーと言い換えた途端、なんだか安っぽく感じる……。それに林野庁の事業は、何かうさん臭く思えるんだよね。

6信濃町は、カラマツ林とシラカバ林が広がり、なだらかな山容も合わせて、何か日本離れした景色だ。カナダか北欧を思わせる。軽井沢を敬遠した外国人が多く保養に来る理由がわかる気がする。                                         

そして、ここには「黒姫童話館」がある。てっきり、バブル期に多い意味不明の町おこし施設かと思いきや、実はこの町は児童文学と縁が深いのであった。まず松谷みよ子が長く住んでいた上に、いわさきちひろ、坪田譲治らが別荘を持っていた。さらにミヒャエル・エンデの遺品が多く寄贈されているのだ。
また、グリム童話などヨーロッパの童話の多くが森を舞台にしているが、その森は黒姫の森とよく似ている。

そこで、童話と森林を組み合わせた森林療法を行えないかと実験的な取組が行われていた。私は、町民相手に行われたその行事に参加させていただいた。  5

                                            

                                           

まずは、童話館を案内していただき、童話の舞台となっている森が説明される。白雪姫も、ヘンゼルとグレーテルも、ミヒャエル・エンデの「ネバーエンディング・ストーリー」も、関係あったのか。

そういえば、かつて私は、童話作家に憧れたことがあったことを思い出す。いや、一瞬だけどね(^^;)。森は、未知の世界の代名詞だった。たしかに子供心にそそるものがある。

ただ、もう少し、日本の森とヨーロッパの森の違いは詳しく説明した方がよいような。それに今の日本人には、「森は怖いもの」というイメージはあまりない。邪悪な存在のいる場所としてのかつての森を理解しないと、童話世界の森がわかりにくい気がする。

その後、森を歩く。小雨まじりの天気が残念だったが、春の息吹がそこここに現れている。とくに各種の花やフキノトウなどが芽生えている。私もだが、みんな、山菜を取るのに夢中になってしまう(^^;)。それに植物の名前を聞くなど、自然観察が行われた。
実は、これは森林療法としてはよくないそうだ。気持ちが高ぶるので、リラックスとは反対の効果が出るからだ。たしかにフキノトウを必死で摘んだ私は、ワクワクしたが、リラックスしていないなあ。

それでも、森の中を歩くのは気持ちよいものだ。

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こんな小道具? 木工作品も癒されるね。

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もちろん、こんな景色も癒される。咲いているのは、リュウキンカだったかな?

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2008/03/02

大人のための「森の幼稚園」

朝から、吉野チェンソーアートスクールへ。今日は自由練習日なのだが、ちょっと倶楽部運営の会議なども兼ねて集まる。同時に、「チェンソーアートによる環境教育」をやった…ことになっている。

こんな言い回しをするのは、ちょっと事情があるのだが、何しろ私とメンバーの一人は奈良県の森林環境教育指導員なのだ。ある意味、実験的?なこともやっているのだよ。
もっとも、実際の作業としてはブッシュを切り開いたり、巨大丸太の縦切り…など、それなりにハードな作業も含んだ。今後は、近くの沢から水道を引いたり、トイレづくりもすることになっている。

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森の名人は、チェンソーで製材もやってしまう。                                           

                                           

夜、家で「世界うるるん体験記」では、ドイツの「森の幼稚園」を舞台にしていた。
森の幼稚園については、私も少し紹介したことがあるのだが、ようするに園舎はなくて、常に森の中で子供たちを遊ばせる幼稚園だ。そこに大人は極力関与しない。遊具も持ち込まない。ドイツやデンマークではさかんで、ちゃんと認可された幼稚園である。
私も資料でそれなりに内容は知っていたが、ちゃんと映像で描かれると、よく雰囲気が伝わってくる。

日本の森林は、傾斜や植生から、なかなか正式な「森の幼稚園」適地は少なく、また親もこうした教育方針は、容認しにくいだろう。実際、日本に設立する計画はあるが、簡単に進んでいない。通常の幼稚園・保育園の一部のメニューに取り入れているか、無認可の形で真似ているところが少しある程度である。

いっそ、大人のための「森の研修施設」を作るのもよいかもしれない。フィールドアスレチックなどではなく、まったくそのままの森で大人がルールを決めて遊ぶ施設だ。ルールというのは、自分で道具を持ち込まないとか、目標を決めないとか、勝手に森から出ない…など「森の幼稚園」の大人版。
研修施設とするのは、単に遊べと言っても、日本の大人には無理だから、強制的に仕事をさせないで自己を解放させるため。鬱病や適応障害・ストレス症候群など、ようするに疲れているビジネスマン(ウーマン)を放り込む。人生取り戻すための治療の場であり、森林セラピーでもある。

チェンソーアートスクールの会場である吉野アートスタジアムも、そんな場として使えるかもしれない。

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2007/06/02

アエラ記事・森林セラピーの奇々怪々

今週のアエラ(6月4日号)に掲載された森林セラピーに関する記事を読んだ方はいるだろうか。

簡単に紹介すると、林野庁が推進する森林セラピーに関する研究と、実践地としての森林セラピー基地、森林セラピーロードの選定に疑問……というより糾弾しているのだ。

その理由は、森林セラピー基地として選ばれた中には農地もあって農薬を使っている、などと書き手の無農薬オタクぶりを示す記述もあるが、基本は、森林セラピーの非科学性と、選定・認可などに関わる林野庁の怪しげな活動、そして金の流れなどだ。

ま、以前は森林セラピーの本を書こうとして調べたこともある(そういや随分前、私はアエラに森林療法の記事を書いたことがある。それは評判よかったはずだ)私としては、今更である。

金にまつわる問題はともかく、森林セラピーの効果を原因から科学的に証明することは、基本的にできないのだ。森林は多種多様な要素を含み、毎回条件が変わるのだから。ただ東洋医学のように、現象としてはちゃんとあり、それは誰も否定できない。今回の記事でも、書き手は、森の中を歩けば気持ちよいことを認めている。

私にとって、森林セラピーとは、この発想を利用していかに地域振興につなげることができるか、がポイントである。気持ちのよい森林散策ができる(そして健康によい)ことで森林地域に人を呼び、金を落とさせる仕組みづくりに興味がある。

ただ本にまとめることができるか予備取材をしてみると、政府側の動きになんとなくうさん臭さを感じて、早々に撤退した。それは正解であったと思っている。

ところで、私の意識の中では、森林セラピーと新月伐採とウッドマイルズは、同じ位置づけだ(笑)。それぞれのテーマで、森林(木材)を売っていく手段になる。

ただ科学的という点では、 ウッドマイルズ>森林セラピー>新月伐採 かな。

ウッドマイルズは、理論・概念としては確立されていて科学的だが、厳密に計算して出すことに困難がありすぎる。そして厳密に行おうとするほど、手間もコストもかかり、当初の目的である近くの山の木の販売促進に支障をきたすのだ。
森林セラピーは、新月伐採よりは検証が行われており、現象としても確認されている。が、メカニズムを証明することができない。
新月伐採は、理論も現象もぼろぼろ。

結局、アエラの記事は、難癖をつけたものの問題点を絞りきれず、何を言いたいのかわからなくなっていた。

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