田中 淳夫: 虚構の森
世にあふれる森林を巡る環境問題。そこで常識と思っていることは本当に信じていい? 地球上の森は減っているのか、緑のダムは存在するのか。る? 地球温暖化に生物多様性、SDGsに則しているのか? 異論から考えると別世界が見えてくる。
田中 淳夫: 獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち (イースト新書)
シカ、イノシシ、クマ、サル……獣害は、もはや抜き差しならない状態まで増加している。その被害額は1000億円以上?しかも大都市まで野生動物が出没するようになった。その原因と対策、そして今後を見据えていく。
田中 淳夫: 絶望の林業
補助金漬け、死傷者続出の林業現場、山を知らない山主と相次ぐ盗伐、不信感渦巻く業界間……日本の林業界で何が起きているのか?きれいごとでない林業の真実を暴く。
熊崎実ほか編: 森林未来会議―森を活かす仕組みをつくる
現役林業家、研究者、行政万……など10人の著者が、日本林業の問題点を分析しつつ、未来に向けての処方箋を示す。海外事例も含め、希望を語っている。
有坪 民雄: 誰も農業を知らない: プロ農家だからわかる日本農業の未来
消費者はもちろん、学者も官僚も農家自身も、農業について全体像をつかんでいない。だからピンぼけ……。これは林業にピタリと当てはまる!
保持林業―木を伐りながら生き物を守る
保持林業とは新しい言葉だが、欧米を中心に世界で1億5000万ヘクタールの森で実践されている施業法だという。伐採後の生態系回復を早めるために行われるこの手法、もっと日本に知られてもよいのではないか。
田中 淳夫: 鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵
奈良のシカは赤信号に止まる? 鹿せんべいをもらうとお辞儀する?カラスがシカの血を吸っている? 彼らを観察したら、獣害問題の解決の糸口も見えてくるはず。
山川 徹: カルピスをつくった男 三島海雲
カルピス創業者三島海雲の評伝。彼は内モンゴルで何を見たのか。何を感じたのか。その夢を乳酸菌飲料に結実させた足跡を追う。土倉家の面々も登場する。
田中 淳夫: 森は怪しいワンダーランド
森には、精霊に怪獣に謎の民族、古代の巨石文化が眠っている!そう信じて分け入れば遭難したり、似非科学に遭遇したり。超レアな体験から森を語ればこんなに面白い? 読めば、きっと森に行きたくなる!
村尾 行一: 森林業: ドイツの森と日本林業
林学の碩学とも言える村尾行一の林業論の集大成か?
ドイツ林業を歴史的に追いつつ比べることで浮かび上がる日本林業の大問題と抜本的な処方箋
田中 淳夫: 樹木葬という選択: 緑の埋葬で森になる
広がりつつある樹木葬。今や世界的な潮流となる「緑の埋葬」となる、森をつくり、森を守る樹木葬について全国ルポを行った。
田中 淳夫: 森と日本人の1500年 (平凡社新書)
日本の森の景観は、いかに造られたのか。今ある緑は、どんな経緯を経て生まれたのか。日本人は、どのように関わってきたか…。今ある景観は、ほとんどが戦後生まれだったのだ。今後必要なのは「美しさ」である!
田中 淳夫: 森林異変-日本の林業に未来はあるか (平凡社新書)
21世紀に入り、激動の変化を見せ始めた日本の林業。この変化を知らずして、日本林業を語るなかれ。果たして森にとって吉か凶か。そして「大林業」構想を提案する。
阿部 菜穂子: チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人
もはや桜の故郷はイギリスだ! と感じさせる衝撃の書。ソメイヨシノ一色ではない多様な桜を守っているのは日本ではないのだ。そして日英交流史としても第一級のノンフィクションだろう。
田中 淳夫: ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実
ゴルフ場は自然破壊? それとも現代の里山? このテーマに再び取り組んで『ゴルフ場は自然がいっぱい』を大幅改訂して出版する電子書籍。
谷 彌兵衞: 近世吉野林業史
吉野林業の誕生から江戸時代までの発展の歴史を緻密に描く目からウロコの著
田中隆文: 「水を育む森」の混迷を解く
森は水源涵養機能がある……と古くから唱えられてきた。しかし、科学的に証明されたわけではない。人々の思想や政策の方が先んじている。その歴史的展開と、野外科学のジレンマに焦点を当てる。
ヨアヒム ラートカウ: 木材と文明
人類と木材、ひいては森との関係を壮大なスケールで描いた大著。ヨーロッパが中心だが、目からウロコの記述がいっぱいである。
清和 研二: 多種共存の森: 1000年続く森と林業の恵み
最新の生態学の知見から林業のあり方、今後の進むべき道を提言する。多様性豊かな森こそ、安定していて収穫も多いことを思い知る。
村尾行一: 間違いだらけの日本林業 ―未来への教訓―
村尾林学の決定版! 眼からウロコが落ちるだけでは済まない。これまでの林業観を否定をして受け入れるか、読まなかったことにするか……。
田中 淳夫: 森と近代日本を動かした男 ~山林王・土倉庄三郎の生涯
三井財閥に比肩する大富豪として、明治時代を動かし、森林の力によって近代国家を作り上げようと尽力した山林王・土倉庄三郎の生涯を追う。そこから明治時代の森林事情が浮かび上がるだろう。
太田 猛彦: 森林飽和―国土の変貌を考える (NHKブックス No.1193)
森林水文学の視点で、日本の森林事情の変化が国土にもたらした驚異的な影響を語る。もはや森林だけを論じている暇はない!
田中 淳夫: 日本人が知っておきたい森林の新常識
森林ジャーナリズムの原点。森林や林業に関わる一般的な「常識」は本当に正しいのか、改めて問い直すと、新しい姿が広がるだろう。そして森と人の在り方が見えてくる。
日本の森を歩く会: カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう (COLOR新書y)
森林散策ガイド本だが、第2部で7つの森を紹介。全体の4分の1くらいか。私が記すとルートガイドではなく、森の歴史と生態系をひもといた。
田中 淳夫: いま里山が必要な理由
名著『里山再生』(^o^)の内容を一新した改定増補版。単行本スタイルに変更し、美しくなった。里山を知るには、まずここから。
田中 淳夫: 森を歩く―森林セラピーへのいざない (角川SSC新書カラー版)
森林療法の成り立ちから始まり、森が人の心身を癒す仕組みを考察する。森の新たな可能性を紹介した決定版。 全国11カ所の森林セラピー基地のルポ付き。
田中 淳夫: 割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)
割り箸を通して見えてくる日本と世界の森林。割り箸こそ、日本の林業の象徴だ!
田中 淳夫: 森林からのニッポン再生 (平凡社新書)
森林・林業・山村は一体だ! その真の姿を探り、新たな世界を描く
田中 淳夫: 日本の森はなぜ危機なのか―環境と経済の新林業レポート (平凡社新書)
かつての林業は木を売らなかった? 真実の日本林業の姿を紹介し、現状と未来を俯瞰した目からウロコの衝撃の書。
田中 淳夫: だれが日本の「森」を殺すのか
誰も知らなかった?日本の林業と林産業の世界を描いた渾身の1冊。
先の旅は、実は城巡りでもあった。ただし復元したものばかり。
広島・福山城。実は今年が築城400年ということで、大規模リニューアルオープンしたばかり。戦前は国宝だったのだが、1945年の大空襲で焼けてしまい、戦後はコンクリート造りで再築城した。しかし、かなりいい加減というか、過去の城から離れた姿をしていたのだ、
それを復元にもどしたというのだが……実は福山城博物館になっていて、入って思うのは「お城のテーマパークか」ということ。徳川四天王の展示のほか、映像やら射的やらロボット馬乗りやら……。しかも1階は入場スペースが石垣を隠しているし、天守の最上階には展望台となるベランダ! が周囲を取り囲んでいるし。まあ、元がコンクリート造りのままなんだよな。
次に訪れたのが、鬼ノ城。
実は岡山には古代の山城跡が見つかっている。その正体は明確ではないが、白村江の戦いで破れた大和王権が、新羅の日本侵攻に備えて防御のために築城したと伝わるもの。つまり約1400年前のものだ。
こちらも復元であるが、発見された石塁や土塁、そして版築などを再現して、雰囲気がある。こちらの方が過去の姿に関する資料は少ない(ほとんどない)にも関わらず、本物ぽく見えるし迫力がある。
時間がなかったので、全域を回れなかったのが残念。しかし、山全体を取り囲んでいるので、かなり広い。
ちなみに大和防衛用に九州から中国四国地方にたくさんつくったが、最後の防衛拠点が生駒山にある高安城である。痕跡は倉庫跡などわずかにしか残っていないが、古代山城のモデルを、この鬼ノ城に求めるなら、おそらく規模は生駒山全域になるのではないか。そう思うと、改めて高安城を見直したくなる。
そして最後が烏城こと岡山城。もっとも、11月までリニューアル中で中には入れなかった。まあ、以前入って登っているからよいのだが、真っ黒な城も見た目はよろしい。さて、中はどうなることか。
日本全国に多くの城が観光対象になっているが、そもそも現在も築城時の姿を残しているのは、たしか12くらいのはず。そのほかは、ほとんど復元なのだが、それも往時の姿を忠実に再現しているものは数少なく、なかにはなかったはずの天守閣をつくり、屋根の形も「かっこよく」するため勝手にでっち上げたりと、かなりいい加減。加えて観光施設として展望台やらエレベーターをつけたり、内部もパビリオン化している。コンクリート造りそのものを絶対ダメとは言わないが、歴史的価値ゼロのものも多い。
城を地域のシンボルに見立てて、観光拠点にしたがるケースが多いが、その結果が、テーマパークだと私は情けなく感じてしまうよ。
実は福山なら「草戸千軒」という川の中州にあった港町の遺跡があって、その復元も博物館で行われている。こうした中世の町並みを実地に規模で復元した方がよほど迫力あって楽しめると思える。
城に頼る町おこしは、よほど気合を入れないと恥ずかしいし、そろそろ頭打ちではないかな。
川上村に行ってきた。実は、わりと重要なことがあったのだが、それは改めて。
ここでは帰りに寄ったカフェのご紹介。
川上村には「匠の聚」(たくみのむら)と名付けられた地区がある。そこに芸術家たちが移り住んで創作活動を行っている。アーティストを招くという手の村おこしは各地にあるのだが、ここが一味違うのは、ギャラリーとカフェが付属(さらにコテージもある)している点。ちょうどギャラリーで木工の昆虫展(松本一平作品展)が開かれていると案内を目にして、ちょっと寄り道してみたのだ。
しかし、幹線から離れてうねうね山道を登って行って、おいおいこんな奥まで来たら遭難しちゃうよ、的な感覚に襲われたところで、急に峠に出て眺望が開ける。そこにあるのが「匠の聚ギャラリー」。
昆虫は、こんな具合。かなり巨大でオーム(王蟲)の子どもみたいなのもあるから、ジブリの世界みたい(^^;)。なかなか精巧で、しかし細かな足や触覚まで一刀彫とは恐れ入る。
ちなみに、このギャラリーはコンクリート打ちっぱなしで地下にある。この空間自体がアートだ。
そしてカフェコーナー。村では珍しい若い女性もいる(⌒ー⌒)。
メニューまでオシャレだ(笑)。
山村の魅力を売り物にしようと、よく自然いっぱい、地のものを食べて飲んで……という世界観があるが、それだけではきつい。都会から来た人は一時はそれを楽しむかもしれないが、多少とも長居をすると飽きてくる。もっと洗練された世界にも触れたくなる。もちろん地元の人なら尚更だろう。
その点、このギャラリーは、一瞬「山村」を遮断してくれる。もしくは窓枠の外にある遠くの景色にしてくれる。さらに一角にある「小西保文アトリエ記念館」(小西は亡くなられた住人で、世界的な画家)を覗くと、なんだかニューヨーク・ブルックリンの画廊か!みたいな空間が広がっている。目の前に生のキャンバスがあるのだ。その絵からは、都会の薄汚れた臭いがする。
それが心地よい(^o^)。山と森ばかりだと飽きる\(^o^)/。
田舎の土地が自然を売り物にするのはいい。いや、それ抜きに売るものはないはずだ。しかし……それだけだと一過性になってしまう。その点、オシャレなカフェがあると点数高いよ。
オマケの展示。村で働く人。
週末訪れた伊豆諸島の神津島には、天上山という標高577メートルの火山があるのだけど、なんと6~7合目以高は、森林限界になっている。植生は膝の高さにしかない。
しかも山頂周辺は岩石地帯で、砂漠もある。まるで3000m峰を登ったみたいな気分である。なんとハイマツまであるのだ。(種としてはクロマツだろうけど。)海風が強いからだろうが、不思議だ。
こんな具合に岩に張りついている。
そこで気になったのが、ハイマツの実である。
私は考えたのだよ、この実をスピリッツに漬け込んだら、ジンになるのではないかと(^^;)。神津島の特産品が誕生するぞ。島に酒造メーカーがないのはちと弱いが、梅酒など果実酒のようなつくり方ならできるはず。度数60度ぐらい(コロナウイルス消毒用アルコールとして作ったけど、売れていないから買い集めたらいい)のスピリッツを仕入れて、ハイマツの実をボタニカルとするのだ。ジンの味を決めるのはジュニパーベリーだが、その日本名はセイヨウネズ、ネズマツとも言うではないか(ネズはビャクシン科だけど)。実際実は爽やかなヤニ臭さがあって、似ていなくもない( ̄^ ̄)オイオイ
最近、日本の酒造メーカーがこぞってクラフトジンを作り出している。日本酒の消費が頭打ちで、何か新商品を考えたら、蒸留酒となるのだろう。その中でウイスキーに向かうメーカーはあるものの、熟成に最低でも数年かかる。その点、ジンはハーブのような植物性材料を漬け込むだけだから、早い。しかもボタニカルの種類によって個性を出せるから差別化しやすいからこぞって参入すると睨んでいる。
サトウキビをつくる南洋の島でラム製造が流行ったこともあるが、寒い本土では真似できない。そこでジンに行き着いた?
……というような読みをしてみた。
ちなみに私も、新たなお気に入りのジンを発見。
ケイデンヘッド社のクラシックジン。クラシックとは? と試しに購入したが、イギリスで誕生した頃のジンの味を保っているとの評判。これがガツンと来るのだよ。度数50度と高いからだけど(^^;)。これに神津島ハイマツの実を入れてみようなかな。
追記・クロマツではなくネズそのものではないか、との指摘。ハイマツではなくハイネズだった。
先日岡山に行った際、帰り道に道草して真庭市を訪れた。めざすは銘建工業……ではなく、町並み保存地区である。しっかり観光するのだ(^o^)。
ここは合併前の勝山町に残る江戸時代の町並みということだった。たしか20年ぐらい前にも訪れているのだが、当時はあまり観光化もしていず、目立った地域でもなかった。城下町などの木造家屋の町並みを小京都とか名付けて伝統的な歴史風情を売り出す手法は各地にあるが、ここもその一つ。
ただ正直言って、さほど伝統的な家屋が多いわけではない。モルタル家屋や店舗も多く、むしろ昭和レトロを感じさせる(^^;)。
これがもっとも木造家屋の目立つ通りの一角かな。
そのうえ私の訪れたのが平日の朝なのだ。空いている店もあまりないし、人通りも少ない…というかほとんどない。困ってしまう(^^;)。江戸時代の武家屋敷なども残されていたのだが、そもそも2万5000石ほどの小藩だけに城下町や城自体も小さかったみたい。
代わりに目に止まったのが、のれん。
これがいい。かかっているのは通常の住宅もあれば店舗もあるが、店の扱う商品を描いたりもする。ひのき草木染めだそうだ。こちらの方が木造家屋の町並みより映える。のれんの町並みの方を売り出す方がいいんじゃないか。
こちらは歴史があるわけではなく、いわば町並み創生だろう。誰か仕掛け人がいるのかどうか、通りの家が思い思いの柄ののれんをかけると、一気に町並みがおしゃれになる。
中途半端な江戸時代の町並みを売り物にするより“のれんの街”を強調した方がよいように思う。安上がりだし。
私も奮発して、こんな草木染めののれんをお土産に買おうか、と思った。どこにかけるのか悩むが、自宅の部屋の壁でも楽しめる。でも、高いかなあ、大きさも柄も気に入るだろうか。。。と考えながら町並みを歩く。
残念ながら、草木染めの店は閉まっていた。早すぎたかなあ。
ここ数日、アジサイを求めて各地を歩く。
というのは、先日娘とアジサイで有名な矢田寺に向かったのだが、日曜日であったせいかあまりの渋滞に敗退。30分かけて数百メートルしか進まないほどなのだ。まあ、寺までの参道が狭すぎることもあるだろうが。
で、別の寺のバラ園を見てきたのだけど、散りかけ……。そのリベンジに私がアジサイを求めて歩いたのだよ。
まずは生駒山のアジサイ新道と呼ばれるアジサイばかりが植えられた一角。
残念ながら、まだ満開とはいかず、いくつか早咲きのアジサイを見ただけなのだが……やはり標高が高いから咲くのが遅いのだろうか。
というわけで、再び矢田寺を狙う。ただし、ルートは山越えに歩いてめざす。矢田丘陵を超えて、矢田寺の背後から奇襲・急襲……が、そこにもちゃんと参拝料を聴取する門が設けられていたのであった。
それでも、こちらは満開だ。境内各所にアジサイが植えられているが、それだけではない。平日だが、そこそこの人手だ。やはり花は人を集める。
寺内にある谷の一角を区切ってアジサイ園としているのだ。そこは、急峻な斜面もみんなアジサイ一色。その合間の狭い路をアジサイをかき分けるように歩くという趣向だ。
「ああ、アジサイきれいだな」と独りつぶやく。そして空を見る……。
まあ、花言葉が「心変わり」「浮気」「無常」だからね……。
ところでアジサイは、プリザーブドフラワーに欠かせない花の一つ。プリザーブドフラワーとは、花に油性物質を浸透させて、生きた状態のまま保存できる。これで花束をつくると1年以上持たせることができる。
アジサイは、主役ではないが、常に添える花なのだ。しかし日本産のアジサイが手に入らず、アメリカから輸入しているそう。今の円高ではきつかろう。今こそ国産アジサイ花を出荷するべきではないかね。まず花を見せて金にする、花に集まった人に飲食を売るだけでなく、アジサイにちなんだみやげ物を売る。そして枯れた花を摘み取ってプリザーブドフラワーに加工したらまた金になる。地域起こしになるぞ、と私は各地に進めているのだが。
東京で訪れていたのは、深川不動尊や神保町の書店や土倉取材やメトロポリタン美術展だけではない。実は、娘とデートしていた。ガッツリ食って、恵比寿ガーデンプレイスに。
人工的だが、おしゃれな場所になっているねえ。観光地ぽいが、そこに子どものおしめの大袋を持った子連れ主婦も歩いていて、ここが住宅地でもあることに気づく。もちろんオフィスビルもあるから、職場でもあるのだろう。職住観光混在の地であった。
娘の写真を公開したいところだが、よからぬ輩が現れないよう目臥せする(^^;)。
というわけで、娘孝行してきた。もっとも娘からすると、親孝行か。いわばパパ活(パパに活力を)というわけだ。
で、それから数日後、娘は生駒に帰省した。なんや、それ……。
そして行ったのがタケノコ掘りと若竹退治。そして森の中のカフェレストラン。生駒も職住森遊び混在の街であった。おしゃれだろう(⌒ー⌒)。
この日は、20本くらい掘ったが、折り倒した若竹も20本近く。まだまだ出そうだ。かくしてGWは過ぎていったのであった。
最近、ちょくちょくと奈良公園周辺に出かけるのだが、奈良すごいぜ、と思うことが増えた。
観光地なのだ。
というと、呆れられるか。奈良は(コロナ禍前は)年間1000万人以上が来訪した日本屈指の観光地である。が、現実には20年ぐらい前は全然観光地ぽくなかった。東大寺だ興福寺だ、その間の奈良公園にはシカがいるよ、といった観光地ではあったが、日常的な町はまったく観光客を寄せつけないというか、寄ってくれないというか。。。駅前の商店街だって、フツーの店ばかり。観光エリア(というよりピンポイントの観光地)と市民エリアがくっきり分かれているようだった。
ところが最近は、すっかり垢抜けしてきた。それも私的にはよい方に。たとえば午後8時を過ぎたら開いている飲食店がないと馬鹿にされがちだが、それは本気で町を歩いていない証拠。よくよく路地まで歩くと、結構店がある。世間がマン防だとかで店が閉まっていた時期でも奈良はしっかり開いていた。だってマン防も緊急事態も発令していないから。(だから大阪からわざわざ奈良まで飲みに来る客が少なくなかった。)
そしておしゃれな店が増えた。昭和の喫茶店しかないのか、と思わせた平成時代だが、令和になって隠れカフェ的な店がそこかしこに見つかる。それこそ、こんな路地まで観光客来ないでしょ!と思わせるところに店がある。飲食店だけでなく、工房あり、ゲストハウスあり。団体客は入りづらいだろうが、一人二人の旅にはむしろ心地よさそう。むしろ、どこにどんな店があるか、と探す楽しみがある。安く長期滞在できるし、町家の風情も味わえる。
おそらく町を歩いて自分で面白スポットを探したいような通の旅人に、奈良は絶対楽しめる。
……と奈良の旅をオススメしたところだが、そんな中で見かけたもの。
奈良公園の中に野外にテーブルが並んでいて、好きに座ってゆったりできる。春先のサクラの花の季節にはなかなかよい。
が、そのテーブルの真ん中にあるのは……衝立。やはりコロナ対策に向かい合って座った人に飛沫を飛ばさないようにしているのであった。野外で……。なんか無意味だなあ、と思ったのだが、その衝立が杉板であった。アクリル版でないところが好感。こんなところに一工夫?
聖武天皇陵近く、ほとんど人影のない、そこに道があるとも気づかないような路地にも店があった。
「自由に落書きしてください」というビル。こうした感性が育っている。
京都府南丹市立文化博物館で「森と共に生きる」という特別展が開かれている。
私は、まだ足を運んでいないのだが、その目録というかパンフレットが送られてきた。
この展覧会の中心は、「知井地区を中心に」ということだが、ようするに芦生の森が舞台だ。京都大学の研究林であるが、同時に貴重な原生林として知られる。ただ原生林といっても古くから人の暮らしと結びついてきた地域でもある。
展覧会は神仏の世界から歴史的な古文書、民俗等々幅広く扱っているが、実は第2部は「芦生の森を描く」として絵画が並ぶ。
この企画が面白いのは、写真だけではなく絵画でこの地域の魅力を知らしめようとした点だ。
実は、私はその画家たちのスケッチ行に同行していたのである。そして皆さんのスケッチ風景をスケッチしていた(^o^)。
綿染み常々、「絵画による地域起こし」というのを提案している。写真ではなく、絵画だ。そしてアートでもない。あーとによる地域づくりは各地で行われていて、芸術祭などが開かれている。それはそれで面白いし、人を集める力もあるのだろうが、そうしたイベントではなく、地域の魅力を伝えるのは、写真より絵画の方が適しているのではないかと思っていたからだ。
もちろん高名な画家に描いてもらって、その風景画の価値か出たら、地域に注目が集まるだろう。フランスのバビルゾン村のように。今や印象派の前段階のバビルゾン派画家を生んだ村として人気だ。そこに描かれた田園風景が人気に拍車をかける。
が、それだけではダメだ。正直言って、絵画の価値ではなく描かれる風景の価値を世間に知らせるべきなのだ。それには写真より絵画にした方がよいと思う。よく植物図鑑などでも、写真よりイラストの方が植物の細部や特徴を描けてよくわかるというのと同じ意味だ。
だから無名の画家でもいいから、その村の美しい風景を発見してもらって何十枚と絵を描いてもらうといい。その絵によって村の魅力を伝えるのだ。あご足付きで画家を多数招いて、描いた絵を何枚か提供してもらう、なんて形の地域起こし手法はないか。画学生なら喜んで来てくれそうな気がする。そうした展覧会って素敵だろう。
このパンフレットにも、描いた絵からテキスタイルにしたものまであって、展開の面白さを感じる。
なんなら私を地域づくりアドバイザーとして招きたまえ(笑)。
最近のコメント