地域・田舎暮らし

村ぶろ

7月9日付け朝日新聞の夕刊に、「ブログでおこせ過疎の村」という記事が載った。
http://www.asahi.com/national/update/0708/OSK200907080098.html

これは和歌山県北山村が開いた「村ぶろ」というブログのポータルサイトによる地域おこしの紹介だ。北山村は、和歌山県の飛び地で、三重県と奈良県の間にある。小さな山村。

この村がプログ事業を初めて、地元民だけでなく、仮想村民を募集して、それぞれ綴ってもらうのだ。すでにブログ数は1600を超えたという。ページヴューは、1日約15万件。村民全員でも500人程度の小さな村だから、これはすごい規模なのだ。
おかげで村(だけでなく、紀伊半島全体)の様々な情報が常に更新されているし、それ自体が村の宣伝になる。
そして、重要なのは、このプログ・システムを販売していることだ。するとシステム使用料が入る。現在、全国17カ所で使われ、その収入が年間1000万円にも達する。

自主財源を1000万円も新たに確保したというのは、小村にはすごい価値だろう。めざせ、ライブドア? アメブロ? やっぱりココログ? かv(^0^)

もちろん、私はこの事業がスタートした2年前に取材している(^o^)。

この事業のすごいことは、何もITに詳しい人がいて、始めたのではないということだ。
村の公式HPを作ろう、という命が下った時に、担当者は、「いまやインターネットはホームページよりブログですよ」と提案したことから始まったという。

まあ、このくらいの知識なら私も当時持っていたし、誰もが感じていたことだろう。が、どうせやるなら村のブログを立ち上げるだけでなく、ポータルサイトになってブログを提供する側に回ろう、という発想だった。

とはいえ、担当者がIT技術に詳しいわけではない。ちゃんと業者に依頼して作ってもらったのだ。もちろん何千万円もかかるが、それを村長は、議会の了承を取り付けて予算を組んでしまった。その時には、ちゃんとシステムを販売することも考えていたという。元は取れる、と踏んだのだ。

結果は、お見事!

システム販売以外にも、ポータルサイトを通じた通販を手がけたり、広告収入も入る。さらに宅配便などの窓口業務も行えるという。今後は、各地の村ぶろサイトのネットワーク化も考えているようだ。

地理的に不利でも、技術がなくても、ずば抜けた資源がなくても、思いつきのアイデアと、それを実行するリーダーの的確な判断と小回りの良さがあれば、活路は開ける見本だろう。

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某村の財政観

昨日は、終日某村に行っていた。この村は、合併を拒絶し、自らの村の生き残りを模索している。

そこで聞いた村役場の課長の話。

もともと合併協議会には入っていた。が、合併して効果を出すためには、それぞれの町村が、まず行政のスリム化に取り組まねばならない、と村長は訴えた。が、ほかの首長は、ほとんど関心を持たない。それで危険を感じて離脱した。

実は、この村では、その前より行財政改革に取り組み、それこそ職員給料を絞り、村の祭りも中止して支出を減らす努力をしてきた。そのため、ほとんど余裕がなくて新たな事業に取り組むこともできなかった。

当時、村の年間財政は約20億円。ところが、合併協から離脱した頃より小泉改革が始まり地方交付税交付金の削減が加速し始めた。そのため財政は、ほとんど15億円になったという。ところが、村長は「10億円までなら耐えられる」と言っていたそうだ。一方で、残りの町村で合併してできた市は、恐慌状態になったようだ。

そして、ここ1、2年。「なんだか余裕が出てきたんですよ。あれほど苦しいと思っていたのに、意外やお金が余る。おかげで新たな事業を始めることができる様子です」
そして、いろいろな仕掛けを行っている。今秋には、そのための第3セクターの株式会社も設立する予定だ。そこでは、村の資源を外に売っていく仕事を担う。

ちなみに今年の財政規模は、21億円。これには、景気対策名目でドカドカと国がお金をばらまいたためである。

「でも、このうち2、3億円は余計ですね。釣られて財政を膨らませても、すぐに萎むんだから大変になります。うちの村は10億円でもやっていくつもりでないと」

どうだろう。どこかの総理大臣に聞かせたい言葉ではないか。いや、すべての自治体が、こうした覚悟を持つべきだろう。余計と言われたお金をばらまいて、その借金の付けは誰に回すのか。

自分の任期中だけ安泰にいたいと思っている総理や議員、そして官僚には無理かもしれないが、本来国家の経営とは100年の計が必要なんですよ。知ってました?

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豆腐の行商

テレビで「たそがれ清兵衛」を見て気づいたのだが、頻繁に物売りが現れる。いや、買い物の多くは物売りによる。豆腐にザルに……。

思えば店舗の並ぶ商店街的な町が生れたのは、江戸時代の後半で、それも江戸や大坂、京都など都会だけである。地方ではそんなに店舗販売は盛んではなく、行商が主流だったという。それは江戸でも同じだ。一新太助は、魚の行商人ではなかったか。

これは今日のことだが、たまたま生駒山中腹の棚田レストランでお茶していたら、車による豆腐の移動販売がやってきた。ここ1ヶ月前ほどから現れたという。私は買う機会を逃したが、物珍しさもあって、少し高めの豆腐がよく売れるそうだ。ほかにスイーツとしての豆腐などもある。

今後、再び客の元へ売主が足を運ぶ移動販売が広がるのではないか。思えば町は郊外へと広がりニュータウンも増えたが、高齢化が進むと、なかなか町の中心街、ショッピングタウンには通いづらくなる。車を運転できなくなれば余計そうだ。宅配だけでは間に合わない。
一方で過疎化が進んで、店舗経営が成り立たなくなる地域が増えている。それが限界集落も生み出す。頼みの綱は、車の移動販売である。ほとんど命綱になった地域もある。

また移動販売・行商の場合は、売り手と買い手の間にコミュニケーションが生れる。その点でも新たな展開が期待できる。東京には、ゆっくり裏路地まで回る豆腐の行商が、新たな商売として流行りつつなるとも聞く。

ところで先日、某田舎の豆腐屋を取材に行った。片道7時間かけて(^^;)。

だが、その豆腐屋は、雨の降る朝から行列ができていた。県外ナンバーも多かった。かなり高めの豆腐だが、みんな大量に買い、また宅配便で配送するほどの人気だ。私もいただいたが、やはり美味い。

その主人は、元は酪農をしていた。が、大借金を抱えて、とうとう廃業。その時思い付いたのが、豆腐屋だったそうだ。とはいえ、まったく修業もせず、大豆と機械を仕入れた問屋に扱い方を教わっただけで豆腐を作ったという。無茶苦茶(^^;)。

だが、勝算はあった。それは豆腐の行商である。その村の全世帯に直接届けに行くのである。結果的に、村の半分の世帯が、豆腐を毎週買ってくれるようになった。

「思えば、その頃作っていた豆腐は不味くて酷かった。それでも、村の人たちは私が牧場を閉じて苦しいことを知っていて、みんな買ってくれた」

こうしたところに田舎の人間関係の強さと奥深さを感じる。一種のセーフティネットにもなるのだろう。
その後、すべて国産大豆に換えて価格も2倍近くなったことで固定客は減るが、その分は観光客などが押し寄せるようになる。もはや村人に支えられる必要はなくなった。だが、今も宅配は続けている。

売り手が出かけるビジネスを広げることは、地域社会に強さをもたらすのではなかろうか……。

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「余暇」と「田舎暮らし」

某テレビ番組を製作するプロダクションからメールで相談を持ちかけられた。

「余暇」をテーマに扱いたいので、「余暇」の一つである「田舎暮らし」について、様々な事例を教えてほしい……。

よくある依頼だ(笑)。

これに応えるかどうかは、まだわからないが、根本的に???と思ったのは、田舎暮らしを「余暇」と捉えていることだ。暮らしなのだから、生活全般であり、余暇活動とは一線を画すはずなのだが、それはどうした意識から生じるのだろうか。

どうも、ここで頭に浮かべている田舎暮らしとは、リタイヤ後に都会から離れて過ごす場と時間という設定らしい。

田舎自体に生活の基盤を移すとは思っていない。いわば別荘暮らし、あるいは農村リゾートへの滞在だ。クラインガルテンも含まれるのかもしれない。しかし、別荘暮らしは田舎暮らしと決定的に違う。そこで家庭菜園をやろうと、薪ストーブを使用しようと、田舎ではない。そもそも別荘に暮らす人は、自分自身が田舎で暮らしているとは思っていないだろう。

ここで、プロダクションやテレビ番組の企画に対して論じるつもりはない。
私が驚いたのは、都会の人にとっての田舎とは、生産活動をする場だと感じていないことに、改めて気づかされたことである。もちろん地元の人と一緒に地域を作るという意識もなさそうだ。

都会からすると、田舎に生産活動(経済活動)を期待していないのではないか。せいぜい余暇の場であり、地元の人は余暇(レジャーや観光)に伴うサービスを提供する要員という位置づけなのかもしれない。それが産業であり、経済活動だと言ってしまえば、生産活動をしていると言えなくもないが……。

一方、多くの田舎では、田舎こそ生産活動の場(とくに第1次産業)であり、さらに労働力という形での人材供給の場であった、と感じている。だから都会で働いている人も、田舎に恩返し(税金の投入?)すべきだと主張する。
この主張は、つい最近までは一定の説得力があったのだが、今では第1次産業の生産物は海の向こうから輸入されるし、人材供給も都会で自足する、あるいは海外からの労働移民の可能性もあることから通じなくなってきたのだが。

ここで「だから都会人の発想は……」と批判するのは簡単だが、それでは何ら事態を帰ることにはならない。むしろ改めて考え直してみてはどうだろうか。

果たして、現在の田舎は生産活動をしているのかだろうか……と。

案外、田舎の役割は、生産ではなく余暇だという結論になるかもしれないよ。

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「ご近所の底力」で、棚田は守れるか?

なんでか6月14日の昼間に放送されたNHKの「ご近所の底力 ふるさとの棚田よよみがえれ」という番組。わざわざ録画して見た。

ようするに、ほとんど限界集落(この言葉、使っていいのだろうか)になった、宮崎県日南市の酒元集落の棚田をいかに守るか、というのがテーマだ。ここの棚田は日本の棚田百選にも選ばれた美しい石垣の棚田が広がるそうだ。ちなみに、この集落は、すでに棚田オーナー制度なども展開しているが、それさえも維持するのが難しくなっている。

内容は、探したらNHKのホームページに詳しく載っていたので、参考にしてください。
http://www.nhk.or.jp/gokinjo/backnumber/090614.html

提案された棚田を守る手法は、2つ。

一つ目は、農業に興味のある学生にボランティアとして来てもらうこと。これで日常の農作業をこなす。学生にとっては、教室では学べない現場の農業や地域の勉強になるから、希望者は少なくない。この事例は、鳥取県の人材学生バンクが行っている。

2つ目は、ヨソモノではなく、集落の子弟を呼び返すためのイベントを行い、年に何回か帰省を促すこと。Uターンまで結びつくかもしれない方法だ。この事例は、熊本県水俣市の久木野集落の愛林館が行っている。具体的には、「家庭料理大集合!」とか「シシ鍋マラソン」「棚田の灯り祭り」など。都会で暮らしつつも、故郷に帰る機会を作るのだ。

なるほど。……とは思ったが、実は、この2つの事例は、私はすでに取材済だ(^o^)。

だから、こうした手法の可能性は感じつつも、運営の大変さも知っている。やはり、キーマンがいないとできない。

学生人材パンクのボランティア登録は800人を越えるそうだが、それだけの学生を集めるのはあまくない。農学部のある大学が地元にあることも重要だ。
愛林館は、その筋では有名(笑)。こちらも頑張っておられる。そもそも、一つの集落の地域づくりのために愛林館なる組織を作らせたことが出色なのだが、立ち上げた人材の能力にかかっている。

個人的な人材に頼らず、自治体などが取り組まねばならない面も多いだろう。

また、目先の維持は何とかしても、棚田地域の経済力を高めて若者が生活を送れるようにしないと、Uターンしたくてもできない。住民がいなくなれば、ボランティアも呼びようがない。だから、こうした手法を第一段階として、次のステップを考えておく覚悟がいる。

Uターンや、あるいはIターンが可能になる仕組みや、彼らの知識・ネットワークを活かしてほしい。

重い課題だ。

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うがやゲストハウス

うがやゲストハウス
うがやゲストハウス。奈良に始まって誕生したゲストハウスだ。

ドミトリーで一泊2500円。今は外国人が多いが、奈良の観光シーンを変えるかもしれないと思ってる。

追伸・ 奈良は、旅客宿泊者数が全国最下位。
そのため県も、ホテル誘致に必死になっているが、ことごとく失敗している。

しかし、本当に必要なのは、豪華な観光ホテルだろうか。そんなお金持ち狙いだけでは、宿泊者は増えないだろう。そもそも奈良は、観光ポイントが数多く、とても一日や二日で見終わることのできない町である。しかもゆったりした雰囲気が魅力になる奈良の町に必要なのは、長期滞在者用の安い宿ではないか。実際、安いから外国人客が殺到しているのだ。

200904181701001 お客さんと、女将。私も、家を飛び出したら、ここに滞在しよう。

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大手勝ちのふるさと納税

大阪府に、80歳の女性が、1億円を「ふるさと納税」したそうだ。

ほかにも大阪府には「爆笑問題」の田中が競馬で当てた1000万円を納税しているし、芸能人や文化人の納税が相次いでいる。これを橋下効果と呼ぶ声もある。

ようするに有名人にはファンが寄付する土壌を作りやすいということだ。それに腐っても大阪府で、地域ブランドも宣伝力もある。この点は、東京都なども同じだろう。

が、ふるさと納税制度って、そんな大都会に有利にするための制度だったのか?
もともとは、削られた地方交付税の穴埋めになれば、というつましい発想だったはずだ。つまり地方の財源が細っている自治体に、その地域に思い入れのある地域外の人がお金を回せることを狙っていた。

しかし、寄付(納税)したくなる魅力を振りまくには、やはり情報発信力のある大都市の方が有利なのである。ここでは大手勝ちの構造が生れている。

結局、企業も大きければコストダウンを計りやすいとか、流通を握れる、さらには金融危機でも倒産すると影響が大きいからと政府の援助があったりして潰されないことまで、大手が優遇されるのである。

今や強者だけが生き残れる社会構造が築かれている。……なんだか共産主義者になった気分だが、しかし、中小が消えた後も大手が生き残れると思うなよ。

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耕作放棄と、農作物放棄

山梨では、限界集落いっぱいの町を訪れた。

それでも、田畑はよく耕されていた……

農水省が、初めて耕作放棄地の調査を行った。その結果が発表になっているが、全国で約47・4万ヘクタールの放棄地があるそうだ。
そのうち13・5万ヘクタールが、もはや農地とししては使えない原野にもどっているという。すぐにでも農地にもどせる土地は、19万ヘクタールである。残りは、多少の整備をしないと農地にもどらない土地。ようするに3割り近くは、すでに農地ではない

この3つの区分は、時間軸に並んでいて、どんどん原野が増えていくのは間違いない。これは恐ろしい数字なのだが……実はもっと現実は薄ら寒い。

中山間地では、高齢化した住民が、必死に農地を耕している。だから、まだ放棄地が47万ヘクタールで留まっているとさえ言える。
が、努力して耕して作られた作物……米や野菜はどうなっているだろうか。

そこに住む人たちだけでは消費しきれないのだ。かといって、出荷するほどの量と質を保てない。形や大きさなどを整える調整作業も手間がかかってできない。無理に出荷すると、箱代で赤字になる。

で、作った作物を捨てている。

苦労して作り、肥料代や機械代も費やして作った作物を捨てている。

それでも耕すのは、農地を農地のままに保ちたいという「尊厳」みたいなものだ。

それをおかしいと笑えない。なぜなら、林業でやっている切り捨て間伐がまさにそうだからだ。林業の方が、もっと大規模にやっている。なにしろ補助金つぎ込んで捨てているのだから。これって、産業廃棄物か。

先日、聞いた話。なんと昨年度の経済対策で、中山間地で耕した農家には補助金が出るようになったそうだ。もちろん米も。片や減反を強要して、その代わりに補助金を渡し、その陰で(自給用に?)耕した農地には補助金を出す。こういうのは、マッチポンプとさえ言わない。

こちらは笑える

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田舎で働き隊!の広告

今日の朝日新聞に、「関東ツーリズム大学」と「日本アグリビジネスセンター」の広告が載っていた。

どちらも3分の1面を使い、カラー版。おそらく、ほかの全国紙でも載せられているだろう。全国区の広告だから、掲載料は何千万円かになるのではないか。

関東ツーリズム大学というのは、NPOなどの集まりで、事務局はNPO法人「えがわつなげて」が行っている。このNPOの代表理事は会ったことがあるが、なかなか愉快な人である。が、お金持ちというわけではない。またアグリビジネスセンターは社団法人。

この広告の内容は、ようするに農村体験や田舎への移住、農林業の人材養成の募集である。これは、農水省が始めた「田舎で働き隊!」の募集・宣伝なのだ。

おわかりだろう。こうした広告費は、全部補助金……委託事業費である。

田舎で働き隊!事業でついた予算何十億円かのかなりの部分は、こうした広告宣伝費に消える。本当の移住者や新規事業のために使われるのではないのである。関係者はウハウハだろう。
それにしても、この広告づくりは、どこに発注しているのだろうか。もしかしたら、随意契約という名の「お友達」会社かもしれないよ。

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あさひやま動物園の真実

そもそも北海道に、なぜ行ったのか。

それは「あさひやま動物園」でペンギンが見たかったから! (~_~)\(-_-メ;)ウソデス

今やあさひやま動物園といえば、上野動物園を抜いて日本一の動物園とされ、映画にまでなった動物園だけでなく地域再生のシンボル。地域づくりの事例としても注目されている。なにしろ、この動物園に行くツアーが企画されて、全国、いや海外からも人を呼び集めているのだ。おかげでテレビに雑誌に多く取り上げられ、すでにどんな動物がどのように展示されているか知ってしまっている。
実は、私は今ほど騒がれる前に某雑誌に企画を出したのだが、ボツになった。編集者の見る目がなかったと今なら断言できる(^^ゞが、だから今回が初めての訪問だ。

さて、訪れたあさひやま動物園は、いかなるものであったか?

それが……最初に門の前に立って思ったのが……「しょぼっ!」

そう、小さかったのだ。そして入ってからも、意外なほどフツー。そんなにきれいでもなければ、目を見張る造りをしているわけでもない。有名な海を飛ぶ(泳ぐ)ペンギンを見るチューブ状通路も、5mもないかなあ。水槽も傷だらけで汚れてるし。展示説明版も手書き。

それでも、見ていて飽きない。ライオン、トラ、黒ヒョウ、オオカミにエゾジカ、オランウータン、チンパンジー……そして白クマにアザラシ。じゅんじゅんに回るが、一つ一つは、立派な施設でもない。だが、徐々に仕掛けがわかってきた。

見学者にすっと寄ってきた飼育員が、さりげなく生態を説明する。そして隠し事をするように
「ペンギンの散歩見た? あれ、見学者が多くて見づらいでしょう。実は、別の時間にもっと近くで見られるポイントがあるんだ。しかも、一緒に歩けるよ」

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私にではなく、若い女性に言うのが本当ぽい(笑)。

実際、その時間に聞いた現場に行くと、

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おお、人気がないところをペンギンが歩きだした!

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まっ、すぐに人がたかりだしたが。

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それでも、これくらい近くで見られる。

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最後は、こんな感じ。

またオランウータンのコーナーには、こんな展示があった。

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ようするに研修生の体験談の発表。なんだか小中学校の作文みたいである(^^;)。ほかにも、一生懸命さを伝える仕掛けがある。それは、足りない設備を補うために、必死で頭を絞った結果だろう。そして動物好きには伝わるポイントを押さえている。

おそらく、現在観光バスを連ねて訪れる客の中には、大アトラクションが見られると思っていて、がっかりして帰る人もいるのではないか。「えらく人気だと聞いてやってきたのに、この程度かよ」と思っている人は少なくないはずだ。ただし、そうした人は、実は動物に興味がないのであり、単なるハヤリモノに手を出したがる人種である。(もっとも、そうした人は、内心がっかりしても、今どき人気の施設を見たことに価値を感じるから、案外喜んでいるのかもしれない。)

これは、案外高度な地域づくり戦略かもしれない。客を選ぶわけだから、いつまで現在の来園者数を保てるかわからない。それにスタッフの工夫次第、アイデア勝負だから、気を緩めると、すぐにぼろが出る。プレッシャーもあるだろう。
しかし、今目の前にある資源を最大限に活かすという点では、地に足のついた戦略だ。

同時に、ここを視察しても、アイデアの出せる人材がいないと上手くいかないという点でもシビアである。真似て水槽設置しただけではダメだよ。

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フィールドミュージアム

最近私が目にして気になるのは、フィールドミュージアムだ。森を歩こうとすると、そんな看板がかかっていることが多い。森全体をミュージアム(博物館)に見立てている。草木や池などを展示物として、自然を知ってもらおうという趣向だ。

建物の中に閉じ込めず、野外全域をそのままミュージアムへ!

こんな掛け声とともにフィールド・ミュージアムという概念が提供されて何年くらいたつだろうか。しかし……。

もともとは、野外の価値あるものを再発見するような意味合いがあり、いわば地元学に近かった。森林療法・セラピーと同じように、すでに目の前にあるものに価値づけする効果があった。

だが、かつて斬新だった発想も、最近では当たり前か、手垢が付いてきたように思う。

そもそもミュージアムを名乗っても、やっていることは、名所を説明する看板立てて、ルートマップなどのパンフレットを作ればオシマイだ。ようするに安上がりなのだ。金をかけずにミュージアム(博物館)を名乗れることに行政が乗っかっただけだ。

かくゆう私の住む町も、フィールドミュージアム構想を打ち立てているのだが、内容と言えば、市内各所の名所とか自然景観などを紹介しているだけ。説明板も通り一遍で、それを読んで訪ねようという気にはなかなかならない。

近頃は、本物の博物館でも、単なる展示では客が呼べないといろいろ工夫している。体験を重視し、展示物を手で触れるようにしたり、研究現場を公開している。あるいは研究そのものをストーリー仕立てで見せることをやっている。また動物園でも生態展示とか言い出した。
それなのにフィールドミュージアムには、何の工夫もない。

本来は野外を博物館にするはずなのに、野外を博物館と呼ぶ、だけの代物である。

見せる、体験させる、学ばせる……には、それなりのプロの感覚が必要ではないか。それが成功して、初めて旭山動物園のように人気を博すのである。

森を人気一杯の博物館にする方法をこれから考えてみたい。

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田舎で働き隊!の募集

何度も取り上げた農水省の「田舎で働き隊!」、早くも募集を始めていた。

先週末から今日も、説明会が東京や大阪で開かれたようだ。やけに早い。これも緊急雇用対策の一環だろうか。いや、募集側の仕事として(笑)。

ちょっと驚いたのは、現地研修会に参加すると、交通費などは支給されるのだという。3日~10日間の研修費用も、向こう持ち。至れり尽くせりだ。私もできるだけ遠い地域に申し込んで旅を楽しもうか。

一体何人がエントリーされるのかわからないが、あくまで研修であって、確実に田舎に移住する人ではない。研修受けて、「私には無理だ」と思えば、おしまいである。

税金つぎ込むんなら、絶対移住することを誓約させて、一定期間以内に離脱したら違約金を取るくらいの覚悟を持って田舎暮らしと就農させればよいのに。さもないと労働力として役に立たん。

1年働いて、その結果として「田舎の暮らしは無理だ」とか「農業や林業は向いていない」と気づいて辞めるなら仕方ないが、この制度だと、研修だけの食い逃げが出るよ。

私も、次の説明会覗いてみようかな……。

一応、説明会の案内、張り付けておく。

12009年2月8日(日) 14:00~ 東京都千代田区三番町28番地
アミタ株式会社 東京本社
22009年2月9日(月) 14:00~
32009年2月10日(火) 14:00~ 大阪府大阪市西区江戸堀1丁目9番地1号
アミタ株式会社 西日本営業所
42009年2月11日(祝) 14:00~
52009年2月26日(木) 14:00~ 東京都千代田区三番町28番地
アミタ株式会社 東京本社
62009年2月27日(金) 14:00~ 大阪府大阪市西区江戸堀1丁目9番地1号
アミタ株式会社 西日本営業所

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田舎物件バブル

2月3日は拙文、じゃない節分の日。

節分と言えば、鬼は外! の鬼追い行事。

鬼追いと言えば、鬼退治。

鬼退治と言えば、桃太郎。

桃太郎と言えば、きび団子。

きび団子と言えば、吉備の国。

……というわけで、岡山県に出かけてきました。そこで鬼ならぬ山の主に会ってきたのだけど、そこは田舎暮らしを求める人が集まっていた。田舎物件(土地、家、山林など)が売買されている。

すると何が起こるか。バブルである(^^;)。田舎物件の値段がつり上がっている。

会った人は、すでに広大な山林を買い取って「楽しい山暮らし」を続けているのだが、「うちの土地も買ってほしい」と持ちかけられるそうだ。そこそこよい土地だから、と乗り気になって、250万円で決着して、先日現金を持って契約しに行った。すると、

「ごめんな。ここ、500万円にしたわ」

いきなり2倍である。吹っ掛けるにもほどがある。もちろん決裂した。だが、こんな話がざらにある。700万円と言っていた土地と家を、別の都会もんに1800万円で売りつけたとか、30万円のはずの土地が1年後に90万円に上がっていたとか。

2倍3倍の値上がりなのだ。世界中の大不況真っ青の田舎物件バブル

もともと田舎の土地には値段がない。買う人もいないという前提だったから、捨て値が付けられていた。ところが、そんな土地を都会人が欲しがっていると気がついたのだろう。

どうやら政府も、農林業へ失業者を送り込むといを政策を打ち出した。今後、需要は増えるに違いない。イケイケドンドン、足元を見るというか、駆け引きというか、吹っ掛けるだけ吹っ掛ける。もはや契約とか約束とか信義なんてものはない。都会人からむしれるだけむしれ! が合言葉になっているらしい(^o^)。 いや、これは移住者側から見た話だけどね。

もちろん、高くなったと言っても、都会の不動産に比べると圧倒的に安い。だから都会人は騙されるのだろう。いや、本人たちが納得で買うのだから、騙されたのではなく、経理学的には適正価格か。宝石屋ブランド品と同じである。

結局、地主も、その土地で食っているわけではないから、売れなくても困らない。高く売れたら大儲け、売れなくても今のままだから損はない。そういう心理が働いているらしい。
買い取って移り住んだ人も、地元に溶け込めないケースが多い。辛くなって出て行く。おかげで土地は不在地主化する。それがまた出回る。かくして価格は乱高下する。

実は、私も約900坪の山林を80万円でどうだ、と誘われた。ほとんど平地で、近くに清流が流れていて、しかも周りに人家なし。上記のような都会人からの流れ土地だ。あまりの好条件で食指が動いた。

ただ、岡山だからなあ。鬼が棲んでいるからなあ……(~_~)\(-_-メ;)。

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成功事例は失敗の種

各地の地域づくりや起業、改革、新規取組などを取材に行く。

取材対象は、もちろん成功例だ。その事例をいかに活かすか。

だが、最近になって、そんな事例集めは危険ではないか、と思い出した。成功例を紹介して、それと同じようにやれば、あなた方も成功しますよ、ということの欺瞞を感じているのだ。

なぜなら、成功した条件や環境を調べていくと、いずれも特殊というか、それぞれ固有のものを持っているのだ。それなのに安易に普遍化して語るのは、大きな陥穽となる。
あくまで事例は事例。解の公式ではない

基本条件が違うのに、やり方だけ真似てどうする。そもそも真似ることもできないだろう。

でも、みんな公式を欲しがる。そして失敗する。もっとも大きな陥穽が、政策だ(~_~;)。

各省庁では、全国各地の成功事例をそれこそ血眼で探している。そしてうまく行っている地域に取り付き、視察を繰り返し、一般向きに研修マニュアル化して、リーダーを招いた会を開き、あげくは研修で学んだ資格まで作ったりして全国に広げようとする。

元気な集落に、企業に、森林組合に、行く。バスを連ねて視察団を送り込む。

で、成功事例を真似てうちも成功しました、という話は登場しない……。

もっとも「ここの真似はできない」という結論を得るための視察も多いのだけど。だって、真似るのは大変だから、自分たちのところではできないという言い訳を探したいのだ。だから視察は、観光旅行に化ける。

「成功した要因の中に、将来の失敗の種がある」という言葉をご存じだろうか。

なんだか「夢をかなえる象」のヘタな人生訓みたいだが(笑)、当初は成功した要因が、時勢の変化に合わなくなり、次の失敗を呼び寄せるのだ。

もう、事例を真似るのはやめよう。成功事例は、自らの地域に合った具体的な方策を生み出すための参考にするだけにしておこう。

私も『田舎で起業!』という本を書いて、私の本としてはよく売れている方だが、それは事例集ではない。実は精神論の本であった(~_~;)。ホンマか

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水産業にも新生産システム

森林ジャーナリストを名乗っているから、森林や林業だけ、山村だけと思われがちだが、実は水産業にも興味がある。

で、最近は水産業界にも流通の変革が進んでいるようだ。

大手小売り(主にイオン・グループ)は、近年になって船買いを進めているそうだ。漁船が水揚げした漁獲物を全部買い取るのである。中には売れ筋とは違う魚も多くあるが、それも買い取り、グループの販売力でさばく。調理法を調べて、それを付けることで売れるのである。

この方式が画期的なのは、現在の水産流通の裏側がある。今や決まった魚しか流通に乗せなくなっているからだ。マグロとタイ、サバ、アジ……とスーパーに並ぶ魚種は極めて限られている。それ以外の魚は、獲っても捨てているのである。

あげく、港から消費者の手元に届くまで1週間ぐらいかかるようになっている。冷蔵設備が進化しているので気づかないが、流通はどんどん遅くなっているのだ。

それを打ち破ろうというわけだ。消費者はいろいろな魚を手に入れられるうえに流通の短縮で安くなって喜び、漁業も得するから文句が出ないような気がする。

ところが、そううまい話ばかりではなかった。……船買いをされると、水産市場に出荷される魚の量は減る。みんな直取引になるからだ。おかげで、市場が衰退し、すると地元の魚屋に魚が回らなくなる現象が起きている。小さな魚屋は、市場で仕入れるしかないからだ。結局、大手だけが救われるシステムになっていた。

……とここまで考えて気づいたのだが、林業の新生産システムとよく似た構造だ。大手が直買いで木材を集めるから、地元の小さな製材所や木材市場が潰れていく現象と同じではないか。

一方で、大阪の「旬材」という会社が考え出した新システムがある。詳しくは

http://www.syunzai.com/

を見ていただきたい。漁場と消費者を直接結ぶ凄いシステムだ。これなら漁師も市場も廃れない。林業にも、こうしたシステムは作れぬものか。

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クローズアップ現代「故郷はよみがえる」

8日のNHK午後7時半からのクローズアップ現代で、田舎問題を取り上げると知って、見た。

タイトルは「故郷はよみがえる」で、今一部で話題の「集落支援員」制度について紹介するらしい。これは総務省の政策で、過疎地域の生活支援のための人材派遣制度だ。人件費は国が出す。今春から始まるはずだ。

番組か始まると、しょっぱなで登場したのが、新潟県上越市のNPO法人「かみえちご山里ファン倶楽部」。おお、知っている面々や景色が映ったぞ。

驚いたのは、集落支援員制度は、この山里ファン倶楽部の提案だということだ。外部の人間が、集落の問題点を調べ、その解決方法を考え実行する仕組みである。このNPOが上越で取り組んできた実績が、制度を作らせたらしい。

本ブログでも、以前「山里ファン倶楽部」の記録集である「未来の卵」を書評の形で4、5回に渡って紹介したが、それが政策化したようなものだ。

集落を建て直すのに必要なのは、外部の人材である。しかし、外部の人が入って生活できる収入源がない。それを支援員の手当ての形で出るようになれば……何かができるような気がする。これを利用した田舎暮らしも可能になるかもしれない。

番組では、ほかにも島根などの事例が紹介されてきたが、悪戦苦闘の様子が伝わってくる。もちろん制度は、実際に始まらないと本当に機能するのかわからない。役割を自覚して、それを実行する能力を持った人を任命できるだろうか。
とくに支援員に誰を選ぶかが重要だ。結局、役所や農協のOBを選ぶ可能性も高いのだが、それではよそ者の目と智恵を入れたことにならないのだが……。

それでも、ようやく田舎問題にとって明るい話題のように感じた。

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日本の里100選

朝日新聞に、「にほんの里100選」が発表になっていた。

これは、財団法人森林文化協会が行ったものだが、この協会自体が朝日新聞社の出資による財団だし、この事業も朝日新聞創刊130周年を記念して企画されたものなので、事実上、朝日新聞社が選んだものと言ってよいだろう。

ざっと見ると、私の訪れたことのあるところも多いのだが、全体を見回すと北海道が2つと面積の割りには少なく、もっとも多いのは長野県の4つ。本当に小さな集落もあれば、数千人が住む村全体の景観を指定したものまである。そして、やはり棚田など農地の風景が多い。人の営みが作った風景というのが「里」という定義からすると、農林業になるのだろう。

選定に当たっては、候補地を募集したところ4474件の応募で2000地点以上となり、それを400地点まで絞り込んでから、実際に訪ねて現地調査したそうだ。基準は12あったという。そして150地点に絞り、それを選定委員会(委員は5人)が100選んだ……とある。

ここで、選定地がふさわしいかどうか、なんて野暮なことは言わない。それぞれ美しく価値がある里なのだろう。ある種の選定者の思い入れがなければ選べっこない。

ただ、選ばれた土地の人はどのように感じているのかな、思う。自ら立候補したところなら問題ないが、誰かが推薦して、知らないうちに選ばれた……なんてこともあるかもしれない。
選ばれて文句いう人もいるまい。素直に喜べる。100選入りをネタに地域づくりを行えるのなら、より結構だ。

私が取材に訪れたところは、そうした選定地が比較的多い。朝日のライバルである読売新聞社は「遊歩100選」を作っていた。
国がらみの「棚田」やら「街道」やら「名水」やら「巨樹」やら業界団体の「かおり風景」やらなんとか100選ばやりだが、それをいかに活かすかが課題だろう。

ちなみに森林セラピー基地に認定されるのには、立候補しなくてはいけないし、審査・認定料を400万円~500万円支払わなくてはならない。審査なんだから落選することもある……はずだが、実はない(笑)。審査でよい数値が出なくても、ちゃんと認定された例がある。まあ、これだけ金取って、落選させたら訴えられるよな。言い換えると、金で買えるのよ。

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学生起業

今、地域づくりの現場で目立つのは、学生だ。
大学生(と、そのOB)が、田舎に入って様々な事業を起こしたり地域づくりに参加するケースがよく目に止まるのである。

もはや、若者が都会に憧れる時代は終わりつつある、と感じる。

きっかけは様々で、研究室の調査フィールドとして田舎に接したケースもあれば、地方の大学ゆえに、ごく自然に田舎が舞台になったケースや、最初から田舎との交わりを意識して飛び込んだ者もいる。たまたま町のイベントから地域づくり活動に目覚め、それを田舎に移行させた場合もある。いや、最初から起業が目的で、その舞台として戦略的に田舎に焦点を絞った強者さえいた。

形態的には、個人、サークル活動からNPO(任意)、NPO法人、株式会社までいろいろ。

もちろん玉石混淆だが、彼らの中には超真面目で本格的なビジネスである取組も少なくない。

私はその動きをいくつか追ううちに、地域づくり、あるいは経営学の中に「学生起業」というカテゴリーを作れないかと考え出した。

学生の起業は、なかなか特色があるのだ。もちろん、向こう見ずとか、思いつきとか、読みが浅いものも少なくないのだが、若さゆえ地域に受け入れられやすかったり、行動力、瞬発力、そしてネットワークなどが新鮮な学生も多い。いわゆる「若者、馬鹿者、よそ者」の三拍子揃った姿を見られる。

もう一つ、特徴的なのは、何もその地域に骨を埋めるほどの覚悟を固めているわけではないことだ。これは通常なら弱点だが、むしろフットワークの軽さが幸いすることもある。気軽に飛び込み、地域に大きなインパクトを与えつつ、時期が来たらさっと去っていく姿はすがすがしささえある(笑)。

地域を本当に守るのは、地元の人々だ。よそ者の学生(OBも含む)は、彼らにやる気やノウハウを与えて、自身の既得権益には頓着しない。気持ちが揺れると、これまで積み上げたものをあっさり譲って去る。

彼らと如何に組むか、というのも地域づくりの当事者の考えるべきところだろう。

とはいえ、大学側とか地域側が学生さんに起業してもらおう、と思って誘致しても成功しないだろうな。学生が挑戦したくなる気持ちの醸成を行えるかどうか、である。

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感動経営と不機嫌経営

ミゾウユウの大不況が広がりつつある。このままでは「バルブ崩壊」時の不況なんて、可愛いものだった……と言われるかもしれない。

モノが売れない時代になる。
そこで、最近耳にするのが「感動経営」だ。顧客を感動させることで、モノを、サービスを売るという発想なのか。

たとえばスーパーマーケットやファミレス・居酒屋などが、テーマパークのように飾りつけたり魅せる、笑える、驚かせるイ商品展示にする。ときにパフォーマンスもある。
宿屋・ホテルが、手書きのメッセージやら、グッズ類で心憎い演出をする。
手取り足取り、かゆいところに届くようなもてなしとサービスを行う……。
さらに、商品の完成までのドラマをつけ、製造者の顔を見せたり、開発秘話を語る。ついでにトレーサビリティまで保証する。

私も、顧客の立場からすると、そうしたもてなしを受ければ嬉しい。喜んで、また買おう、また行こうと思うかもしれない。

だが、疑問を持っていた。そうしたもてなしやサービスの対価はどうなっているのだ?
過剰なインテリアなどを設置すれば、コストに跳ね返る。手間暇かけたサービスを従業員がすれば、その分の人件費は誰が払う? モノやサービスの価格を上げているのではないか。もし払わずに従業員にただ要求しているだけなら、それは労働強化であり、雇用主の傲慢ではないか。

これが非日常の旅先や宴会だったら、多少高くなっても喜びの方が大きくてもいいかもしれないが、日々の食品を買うスーパーだったら、「そんな演出いらないから、価格下げてください」と言いたくなるだろう。過剰包装したって、家に持ち帰ると破って捨てるだけなのである。

今や、全国どこでも同じメーカーの商品が手に入り、マニュアル化した同じサービスが受けられる時代だ。系列店では、価格まで差がつけにくい。「感動経営」とは、そうした一律の商品を並べた店が、他店と差別化を図るために行うことではないだろうか。いわば消費が飽和した時代に生れた販売方法に思う。

それが、この不況時代、環境問題を抱えた時代に必要なのか。過剰投資・過剰もてなしでが必要なのか。消費飽和状態はいつまで続くのか。

そう、思っていた。

ところが、ちょっと考えが揺らいできた。「感動経営」の主体を勘違いしていたかもしれない、と思い出したのである。感動するのは、消費者ではなく、事業側のスタッフではないか?

「感動経営」を売り物にする事業体は、従業員を感動させようとしていた。何もちやほやしているのではない。むしろ仕事はきつくなるけど、達成感とか、人の喜ぶ顔を見たいとか、仲間と楽しく仕事ができる、といった要素で感動させている。

思えば「ローカル線ガールズ」の書評で紹介したえちぜん鉄道のアテンダントは、その萌えるサービスで十分な対価を受け取っているわけではなかった。客の要望に応えることに生きがいを感じていた。
店をテーマパークのようにしたスーパーやレストランの人も、楽しそうに仕事をしている。みんな仲がよい。給与や待遇で対価を受け取っていなくても満足していた。

私が訪ねた元気な組織---企業やNPOから役所、学校まで---は、みんなそうだった。仕事・仕事場が楽しいから、対価をもらわないサービスをスタッフは行える、いや客や仲間の喜ぶ顔が対価になっている。また責任を負う立場になって、やりがいも出る。

※ 以前、雹でやられたキャベツ1600個を持ち込まれたレストランに居合わせたことがある。店の買い付け担当者は、まだ若い女性だったが、即決で全部購入した。そして捌くことに奔走した。その度胸と、売りさばく自信。その決断を支持して捌くのに協力する同僚。それが彼女のやりがいになっていた。

その雰囲気を言葉を変えて説明すると、「感動経営」になるのではないか。感動するのは、仕事をした従業員。これは、モノスゴイ経営資源だ。

すべてはお客様のために、ではなく、すべては従業員の満足のために(笑)

そう気がついた。

もちろん、そのための仕掛けはあって、そうした団体には内部に表彰制度を作っていたり、社内の風通しがよくして、権限が十分に移譲されている。
リーダーの資質も必要だ。先日訪れたNPOの代表は、多くの学生たちにいじられて笑われながらも、実はちゃんとみんなを指揮していた。スタッフの気持ちをうまく誘導しているのである。和を作る名人だと感じた。

逆に、一人でも和を乱すスタッフがいる組織は、空気が悪くなっている。それも、単に身勝手とか、空気が読めないなど個人の資質だけならともかく、始末に悪いのは、外づらはいいのに、内づらの悪い人。自分の意見・立場を通すために同僚に攻撃的となり、ねじ伏せることに満足を感じる輩だ。そうした人の存在によって、場の雰囲気はガラリと変わる。途端にほかのメンバーのやる気は失せる。

感動は消え、もはや、どんなよいアイデアも、提案も、システム改善計画も、機能しない。スタッフの気持ちがバラバラになったら、おしまいだ。

こういうのを「不機嫌経営」と呼ぼう。

そんな組織内雰囲気になったら、遠からず事業は沈滞するか、内容が変質する。
これが営利の縛りのないNPOなどの運営体なら、組織は分裂し、崩壊は近い。

……近頃、経営コンサルティング的な依頼もあるもんだから、こんなことも考えるようになりました(^o^)  でも未曽有の不況に突入したのだから、経営は真剣にね。

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視察産業

日吉町森林組合のことを、「視察林業」と呼んだことがある。

なにしろ年間1000人~1500人の視察者がいて、それぞれ視察料を徴収しているからだ。内容にもよるが、たしか1~2万円だったので、まともに全部取れれば、それだけで1000万円以上の収益になる。
もちろん、視察者を案内したり、ときに研修として教えたりするわけで、そのコストがいくらかかるか知らないが、それなりの収入源となっているはず。

同じことを「やねだん」でも感じた。

「やねだん」とは、鹿児島県鹿屋市の柳谷集落のこと。やなぎだに、が、なまってやねだんになっている。正確には集落名でもなく、住所は鹿屋市串良町上小原だ。

ここが、行政に頼らない地域づくりをしている。とくに凄いのは、自主財源を自ら稼ぎだしていることだ。一つは土着菌と呼ぶボカシ肥料であり、カライモを栽培してそれで作った焼酎「やねだん」販売もある。食堂まで作った。そのほか山芋加工品や、芸術家の作品販売手数料、などもあるが、何より大きいのは視察なのだ。

補助金を使わず、自ら稼ぎ、その金でまた事業を行う。集落人にボーナスまで出している。「定額給付金」をすでに何年も前からやっているのだ。そうした活動が知られて、視察や研修が引きも切らない。年間3500人もやってくる。

そして視察が来ると、1団体ごとに視察料を取る。昼食を出す。ねやだん製品をお土産に飼ってもらう。こうして地元にお金が落ちるのだ。まさに視察者が、お金を運んでくる仕組み。これこそ視察産業だ。

他人が知りたく思い、視察に行こうと思わせることをすれば、それは事業となるのだ。しかも視察が視察を呼ぶ。一度行った人が、「あそこは凄い」と宣伝してくれて、次の視察者を呼び込んでくれる。まさに正のスパイラル。

みんな感動したり感心して視察し、競ってお土産も買う。仕掛け人の公民館長の話を伺う。でも、それを自らの地域に持ち帰って実践し「自分たちの地域も視察者が来るようになった」なんてケースはないけどね。

ちなみに今週発売中の「女性自身」に、ねやだんの記事が7ページも載っているよ。

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「道の駅」とどんぐりクッキー

岩手では、岩泉町を訪れたが、そこで寄ったのが「道の駅いわいずみ」。

かなりの賑わいである。やはり農産物直売コーナーがあり、レストランがあり、土産物コーナーがある。道の駅としては中級の規模だが、それに比例した土産物が並んでいた。

しかし覗いて驚いたのが、その品揃えだ。何も量や種類がたくさんあったわけではない。規模相応というところである。だが、アイテムが違う。非常にオリジナル商品が多いのだ。

Photo                                                    

写真は、どんぐりクッキーと言って、本当にドングリの粉が混ぜられたものだが、岩泉町オリジナル商品。どんぐり商品はこれだけでなく、どんぐりパン、どんぐりドーナツ、どんぐりパイ、どんぐりラーメンにどんぐり冷麺! 

さらに岩泉の観光の目玉である龍河洞の水も売るが、それを利用したや龍泉洞珈琲に龍泉洞烏龍茶、龍泉洞の緑茶。ほかにも全部確認できなかったが、山菜やら豆腐やら、オリジナル商品が数多いのだ。また水産物も結構あったが、岩泉から三陸は近いことを考えるとそんなに違和感はない。

やはり、これは強い。私も思わず買ってしまった(^o^)。お土産には、地域特産でなければ意味がない。「道の駅いわいずみ」の強みはこれだ。

私は、全国各地の「道の駅」をかなり訪ねているが、最近は面白くなくなっている。画一的なのだ。そもそも、当初の意図であった地域の情報発信は少なくなり、ひたすら土産物売り場と化しているのだが、それにしてもどこで生産したのかわからないようなものばかり。山村でモンゴルの塩を売っていたり、原材料を見ると中国産だったり。

道の駅の経営は、必ずしも地元がやっているとは限らず、都会の商店に任せている所が多い。そして各地から集めたお土産らしきものを一斉に配送して並べさせている。かつて地域づくりの拠点として期待された「道の駅」も、全国一律化、グローパリズムが幅を利かせるようになってしまった。

先日紹介した、野菜販売を始めた学生企業の某君は、道の駅の経営をやりたいと言っていた。地元にある隠れた産物や企画品をどんどん並べたいそうだ。私も賛成である。地元の品を売って初めて意味がある。

でも、道の駅も利権となりつつあるからなあ。指定管理者になるのは至難の業だ。いっそ、赤字で経営者が撤退すればチャンスは回ってくるかもしれない。

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野生動物による田舎度判定法

山形で、野ザルを見かけた。048

                                    

                                  

最近、山村に行けばサルを見かける確率は高まっている。それでも、林道などに下りてきたサルが多いのだが、木の上を渡っていくサルの群を見るのはなかなかない経験だった。

そういえば、先日は吉野でイノシシを見かけた。まだウリボウだったが、二匹林道を走っていた。車で通りかかると必死で逃げる姿を眺めてしまった。

ちなみに、サルやシカ、イノシシなどを見かけて喜ぶのは、まだまだ都会人らしい。
チェッ、と舌打ちするのが田舎人(笑)。

実際、田舎では獣害被害が半端でなく増えている。だから、野生動物を見かけることは、何らかの害を及ぼされる可能性がある。田畑だけでなく、人への被害も起こりうる。喜んでいいられないのだ。

奥多摩では、世界的登山家の山野井泰史が、自宅近隣でクマに襲われた。ジョギング中だったが、おそらく母子熊が道を横断中で、彼が走っているうちに母クマと小グマの間に入ってしまったのではないかと推測されている。

奥多摩役場では、その直後から電話がなりっぱなしで大変だったそうだ。山野井さんの容態を心配するのではない。この事件があったからと言って、クマを駆除するな! という抗議?の電話やメールが殺到したのである。

彼らの言い分では、クマのテリトリーを犯した山野井が悪い、山の素人だ、というものである(^o^)。彼が山の素人だったら、誰が玄人なのよ。人よりクマの命の方が大切だと考える人も都会人には多いらしい。
だいたい襲われたのは、集落近郊の遊歩道であり、山の中というほどの道ではないのだが……。

野生動物に対する反応を見ると、精神的都会人か田舎人かの判別ができる。

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地域づくりの打ち上げ花火

昨日は、思わず取材上の内幕(^^;)を語ってしまったので、第2弾を。

某自治体である。ここは全国的にも地域づくりが熱心で有名だ。町も森林組合も有志も、何やかや、新しい取組を次々と行っている。そこへ別件の取材で訪れたが、やはりお会いする方々と、その話に。どうして、そんなに事業を連発できるほど元気なの?

が、実態はかなり違っていた。いろいろの人に話を聞くと、別の構図が浮かび上がってきた。

たしかに次々と新しい取り組みが発表されるが、なかなか大きく育ったものは少ないのである。一つどこかの部署が何か仕掛けると、負けずと次の計画が作られるが、たいてい数年で萎んでしまう。最初に立ち上げた計画では、補助金を取って始めるが、計画年度がすぎて補助金が打ち切られると、事業自体も消えてしまうわけである。だから打ち上げ花火なのだという。
面白いのは、その打ち上げ花火を見て、ああ、きれいだな、私も便乗して打ち上げようと思う連中が必ずいるらしい。

たとえば、今打ち上げているのはバイオマス。注目される分野をちゃんと意識している。
ちょっと面白い発想でバイオマスエネルギーの素材(燃料)を調達できるかどうか実験するという企てを発表する。すると都道府県も国も、面白そうだ、俺たちもやろう、と補助金をいっぱい持ってきてくれて、それぞれ実験を始める。

これで町は潤う(笑)。打ち上げ花火が消えたら、また別の事業を打ち上げる

それぞれは実証実験なので、一応実験期間が終われば、「成功裏に」終了させるわけである。そして2度とやらない。持続的事業ではないのだ。補助金の切れ目が事業の切れ目。

もし、これを確信的にやっているのなら知能(犯)的だ。国もマスコミも面白い事業に取り組んでいるな、と思って飛びつくわけだが、実は飛びつかせて補助金を取ってくることが事業なのであって、花火の色や柄は関係ないのである。国も騙されているのか、あるいは騙された振りして補助金使って遊びたがっているのか。

地域づくりとか、地域再生は、政策的に大きなテーマだ。だから、どんな方法があるか模索している。少しでも目新しい計画があると飛びつく。だが、飛びつかせることが目的だとしたら……。

もちろん、担当者はそんなこと言いませんよ。表向きは真面目に取り組んでいます(^o^)。
でも、その計画を10年20年と息長く続けて、事業そのものを大きく育てて地域を盛り上げようと思っているかというと……。
マスコミだって、その事業の結果を検証をしないし、その場限りで面白い記事書けたら仕事は終わりだもんな。私は……そのことを知ってしまったけど、どうしようか(-.-)。

でも、そんな自転車操業、本当の地域づくりにはならない。

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田舎はコンビニエンス?

吉野では一泊したのだけど、その際に泊めてもらうところにお土産を持っていこうと思った。

と言っても、菓子折りではなく、その晩のオカズになるアマゴを仕入れていく約束をした。

ところが、そのためにめざした川上村の中井渓谷、ここにアマゴ養殖場(兼釣り場)があるのだが、夕方に行ってみると、もう人気がない。平日は午後4時に閉めてしまうそうだ。

困った。たまたま近くにいる人に声をかけた。「アマゴ、手に入らないですかねえ」。

「とうしても欲しい?」
「は、はい」
「じゃあ、あそこに見える2階建ての家に行ってみなさい。この養殖場の組合長だから」

経営者のところに無理やり押しかけるのかあ。ちょっとヤバいかも、と思いつつ、押しかけた(^o^)。そしてアマゴが欲しいと伝えると、一家団欒中?に主人が出てきてくれた。

「アマゴ、どれくらいいるの?」
「4、5人で食べるので4、5匹でしょうか」
「うちはキロ単位でしか売っていないんだけどねえ。だいたい14,5匹かな」
「それは……多すぎるので半分にできませんか」
「う~ん」

と言いつつも、車を出して養殖場に。
そして養殖場からアマゴをすくってくれる。重さを計るが、私が500グラムのところでOKと言っているのに、どんどんすくって入れてくれる。「おまけだ」

結果的に12,3匹入ったのではないか(^^;)。そして値段は、半額のまま。

皆さん、中井渓谷で、アマゴを釣ろう(^o^)!

それはともかく、田舎は店の閉まる時間が早い、という文句がある。たしかに早い。24時間営業のコンビニになれた都会者としては辛い面もある。しかし、逆に言えば早く閉まっても本当に用事があれば開けてくれるのである。顔なじみなら確実だが、そうでなくても出方次第ではOK。そんな融通は、都会の店ではきくまい。しかも量なども無理言えることが多い。その点、田舎の店は、コンビニエンス(便利)だ。
しかも店主の気持ち次第でおまけもつくよ。

そのためにはコミュニケーションが欠かせない。事情をよく話すこと。自分が何者か、なぜ欲しいのかも聞かれないでも話す。向こうの状況を質問するのもよい。もちろん御礼も丁寧にすること。これも都会の店では消えてしまったものだろう。

田舎の不便さの裏には、別の価値が隠れている。

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祭のあと

昨日は、地元の祭だった。娘も友達と行くし、私は用なしではあるが、かつての学童保育保護者のメンバーが店を出すというので、挨拶がてらに覗きに行った。

すると、ほんの数人が大鍋3つでフライドポテトを揚げ販売している。あまりに人手不足なので、私も思わず飛び込み手伝い。油の前に立ってせっせとポテトをフライする。そのまま数時間(^^;)。あいさつだけでサヨナラとは行かなかった。

かつて学童の店は、延長保育事業の資金稼ぎに始めたものだ。市やそのほか様々な反対をはね除けて始めたものの膨らむ赤字を一掃する最大の作戦であった。それだけに目を吊り上げて、なんとしても稼がねば、と必死だった。仕入れ、仕込み、製造、販売、そして売上と純益を弾き出す。在庫ロスとチャンスロスを秤にかけて、客の流れを読む。私もこの場で商売のなんたるかを学んだ気がする(^^;)。
だが今や有志の楽しみの店となった。店の運営も保護者OBばかりで現役がいない。
すでに延長保育などは市が実施している。その先鞭をつけて市を動かしたという自負はあるが、逆に公に飲み込まれるように自主運営的雰囲気はなくなった。

合間に当時のことを語り合う。まるで戦友会(^o^)である。
「やっぱり市と対立してチャンチャンバラバラやっている時の方が、連帯感があったなあ」とは、OBの言葉。当時は、保護者が何十人もかけつけて手伝ってくれた。最後は涙ぐみ万歳三唱する(~_~;)ほどであった。たしかに危機感が団結と自立心を育てる

そう考えると、公的機関の至れり尽くせりは、当事者をダメにするとも言える。不景気なときほど組織の真価が問われる。地方崩壊が叫ばれる今こそ、本当の地方自治建て直しの好機かもしれない。もしかして、今のニッポンでもっとも自立心のある住民を抱える自治体は、夕張市かもしれない……なんて不遜なことを考えた。

祭も佳境に入ると、それなりに応援に駆けつける人が増えてきた。今回もなんだかんだと多くのOBがやってきて手伝い、子供たちの販売部隊も活躍してくれた。親が働くと子供たちも自然と手伝うものだ。最後に残るのは、みんな知った顔ばかり。

さて、祭で大切なのは、実は前の準備と後の片づけである。

私は準備は何もしなかったので、翌日の今日は朝から片づけに参加した。

油まみれの鍋などを洗って乾かして、倉庫に片づける。祭のあとの静かな達成感? 私は、もともと後方支援の方が似合っている。

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人の動かし方

今日のお客さんを生駒の棚田地帯に連れて行って雑談していると、橋下徹大阪府知事の高校時代のラグビー部の先輩に当たるということがわかった。

そこで橋下知事の人物評価になったのだが、意見が合ったのは、彼の人の心を読めないこと人づかいの下手さ加減。人、とくに部下の動かし方があまりに稚拙であることだ。
政策論は置いておくが、少なくてもいきなり給料を下げると言われて、誰が熱心に働く気になるか。しかも自分はテレビに出ずっぱりで出演料を稼いでいるのである。ついでに政治資金パーティーも開いて何千万も集めている。それなのに公務員は副業禁止。これでは、政策に賛同する人も動かなくなる。給与カットは、ほかの施策をやり尽くして万策つきた最後の策である。人の心が読めないと、どんなよいアイデア・施策があっても動いてくれない。当然何も実現しないという、極めて当たり前のことがわかっていない。

それで思い出したのが、先日の葬儀で久しぶりに顔を合わせた従兄弟だ。彼は、葬儀の合間にふらりと出て行ったかと思うと、教会の隣にあったドラッグストアに行っていた。そして何やらレジ袋をぶら下げて帰って来た。
袋の中を覗くと、リアップとか育毛剤セットが入っていた(^^;)。

「いや、社員に頭の毛が薄い奴がいるんで、気にしとるからお土産や」
話を聞いていると、ほかにもギャンブルに入れ込んで給料使い切ってしまう社員には、無理やり社内預金用に天引きしているそうだ。そして100万円溜まったら通帳を渡してやる。実に従業員にきめ細やかな対応をしている。
「これくらいしないと、社員は根付かないで。大企業と違って、中小企業は辞められたら補充は大変やから」

彼は十数年前に30代半ばで父の会社を継いだ。従業員は全員年上で、しかも彼は次男。父亡き後、経営は決して楽ではなかったはずだ。ちょうどバブルが弾けた後である。
それを軌道に載せて、昨年は過去最高の利益を上げたという。人の使い方のうまさに私はうなってしまった。私より年下なんだけどね。

実は、どんな組織も経営術は同じで、適材適所に人を配置して、重要なのは、それぞれがやる気を出して取り組む体制をつくることだ。起業アイデアとか運営システムなどより人の動かし方が大切なのだ。
なかでも役職に上下関係がほとんどないNPO的な地域づくり組織の場合は、顕著だ。とくに利益もさほど出ていない場合、仲間づきあいが楽しくて参加しているケースが多い。それなのに行動や発言で仲間の和を乱すと、あっと言う間に空中分解する。

橋下知事の改革がどうなるか、私は知らないし興味もない(だって、私は奈良県民だもん)。だけど人の心が読めないと、苦労ばかり増えて成果は上がらないよ。

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地域づくりのネック

地域づくりの運動で最大のネックは何だと思われるだろうか。

まず、地元のやる気のなさ(笑)。

たしかに最大の問題点ではある。でも、これは、ほとんど折り込み済。たいていの地域では、すでにやる気が失せている。ただ、全員かというとそうではない。なかには熱心な人、好意的な人もいる。外部のアドバイザーがいかに地元の人々のやる気を出させるかは、腕の見せ所かもしれない。

私が、もっともやっかいだと感じるのは、自己利益と地域利益の相剋ではないか、と感じる。もう少し簡単に言うと、「総論賛成、各論反対」である。地域づくりといいつつ、それが自身の損益に関わったときの振る舞い方が事業のネックとなりがちだ。

誰でも自らの生活を抱えているから、地域づくりの事業を本業にする場合は、そうした判断が入ってくるのは仕方ないのかもしれない。しかし、副業でも、いや趣味に近くても、案外、関係者は自らの利益には敏感だ。
そのため地域づくりには賛成だが、自分が少しでも損をするのはイヤ、という声が出てくる。なお損というのは、何も金銭的な面だけではなく、労力、プライド、主導権も含めた様々な点がある。
ともあれ地域づくりのために始めたにも関わらず、ノウハウや顧客などを囲い込み、外に出さないようになることがある。あるいはライバルを増やさないことに腐心する。

本当は、ライバルが生れることは損ではなくて、市場を広げ、自らのスキルアップのチャンスなのだが、どうも素直に喜べないケースがあるようだ。

たとえばチェンソーアートを例にとると、これを本業にすると、チェンソーアートの技を他人に教えるべきか、という悩みが出てくる。ショー出演や作品販売を生活の糧にすると、技術そのものが財産だ。そこで“サーカスの技”“マジックのネタ”のように秘匿した方がよいのではないか。同じ技を持つ者が増えたら、自分の仕事に跳ね返って来ないか……。それに趣味でやる人が増えると、危険な行為も行われるかもしれない。

このように初期のチェンソーアーティストは考えることもあったという。

しかし、秘匿してもチェンソーアートは徐々に広がるだろうし、我流で試みて事故でも起こされたら、一気に 市場を失いかねない。それよりも積極的に安全普及して底上げを図り、そして地域づくりに貢献した方が自分もみんなもハッピーになれる、と考え直した。そもそも日本にチェンソーアートを導入したのは、地域づくりのためであったのだから。(そうでしたよね、城所さん 笑)

現実に、技を他人に教えることでチェンソーアート人口が増えたら、必ず自分にも返ってくるものだ。世間の認知が進むことで、ショーも作品購入者も増える。もちろん、そのために技術を常に磨いて、他者の追随を許さないよう努力するのは言うまでもないが。

ほかにも事例はたくさんある。多くのところで、「総論賛成、各論反対」にぶつかっている。
しかし、私が取材した地域づくりに成功した地域は、どこもオープンだった。なんでもノウハウは教えますよ、という対応をしているところが多い。徳島・上勝町の葉っぱビジネスも、高知・馬路村のユズ戦略も、長野・信濃町の森林療法も、和歌山・すさみ町の協同組合式ダイビング会社も、日吉町森林組合も、開けっ広げに教えてくれる。
いくら教えても、簡単に真似できないよ、それにこちらは常に先を行くから。そんな自信がみなぎっていた。

本当は視察に行ったら、そんなオープンな心構えこそ、学ぶべきなんだけど。
このネックを克服しないと、周辺の応援者は引いてしまう。地域づくりには協力する覚悟が強くても、個人の利益獲得に協力する気になれないのはいうまでもない。結果的に結束が乱れ、事業そのものも、伸び悩み衰退する。各論反対の破壊力は強いのだ……。
でも、それはヨソモノが口を出せない範疇である。地元の、地域づくりを主導する人が自ら決めねばならないことだろう。

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ギブアンド……

あるセミナーで、「都市と田舎の交流で気をつけることは」という質問が会場から出た。

その回答者に私が指名された。別に私はその分野の講師をしたわけではなかったのだが、とっさに現地を見て歩いた「都市と田舎の交流」の現状を話した。
それは見た目の賑やかさと裏腹に失敗が多い、なぜなら赤字だから……。結局、田舎の人は(参加料など)都会の人から受け取っている以上にサービスしてしまう。結果的に田舎の持ち出しになって、地域づくりのはずが地域の疲弊を進めてしまうことを紹介した。
そして訴えたのが「ギブアンドテイク」だ。交流というなの元に都会の人へサービスするのなら、それと同等以上のものを得なければならない……ということだ。実は、得るものとは金だけではないのだが、どちらにしても田舎側が交流づかれしてはならない。

ところが、私の後に指名された田舎のNPO代表は、逆のことをいう。ギブアンドテイクなんて言っていると都会の人は来ないから、ギブアンドギブだ。最初はいっぱい与えないと交流ができない、と強調するのだ。う~ん。

田舎の人って、そんなにサービス精神が旺盛なのか。あるいは都会の人は、そんなにサービスされないと田舎に行かないのか。さて、どちらが正しい?

私は、その後NPO代表と「いっそテイクアンドテイク、やらずぶったくりの交流を考えませんか」と提案? したのだが。都会人を田舎に呼び込んで、身ぐるみはいでしまうことできないですかね。ああ、甘言を弄した田舎暮らし誘致がそうか。

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「田舎に失礼」

東京の夜、ホテルのベッドの上で一人見たテレビドラマ。

無理な恋愛」(フジテレビ)。60歳の男が、35歳の女性に恋をしてジタバタするお話。なかなか共感? 身につまされる? 話であるが、それはさておき。

中のセリフで気になったのがあった。

女性の父親が田舎から出てきたのだが、そこで東京で暮らす娘にいう。
「東京でうまく行かなかったから田舎に帰るなんて、田舎に失礼だ

おお、ドラマにこんなセリフが出たか。ドラマでは、たいてい都会で傷つき疲れて、田舎に癒しを求めて帰る、あるいは訪れる、という設定が多いのだ。私は、どうもその点が引っかかることがよくあった。それに対して、「田舎に失礼だ」という言葉は、酔った頭にもストンと落ち着くような気がした。

田舎暮らしがブームだとは言っても、圧倒的に人は都会に住みたがっている。その都会の魅力とか、田舎に何を求めるのかということを整理しておかないと、やはり「失礼」になる。

単に田舎に住むだけなら、技術的にはそんなに難しくないと思う。地方都市ならえり好みしなければ仕事もなんとかあるし、住むところも得られる。ワーキングプアとかネットカフェ難民よりマシな待遇の職場や生活の場は見つかるはずだ。ただ、都会を捨てる決心がどこまであるのか、という意識の壁が大きいのではないだろうか。
今回の東京でも、やっぱり街は面白いし便利だと思う点はいっぱいあった。

都会で十分働いた、次は田舎だ、と考える人なら、田舎は迎えてくれるよ。「無理な田舎暮らし」をしなくてもよい。
ドラマでも、前段には「夢を抱いて東京に出て、十分に挑戦した末に帰ってくるのなら喜んで迎えてやるよ」という優しい父親(^o^)ぶりを示す言葉もあるのだから。

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えち鉄とソーシャルキャピタル

昨日の書評で書いた「ソーシャルキャピタル」について考えていた。

この言葉、いろいろ学者で論考されているし、定義もあるのだろうが、私なりに考えてみる。ソーシャルキャピタルを具体的に言えば、町内会や婦人会、あるいはNPOのようなつながりだ。そこには暗黙のルールがあるが、縦の規範ではなく、横の規範だ。社則とか主従関係ではなく、横に結びついたものだ。
なぜ、えちぜん鉄道には、ソーシャルキャピタルがあると思えたのか。そして、それがあるとなぜ組織は甦るのか。

半官半民の第3セクターは、ともすれば無責任になりがちだ。しかし、うまく行くこともある。いや、完全な民間企業でも、大企業病になったり、中小企業でもまともにシステムが機能しないで崩れていく組織はある。同じことは100%公務員の行政組織でも、トンデモナイ活躍をするケースがある。

すくなくても越前鉄道は、風通しのよい会社らしい。現場の声をすぐ受けとめてくれるようだし、現場の判断で動ける範囲も多そうだ。言い換えると、権限委譲が進んでいる。

以前、ある飲食関係の会社を取材した際に、仕入れ担当の女性(30歳前後)のところに、雹にやられ割れ傷ついたキャベツが山と持ち込まれていた。その数4000個。収穫直前に1日にして全滅したという。売り物にならないから、畑にすきこむしかない。これを買い取ってくれないかという相談だった。それを担当者は、即決で買い取った。しかも言い値である。その後、いくつかのレストランや製造部門に連絡してキャベツメニューを作らせ消化させるよう手配した。さらに割れたキャベツの説明を書いて店頭で販売もする。「最後は社員に販売してでも、全部使い切ります!」

この会社の活力は、この連携の力である。連携は、命令ではなく、横の関係であり信頼関係だ。買い取りを決定する権限委譲と、買い取ってもみんなで処理してくれるという信頼がないと動けない。これは、企業という縦社会に、横断型のネットワークを築いたとも言えるだろう。いや、社内だけでなく、傷物を即決で引き取ってくれた企業には、地域も協力する。会社の枠を超えた連携を生み出す。……えち鉄と同じだ。

権限委譲は、やる気を生み出し、労働満足度を高める。そして公的意識を生み出し、結果的に社会貢献度も高まる。

同じ構造になっているのが、ある種のNPOだ。儲からないのに、熱中する。与えられた役割以上の仕事をする。仕事をすることが存在意義の確認となり、それが目的となる。だから公的事業を担うことが多くなる。社会起業となっていく。

えち鉄は、まさに社会起業になっている。本の中には「地域共生型サービス企業」という表現になっているが、この仕組みを解明して、実行するノウハウを築けたら、私は超経営&地域づくりコンサルタントになれるかもしれない。

そして「行政のNPO化」という、もう一つの考察へとつながるのだが、それはまた別の話。

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カタクリ群落

昨日は、うだうだ書いたから、今日は爽やかに(^o^)。

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上越市の「くわどり市民の森」で出会った、カタクリの大群落。

とにかく山の一面が全部カタクリの花!

こんな凄いのは見たことない。カタクリは、春植物と言って、樹木に葉が付く前に葉を延ばし花を咲かせて太陽エネルギーを蓄える。落葉樹林帯を代表する草花だ。花が咲くのは一週間くらいの間だから、こんな満開時に訪れられたのは運がよかった。しかも「市民の森」自体はまだオープン前。つまり、ほとんど見る人のいない群落だった。

下草を刈り込まないと育たないだけに里山の典型的な生態を示す。ときとして保護を巡って対立が生じるが、いまどきスキー場くらいしかないなんて言われるほど。それが、こんなところに大群落が育っているとは。

実は新潟では珍しくないらしい。カタクリは、食べるという(^^;)。おひたしなどにする。

だったらカタクリを山菜として売り出せないかと考えたが、フキノトウ(こちらも恐るべき群落が各所にあった)のようにとってもまた出てくる種類ではない。土の中に7年育って、ようやく花が咲くともいう。

ならば「幻の白いカタクリを探せ!」ツアーなんてのもいいかもしれない。

もう一つあった。

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コゴミの群落だ。

こちらはカタクリ以上に広範囲に芽吹いていた。生半可の量ではないし、山菜としても人気だから、カマでばさばさと切り取って収穫するそうだ。

こちらも緑が抜群に美しい。沸き立つような気持ちになる。

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若者たちの2地域居住

国土交通省が言い出した、2地域居住。対象にリタイヤ組を思い描きつつ、都会と田舎の両方に家を持って通いながら住もう、という発想である。ようするに両地域のいいとこ取りをして、豊かな老後を、というわけだ。

私は、常々この構想を批判してきた。田舎暮らしの過度的な形態に過ぎず、決してよい結果を生まないと考えるからだ。実行者にとっても、腰掛けで住まれる田舎にとっても。

しかし、このところの取材で別の意見が生れてきた。そして昨日の新潟・上越で見聞してきたことで、確証的なものを得た。「若者たちの」というただし書き付きで2地域居住を肯定的に見られるかもしれない。

上越で訪ねたのは、NPOの「かみえちご山里ファン倶楽部」。ここには8人の若者がいた。ほぼ全員がヨソモノだ。年齢的には20代から30代前半。女性も多く、しかも高学歴。大学院卒や海外留学組が目立つ。あるいは社会人転進組もいる。設立して7年、入れ代わりはあるが、構成員の条件はほとんど変わらない。

仕事は、一言で言えば、山里の活性化だ。そのための事業を数多く、それこそ網の目のように広げていて、みんな自分の事業を展開している。農業をやり、廃れた行事を復活させ、隠れた伝統と技術の記録と継承に取り組み…環境教育もあれば土木事業や収益事業も企てる。

極めて優秀な人材の宝庫である。話をしていて秘かに舌を巻くことが幾度もあった。
彼らは古民家に住み、肉体労働多く、田舎のじっちゃんばっちゃんとつきあう。特化せず様々な生きるための技術を身につけ磨く。
正直言って給料は極めて安いのに、どうして縁もゆかりもないこの土地に集まり田舎暮らしを行うのか。結婚している人も少なくない。女性は配偶者のところに行くのではなく、この地に根付かせる例もある。さらに彼らだけでなく、無給の学生インターンも招く。毎年、多くの学生が山里に住み込みながら働き学ぶ。
ここだけでなく各地に同じような例を見た。若者が山里を、離島を、田舎をめざす現象が確実に起きているのだ。隠岐の海士町に若者が集まっていることは、以前にも書いた。

ただ彼らは、その田舎に骨を埋める覚悟をしているわけではない。若い一時期、距離やしがらみ、そして世間の壁を乗り越えて、そこで自らのエネルギーとアイデアを絞り出し、その後は風の吹くまま……。

こうした2地域居住、いや2地域生活圏と言った方が正しいと思うが、都会の目を残しつつ田舎に若いエネルギーを発散する存在は、田舎にとっても益となるのではないか。地域は若者を教育する。若者は地域の壁を乗り越える。崩壊寸前だったコミュニティを再び紡ぎ、旧来の行政単位を越えたクニを築く。クニは国ではなく、新しいコミュニティの単位。霞が関が100年かかってもできないことを彼らは実現しているように思う。

もし私が、彼らの年にこうした現場と知り合えたら……私には飛び込む勇気があったかどうか。なかっただろうな(^^;)。

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西川峰子とAMAワゴン

西川峰子が離婚するそうだ。

……こう見えても、ワイドショーをよく見ているから、芸能界にも詳しいのです(笑)。

西川峰子と言えば、隠岐の海士町の観光協会の人と結婚して、隠岐に移住したことで知られている。その後夫は、町会議員になったが、昨年任期満了で辞任。再選を望まず、どうしたことか隠岐を出て東京に移り住んだ。たしかバーの経営を始めたのかな。

そんな話を島根に行った際にしていたので、今回の離婚騒動に少し驚き。

私も海士町に行った際に西川峰子にすれ違ったことがある。彼女は、東京と隠岐を通う2地域居住を実践していたが、それが昨年破れ、さらに結婚にも破れ……。

理由は定かではないが、2地域居住が難しいことを証明した形になる。ただ東京に一緒に住んでから別れた理由は知らない(^^;)よ。

実は、この海士町では、今ものすごいことが起きている。
IUターンが140人を越しているそうだ。人口が2500人ほどの島に。それも若者が多い。なぜだ! と思う方は、サイドバーにある「離島発 生き残るための10の戦略」をお読みになったらよいと思うが、直接若者が海士町に渡りだしたきっかけは、東京の学生が、バスを仕立てて隠岐を訪ねるツアー「AMAワゴン」を始めたからだ。
このツアー後、改めて島を訪ねたり、移り住んだり、さらに口コミで人を呼び込んだりした成果が、新しい定住者たちなのだ。そして彼らは,次々と起業している。

実は、私が島根で会ってきたのは、このAMAワゴンを主催している学生。学生ベンチャーである。彼は、若者による2地域居住を提案していた。

なるほど、若者による、というところが気に入った。リタイヤ組の2地域居住は、いろいろ問題があるのだが、若者ならちょっと面白い。

一生、そこに住むとは言えない。しかし、過疎地にもっとも欠けている世代(20~30代)がやってきて、何かを始める効果はあるかもしれない。定住しなくても、若い姿を地域に見せるだけでも効果的だ。いずれ去っていくとしても、それはまた次の人を呼び込むきっかけにもなる。播いた種は何か育つだろう。

また、訪ねてみようかな。イワガキ、食べたいしな。

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地方の大学

島根から帰って来た。

1日9時間車を運転したので、ヘトヘト。あまり頭が働かないが、なかなか面白かった。

なかでも、ちょっとしたハプニングから、島根大学の学生が主催したトークバトルに参加することに。学生たちが取り組んでいる地域づくりの事例が当人から紹介されながら、島根を元気にする方法を議論するという趣向。
私は前半だけしか顔を出さなかったが、面白い事例がたくさん出てきた。各地で静かに、そしてとてつもない動きが起きている。しなやかに学生が動いていることを感じた。しかも、その舞台は私が長年何回も通ってきた地域が多い。島根の岩見地方、隠岐、高知の嶺北……。そして鳥取。しかも、しかも、そのいくつかを主導しているのは、私と面識のある人だったことにも驚き。

さらに驚いたのは、そのトークバトルに島根県の溝口善兵衛知事が参加していたことだ。昨年就任したばかりの知事ではあるが、なかなか腰は軽そうだ。ほかにも議員も何人かいた模様。なんでも、第2部の議論にも参加したらしい。

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溝口島根県知事も語る

                                         

そういえば、先週の鹿児島行も、実は鹿児島大学で開かれたセミナーが目的だった。ほかにも地方の大学が主体となって地域づくりに取り組む事例は増えている。地方大学の生き残り策でもあると同時に、地域こそ研究の宝の山であることに気づいたかのようだ。ようやく地に足をつけた教育機関になろうとしている。

これから面白いことしたければ、地方の大学だ!……かな?

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食い物でリピーター

せっかくだから、福井の夜の話。

列車に遅れ、しかも満員だから途中まで立ちっぱなし。着いた福井も、なんだか火曜日は定休日が多いらしく商店街もシャッターが下りている…。

印象よくないまま夜に入り、飯と酒でも…と出ると、キャバクラの客引きに捕まった。ちょっとだけ立話をして、「いや実は腹減っているんで居酒屋探しているんだよ」というと、客引きは真剣に考えて美味しい店を教えてくれた。「あそこは、店主が寿司職人だったからいいよ」

というわけで、そのお店へ。なかなか一見さんでは入りづらい造りだったが、中はカウンターもある正真正銘の居酒屋。和洋のフードが150も並ぶ。
まあ、一人でチビチビやるにはこんな店の方が気楽である。と、いくつか注文する。

それが、なかなか逸品揃いなのだ。刺身一つとっても隠し包丁が入っていたり下味がついてあったりと小技が効いている。揚げ物も蒸し物も本格的。お酒も純米吟醸を中心に置いていて、満足満足。すっかり機嫌が直ったよ。もちろん、その後はキャバクラ…には行かずに、ホテルに帰ったけどね。

翌日は、越前蕎麦をすする。やっぱりいいなあ。

昔、泊まった旅館が古びていて、こりゃ外れかな、と思っていたら、オシャレで豪華な食事を出されてすっかり気に入ったことがあった。美食は七難隠すのである。

今後の観光を考えても、食は大きなテーマになるのではないか。やたら金かけて大規模な観光施設を建てるより、うまい料理を用意した方が客は来る。名所・施設は一度見たらもういいが、美味い料理は何度も食べたくなるからリピーターになりやすいのだ。

というと、よく「名物料理を作れ」と行政お抱えの料理コンテストなどが開かれることになるのたが、食材はともかく名物の一品二品を生み出しても弱い。料理全般の質を向上させることが重要である。そのための料理教室を開く方がよいのではないか。ラーメン、餃子、焼きそばなどで成功した地域もあるが、一点ものではキワモノになる。

福井はカニに蕎麦、なかなかよいかもね。

ちなみに22日は早朝より島根県に向かう。さて、何が食べられるか。

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限界集落」という言葉

今や、すっかり有名になった「限界集落」という言葉。

この言葉は、現・長野大学の大野教授が高知県の大豊町を調査した際に、地元の人が「もう限界だ」と何度も口にしたことから生れた言葉らしい。
もっとも、その大豊町の人々は、自分たちが住んでいるところが限界集落なら、我々は限界人か、と反発していた(^^;)。

実際、田舎に住む人には、限界集落という言葉を嫌う人は多い。ある種の差別語になっている。京都府綾部市では「水源の里」と呼んで、支援する条例を作った。
もちろん、限界と言われて喜ぶ人は少ないだろうから、その気持ちはわかる。外部の人が勝手に定義づけないでくれ、と思うのは当然だ。

ただ、そうした山間部に住む人が言っていたのだが、
「限界集落って、もう維持が限界で、消滅する手前という意味でしょ。もう維持できないとはっきりしたところが限界集落なのに、そこに税金つぎ込んでどうするのよ。必要なのは、限界になる手前で、少し手助けすれば、まだ救われるかもしれない集落。准限界集落こそが問題ではないのか」

たしかに言葉の意味を考えれば、限界集落の問題というのは、少しおかしい。限界まで行ったら、むしろ軟着陸を狙って穏やかに消滅への道を歩ませるのも選択肢の一つだ。

その代わり、まだ限界に達していず、しかしきわめて厳しい状況にある集落に力を注ぐ方が理に適っている。

さらに消滅集落の地権者や境界線の問題も重大だ。人はいないのに土地の権利などが分散してしまうと、今後重大な禍根に発展する可能性がある。

准限界集落と消滅集落に目を向けた施策が焦眉の急だろう。

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離島の森林危機

鹿児島の夜は、一人天文館街をぶらつき、ふらりと入った居酒屋「屋久島」。

そこでカウンターに座ると、もう一人が隅に座っている。ほどなく語り合うことになったのだが、彼は三島村黒島出身だった。鹿児島の沖合、屋久島の当方の孤島だ。硫黄島と竹島とともに三島村を形作っているが、村議会は鹿児島市で開く。

そこで話題となったのは、島の森林危機である。黒島は、真ん中に620mほどの山がそびえる、ある意味屋久島のミニチュア版のような地形をしているが、その山の西側の森林が枯れつつあるのだ。
その理由は、中国から来る汚れた大気。酸性雨だけでなく、さまざまな汚染物質を含んでいて、それが島の自然を痛めつける。

実は、同じ話が屋久島にもあった。今や南の島だから空気がきれい、と言えなくなっているのだ。しかも国外だけに取り締まることもできず、まったく手の打ちようがない。それを怒って侃々諤々。

加えて辺境の島を切り捨てにする政府に怒り、国境線を守っている誇りを語る。
彼は、島の写真を撮り続けていて、それを使った島のパンフレットを作っていた。また祭りなども豊富にあるが、その写真が、ナショナルジオグラフィック誌に掲載されたという。

来年には、奄美群島から十島村・三島村にかけて皆既日食が起きる。人々が殺到するだろうが、キャパシティが小さいのでなかなか島に渡れないだろうな。でも、行きたい。

この話は、裏ブログにも書いたから、お楽しみに。

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緑の提灯

今、「緑の提灯(ちょうちん)」の店が増えているらしい。

Photo                                               

赤提灯ではなく、緑。ようするに国産食材を使った料理を出す居酒屋だ。
緑提灯は、国産食材の提供量が50%を超えるお店にだけ飾ることができる。2005年に北海道で第一号店ができてから、今手は全国に460店舗まで広がった。3月に入って全都道府県にできたという。

なおパーセンテージは、カロリーベースで地場・国産食材使用割合。50%以上で星を一つ付けることができ、10%上がるごとにさらに一つづつ増え、90%以上で5つ星となる。ただし星の数は、店側の自主申告に任せている。

これがもてはやされるのは、中国の毒餃子事件が起きて、消費者の意識の中で食材の見直しが進みだしたからだろう。たしかにタイミングとしてはよい。ただ、やはり値段は高くなるという。

農家を応援する戦略としてはうまい。何より提灯の色でアピールするところが。
実は、本当に国産食材だと安全なのか、味がいいのか、私は疑問に思っている。こうした感覚は、科学的というより心情的な要素が強いのだ。だから、緑の提灯を掲げた時点で、すでに食材は安全になり、美味しくなっている(笑)。
食べる人も、多少高いと言っても毎日のことではないし、お酒も入れば気が大きくなって気にしなくなるかもしれない。

ぜひ国産材商品でも、そんな応援団がほしいところだが、理屈こねて国産材の良さを説明するより、まず国産材を使っているということだけをアピールしたらどうだろう。それ以外は何も言わない。言ったら、ボロがでるかもしれない。だいたい科学的なことを言い出すと鼻につく面がある。

ホントに国産材が環境に優しいの? 本当に安全なの? 本当に色つやがいいの? 
そう突っ込まれないよう、単に国産材を使っていますよ、というだけで判断は消費者に任せるのはどうだろう。この運動は、あくまで林家を応援するためであって、それ以上のウンチクを付け加えないのだ。

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若い人の田舎暮らし

昨日は、奈良町で学生が活躍している例を紹介したが、今日はまた別の若い人。

森林の仕事ガイダンス」(奈良)では、意外なことに若い人の姿をたくさん見た。東京では少なかったように思うのだが。中には大学生もいるらしい。
実は、先の京都の田舎暮らしセミナーでも、数人の若者がいた。聞けば学生だという人が何人かいた。

田舎暮らしとか、それに関連して「緑の雇用」で山仕事を考えるのは中高年が多いというのに、それとは別に若者の希望者もたしかにいる。

でも、その中身と言えば……奈良のガイダンスを担当した某によると、「使いものにならない」ような人が多いという。山の仕事の中身も知らず、理念先行型である。林業は地球環境を守る仕事! と思い込んだタイプか。
京都でもそうだった。なんでその年で田舎暮らしを考えているの? と私が聞きたくなるのだが、それでもしっかり田舎社会を見据えているならともかく、どちらかといえば田舎の暮らしのイメージ先行型だろう。

私の見てきたところでは、山や森林はたいして興味のない、むしろ職場の一つと考えている暴走族上がり?のようなタイプの方が長持ちしている。

今後、田舎暮らし≒山仕事希望者は、リタイヤ期周辺の中高年と、学生上がりに二極化するかもしれない。本当にほしい体力と知恵を持って田舎を救えるような人材は少ない。

ちなみに私も、某氏に「私も山仕事できるでしょうか……」と言ってみると、「年齢が高すぎます」と断られた(笑)。仕事内容も怖いしきついし怒鳴られると聞いてヤメトコ、となった小心者です。

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若い人の田舎暮らし

昨日は、奈良町で学生が活躍している例を紹介したが、今日はまた別の若い人。

森林の仕事ガイダンス」(奈良)では、意外なことに若い人の姿をたくさん見た。東京では少なかったように思うのだが。中には大学生もいるらしい。
実は、先の京都の田舎暮らしセミナーでも、数人の若者がいた。聞けば学生だという人が何人かいた。

田舎暮らしとか、それに関連して「緑の雇用」で山仕事を考えるのは中高年が多いというのに、それとは別に若者の希望者もたしかにいる。

でも、その中身と言えば……奈良のガイダンスを担当した某によると、「使いものにならない」ような人が多いという。山の仕事の中身も知らず、理念先行型である。林業は地球環境を守る仕事! と思い込んだタイプか。
京都でもそうだった。なんでその年で田舎暮らしを考えているの? と私が聞きたくなるのだが、それでもしっかり田舎社会を見据えているならともかく、どちらかといえば田舎の暮らしのイメージ先行型だろう。

私の見てきたところでは、山や森林はたいして興味のない、むしろ職場の一つと考えている暴走族上がり?のようなタイプの方が長持ちしている。

今後、田舎暮らし≒山仕事希望者は、リタイヤ期周辺の中高年と、学生上がりに二極化するかもしれない。本当にほしい体力と知恵を持って田舎を救えるような人材は少ない。

ちなみに私も、某氏に「私も山仕事できるでしょうか……」と言ってみると、「年齢が高すぎます」と断られた(笑)。仕事内容も怖いしきついし怒鳴られると聞いてヤメトコ、となった小心者です。

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ならまち散策

久しぶりにならまちを散策した。
雪が舞う天候だったが、日差しもあって、あまり寒さも感じない。

ならまち。奈良町。奈良でもっとも古い街並みを残す奈良市の一角。古い町家が多く残り、そこに、ちょっとオシャレな店が誕生している。駅から徒歩15分くらいかかるので、今までディープな観光客しか来なかったが、最近はかなり人気が高まっている。神社仏閣の奈良観光は下降気味だが、奈良町は本当の奈良ファンが増えてきた。とくに今日は日曜日なので、かなり人通りが多い。これまで冬は閑散としていたのだけど。

京都の町家も人気だが、そちらとは少し雰囲気が違う。ちょっと庶民の町っぽい。

この中に私の知り合いが開いているエスニック・グッズの店に寄って、店主と話し込んだ。そして、その奈良町が登場する「鹿男あをによし」のロケの話で盛り上がった(^o^)。

「昨日は、あそこの角とあの店の前でロケしていて、玉木宏と綾瀬はるかがここで休憩していたのよ」
「デートのシーンのあの店は、外観はあそこで撮って、中の様子はあちらの店で…」
「玉木宏にカメラ向けると、すぐに付き人が止めに入って…」

なんて聞くと、思わず私も行きたくなる。ミーハーだわ。

014                                                 

街角のポスター。ほかにも鹿に関するポスターが増えたような気がする。                                             

奈良で一番古い町とされるが、実は奈良でもっとも新しい町になっている。私も数年ぶりの訪問だったが、新しいお店がたくさんオープンしていて、活気が滲み出ていた。と言っても、新しいビルが建っているのではない、昔ながらの町家を改造しているのだ。なかには町家のフランス料理、町家のバー、町家のFMラジオ局…と見て来て味わって楽しめる。不思議なアート、布、綿などの店も多くなってきた。
ただ、男一人で歩いているのは、あんまりいない。誰か一緒に歩く人はおらんか。

ところで、奈良町の一角に面白い会社があった。「奈良町情報館」に居を構える、株式会社地域活性局である。経営するのは、奈良大学・奈良県立大学の学生。サークル活動が前身らしいが、今や独立した法人で、大学はまったく関与していないらしい。
事業内容は、吉野の村々の野菜などの物販。野菜は路上販売のほか、お店にも卸している。覗いたときにはハチミツや割り箸(ヒノキ製)なども並んでいた。さらに客寄せとして、伊勢型紙(着物の染色に使う柿渋紙)展も開いていた。

実はオープンスペース奈良町物語館では、大学の地域活性化に関する発表会が行われていた。ほかにもFMラジオにも大学生が取り組む番組があったり、とわりと大学と地域の提携が目立つ。奈良町だけではなく、奈良では大学と町の距離が短い気がする。生駒でも商店街に奈良女子大のゼミが入っているし、近畿大農学部は棚田再生に取り組んでいる。

今日は、ならまちセンターで奈良県の「森林の仕事ガイダンス」もやっていたのだが、それはまた別の話。

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住居のない田舎暮らし

先日の田舎暮らしセミナーに出席した人からメールが来た。

そこでセミナーの感想が書かれているのだが、ちょっとあきれたというか、驚いたのは、誘致する側が、「うちの田舎には、住宅や土地を売ったり貸してくれる人はいない」と言われたと記してあったことだ。

私も講演で、田舎で住居を得る難しさを説明したし、その点をクリアしないとIターン希望者を迎え入れられませんよ、と訴えたのだが、その後の交流会?で、そんな発言が出たのでは困ってしまう。

少なくても会場に来ているのは、誘致しようと思っている人々のはずなのだが、「住居を得られない」といった時点で、もうオシマイではないか。少なくても、「私がなんとか努力する」くらいは言わないと。
それとも、もともと誘致する気はなくて、行政とのおつきあい出席だったのか。

田舎暮らしの最低条件は、住居、次に収入源である。実はみんなが心配する近所づきあいは、その後に来る小さな悩みにすぎない。

そういえば別の場で、すでにIターンで田舎に来ている人から、不在化している地主の土地や農地を、税金などの面から半ば圧力掛けて手放させる方法はないか、という提案をしつこくしている人がいた。それは法的には難しいだろう、と応えざるを得なかったが、しかし、そう思ってしまう状況があるんだろうなあ。

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田舎の盛り場

高知では、シンポジウム後に分科会があり、みっちりと話し合った後に、さらに懇親会。

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まずは地元の食堂。ここに座敷があったの? と地元の人も知らなかったお店(^^;)。ここではお寿司におでんにチャーハン。それにお鍋。

                                              

                                                        Photo

そして二次会に選ばれたのが…名前忘れた(^_^メ)…cocona? とか言ったっけ。それが、なんと田んぼの中に建っているようなパブなのだ。建築現場の鉄パイプを元に透明なアクリル波板という斬新さで、カウンターにテーブルに座敷?もある不思議な造りで、波の音が聞こえる。きっと窓の外には椰子の木があるのだろう。。。ちょっぴりトロピカルな、でも並んでいるボトルは焼酎が多い。そして、お習字の紙が所狭しと吊るしてある。

あまり田舎では見かけない店だけに、若い者のたまり場になっていた。たしかに、こうした店は、息抜きになるのだ。私も生駒の住宅街の中に隠れバーを確保しているが、そうした店に行くと、居酒屋とは違った気分になれる。それは、とくに田舎の若者には必要な場所ではないだろうか。

同時に、田舎暮らし先での仕事場として、田舎にはない飲み屋というのは意外と当たるかも、と思った。さっそく、京都でも報告しました。
ちなみに、この店のオーナーは、写真の真ん中に映っているが、実は町会議員でもあるのだった。

その後、三次会は、昨夏も訪れた根付き巨木を活かしたカウンターがある「なんてん」(本ブログ2007年8月8日)であったが、私は明日が早いので未練たらたら別れて宿舎に。

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2日連続の田舎暮らしセミナー

土日と、高知-京都を渡り歩いた。

その間のドタバタは、またの機会に(ホームページが裏ブログに書くかもしれない)するが、どちらも仕事は、田舎暮らしのセミナー

ただし、高知の嶺北では、田舎暮らし希望者を迎える側。そして京都は田舎暮らしを希望する側。まさに裏表の関係各者が対象であった。
その意味でどちらにも応用が聞いて面白かった。高知で関係者と話した内容を、即京都に伝えることができたからだ。また京都では、高知で田舎暮らしする手もあるでぇ、とお勧めしておいた(^^;)。

その具体的なこともおいおい報告できればと思うが、ちょっと意外な出会いもあった。

まず高知で会った一人は、昨年冬の宝塚で開かれた田舎暮らしセミナーで出会った人であった。彼は、すでに高知に移住して活躍中なのである。

そして京都の会場では、フリーペーパーの記者として、かつて朝日新聞で記者をしていた人に声を掛けられた。彼は私と初対面と思っていたようだが、実は以前会っている。
それは、拙著『チモール知られざる虐殺の島』の取材でであった。この記者は京都大学探検部出身であって、当時ポルトガル植民地だった東チモールに訪れている。そして『忘れられた南の島』を出版していた。私は、その本を読んで著者に会いに行ったのである。

今は、定年退職後にフリーペーパーを発行して、自分で取材して回っているようだ。思わず東チモール情勢の話題になったよ。当時は、私も国際派のルポライターだったのである。

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水車の力

これは、私の地元・生駒山の水車である。

007                                              棚田地帯を流れる小川に作られた。
水が流れず水車が回転していないのは、雪が降って水がついたまま凍るとやっかいだから。

この水車計画は、この棚田地帯に永く通っているNPOのアイデアである。それを市議会議長が推進していたが、昨年逮捕されてしまった。

そこで計画も水に流れたかと思われたが、なんと地元が立ち上がって援助なしで作ってしまった。みんなから寄付を集め、NPOのメンバーが設計し、材料を調達し、それをまた地元の大工が仕上げた。そして設置。軸受けはコンクリートだし、結構大きな工事だったようである。
今後は発電機も作って備えようと計画されている。2mの落差で水力発電し、その電気でイノシシ避けの電気柵を設置しよう、水車を見学する遊歩道を棚田の中に敷こう、というところまで話は進んでいるようだ。そうなれば、生駒山のハイキングコースも大きく変わるだろう。

なかなかの進展ではないか。これまでよそ者のNPOが主導しているイメージがあったが、いよいよ地元の動きだした。こうなれば、相乗効果でより大きなこともできる。下手に行政が関わらなかったことがよかったのかもしれない。こうした例は、実は少ない。

「水車の力」とは、水の力ではなく、水車を作ろうとする力、その魅力のことである。

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明日香村の古墳戦略

昨日から、奈良県明日香村の真弓鑵子(まゆみかんす)塚古墳には、日本最大級の規模であることがわかったニュースが全国を飛び交った。

石舞台古墳を超える巨大な玄室があるだけでなく、石でドーム状の構造を築いた技術といい、玄室とは別に奥室を持つ例のない構造といい、非常に興味深い。またもや、飛鳥ブームが来るか?

ちょうど昨夜の「鹿男あをによし」でも、明日香村が登場して、なかなか魅力を伝えていた。石舞台やら高松塚やら各地の古墳を巡り、出土物を紹介してくれた。邪馬台国の可能性まで語る。(余談だが、私はこのドラマの登場人物では、歴史の教師…というよりは歴史マニアの藤原道子が好きheart。こんなに滔々と歴史を語る女性がいたら憧れるな)
そして、明日香村の古墳戦略というものを感じるのだ。

今から20年近く?前に、明日香村の村おこしを取材したことがある。
その時に言われたのは、今は高松塚古墳で賑わっているが、本当はもっとすごい古墳や遺跡がいくつもある。それを順々に発掘して公開していく、それで観光客を引きつける、という戦略だ。すでに壁画のあるキトラ古墳の存在はその時わかっていたが、それが正式に発掘して公開されブームとなったのは、それから10年以上もたってからだ。
そして、亀型遺構が見つかり、蘇我馬子の邸宅跡が発掘され…今度は、日本最大の古墳だ。

やるなあ。何もすべてが意図的だとは言わないが、がっちり、全国の古代史ファンの心をつかんでいるぞ。

明日香村は、市町村合併をしない道を選んだ。それは結構厳しい選択だが、古代史の舞台であり、古都である強みを活かしてほしい。古墳の発掘が全部終わるまでは大丈夫かな。

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田舎は「儲からない」

前から感じていたことだが…そのうちじっくり考えようと思っていたのだが…
研修旅行に行って、もっとも大きな収穫は、その考えに確信を持ったことかもしれない。そして、昨日はまた取材に行って同じことを考えた。それは、

田舎は、儲からない

ということだ。これまで『田舎で起業!』なんぞという本を書いて、田舎こそ起業のチャンスがいっぱいある、と煽ってきたのに、と怒られる方もいるかもしれないが、これは確実なのである。

田舎には、起業のチャンスはいっぱいある。有利な点もいっぱいある。それは今も信じている。だが、田舎の仕事の特徴は、大きな利益を得られないことではないか。だから新規参入も少ないのかもしれない。
もちろん例外はあるが、田舎の資源は分散的で、とくに自然など田舎の特徴を活かしたビジネスを立ち上げても大きくなりにくい。成功はするが、莫大な利益は生み出さない。

たとえば豊かな自然を利用してエコツアー的なものを実施しても、儲けるために多人数を募集すると、エコではなくなる。結果的に客に逃げられる。木材が馬鹿高く売れる商品を作っても、大量生産してしまうと価値がなくなり売れないし、生産も持続的でなくなる。それを無視して拡大展開すると、田舎ではないビジネスとなるだろう。

田舎を舞台にすることは、やり甲斐もあるだろう。自然相手は楽しいかもしれない。地域づくりに結びつけば万々歳。しかし、儲からないとしたら、やはり参入できない人も少なくないはず。

では、どうするべきか。一つの考え方としては、大きく儲けなくてもよい、と割り切る。自分が生きるだけの利益で満足する。そんなライフスタイル、ポリシーを持って取り組む。これは立派だ。でも、すべての人に押しつけられない。とくに若い人には…。でっかくなれない宿命を持った職業を若くして選択すること自体、人間が小さくなりそうだ。

そこでもう一つの手だてを。それは百姓だ。ただし、今でいう農業者としての百姓ではない。100の姓(かばね)というのは、多くの仕事を持つことだ。もともと田舎の百姓は、一人でいくつもの仕事をしてきたのだ。何も農業だけ、それも決まった作物だけを栽培していたわけではない。そんなモノカルチャーな農業は、一時の利益を得ても、長続きせずリスキーだ。多品種少量生産こそが、本来の百姓の仕事である。
これを現代流に、多様性ビジネスとでも名付けられないだろうか。スモールビジネスを多く手がけて、全体として多くの利益を生み出す。しかも、一つ一つの仕事はみんなつながっていて、同時展開する。一つの労力で3つの仕事をこなす。そんな考え方で取り組めないだろうか。いろいろ関連し合って展開するのだから、生態系ビジネスなんて名前も使えるかもしれないな。

そのうちに、このベクトルで論考をまとめてみたい。

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エリアと田舎

今日も取材を受けた。お相手は、またしても妙齢の女性。ウフフフ。

が、話しだしてわかったのは、彼女は結婚していること、それも新婚であった(-_-)。もともと横浜出身で結婚して関西に来たという。そして新たな勤め先として、現在の大阪支社に入った。つまりライターとしても新人ということになる。

テーマはエリア・マーケティング。事前に東京の編集部とメールで打ち合わせていたのだが、拙著『田舎で起業!』を読んでの依頼である。だから、ここでいうエリアとは田舎地域を指すのだと理解していた。

が、どうやら彼女にとっては、大阪もエリアらしい。でも東京はエリアではないらしい。

しかも地産地消を取り上げる。ご当地で生産したものをご当地内で消費するものだ。しかし田舎論的に私の意見を言えば、地産地消は隙間産業にすぎない。消費量が小さな地域で地産地消を持ち出しても大きな展開を望めないものだからだ。かといって大阪レベルの都市を含むと、ご当地の意味がないように感じる。

結局のところ田舎というエリアに絞らないと、エリアマーケティングを唱えても、少なくても私の出番はないだろう。

彼女自身は田舎社会を知らないし、興味もないのではないか。それに記事の全体像もつかんでいるようではなかった。こまっちゃいますね。

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日払いの議員報酬

昨日の話題と続いているように思うのが、今朝の朝日新聞に報道された、福島県矢祭町

議員報酬を、議会に出席した日数ごとに支払う日当制に変えることにしたというものだ。これで人件費は3分の1にできる。
矢祭町は、「合併しない宣言」で有名となったが、行政改革が著しい。職員の大幅削減など合併しないために進む苦しい財政を補いながら、住民サービスを高める施策を次々に打ち出している。そして、いよいよ議員にまで食い込んだようだ。

私は、議員報酬の日当制に大賛成である。以前から主張していたことだ。だいたい議会は毎日開いていないのに、毎月報酬を払うことにギモンを感じていた。ちゃんとした給料をもらわないと生活できないなんて、たっぷりの給料もらっている都市部議員の戯言である。山村に行くと、議員報酬が月15万円程度も珍しくないし、10万円以下のところもある。もともと議員報酬だけでは生活できないのである。当然、別の仕事を持っている。その合間に議員活動をしているわけだ。その延長線上に、矢祭町の決断がある。

都市部の議員だって、会社員やりながら議員すればいい。首長もサラリーマンを兼ねることも可能かもしれない。議会は土日か夜開くのだ。その方が住民の傍聴だってしやすくなる。残業命じられても、断る勇気なくして議員はできない。ただし、調査費は、払うべきだろう。ちゃんと領収書と報告書を提出義務を課して。さもないと審議能力が落ちる。

矢祭町では、従来の議員報酬は月20万8000円、年間で347万円だったそうだが、これだって裕福とは言い難い金額だ。それが年間90万円程度になるらしい。

今後、町村議会と都市部の議会の格差も問題になってくるのではないか。そして低報酬の町村ほど、NPO化が進むだろう。まさに奉仕の精神で議員活動を行うことになる。それは誇るべきことだと思う。

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幻の果実の村

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写真は、幻の果実…とも言われる、ある柑橘類。これを巡って起きている小さな村の壮大な挑戦を取材しに行っていたのだが、そこで驚いたのは、計画に費やした金額だ。

昨年の11月に企画され、1月に補正予算で2000万円組み、その後4月には追加2000万円。合計4000万円を投入したのだ。
そして驚くのは、この村の人口は520人ほどで、財政規模は9億円に届かないということだ。国や県の助成金も入っていないそうだ。よく、議会を通せましたね、と聞くと、「それが小さな村のいいところ」。

よくも悪くも村長、議員、役場職員、みんなツーカーなのだ。計画の内容をどこまで理解しているか怪しい(おそらく時代の先端を行く情報を知らないと理解できない)が、とにかく人を信じてやってみようと納得してくれたわけである。

普通なら危険信号を灯したいところだが、私は、かなり脈のある計画だと感じた。それゆえ、村長のゴーサインで行政としては奇跡的なほどのスピードで動けたことに驚いた。なにしろ3月にソフトオープン、6月に完全オープンしている。予算がついてたった3ヶ月で実質的に稼働させたわけなのだから。それは、行政というよりNPO的である。

詳しいことはまだ紹介しないが、私の持論である、小さな自治体が面白い、自治体がNPO化するという持論を証明するケーススタディだった。

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道の駅

生駒の隣に平群町があるが、そこには道の駅がある。「くまがいステーション」という名だ。

10年ほど前にできた際は、不思議だった。観光地でもなければ、通行量が格別多い道に面しているわけでもない。走るのは地元の車が圧倒的に多いだろう。こんなところに道の駅が成立するのか? さては、補助金があるから無理やり作ったな……。

その推測が当たっているのかどうかはさておき、今やこの道の駅、奈良県内の道の駅では一番の売上を誇っている。見事に成立している、いや、大成功したのだ。昨日も、満員状態で車が停められないほどである。

実は、店の内部も変容している。最初はレストランとわずかな売店だけだった。それでも近隣に喫茶店やレストランがないため、そこそこ客は入っていた。その頃は、地元の人のたまり場として機能していたのではないか。なるほど、外部の客を当てにするのではなく、地元民を呼び込んだのか。

そのうち農産物の直売を始めた。これがヒットした。回りは田畑が広がるものの、ニュータウンもできている。そのため地元野菜を求める人が急増したのだ。
それがドンドン拡張されて、今や直売所の方が広いような状況である。農作物だけでなく、花卉類も豊富になってきた。もともと平群は花卉栽培が盛んなところなのである。さらに加工品も増えてきた。漬け物だけでなく、豆腐や日本酒まである。平群だけでなく、生駒全域、さらに奈良全域に広がりつつある。野菜の中には、地元産ではないものもあるが、ちゃんと表示はされているようだ。

おかげで、今や何億円もの売上を誇っている。その勢いで、遠くからの客も来始めているまでになった。

観光客ではなく、地元の潜在的な購買力を掘り起こしたのだ。もちろん好条件もあったろうが、常に「交流人口」だ、観光開発だ、というのではなく、地元に人気となれば、自然と遠くからの客も集めるし、それが地元の産品開発にもつながるという循環が起きている。

平群町は、財政再建団体になる? という噂になるほど財政は悪化しているが、こちらでは活性化に成功していることにホッとする。

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サンデープロジェクト

花姥さんのご要望に応えて……。

昨日、テレビ朝日のサンディープロジェクトで「限界集落」「国土崩壊」という特集が組まれていた。とりあえずチェックしたが、まあ、だいたい想像どおりの内容であった。

基本的には、政府のスギ植林指導に応えた山村は、今や限界集落・限界自治体化して(高知県大豊町など)、それに応えなかった村は、今も子供たちの多い元気な自治体(高知県・旧十和村-現四万十町)という対比で描いていた。

田畑までスギを植えたために、毎年の収入源がなくなり村が崩壊した……という論法である。ちょっと乱暴な論理である。そのまま棚田を残しても、過疎は防げなかっただろう。またスギ植林を推進して、ほかの産業育成を怠った責任は、誰にあるのか? 国なのか、村なのか。

私は、どちらの地域も訪れている。十和村は、もともとシイタケ原木の産地として広葉樹林を残したのは事実だし、今も比較的元気なのは間違いない。しかし、それと林業を短絡させるのはねえ。もっと根本的な地域の経営の問題だ。
それに大豊町に比べたらマシかもしれないが、やはり過疎地域だよ。人口は半減している。やたら映像に映っていたように子供たちがあふれているわけではないし。

なお、限界集落は農業崩壊にも進行し食糧自給ができなくなる、廃村が都市を包囲する……という視点は、やっぱり都会人の作った番組だなあ、と感じた。

ちょっと気になったのは、「雨が降っていないのに山崩れがおきる」現象を紹介していた点だ。それをスギ植林と結びつけていたが、これが曲者。これまで放置人工林は下草が生えないから雨が降ると崩れると非難されてきたのに、急に乾燥したから崩れると説明しているのだ。

誰か地質・水文学的に解説してほしい。

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山村が歩む道

徳島では大学内宿舎に泊まった。誰もいない学内……。

本当は今日、徳島県の池田にある樹恩ネットワークの割り箸工場を視察したいと思っていたのだが、午後に会議が入ってしまった。そこで早々に大阪へ帰る。そして生駒山系歴史文化研究会に出席。ここでは生駒山の活性化について話し合う。強行軍だあ。

一昨日は、大阪で「田舎でシニア起業」シンポジウムに顔を出して、昨日は徳島大学のセミナーで山村問題を論じ、今日は都会に近い里山・生駒山について協議……限界集落の話から、都市の再開発と森林公園や観光客の誘致までまたがる話題だ。しかし、意外とどのテーマもつながっているんだな。

なぜなら田舎で起業を目指すことは、田舎の活性化を目指すことであり、それは都会に近かろうと遠かろうと方法論的に同じだからだ。

山村地域が今後歩む道として、私は徳島大学で次のように提示した。

1、地元民が頑張る。都会の人はそれを応援する。

2、IターンUターン者を呼び込んで、頑張ってもらう。

3、都会の人が田舎のためになる事業を都会で行う。

4、何もしない。

実は上部ほど難しく、下部ほど現実的。さあ、貴方ならどの選択肢を選ぶ? どこの部分に関われる? いや高みの見物か?

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徳島大学

徳島大学
今日は徳島大学のセミナー。山村問題を論じる。ちょっと衝撃を与えたかもしれない。(((^_^;)
でもまあ、若い人たち向きに話すのは、わりと好きである。拙著も売れたし。
実は大阪で田舎起業に関するシンポジウムに出席した。そこで考えたり仕入れた情報も話していたよ。

夜は同じ講師と飲み歩く。やっぱり飲み屋のない山村には住めないな……。

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奈良の魅力

昨日に引き続いて、今日も奈良の街。

この連休3日間は、完全に快晴が続きそうで、しかも紅葉真っ盛り。観光客・行楽客は、かなり多い。外国人の姿も目立つ。

004 これでも官庁通り                                           

                                            

奈良の魅力を自然の面から考えると、やはり県庁所在地の都心部に野生の鹿が走り回り、広い芝地と豊かな緑が覆っていることだろう。県庁の目の前に世界遺産に指定されている原始林があるのだ。こんな都市は、日本でもほかにないし、世界でも珍しい。

たまたま知り合った若い女性は、「一人旅で奈良を訪れて、気に入ったので住みついた」と言っていた。これは、すごいことである。いや、一人旅でなく二人旅でも、目的が観光でなくコチラにいる彼氏に逢うためでも何でもよいのだが、訪問者から滞在者へ乗り越えさせた都市の魅力は誇るべきだと思う。

008西日が枯れ葉を光らせる                                                                                             

実は私は、近頃総務省だったか国交省だったかが提示している「交流人口」をあまり信じていない。完全に移り住むのではなく、観光などで、その地に通う人を増やすことで地域の活性化を目指すという考え方だ。

正確に言えば、通う人を増やすのは賛成なのだが、それが観光的な訪問だと、経済面だけならともかく、地域活性化にはほとんど効果がないように感じるのだ。それは一方的な関係だからである。金を落とすだけでなく、地域で稼ぐビジネス関係まで行って、ようやく本当に活性化とか分かり合えるのではないか……と思う。

だから移り住んで、コチラの会社に勤めている彼女は、奈良の本当の魅力を知っているのだろう。

今日は夕日が美しかった。そして満月は夜の森を賑やかにしていた。

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丹波竜

丹波を訪れたもう一つの理由は、丹波竜である。丹波竜を解体して、肉をブランド化して……というのではなく、昨年夏に恐竜化石が発見されたのだ。ティタノサウルス類の全身骨格が眠っている可能性が高く、日本では初めての大発見である。
おかげで、現地は大賑わい。一躍丹波といえば恐竜となった。地元・丹波市には「恐竜課」が設けられたほどだ。(正確に言えば「恐竜を活かしたまちづくり課」だが。)

この日は、第二次発掘が始まる日であった。そこで発掘現場を訪れると、

3                                               

おお、すでに恐竜が復元されているではないか(^o^)。

                                                                                              5 地元の小学校も見学に来ていた。ちなみにこの日は関西の全テレビ局・新聞社が詰めかけたそうだ。

                                           

9                                                

これが発掘現場。白いところは、昨年掘られたところ。まず最初に、削岩機で上層の岩を取り除くことから始めている。

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これが全景。なかなかの景勝地である。

実は、化石以外にも、この河岸の地層は、興味深いところがいくつもあった。まずマグマの貫入が見られるほか、堅い岩盤と柔らかい岩盤の繰り返しの地層のため、波石が形成されている。そしてほとりには、明治時代に作られた赤煉瓦の水力発電所跡もある。これについては、また別の機会に。
しかも清流だし、紅葉もしているし、近くに単線の電車が走っているし、景観も売り物にできそうだ。今のところ、近くに「恐竜うどん」を出す店ができた程度だが、整備次第で楽しめるはずだ。これは、大きな資源を手に入れたものである。もっとも、今後、予想通りの全身骨格が見つかった場合の話だが。

最後に、近くの駅前にできた像。1
                                             

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稲干し

昨日のコメントの続きではないが、秋の田園風景と言えば、稲刈りと稲干し。

だけど、最近はガードレールに干す例が多くなっている。011

                                               

こんな具合。あるいは 13

ま、干し架を準備しなくていいから楽でいいし、道沿いに干すのは便利でもある。でも、風景的にはちょっと残念。

やはり014

こういう風景でなくちゃ。013

                                                                          

やっぱり絵になる。

Photo こういう形態もある。

                             

だけど、だんだん寂れていくだろうな。人工的な乾燥も増えているし、金属パイプで組んだ干し架台もみかける。
しかし、稲干し架は、かつて細い間伐材の有力な用途だった。そのおかげで、直径数センチの丸太がよく売れたのだ。

017 はい、稲穂を片づけた骨組み。昔は2段3段組とか、円柱型など様々な様式があった。この干し架台を作るのも文化だったのだろうが、もはや消えつつあるのではないか。ちょっと残念である。

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消えた黄葉風景

この写真を覚えているだろうか。

Photo                                                   

                                                 

昨年の11月に、旧ブログ(現・裏ブログ^^;)に掲載した景色である。

ある奈良の袋小路のような谷間の集落に入ってみると、そこには美しい“日本の秋”が広がっていた。とくに気に入ったのが、このイチョウ。思わず、うっとりした。

この景色を今年も見たくて、また車を走らせた。

? ない。見落としたかな? 車を反転させてもう一度。やはり見つからない。
おや、この家屋は覚えがある……が、イチョウがない!

1                                                 

                                                

あわてて車を降りて、近づく。

010                                                 

切り株があった……。

伐られてしまった。なんでだろ。別に家屋(庫裏のよう)側に倒れそうな様子もなかったが。あるいは台風にやられたか。まさか木材として高値で売れたから…とは思いにくい。

あの景色が失われたのは残念だなあ。そのように感じるのはヨソモノゆえか。でも資源としての景観が失われたわけで、地元の人も望んで伐ったわけではないだろう。

この地区は、実は最奥部にトンネルが掘られている。来年には開通するが、そうなると袋小路ではなくなるわけだ。何処も変化する。

惜別の気持ちをこめて、昨年の写真を、今再びパソコンの壁紙にしよう。

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ショートカット

山の中を走って感じたのは、道路の変化。
かつては4時間かかった道のりが、今や3時間になっている。これは道路改修が進んだからである。それで気がついたのは、道路改修とは、単に道幅を広げて2車線にすることてはなく、ショートカットであるということ。トンネルや橋梁で、道がまっすぐになり、ルートの距離自体も縮んでいる。それがスピードアップの主要因だ。

で、へそ曲がりの私は、ショートカットされた旧道を走りたくなる(^^;)。

そこには、懐かしい景色が広がっていた。うねうね道沿いに民家がある。田畑も見える。ときに、かつては賑わっていたかもしれない商店街が続いている。以前は幹線ゆえ、山の中としてはかなりの車の量だったのに、今やど真ん中に軽トラを停めても文句言われないような雰囲気がある。私は困ったが。

そして、ショートカットされたところこそ、田舎の原型ではないか、と思いついた。
そもそも田舎は、人々の集結地域から外れることで生まれるのではないか。かつては主要ルートだった街道が、ショートカットされたり、別のルートに変わることで往来が減る。すると集落の人口や経済力も落ちるだろう。それは、田舎生成理由の一つのはずだ。

実際、幹線沿いに開かれた店も少なくない。それが、新道の完成とともに旧道となって往来が減れば、客も来なくなる。店じまいに追い込まれるケースも少なくない。そのために消える宿場町もある。

各首長は、道路整備を口々に訴えていたが、もしショートカットが進めば、村の中心地には時間短縮効果が期待できるが、街道沿いの集落は死活問題かもしれない。

田舎の中の田舎生成……そんな理論を考えながら、山の中を走り続けたのであった。

                                                     

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高さ日本一の谷瀬の吊り橋。 観光用ではなく、生活道路であったのだが、観光客が殺到し、そのため付近に渋滞が起きた。そこでトンネルで集落ごとショートカットされる。そのためフリーの客は減った。土産物店やお茶屋、駐車場経営は、困っているかもしれない。

でも、ここ目当ての客もいるからね。

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果無集落

2日間、奈良の山中を彷徨っていた(笑)。

いや、裏ブログにも書いた通り、マツタケ食って、温泉何度もつかって、ご機嫌だったんだけど。

宿を出る際に、目についたのが大きなポスター。そこに写るおばあの表情がよいので、女将に聞くと、「果無集落」だという。実は、最近は有名になっている。熊野古道が世界遺産に指定されて、その際にアチコチ写真に使われたのだ。宿から比較的近かったので、私も行ってみることにした。幸い自動車道もある。

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それでも、おおお、と驚くような急坂を登る。そして、いきなり広がったのがこの景色! 本当に雲が下にたなびいている。そして山、山、山。まさに果てし無く山が続いているように見える。果無という名も、普通に考えるとひどい?名称だが、今や地名がブランドになったのではないか。

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そんな景色の中に畑を耕す人。 ここに住みついた先祖はすごいなあ、と思う。ここで暮らしたら、人生観が変わる気がする。

もっとも、山の上だからすごい、のではないだろう。かつては山の上、尾根筋こそ街道で、谷底は通り道ではなかった。古道も、決して自然と親しむ道ではなく、重要な幹線だったはず。

宿の女将は、「この村の人は、100%市町村合併に反対ですよ」と言っていた。なぜなら、近隣で合併したところが、今どうなっているのか身近に感じているからだ。
でも、反対して自立の道を選んだからには、自分でやらねばならないことも多くある。この集落のような条件の土地を保つ方策も考えないといけない。

                                            

しっかり、世界遺産の碑もあった。9

今回は朝早かったし、天候がイマイチだったから古道歩きの人は見かけなかったが、それなりに人もくるようだ。

その後、幹線を走るのを止めて、いろいろ裏道を選んで走る。多くの集落を見て、いろいろ考える。それはまた別の機会に。

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謎の巨石群

昨日の吉野の用件は、比較的早く終わったので、その後はアチコチ寄り道しながら帰った。その一つが、これ。ところは宇陀市某所。

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これ、嶽太郎

                                            

                                             

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こちらが嶽次郎さん。

                                              

  

                                                                                           

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当然、嶽三郎もいますよ。

                                                 

                                                      

何かわかる? そう、石です(^o^)。それも結構大きい石。

写っているもので、高さ2~3メートルくらいかな。

しかも立っている! ここがミソ。森(松林やスギ林)の中に巨石が林立しているのだ。ざっと十数個はあって、名前は全部にはついていないけど、全体で「嶽の立石」と呼ばれている。ほかに「寝石」「蛇石」もあるけど。3

嶽の何番目の兄弟かな。

                                            

これをメンヒルと見立てることもできる。いや、見立てている。さらに宇宙の星座との関係を説く人もいる。すでに全国でも知る人ぞ知る名所だ。
巨石マニア、オカルトマニアには、嬉しいところではないか。

しかも、これらは昔から知られていたのではなく、最近作られた。山の中に岩が林立していることを知って、遊歩道を作ったり、名前をつけて立て札付けたりと、努力が実って売り出し中なのだ。もちろん、巨石文化の名残として。

これも、地域づくりである。近頃は、隣接地にヤマザクラの名所づくりも行われているようで、両者合わせて今後が楽しみ。ちなみに手がけているのは、有志だそうだ。

こういうネタも、恥ずかしがらずにやらないと。

さて、その後は、宇陀の室生を回った。こちらも岩を御神体?とする龍穴神社はお祭中で遠慮して、女人高野と呼ばれる美しい室生寺は、時間がないのでパス。

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拡大しないとわかりにくいが、岩には弥勒磨崖仏が彫られている。高さは10メートル以上あるだろう。

  

                                                                                  

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その対岸の大野寺。ひなびた小さなお寺なんだけど、縁の行者が開創し、空海が堂を建てたという由来のある古刹。磨崖仏の遥拝所でもある。

室生は、山間に集落が点在しているが、吉野ほど険しくない地形のおかげで、たおやかな日本の原風景が残されている。

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山と里の結界

今日は、古文書関係で吉野歴史資料館に出かけていたが、そこで館長と吉野談義を長々としてしまった。

吉野というと、一般にはサクラの吉野山とか、多くの史跡を思い浮かべるようだが、そうした吉野と山深い吉野がある。その境界は宮滝ではないか、という話から、古今東西の文化と歴史の話となり、古来から吉野が聖地として見られていたのはなぜか、と広がった。

それこそ神武の東征、丹生川上神社の水銀、分水嶺の水分神社、壬申の乱……。大海皇子が吉野離宮(宮滝)で立ち上がったことで始まる古代の大乱は、吉野を聖地とするきっかけであるなどと、結構スケールの大きい話となった(笑)。

それはともかく、大和朝廷が奈良盆地に勢力を広げた里の文化圏だとしたら、やはり山の世界に対する畏怖と警戒があり、それが結界を生み出したと考えられる。

実は、この考え方は、全国どこでも通用するのではないか。里と山には、あきらかに文化の違いがある。その境目には結界がある。この結界の存在を忘れていることが、地域社会をややこしくしているではないか。そのうえ今や表層は里の文化が全国を覆い尽くしているが、深層には山の文化が埋もれている。それも本当の地域性を読みにくくしているのではないか。

日本列島を、里と山の二つの社会から成り立っていると見ると、山村の存在意義とか、都会人の田舎暮らし志向などを理解しやすくなるのではないか……。

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宮滝は奇岩の景勝地として知られる。

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水源の里条例

京都府綾部市では、今年度から「水源の里条例」を施行している。
これは、いわゆる限界集落対策だ。おそらく、自治体がまともに限界集落に取り組む唯一の例ではないだろうか。

具体的には、
[1]市役所からおおむね二十五キロ以上離れている
[2]高齢者比率が六〇%以上の地域
[3]世帯数が二十戸未満の地域
[4]自治会が水源地域に位置している
         ……などの条件を満たす地域を水源の里と定義づけた。キャッチフレーズは「上流は下流を思い、下流は上流に感謝する」である。

選ばれた5つの集落には、約4000万円の補助金が用意された。
内訳は、水洗化と公共交通の確保、空き屋整備と移住者向けの補助制度、地域特産物の開発、農林業を通じた都市住民との交流事業など。すでに山菜や栃の実などの特産品づくりや、フキ摘みのツアーで賑わい、移住予定者も現れたそうだ。

それらがどんな効果をもたらすか、は今後を見て行きたい。正直言って、多少の補助では、延命処置にはなっても充分な活性化にはならないだろう。しかし、消滅するまで放置するよりは一等マシである。

なかでも私が興味を持ったのは、この条例づくりに尽力した市長の言葉である。
市長は直に限界集落を歩いて、活気のあるところとない集落の差に気づいた。活気が残っている地域とは、生業のあるところだったのだ。仕事があり、都市部との交流があるところは活気があった。年金暮らしでは、なんとか暮らせても活気を保てない……。単なる金は、集落を支えず、自ら稼ぎだす金は、地域を活気づける。

屋久島に移住した詩人の山尾三省(故人)と逢った時、緑の美しさや夜の暗さ、雨の風景に満天の星空などなど田舎暮らしの素晴らしさを語ってくれたが、「では、田舎のよくないところは」との質問に、即座に応えた。
「そりゃ、金のないことです」
どっと笑いが起きたが、そこで彼は言った。「だって、そうでしょ。こんなに素晴らしいところなのに人が住まなくなるのは、金がないからですよ」

この言葉、今になって心に染み渡る。

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新米その後

先に建設会社から届いた新米。玄米のままなので困っているという話を書いた。

そろそろ自宅の米も底をつき、別途買うか、この玄米を食べられるようにするかの瀬戸際になった。私は、玄米ご飯を食べたいとは思わない。あれは消化に悪いでしょ。たまに一口二口なら悪くないが、毎日は辛い。だいたいロハスなんて、真っ平御免なのである。

そこで思い切って農協に飛び込む。すると精米機は、もうないのだという。
農協からも精米機が姿を消した? そう、今や農協の仕事から農業は消えつつあるのだ。だいたい生駒に専業農家は数軒しかない。兼業農家にとっては、農協はお金を預けたり借りたり、保険に入ったりという金融業である。農地つぶして駐車場にするには、どうしたらよいか教えてくれたりもする機関なのだ。
不思議と農協は、かなりの都会でもまだ存在するが、精米施設があるかないかが田舎の農協と都会の農協の分かれ目かもしれない。

が、自動精米機のあるところを教えてくれた。生駒も半分は農村?なので、需要はあるらしい。車で約20分のところに、ログハウス風の精米小屋があった。駐車場の一角である。自動精米機が設置されているかどうかも、田舎と都会の区分になるかもしれないな。

自動精米機を使うのは初めて。今は進歩していて、玄米を投入すると、精米具合も選べる。無洗米にすることもできた。10キロ100円~200円だ。私は、無洗米を選んだ。洗わなくてもよいだけでなく、きれいに糠が取れていて、味もよいと思う。
数分で終わり、受け口から精米済の米を袋に流し込んで終わり。結構楽しい(^o^)。

しかも、糠も取り放題。ちょうど自家製ぬか漬けに凝っているところなので、しっかり持って帰る。おそらく持ち込んだ玄米の糠以上の量をいただいた。今度は何を漬けようか。そういえば糠に使用済天ぷら油を染み込ませて肥料にしてみてもよい。昔、農家で教わったよ。

また、誰か玄米送ってくれていかなv(^0^)

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田舎の景観力

昨日は、また吉野に行っていたが、少し幹線を外して通った。
すると、細い田舎の里道に沿って、ドキリとする風景がそこかしこに広がっていた。

彼岸花が満開なのだ。

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  天気がイマイチだったのが残念。少し写真にすると発色が悪い。                                                   

                                              

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あまりに無造作に、畦道だけでなく、自動車道沿い、そして空き地には乱れ咲きしているし、石垣にまで立体的に赤い花々が覆っている。驚いたのは、スギ林の林床に彼岸花が広がっているところさえあった。そこだけ世界が変わってしまったかのような赤だ。

これだけの景観が、ヨソモノなど滅多に来ないようなところに広がっているとは、田舎の底力を感じた。もちろん、観光用にしつらえた景観でもない。おそらく、地元の人にとっては見慣れた、もしかしたら飽きのきた風景なのかもしれないが、すごいインパクトのある世界だった。

田舎のこうした価値を、もっとちゃんと評価する方法はないだろうか。観光開発して何人訪問したか、なんて数字ではなく、こんな景色を維持している地域の力を現すような……。
森林認証制度ならぬ,里山景観認証制度みたいなものを作って、ちゃんとお墨付きを与える。今度「にほんの里100選」を選定するそうだが、もっと客観的な評価基準を決めて、田舎の景観力として認定する。

景観も、日本の国力である。そして財産である。

たとえば、それを地方交付税の交付金算定に加えることで、地域にも還元できるはずだ。今は森林面積も交付金の計算には加味しているのだから、不可能ではないと思う。  
結果的に経済だけでなく、田舎の生活に誇りを持たせるアイテムにもならないか。

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届いた新米

宅配便で、お米が届いた。新米である。

送り主に覚えがない。封を切って案内状を読むと、建設会社だった。
どうやら建設会社の協同組合に勤める旧友が手配したらしい。でも、なぜ建設会社から新米が送られるのか。

実は、この会社、とうとう農業分野に進出したのである。もともとダム建設を得意としていたのに、多角経営の一環で米づくりを始めたわけだ。水稲のほかにもシイタケ、それに産廃処理業も始めたらしい。

もともと地方の建設業で働く人は、実家が農家だったりして農業技術を持つ人も多い。だから公共事業の削減で土建仕事が立ち行かなくなると、農業への進出が可能な選択肢として上がってきたのだ。

もちろん甘くない。建設会社だから、作る技術はあっても売る技術がない。その点は公共事業への対応と同じだ。もちろん売上も小さい。とはいえ、有機農法に挑戦して10ha以上の農地を耕しているそうである。この試み、今後を見守りたい。

ちょっと厳しい見方をすると、地方の疲弊、田舎の衰退が言われているが、その理由に上がる公共事業削減とは、ようするに土建仕事の減少であった。逆に言えば、田舎は、農業ではなく公共事業たる土建仕事で生き長らえてきた。
だから公共事業が減って建設業が減るのは、当たり前であり、決して衰退ではないのだ。問題は、あぶれた建設業者が次に行う仕事が定まらないことである。その選択肢に農業が入るのは、理の当然かもしれない。

さて、送られてきたのはどんな米か、まだ食べていない。だって、玄米なんだもの(^^;)。

田舎なら、自動精米機が各所にあるものだが、生駒であるかなあ。なかったら、どうして食べようか。玄米ご飯を炊く元気は……誰か助けて。

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明日香の秋

ようやく涼しくなって秋の気配。通年より1カ月遅れだ……ところが、天気予報では、来週はまた温度が上がり30度以上の日々が続くだと。

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一足先に明日香村の秋の空景色を。和んでください。 

                                                     

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田舎の自治力

先日、講演の打ち合わせで、山村への問題提起として何を話すべきか、と担当者と話し合った。先方は、林業の先行き的な話を想定していたようだが、正直言って、そんな話しても山村は動かないのではないか、と思えた。

いくら世界的な林業動向を語り、日本の林業は今がチャンス! と訴えても、そのチャンスを捉えるための改革意欲に乏しいし、改革には痛みもあれば資金・人材なども必要だ。それらを乗り越えるのは、今の山村には至難の業かもしれない。
むしろ、将来のあり得る選択肢を示すことで、どう進むか(痛みを甘んじて改革するか、安楽死?するか)は、当事者が考えてもらう方がよいのではないか……。

私は、時として、やる気のない田舎社会を批判することが多いが、もともと農山村には都会以上の自治能力が備わっていると思う。都会では、道路や公園の掃除も行政の仕事であり、問題があれば解決を行政に迫ることが多い。しかし田舎では、はなから行政に頼る前に自分たちで対策を考えてきた。
公園の掃除等はもちろんだが、隣人トラブルも寄合で結論を出してしまう。それは、たまに村八分のような行き過ぎの私的制裁(リンチ)も起こり得たが、逆に講のように危急の家庭に援助の手をさしのべることもあった。

今も、集落の寄合で決したことが、議会より優位となる地域は少なくない。議員よりも集落の役員の方が力があるのだ。議会は追認するしかない。また災害時には、行政よりも先に自治組織が動くのも当たり前だ。

残念ながら、そうした自治力は、戦後弱まってきた。農山村地域の経済力が落ち、高齢化・過疎化がそれに拍車をかける。また慣習的な活動が改革を阻止する面もあるし、
公的社会の法律との整合性が問われることも起きた。
そして何よりも、行政からの莫大な補助金のバラマキが、自治力を破壊した、と思える。今や、何でも行政に頼る気持ちは、都会より強まったところも多いのではないか。それこそ自分の田んぼの畦道を作るのにも補助金を要求してしまう。痛みに弱い体質になってしまった。

しかしまだ田舎社会は、かつての自治の片鱗は残っている。最初から自治意識がなくて、ゼロから築かなくてはならないニュータウンよりも、よほど有利だ。
今なら選択できる。痛みを乗り越えるか、あるいは痛み止めだけを処方して安楽死を覚悟するか。

……こんな話をしたら、嫌われるかなあ。

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田舎のもてなし

15,16日と、吉野チェンソーアートスクールの合宿講習。2日がかりでイーグルを作る、上級?講習だ。

その内容に関しては、倶楽部のホームページや関係者のプログに譲るとして、私は、初日の昼間抜け出して、明日香村に行っていた。

これはまったくの偶然なのだが、某編集者と新企画の打ち合わせをすることになったところ、ちょうど奈良に行くので……ということになった。ところがその日私は吉野。すれ違いになりかけたが、実は編集者の奈良行は、明日香村を歩くイベントの引率であった。会員?とともに、里道を歩くわけである。その場所は、吉野アートスタジアムから見て、山一つ越えた裏側。それなら少し昼間抜け出してお逢いしましょう、ということになった。

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約束の場所に着くと、ちょうど一行が到着する寸前だった。小雨の中、ご苦労さま、という状態であるが、地元の人々が迎えに出ている。実は、地元に昔の明日香村の景観を取り戻そうと活動しているグループがあって、そこが今回のツアーの受入れもやっている。

私も混じって歓待を受けてしまったのだが、京阪神や関東から見えた一行に昼食がふるまわれた。それが、ちょっと豪華なのだ。紫イモの炊き込みご飯に野菜天ぷらに胡麻豆腐に煮物にソーメン……地の産物でもてなそうという趣旨なのだろうが、ここまでやったらアカンやろ、ツアー参加者を甘やかしたらつけあがるぞ、と思ってしまった(^^;)。

なぜなら、無理な歓待を続けているうちに、息切れして活動まで停滞してしまいがちだからだ。おそらく支払われる給金以上の内容でもてなしている。こうしたもてなしは、受ける方は有り難いし喜ぶだろうが,所詮は行きずり。だがもてなす方は毎度同じ人となり、疲れてしまう。

会長の挨拶も、「何もないところへ、よく来てくださった、申し訳ない」と平身する。これも、ちょっと違うような気がする。ハイキングで来てくれることを喜ぶのではなく、地域に何をしてくれるか見定めないとなあ。

都会の人は、田舎の風景を求めていく。それはいい。が、地元の人は、彼らが風景のために何をしてくれるのか、吟味してほしい。
近頃は、「もてなしブーム」で、いかにお客様に喜んでもらえるか、といったハウツウ本がよく売れているようだが、もてなしにも、対価を要求すべきだ。逆に言えば、対価に見合ったもてなしにしないとサービス自体が続かないよ。

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稲穂がおじぎしている。稲刈りまであとわずか。

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田舎の脳ミソ

病院で、「北海道田舎移住日記」(はた万次郎)を読了した。

はた万次郎は漫画家で、「ウッシーとの日々」を購入したついでに手に入れた、これは日記形式のエッセイなのだが、十数年前の本である。東京からいきなり北海道の下川町に移住した話を綴っている。

この人のスタンスは、田舎に楽園を夢見たわけでもなければ、都会派のアウトドア的発想もない。それでいて、都会を冷やかに見ているし、同時に田舎の生の姿を遠慮なく描いている。そこにあったのが、「下川脳ミソ」の話。

ようするに田舎の限られた地域と人で生活していると、地域に密着した話題だけになり、自分の世界が町の中だけになって、町単位でしか物事を考えられなくなる……精神的な鎖国をしてしまうという現象だ。たしかに、こうした「田舎の脳ミソ」は存在する。

ちょうど、別の田舎暮らしを始めた人からのメールで、

>田舎の人が田舎に閉じこもって、
>穴の中からテレビで余所の出来事、世の中の移り変わりを
>「娯楽」として斜めで見ている・・・

という地元の人の様子を描いていた。鎖国と言っても、情報そのものはテレビでも何でも入ってくる、買い物だって都会の物を手に入れることもできる。が、頭の中では、都会は別世界であり、自分の世界ではないのだ。自分の住む地域だけしか興味を示さない田舎の脳ミソになる……。

それが悪いと断じるつもりはない。そうした世界観で過ごすのも羨ましい気がする。だが、現代社会を生き残れない気もする。事実、田舎は衰退していく。

田舎の脳ミソでも、何も苦労しなかった時代が懐かしい。

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土佐の棚田

世の中、夏休み、お盆休みモードなんでしょうね……。

そこで、小難しいことを書くより、美しい景色でも楽しんでいただこうかと、こんな写真を。

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土佐町の棚田です。アチコチ探して行き着いたのだけど、川筋からぐんぐん登って、高原状になったところに見渡す限り広がっていました。棚田百選に選ばれているのか、「棚田が美しく見えるところ」の標識まで幾箇所かあります。台風の名残の、ガスが山々を覆っていました。
小さく作業している人が見えるのも、私には生活感があってよい。風景写真としては失格?だけど。

面白いのは、ほとんど石垣がないこと。一部新しいところやコンクリートの壁面は見かけましたが、たいてい土の傾斜法面なんですね。だから耕地面積的には垂直的な石垣棚田より狭くなるのだろうけど、たおやかな、独特の高知の棚田景観になっています。

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里山マイスター

金沢大学は、『能登里山マイスター』養成プログラムを5カ年計画でスタートさせるそうである。

このプロラグムは、「自然と共生した美しい能登半島の再構築を目指して、就農を志す若い担い手を能登に 呼び込み、地域のリーダーへと養成」するのだという。環境保全型の
自然産業(農業を中心に林業、水産業も含む)の実践のほか、二次、三次加工して市場に出すこと、さらにグリー ンツーリズム型観光の拠点つくりなども指導する人材の養成するらしい。

里山マイスターとは思い切った名前だが、ようするに田舎で起業する人を養成するということなのかなあ。しかし、大学が取り組むとは…。条件を見ると、

1)募集人員: 1期生15人程度(推薦枠含む)
2)受講資格: 環境配慮の農業に関心を持ち、将来、農業への新規参入や業種転換、および農業にかかわる新ビジネスを希望する40歳前後までの男女。
3)受講料: 無 料 
4)受講期間: 平成19年10月5日~平成21年3月31日の毎週金曜日(18時30分~20時00分)と土曜日(9時00分~12時00分)

う~ん、立派だ(笑)。これって新手の田舎暮らし募集になのかもしれない。文科省の補助金事業らしいが、農水省がやるべきでは? いや、経産省かも。

今の時点では情報不足で、この程度の時間でどこまで実学を教えられるの? 受け入れ先は確保できているの? などと思う部分もあるのだが、まずは温かく見守りましょう。

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集落の消滅

昨日は、終日吉野に行っていた。数えてみると、7つの用件をこなしたことになる。

収穫は非常に大きかったのだが、ここではそのうちの一つ。

写真は、川上村白屋地区文化財民俗調査報告書。用件とは別にオマケに教育委員会よりいただいたものなのだが、厚さが2・5㎝もある。内容は、白屋という集落を根こそぎ調べた、という印象だ。

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なぜなら、そこにあるすべての家屋の見取り図が掲載され、住民の生活も聞き取られている。さらに発見された文書類の数々。全人口89人の集落に、これほどの古文書が眠っていたのか! と驚嘆してしまった。これらの解読が進めば、新たな山村像が生まれるかもしれない。

が、悲しむべきは、この白屋の集落は、現在、実質的に消滅したことだ。それも過疎などが原因なら、まだあきらめもつく。そうではなく、外部要因にある。

それは大滝ダムの問題だ。4年前、川上村に誕生したこのダムに試験溜水を行ったところ、ダムの上流部に位置する白屋の集落斜面に亀裂が走り、地滑りの発生が予見されたのだ。おかげで全住民は強制的に撤去された。今は、村の内外に移転することが決まっている。つまり、白屋集落は、その瞬間に消滅したのだ。
ダム湖に沈む話なら、各地にあるが、それは少なくても心の準備のある事象だ。しかし、白屋は何も考える間もなく消滅に追い込まれた。

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今回の調査は、集落を根こそぎ破壊するため(移転が決まると、補償金の支払いとともに集落の家屋等は破壊される決まりである)、その前に行われたのだ。そのため、各家に眠っていた文化財や文書が明るみに出たのである。

かつて吉野林業に深い関わりを持ち、1000年を越える歴史を持つムラが、1冊の報告書と引き換えに消えていく。

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『離島発 生き残るための10の戦略』

NHK出版の生活人新書『離島発 生き残るための10の戦略』を読んだ。

舞台は島根県の隠岐島島前(中ノ島)の海士町。著者はこの海士町の町長・山内道雄氏である。
実は、私は置きに10回近く通っているし、海士町にも幾度となく訪れている。この島の地域づくりに関しても、多少は知っているつもりだった。しかし、ここまでドラスチックな変化が行われているとは不覚にも知らなかった。
やはり自治体合併を拒否して単独の道を選んだことが大きな分かれ目になったようだ。そういえば、合併の嵐後は、海士町を訪れていない。隠岐でも知夫里島は行っていたのだが。ちなみにその取材は、『田舎で起業!』のためであった。

この町長が取り組んだことはいろいろあって、「島をまるごとブランド化」戦略などもある。が、こうした発想そのものはたいしたことない。私でも唱えていた。問題は、実行の部分だ。

エピソードで感動的なのは、町長の給料を30%カットしたところ、課長たちが自主的に自分たちもカットを申し出たという話だ。それは広がり、とうとう一般職員や議員もカットすることになる。結果的に「日本一安い給料で、日本一働く職員」というキャッチフレーズに結実する。皮肉ぽいが、実は後半が自慢でもあるのだろう。知っている自治体で、「わが町もそうなるか」と自問して、うなづける地域はほかにあるだろうか。あれば、その町はよほど田舎です(笑)。

戦略として気に入ったのは、1年間、島に滞在して「宝探し」をする研修生を募集する制度である。その間15万円の給料を支払うというのだ。私も応募したいような話だ。結果的に、新たな商品開発に結びついたり、Iターン増につながっている。

もう一つ、中学校の修学旅行は東京で、一橋大学で隠岐について講義する(受けるのではなく、する側)というのも注目。そして国立市でホームステイ。
ホームステイなんて、異国か田舎でするものというイメージがあるが、都会でさせるのもアイデアではないか。

……とまあ、ベタ褒めするのはナンだが、この本は、何も田舎の生き残りの方法を紹介しているのではない。むしろ田舎の、とくに役人の意識改革を行う手法のヒントを与えてくれると見るべきではないか。山村や森林組合などでも応用が効くように思う。

サイドバーにアップしておく。

私もまた海士町に訪れたくなった。『田舎で起業!』の第2弾になるかな。

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ドラマ「牛に願いを」と農大

昨夜は、娘とチャンネル争い(^^;)。

娘は、「探偵学園Q」を見るというが、私は裏番組の「牛に願いを」が見たい。でも、今回は娘に譲って(;O;)、録画したのを後で見た。「探偵学園Q」も、志田未来チャンが出ているから見てもいいんだけどね。

牛に願いを」は、近頃流行りの田舎を舞台にしたドラマということで、チェックしておかねばならないと思ったのだ。加えて相武紗季が見たいということもあるのだけど(^o^)。
初回は、まあ無難というか、ありがちなステロタイプな農大生と実習先の紹介。田舎社会の実情を浮かび上がらせるのは、まだ先か。でも、一応、農大と知って入った学生が、実習をここまで嫌うか? と思うけどね。

ところで、私は以前女子高生とメルトモだった。と言っても、年に数回近況報告を受ける程度のメール交換だが。その後彼女は、農大に進学する。最初は東南アジアの農業に興味を持っていた彼女は、ひょんなことから私がある牧場を紹介する形で実習に入り、現地でも馴染んでいたようだが、卒業を前に人間そのものに関心を強めたのか、結果的に今年の春より教師になっている。

メールだけとはいえパワフルな様子が伝わり、微笑ましかった。それにしても人間なんて、どこでどんなことに興味が移り、人生の進路の分岐点を越えるのかわからない。

                                                      

蛇足だが、昨日見た映画「君にしか聞こえない」では不思議な聾唖者を演じた小出恵介が、こちらではヒョウキン真面目?な学生を。ちょっと混乱するなあ。

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都会は麻薬?

『世界の半数が都会人」に』という記事があった。国連人口基金が発表した白書によると、来年には世界の人口の半数以上の33億人が都会に住むことになるそうだ。

この場合の都会とは、スラムも含む(いや、大半か)人口集中地域のことだろう。アジアやアフリカでは、とくに顕著である。もちろん経済問題や雇用問題など様々な要素があるが、ここで私が思い出したのは、ベトナム戦争のルポである。

南ベトナム(当時)のデルタ地帯(農村部)から戦乱を逃れてサイゴンなど都市部に流入した難民が、その後戦乱が収まっても帰村しないのだ。そこで政府高官のコメントとして「都会の味を覚えてしまった」というのが印象に残っている。村で農業をやるより都会で乞食になることの楽しみがある……という状況が生まれていた。

これは残念ながら否定しがたい。現在の日本の田舎暮らしブームなんて、小さな逆流にすぎず、基本的には田舎から都会への人口流出は続いているのだ。やはり都会に魅力を感じる人の方が圧倒的に多い。
私は、「都会の魅力は麻薬」と言ったことがある。身体に悪いと言われても、一度魅力を感じると中毒になって抜け出られない、という意味だ。だから最初から中毒にならないような心がけを持つか、中毒になった場合は、かなりの意思力がないと脱却できない。

その麻薬の中身は、「刺激」だと思う。便利さもその一部だろうが、常に多くの刺激にさらされると、最初はびっくりしても、やがて心地よさが生まれる。そしてもっと強い刺激が欲しくなる。もっと便利に、もっと新しい情報を。

もしかしたら、Iターンによる田舎暮らしも、新たな「刺激」を求める面もあるかもしれない。しかし、田舎の刺激がどれほど続くか。都会のようにのべつなく新しいものを提供できないだろう。……(この考察、また続く)

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町内の草刈り

今日は、朝から町内会の美化運動、つまり草刈り

ところが、結構なメンバーが集まったものの、肝心の草がない(~_~;)。考えてみれば、地面はアスファルトだし、家の周りもブロック塀が増えている。昨年まであった空き地には、みんな家が建ってしまった。家の中は、もちろん個人の責任だ。

公園は、市の管轄だそうで、やらなくてもよいという。会館の周りには結構草が生えていたが、そこは毎月当番班がやることになっているので、美化運動の範疇ではないという。

おいおい、やるところがないではないか。都会には都会のこんな悩みもある。

エイ、ヤーと私は、公園をやることにした。管轄外だって、市の草刈りはいつやるかはっきりわからないし、金だってかかる(シルバーボランティアへ発注するらしい)。人数が集まっているのだから今やればよい。ただでさえ、今年は新居を建てて入ってきた新住民が多く、この機会を失うと交流することもなくなる。草刈りの目的だって、実は一緒に汗を流せば、会話も弾むことを狙っている面もあるのだ。

というわけで、皆さん、どんどん参加した。刈り払い機を持っている人が、嬉しそうに刈る。
公園の遊具周りにブロックの壁面に、溝掃除。そのうち会館の周りも草を刈り始め、もう終わりと言っているのに次々と新たな場所に取り組む人もいる。もちろん、だべってばかりの人もいるが、それはそれでよし。

新住民は、みんな若手だ(若奥さんも多いのだよ)し、子供連れだったりもする。夏祭をどうするか、なんて話題も出た。(私が仕切ることになってしまった……)

ちょっぴり生駒が田舎になった気持ちがして、私としては嬉しい。

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ふるさと納税

政府、与党が(というより、菅総務大臣が)言い出した、ふるさと納税。大都市に集中する税収の格差是正のために、現住地の自治体に納めるはずの住民税の一部を故郷に支払うという制度である。

生まれ育って学ぶというお金のかかる時期に田舎にいて、稼ぎだしたら都会に行くことの不公平を和らげようという発想で、仮に収入の1割を故郷に渡すだけで1兆2千億円が動くらしい。田舎自治体には慈雨となるだろう。

ただ、税体系を根本から変える発想だけに、そんな簡単に実現しそうにない。
菅大臣は、以前にも「二地域居住」をする人々に、住民票のある都会だけでなく、田舎の方にも税金を払わせる案を口にしている。

さらに、地方分権改革推進委員会で猪瀬直樹委員が、「東京の山手線内の12区に落ちる法人2税を地方に分配する「東京DC特区構想」を打ち出した。

いずれも、地方財政の強化が狙いだが、東京から地方に行った人の住民税とか、何日住んだら二地域居住になるのか、などを考えるだけでも難しい。それでも提案が出るということは、地方の財政危機と東京一極集中の税収の問題がクローズアップされてきたということだろう。

でも、本当はそうした税収の偏りを無くすのが目的で、地方交付税が生まれたはずだ。国税を地方に還元する仕組みである。それがバラマキ行政を生み、財政難から削られつつあるのだから、こちらを何とかした方が速いと思うのだが。

私は、あえて地方交付税を拡充し、補助金を全廃した方が地方のためになると思うがいかが。とにかく使い道を地方に任せる。その使い方が悪くて失敗したら、それこそ自己責任になる。国が、そこまで気を回さなくてもよいだろう。

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