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森と林業と田舎の本

地域・田舎暮らし

2019/03/13

生駒の山仕事は複合生業

生駒市には、「生駒ふるさとミュージアム」という小さな資料館がある。元町役場の建物を改造して作られたものだが、そこで「生命育む生駒山」というタイトルの企画展を行っていた。生駒山麓での生業の道具を紹介するという。

 
その中には山仕事の道具もあるというので、まあ見ておこうかなと訪れる。生駒は、今でこそ「都会(笑)」だが、そもそもは農山村なのである。
 
……まあ、想像通りで、さして意外感のない展示でした(^^;)。
 
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山道具……というか製材用の鋸や手斧、ヨキ(斧)などが並べられている。そして丸太をくり抜いて作られた水の導管。
 
説明文も、あまり詳しくないし、得るものはさほどなかった。山仕事の道具と言っても、実際に木を伐りだす仕事はあまり描かれていない。
実際は、結構な木材生産をしていたことは間違いない。私自身が「戦後すぐは山から丸太を橇に積んで牛に引っ張らせて出していた」話を聞いている。それに山には相当な面積の人工林がある。 
 
もう少し突っ込めば面白い展示にできたのに、と思う。
 
また山仕事の中に、生駒石の採掘、養蚕、茶栽培、そして寒氷(天然氷)出荷も行っていたことを示している。もちろん米の生産も大きかった。
 
それらの複合経営が山仕事だったのだろう。
そして、生駒に限らず各地の山村でも、実態としての林業は、おそらく木材生産だけではないはずだ。そういう意味では、戦前の農山村の生業の形がうかがえたかな。
 
どうも現代は、農村、山村と区分けして、その地区の生業は農業、林業、あるいは養蚕といったモノカルチャーを描きがちだが、そうではない産業構造をイメージした方がよいのだろう。
それは生駒山の植生や生態系を考える上でも大きな影響があったはず。
 
そういや、山の中に、いきなり野生化した茶の木を発見したり、生駒石を掘り出した痕跡があったり、ため池だらけだったり……と不思議な遺構を見つけることがある。それらの多くは、さまざまな生業の痕跡かもしれない。
 

2019/01/22

BS「奈良のシカ」番組

昨夜、BSプレミアムで、「奈良のシカの“野生”を見た!」 という番組があったのをご存じだろうか。文字通り、奈良のシカを取り上げたドキュメンタリー。
 
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「ワイルドライフ」という番組なのだが、これいつも海外の動物を取り上げることが多い。言い換えると外国の番組を購入しているように思えるのだが、今回は自前で制作したようだ。
なかなかの出来だった。丸1年取材をしたらしく、よいシーンがいっぱい。とくに撮影スタッフがシカに蹴り倒される?シーンは見所だ(笑)。
さらに親シカとはぐれて死んでしまう子鹿や、メスを20頭以上囲い込んでハレムをつくって、必死で逃げられないように囲い込んでいたのに人間に捕まって角を伐られてしまい全部逃げられてしまうシーンは、涙ぐむ?
 
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朝、県庁に出勤するシカや、奈良女子大に通学するシカもとらえていた。
 
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番組の冒頭に紹介していたが、ここまで人になれた野性シカは世界的にも珍しいし、それには1000年の歴史がある。そして外国人観光客のイチバン人気なのだ。
 
私自身は、奈良観光に古寺古社に仏像ばかり宣伝するのはもったいないと思っていた。こうした宗教施設は、異教徒である大半の外国人にはさして響かない。単に一度見たらオシマイ。大仏はさすがに大きさで圧倒するが、もっと大きな仏像だって世界中にある(ただし、石仏)。
その点、動物はファンが生まれてリピーターにつながるのだ。だから奈良観光には絶対シカの方が魅力的だよ。
 
この番組を見て、ナラシカ(奈良のシカ)に興味を持たれた方は、より深く知るためにも、この本を一読くださいv(^0^)。 
 
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2018/12/17

高取城址を歩く

先日、高取を訪ねた帰りに、高取城址に登ってきた。

 
高取城は、日本3大山城の一つとか天空の城、日本最強の城など、いろいろな言われ方をする。今や゛高取町の町中には、どこにも「日本最強の城」の幟が並んでいるよ。
 
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なにしろ標高540メートル以上の急峻な山の上に家臣の屋敷まで含めて建設された広大な縄張りの城なのだ。城下町から随分離れているのも特徴。近年の山城ブームで見直され、荒れていた城跡と石垣を整備して、人気スポットになりつつある。
 
この城が築かれたのは、南北朝時代の1300年代前半とされるが、近代城郭になったのは安土桃山時代の1600年前後とされる。なぜ、戦国時代も終わろうとした時代に、こんな巨大な山城を築いたのか不思議。
巨大石垣と急崖の上に立つ天空の都市城郭であることは、インカのマチュピチュと比肩される。ちなみにがマチュピチュが建設されたのは1500年前後とされるから約100年遅いものの、東洋のマチュピチュと呼んでもいいかなv(^0^)。
 
さて、登るために狭い山道を走るが、折しも雨模様でガスがかってきた。これまた雰囲気あるではないか。  
ようやく車を降りてからも、登るのに結構険しい(道が荒れているからでもあるのだが)。
 
 
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ようやく二の丸に着く。山城とは思えないほど広く、また石垣が高い。
 
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こちらが本丸。晴れていたら、奈良盆地南部が見渡せる。
 
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本丸の石垣と巨大な杉。根回り5メートル以上じゃないか。直径で1,5~2メートル級だ。
 
おお、天守閣もあった。。(笑)。
 
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チェンソーアート作品。切株にそのま彫るスタンプカービングというんだったかな。
誰が彫ったのかはだいたいわかっているけどねv(^0^)。
 
この後、急速に晴れて青空が覗きだした。それを待てば、また別の城址風景が見られたかもしれないが、高取城には霧の中にあった方が似合うと思うよ。
 
 
ちなみに、この険しさのゆえ江戸時代の城主・植村氏も太平の世に城を捨てて里に下りてしまった(^^;)。だから廃城に近かったが、幕末に一度活躍している。維新の先駆けと言われる天誅組が、この城を攻めたのだ。城兵は200人しかいなかったが、あっさり天誅組を撃退というか打ち破り撤退に追い込んだことで名を挙げている。
 
やりようによっては、まだまだ歴史ファンのみならず多くの人を集めるネタを作れそうだが、観光バスを入れて土産物店を開くわけにも行くまい。風情を守りつつ活かしてほしい。

2018/12/15

京の町家という田舎移住

京都に移り住みました、という連絡をもらった人の家を訪ねた。場所は二条通りの町家。

 
再会するのは10数年ぶりか。
彼は、東京の大手出版社に勤務していて、私の本を手がけてくれたこともあるのだが、その後いくつか会社を渡った上に自らの出版社を立ち上げた(正確には買い取ったらしい)。
東京で社員を何人も抱えて経営していたのだが、60歳を迎えるに当たって考えるところがあって会社を縮小したうえで地方移住を決意した。その際に縁があった京都を選んだのだそうだ。市長さんの紹介とか。
 
場所は二条城の近隣だから、“京都カースト”的にはかなりの上位である。よそ者でも、こうした位置は有利かもしれない。
 
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で、私と今後のビジネス戦略を話し込んだ……ということはほとんどなく、話題はお互いの老親と自らの老後の生活のことばかり(^o^)。さらに古い町家の改修苦心談。田舎社会(ちなみに京都の中心街である町家なんて、完全な田舎社会である。)に住む大変さ。仕事のことと言えば、いかに出版界のパイが縮んで本が売れなくなったかという嘆き(^^;)。
 
ただ、ある程度の歳になると、残りの人生を考えるのは同じだ。ガツガツ生きるのもよいが、身軽になって心機一転するのもいいなあ。私も、次の本を出版したら、生活を変えたい思いはある。たとえば林業界とはおさらばしようか、と……。
 
彼の計画は、町家でブックカフェ&コミュニティ・スペースを開くこと。
 
こんなクラウドファンディング を立ち上げている。
 
こんな記事にもなったそう。
 
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これも楽しいかもしれない。私が感じたのは、むしろ都心の田舎移住のこと。
これまで田舎暮らしに憧れる人は、それこそ限界集落ぽい農山村の田舎をめざすケースがよく紹介されていたが、日本全体の人口が激減していく中で、正直そんな移住は現実的ではない。むしろ地方都市こそ狙い目ではないか、ということだ。
 
地方の中核都市に人口を集中しろ、というと、以前の増田レポートみたいだが、意図は逆だ。あちらは地方の周辺集落の人々を中核都市に集めて地方を維持させるべきという論調だったが、反対に東京などの大都市圏の人間を、仕事ごと地方都市に移り住まわせるのだ。地方都市を元気にすることで、周辺の田舎を支える体力を身につけさせる発想である。京都だってインパウンドが増えたのはともかく、住民の暮らしの内実はヤバイからね。
 
私も老後の設計をしっかりしないとなあ。。。

2018/12/10

岸田日出男シンポジウム

昨日は、奈良県大淀町で開かれた「吉野・熊野をつないだ偉人・岸田日出男の遺したもの」というシンポジウムに顔を出してきた。

 
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岸田日出男関係では、すでにYahoo!ニュースに「再発見されたニホンオオカミ頭骨……
ほかにもブログに「大正時代の筏流し…… 」など、
さらに毎日新聞にも記事を執筆している。
 
一般には吉野熊野国立公園の父として知られるが、その業績はもっとは深い。自然や地誌のほか民俗にも踏み込み、自然保護運動の先駆者でもある。さらに映画フィルムも残していることも歴史的価値が大きい。
 
満席の会場で、新発見の資料について次々と岸田日出男研究を話すのは、地元の学芸員のほか奈良女子大や奈良県立大、そして古いフィルムを再現したIMAGICA Labの技術者……さらに会場には、観客と見えていたニホンオオカミ研究者もいて急遽前に出るなど、そうそうたるメンバーが揃った。
 
折しも奈良女子大学には大和・紀伊半島学研究所が設立されたという。ここで岸田研究が行われる意味は小さくない。
 
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そうした動きを見て思ったのは、大淀町は岸田日出男に総力を挙げて取り組み、町おこしにつなげていくつもりだな、ということ。その業績研究が進めば、南方熊楠に匹敵する人物となって、全国的に注目される日が来るかもしれない。当然、その故郷たる大淀町も注目されるだろう。 
 
地元の偉人の存在は、想像以上に人々の吸引力がある。 それだけに研究と情報発信は、重要な地域づくり手段だ。
 
ああ、うらやましい。土倉庄三郎に関しても、これぐらい総力を挙げて取り組む場があれば……。さまざまな分野の専門家が取り組めば、これまでと違った発見もあるだろうに……と思ったのでした(-_-;)。

2018/11/26

「権力は腐敗する」回路

権力は腐敗する」。

 
日産会長のカルロス・ゴーン逮捕の事件で、多くの人が指摘した言葉だ。まあ、前世紀、前々世紀から繰り返し指摘されていることではあるのだが。
この事件の背景に何があるのか、違法・合法の線引きは……などはさておき、ゴーンが公私混同して会社を運営していたのは間違いなさそう。
 
人は、他者に対して優越的な権限を持ったり、あるいは他者から持ち上げられ続けると、脳内に新たな回路ができると言われている。それまで持っていた常識や倫理規範から外れた思考回路になってしまう。自分は特別という意識が潜在的に生まれる。一種の全能感を抱くのだろうか。
 
ゴーン事件で連想したのは、2つ。1つはトマ・ピケティだったかが語ったような「金持ちほど強欲になる」(強欲だから金持ちになるのではなく、金持ちになるほど、モットモットと欲しくなる)という論理。
そしてもう一つは、以前に某地域の林業振興というか地域起こしの例について、本を執筆しないかという声がかかったことだった。
 
だが、結局断った。執筆条件が合わなかったこともあるが、その地域起こし例が必ずしも報道されているほど上手く行っていないことを知っていたからだ。その点をリアルに記すと本を出版する意味がない。ところが、先日その地域起こしを牽引してきた団体のトップが、スキャンダルにまみれていることを知る機会があった。
 
マスコミに多く出演しているトップの人物が、実は組織内で横暴を極めているようだ。それも女絡み。小さな村の小さな組織で、そんなスキャンダルがねえ……。とがめた社員は、即刻首にされたとか。
そのことをゴーン事件から連想したのである。
 
今となっては書籍づくりから手を引いてよかったと胸をなで下ろす。本が出来上がってから、その内容をひっくり返す現実が表沙汰になったときは、著者として恥ずかしいというか、情けない思いをするからなあ。その後、別の人が書籍をつくったようなのだが……。
 
地元でもそろそろ話題になっているらしいから、そのうち騒動になるかもしれないよ(-_-;)。
 
 
 
そんな事象は一つだけではない。林業界や地域起こし業界?、そして市民団体などでトップの暴走は少なくないのだ。もしかして小さい組織ゆえにトップに権限が集中し、また称賛も個人に集まってしまうからかもしれない。 
 
先進的な取り組みとか技術を持った人物が、彼を慕って集まったはずの部下に猛烈なパワハラを仕掛けている(現在進行形)例を聞いた。部下を鬱病に追い込むのだ。辞めたら辞めたで、「裏切り者扱い」する。 
 
地域起こしとして始めた事業がようやく軌道に乗った頃に、功労者を意見の相違を理由に追い出した例。自然保護団体が、ちょっと紹介するには差し障りのあるほどあられもない行為をした例。いっぱいある。 
 
 
人間は、普段は腰が低くても、何かの機会でいきなりのぼせ上がるというか、自分の実力を勘違いするものだ。ま、そのうち私も暴走してみたい(笑)。本がベストセラーになるとか、周囲の称賛を一身に浴びて舞い上がるとか\(^o^)/。
 
そのときは、この一文を読むように教えてくださいませ。怒り狂うかもしれないけど(⌒ー⌒)。
 

2018/10/12

鍛冶屋は絶滅危惧種

鍛冶屋は絶滅危惧種

 
岡山県北部の津山に来ている。
実はこの街、20年くらい前に幾度も通っていて、当時は町中を歩いて詳しかった。特に伝統的な古い町並みが残る城東地区はよく歩き、鍛冶屋に通っていた。当時は何軒あったか覚えていない、しかし多くの鍛冶屋のある町だったのだ。

そして私は訪ねた鍛冶屋で包丁を買ったのだった。それは今も使っている。毎度研いでいるが、そろそろ刃先が鈍ってきた。

今回の久しぶりの訪問では、新たな包丁を購入しようと思っていた。
事前に調べたところ、まだ2軒残っているはずだ。最盛期は26軒あったらしい。

で、訪ねたわけだが……見つけたのは1件のみ。それも閉まっている。近所の人に尋ねたところ、やっているはずだが、90歳を越えている(@_@)という。

あかん。絶滅危惧種だ。器だけの伝統的建造物を保存しても、中身がなくなりつつあった。。

2018/06/16

棚田経営管理法案?

梅雨に入る頃には、棚田も田植えが終わっている。
 
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これは生駒山の棚田地帯。ほとんど峠に近いところだ。やっぱり棚田は水が入って、稲の苗が植えられたこの時期がもっとも美しい。
 
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これも同じところである。中辺りの黄色い草は小麦畑。麦秋……と言いたいところだが、風雨で倒れてしまったようだ。この小麦は、生駒大社の神事に使うものなのだが、立ち直るかなあ。。
 
 
棚田の維持は大変だ。手間とコストがかかる。が、収穫量は少ないので、放棄が増えている。生駒山の棚田も、写真以外には放棄して森に帰ったり、草ぼうぼうだったり、畑に変えられたり、と完全な棚田景観ではなくなっている。
 
 

ところで森林経営管理法が国会を通ったと思ったら、今度は自民党で棚田に関する法律をつくろうとしているらしい。

 
まだプロジェクトチームを立ち上げた段階だか、棚田の景観保全を行わせる補助金を出すつもりらしい。美しい棚田を選定して、その維持にかかる経費を補助していこうという趣旨である。ついでに村おこしとか棚田に関するイベントにも使えるようにするとか。。。。
 
一見よさそうな、反対しにくい法案だが、しょせんはバラマキである。はっきりと棚田をネタに観光事業でもするというなら別だが、景観という名でメリットのない耕作を所有者に押しつけても事態は変わらないだろう。
そのうち、棚田を維持する「意欲と能力のある事業体」に管理権を譲り渡せ、と言い出すかもしれない。もっとも、皆伐して儲けるようなことは棚田では不可能なので、引き受け手も現れない気がするが。イネではなく大麻でも栽培したらペイするか(@_@)。
 
 
結局、自治体が直接耕作したりして。財源用に棚田環境税を新設する(笑)。
 
 

2018/05/08

地方都市を知る方法

連休中に訪れた大分県の臼杵市。

昼間は山に入っていたため、町をあまり見られない。そこで夜中と早朝に町中を歩き回った。さすがに人気は少ないし施設も閉まっている……連休の真っ只中なのに、人が少ないのはどうかと思う……が、歩けば歩くほど見どころがある。
 
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町を歩くのは、私にとって本能のようなものだ。その土地を知るために欠かせない。
 
私は、初めての町を訪れた際は、可能な限り歩き回る。あまり大きいと不可能だが、地方都市は概ね歩くことで全体像がつかめるのが有り難い。
裏通り、とくに路地を求めて歩く。商店街は寂れていても見て回り、その裏手にも入る。駅前も同じだ。そして路地を一本一本しらみ潰しに歩く。
ただし名所旧跡も外さない。繁華街や表通りも重要だ。流行っている店、閑古鳥の店、デザインも目にしたい。興味を引く店や施設があったら、まず入る。面白い人がいると聞けば訪ねていく。
 
列車の本数が少なくても駅に行けば、そこを利用する人が集まっている。シャッター商店街であっても訪ねる。ロードサイドに並ぶ店は全国チェーンであっても、1軒1軒覗く。
 
そうして初めて地域が見えてくるはずだ。全国チェーンであっても、そこで働くのは地域の人々だし、売れ筋が違うので品揃えも微妙な違いがある。
 
現場を徹底的に見て、時間があれば歴史や地理なども詳しく調べる。市史、町史など郷土史を読んでみる。5000分の1くらいの地図を手に入れて(今ならネットでも間に合うが)、にらめっこする。まだ歩いていない道はないか。知らない施設はないか。
 
そんな過程が、地域を理解する一歩だろう。私が生駒に移ってきたときは、そうしたもんだ。
 
 
地方都市の疲弊と衰退がよく語られる。たしかに人口推移や経済力を指標にするとそうなるのだが、それを語る前に町を歩くべきだ。
 
近頃、地方都市に住んでも困らない、買い物は全部Amazonなどで間に合うし、情報だってパソコンで得られる、とのたまう人がいる。だから一応街の拠点である駅前の商店街には行ったことがない、ロードサイドのチェーン店も興味がない……だと? それで地域を論じるなよ。
Amazonで買い物するから地元の店は衰退するんだよ。Amazonは地域にお金を落とさないんだよ。
 
どんな町でも何かある。あるかどうかを探すために歩く。
その上で論じてほしいね。町を歩いて見る景観は、今後の大きな観光の魅力である。
 
 
ところで臼杵は、着いてから気がついたのだが、戦国時代の大友宗麟の根拠地だった。
 
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臼杵城跡。宗麟の拠点だ。かつては海に浮かぶ城だったという。現在残るのは江戸時代の稲葉家のものだが、実にユニークな構造をしていて、城ファンなら興奮するのではないか。
 
大友宗麟は一時期九州全域を制覇する勢いだったが、島津に破れて挫折する。だが重要なのはキリシタン大名だったことだ。そして臼杵はキリシタンの都となり、フランシスコ・ザビエルなど多くの宣教師が訪れて「東洋のローマ」とカトリック協会に報告した土地だったのだ。多くの南蛮からの船が行き来する国際都市だった。
 
天正遣欧少年使節も、この町から出発した。(船に乗ったのは長崎だが。)思わず千々石ミゲル、中浦ジュリアン、伊東マンショ、原マルティノ……この4人の少年の運命に反芻して時空を馳せる。
 
そのほか臼杵石仏もよかった。奈良に住んでいると、石仏なんて捨てるほど見かける(笑)のだが、なぜ臼杵石仏が国宝になったかわかったよ。でも、誰がつくったのか謎なんだという。
 
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臼杵はポテンシャルの高い町であった。それなのに観光客が少ないのはもったいない。宿泊する場があまりに少ないことと、近くに大分や別府など温泉の出る大都市があるからか。
どちらも奈良が宿泊者数全国最下位になりかけているのと通じる理由である。
 

2017/12/23

「座る」まちおこし

巨大イオンモールを訪れたのだが……さすがに空間がゆったりとしている。通路も広い。収益につながらぬ床面積をたくさん取るのは余裕の現れか。もっとも、週末などには、そんな空間にも来客があふれているが。

 
そんな通路に目立ったのが、こんなベンチ。
 
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そこかしこに、座るところを設えてあるのだ。通常、通路の真ん中にベンチを置けば、通行の邪魔になりかねないし、地価を考えたらもっと有効な利用法があるだろうに、テナント何軒分の面積をベンチに費やしているのか。。。゛
と考えがちなのだが、最近はイオンに限らず、各地にベンチが目立つような気がする。
 
一つは高齢者対策かな? 老人は歩き回ると疲れてへたる。休むところを提供しないと地べたに座り込みかねない。いや、イオンモールに行くと疲れるからと次は来なくなるかもしれない。ゆっくり休める場所をつくることが、再来訪を促すのかもしれない。
さらに座るところを設けたら、そこに人が座ることによってモール滞在時間が長くなり、買い物をするチャンスも増えるという戦略か。そういや子ども連れもよく座っている。
 
ショッピングモールの経営としては、よいところに目をつけたと思う。
 
ベンチを設置することによるまちおこし提案は、私も結構前からやっていた。(たとえば最近ならブログの「ベンチをつくろう!」 ) こちらに私が見かけた事例も紹介している。
 
 
もともとは、商店街の滞留時間を増やすにはどうするべきかという発想だった。各地に寂れた商店街をよく見かけるからだ。地元にもある。。。
私自身も、散歩していて、ちょっと腰掛けるところがほしいという気持ちがあった。また友人などと話すときも、喫茶店に入るほどではない時に、目の前の街角にベンチがあったら、座るかもしれない。そして、その前にアイスクリーム屋とかたこ焼き屋があったら、つい食べるかもしれない。そんな思いつきだった。
 
 
それで思い出した。アメリカに7000のベンチを設置した町 があったはずだ。
 
そのことを探してみると、アメリカ・フロリダ州のセントピーターズバーグであった。
詳しくはリンク先の記事を読んでいただきたいが、実に面白い。やっぱりベンチを街角に置くだけでまちおこしになるのだ。
 
 
もっとも私がさらに驚いたことは、この記事の筆者らはベンチ・プロジェクトを立ち上げ「ベンチ研究家」という肩書を使うと宣言していることだ(笑)。やられた。先に取られた、と思ったね。私は肩書を付けていなかったよ。
 
こういうのは早い者勝ちなのである。潔く譲ろう(;´д`)。私は……また別の肩書を探すよ。ベンチ・ジャーナリストとか? オイオイ

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