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森と林業と田舎の本

2020/08/16

絶望!『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』

出版されたときから気になっていた。だが、すぐに買うのはためらっていて、ああだ、こうだと考えた末の購入。

沖縄から貧困がなくならない本当の理由』(樋口耕太郎著・光文社新書)

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一読、思ったね。これは『絶望の沖縄』だ。

沖縄が抱える問題点は、ともすれば戦争体験と米軍基地支配に収斂されがちだ。しかし、それでは説明のつかない点がいっぱいある。それを実に切れ味鋭く、そして重苦しく切り開いた。そこに明るい展望がない。林業と同じ、それ以上の絶望に包まれている。

たとえば、自殺率、殺人・強盗・レイプ……などの重犯罪、DV、幼児虐待、いじめ、依存症、飲酒事故、不登校……などの率は、他都道府県を圧倒するほど高いのだそうだ。これらの多くは、貧困から生じている。その理由を解きあかそうとしている。

著者は盛岡出身ながら、野村證券から沖縄のホテルの再建をなし遂げて、現在は沖縄の大学准教授。そして16年間沖縄に住んできた。そこでさまざまな出来事を経験したのだが、この謎の解明のために取った手段がすごい。日曜日を除く毎晩、那覇市の繁華街のバー?に通いつめ、ひたすら客と会話しているというのだ。ちなみに彼は酒を飲まない。約3万人、2万時間の話を聞いたという。

この手法そのものが、超フィールドワークである。学問でも取材でも、このレベルに達した人はいるのだろうか。

そして得た結論は……これは本書を読んでいただくのが一番なのだが、一言で言えば、沖縄人の自己肯定感の低さだという。そして「できるものいじめ」の横行する社会なのだ。つまり出る杭は打たれる……をもっと過激に、きつくした状態だ。「なんくるないさ」は、実はあきらめの言葉でもある。
もっとも出る杭のレベルは低い。車のクラクションを鳴らす、暗い教室で最初に電灯を付ける、仲間うちで先に意見をいう……そんなレベルからリーダーシップを取ることが「お前は出すぎた」と認定されてしまうらしい。そして「変わること」への拒否感が強い。新しいことに取り組むと嫌われるのだ。それらが若者の創造性を奪い、労働生産性を落としていく。
南国のイメージががらがら崩れる。外目とは違った見えない緊縛の世界。「のんびり自然の中で働く林業」が嘘なのと同じだ。

そして「給料を上げて」「非正規から正社員に」するというと断るそうだ。給与が上がっただけで、仲間外れにされてしまうから。それゆえ低賃金が続き、貧困はなくならない。

それは戦争体験でも米軍基地でもなく、もしかしたら琉球王国時代の身分制度や監視社会の残滓かもしれない。また同調圧力なども日本社会全体に通じることだろう。ある意味、日本社会のうすら黒い部分を濃縮した地域なのかもしれない。本書にも、「沖縄問題とは、濃縮された日本問題である」と書かれてある。

それにしても……基地の金ではなく、莫大な沖縄振興予算という名の補助金が社会をゆがめ、改革を拒んでしまう状況などは、そのまま林業界にも当てはまる。じゃぶじゃぶと注ぎ込まれる上から降ってくるお金が、いかに関係者の精神をゆがめ、社会に害毒をぶちまけるか。目先の問題を金で解決しても、それは対症療法であって根治しない。

ああ、なんだか「日本の林業は、日本社会の縮図」と書いた『絶望の林業』と相似形だ。。。

そして、この本にも「希望への処方箋」がいくつか描かれてある。その一つは教育であるし、外からの圧力(この場合は本土資本や人材も含む)である。これは、林業界にも通じるだろう。

沖縄問題と林業問題の驚くべき共通点があるなんて……。

 

 

2020/07/28

『百姓たちの山争い裁判』に見る山利用

百姓たちの山争い裁判』(渡辺尚志著・草思社刊)を読んだ。

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百姓とあるが、これは農民を指すのではない。さまざまな仕事をする庶民であり、その中に山村に住む民も入る。そして林業も立派な百姓の仕事である。彼らは、はるか昔から山の境界線を巡って隣村などと戦い続けてきたらしい。

具体的には、山の木だけでなく草刈りの権利であり、薪や炭焼き、食料を採取することもある。

江戸時代では、まず村内のことは村内に裁判権がある。それが隣村も交えると代官や藩が出てくるが、それをも超えて江戸の幕府に訴えることもある。なかには燐の藩との争いになり、藩の領地の奪い合いのため裁判になることもあったようだ。表向きは地元の庶民、つまり百姓の争いだが、実は藩、つまりサムライも後押ししていて、江戸で領地争いを繰り広げたのだ。

また裁判の方法には、鉄火起請のように焼けた鉄の棒を長く持ち続けた方が勝ち、という恐ろしい判定方法もあるが、やはり証拠となる文書をいかに集めるか、そして訴えを認めてもらえるような起訴文を書くことが必要で、さらに弁の立つ、口頭弁論が有効。今の裁判と基本的には同じだ。ただし三権分立ではなく、お役人が一人で3役(行政・立法・司法)をやってしまうのだから面倒だ。もっとも判決が出ても認めず抗弁する百姓もいるから、サムライ側もうんざり……。

なかには300年続いた裁判……一つの判決が出ても、また次の争いを起こし、延々と続くのだが、江戸時代が終えて明治になっても続けていたのだ。いやはや、大変。しかも裁判で勝っても、その訴訟費用を支払うために、その山を売却したりするのだから(゚д゚)。
それが崩れるのが明治の官民有林の区分だ。これまでは所有が誰であろうと、問題は利用権、いわゆる入会権だったが、ここで所有権=利用権となってしまう。これが日本の土地制度の根幹を変える。

……とまあ、近代以前の土地制度を考えるのに勉強になる。実は、日本には土地の所有権なんてなかったのかもしれない。

一方で山村の焼き畑と言えば、自給自足的農業をイメージするが、実は商品作物も栽培していたらしい。コウゾ、ミツマタ、クワ、そしてカヤを生やして屋根葺き材料にもしたし、スギやヒノキを植えて森を育てていた。

こんな資料から、育成林業の誕生を感じることもできるのである。

 

 

2020/07/24

本郷林野庁長官インタビュー記事

電子農林水産専門誌Agrio314号に巻頭で本郷林野庁長官のインタビューが掲載されていた。

冒頭だけ紹介すると、こんな感じ。

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Agrioは、時事通信社のpdfで発行される農林水産業の専門誌。やはり農業が多いが、林業も水産業の記事も折々に掲載されている。私はわりと愛読していて、とくに内部情報を得られるので重宝する。実は水産業の記事も面白い。たとえば世界中の漁獲量は伸びているのに、日本だけがマイナスであることがあらわになってくる。官庁の裏側情報なんぞはドタバタぶりが笑える。ちなみにトライアルに申し込むと、無料で35日間全号分読めるよ。(リンク先参照)

で、インタビュー。あんまり新味のあることはしゃべっていないが、現代の林業に関するとらえ方は、私とさほど離れているわけではない。

切る木がなくなって、林業や山村にお金が落ちなくなった。それが30年、40年続いているわけだ。。だから、例えばイノベーションやシステムの改善に取り組もうにもお金がない
天然林にして大きくなった広葉樹を切るといった持続可能な林業
人口減少の影響で働く人も当然少なくなる。日本のあらゆる産業が人手を欲しがって、給料の高いところに流れていく。とても今の林業では太刀打ちできず、現状としては減る一方

ただ、それに対する対策は、という点でずれてくるんだな。

「木材需要の拡大」……違うでしょ。需要が拡大しても利益が出なければ意味がないのだ。あくまでめざすは林業関係者の利益の拡大である。それも補助金抜きの。人口が減少していく社会で需要を拡大させようというのが外れているし、自由貿易体制の中で需要を拡大しても外材が流入してくるだけだ。量(売上)ではなく、質(利益率)の拡大を図ってほしい。

最後に、「循環が可能な値段で売らないといけない。持続的に収穫することが一番大事」とあるのだが、ここをもっと強調しないと。
すでに木材需要は伸びている。なんたってバイオマス発電燃料が莫大に増えたからね。でも相変わらず「扱う木材」の量ばかりを競い合って価格競争に陥ったり(バイオマス燃料も輸入ばかり)、目先の量を増やすために補助金という名の税金を注ぎ込んで、全然利益が出ない(総体では赤字)ようにしてしまうのが問題なんだから。

 

 

2020/06/25

ジュンク堂書店の棚

久しぶりにジュンク堂書店奈良店に行ってみた。たまには大型書店で本を探したい……て、奈良のジュンク堂はちょっとしょぼいのだけど……

と腐してはイケナイ。

森林・林業棚を見て驚いた。

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今も平積みだよ。発売後10か月以上経ってもこういう置きかたをしてくれることに感謝。いい店や~。

ただ、隣が某宮脇氏の本なのだが……。これは奇縁ですねえ。潜在自然植生のことを記事にしたばかりに皮肉か? 
ちょっと、アチラの本の方が出張っているのが気に食わん(笑)。

2020/06/19

人類は脳を小さく進化させた

最近、改めて人類の進化に関する本をよく読むようになった。

改めて、というのは、10年20年前に同じマイブームがあったから。アウストラロピテクスからホモ・サピエンスにつながる進化の歴史が面白くていろいろ読みあさったのだ。

満足してしばらく離れていたが、ここ10数年の間に人類史の研究はすばらしく進んだ。新化石の発見が相次ぎ、新種もは続々と。単に形態だけでなく、生活や知恵までわかる遺跡も見つかっている。
そしてインドネシアのフローレンス島で、ホモ・フロレシエンシスが見つかった。これは、いわば小人種だ。身長1メートルあまり。一貫して身体を大きく進化させてきた人類が、いきなり小さくなった!という新種発見に私は驚いた。人類進化の根幹が変わる。そこでまたも関連書を読み込んだわけである。

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いずれの本もそれぞれ興味深かったのだが、とくに「絶滅の人類史」で驚くべきことを知った。

それは脳味噌の容量の変化だ。

たとえばチンパンジーは、約390ccだ。

初の直立二足歩行をして人類へと分岐したとされるサヘラントロプス・チャデンシスは約350㏄。むしろ小さくなっている。が、これぐらいなら誤差範囲か。

アウストラルピテクス・ガルヒは、約450㏄。少し後のアウストラロピテクス・ボイセイは約500㏄
同じ頃のホモ・ハビリスは509~680㏄
ホモ・ルドルフェンシスは790㏄
ホモ・エレクトゥスは時代によって変異が大きいが約1000㏄とされる。

そして、ホモ・エレクトゥスから生まれたホモ・ハイデルベルゲンシスは約1100~1400㏄となった。
そこからヨーロッパに渡って進化したホモ・ネアンデルタールは、平均で約1550㏄に達している。なかには1740㏄を越える個体もある。これは人類史上、最大の脳を持つ。
ところが、アフリカに残ったホモ・ハイデルベルゲンシスから誕生した我等がホモ・サピエンスの古い時代は、約1450㏄だ。つまり、ネアンデルタール人より小さい。そしてそして、現在の人類の平均は1350㏄なのである! 

なんと、ホモ・サピエンスは、脳を小さくしたのである。また身体もネアンデルタール人より華奢だ。

ちなみにホモ・フロレシエンシスは、ホモ・エレクトゥス(ジャワ原人)から進化したようだが、脳は400㏄とチンパンジー並。ジャワ原人の半分以下だ。知能がどうだったかはまだわからないが、少なくても5万年前までは生き延びていた。ほとんどホモ・サピエンスが誕生して広がった時代と重なっているのだ。人類は大きくなるばかりではなかったのである。

仮説として、脳はエネルギーを使いすぎるからではないか、と推測がある。脳は、ほかの器官より圧倒的にカロリーを食う。そのカロリーを得るためにはのべつなしに餌を探して摂取しないといけない。植物質を食べる動物(シカなど)は起きている間中餌を食べている。

ところが肉を食べることになると、短時間に栄養摂取が可能になったことで動きを俊敏にしたという。それが脳を大きくしてもよい下地ができた。
人類も、枝葉から木の実・豆・芋などでんぷん質やタンパク質を取るようになり、そして動物質の餌を得て脳を大きくすることができた。ところがネアンデルタール人ほど脳を大きくすると、やはり栄養摂取が大変になる。しかも身体も筋肉質だった。筋肉もカロリーを消費する。これでは食物探しに時間が取られて、文化・文明を発達させる余裕がない。事実、ネアンデルタール人は、初期の頃につくった石器を絶滅近くの時代までに、ほとんど改良することがなかったという。

そこでホモ・サピエンスは、脳を小さく身体も華奢にしたんじゃないか……。そんな仮説を立ててみる。食物を探す時間が短くてすめば、生活を工夫する余裕もある。打製石器から摩製石器、さらに刃物のような鋭利な切れ味を持つ細片石器を発明し、さらに使い方も棒に尖った石器をつけることで槍を生み出した。獲物を取るのが格段に効率的になる。

一方で、脳が小さくても効率的に思考できるようにした。その手段は、まず言語だ。言語を獲得することで抽象的概念を描けるようになり、脳が小さくても思考力が高まったわけである。言語はコミュニケーション能力を高め、共同作業をより高度にする。かくしてネアンデルタール人などを圧倒するようになった……。

まあ、これは仮説だ。何の証拠もない。しかし、脳が大きければ知能も高くなるとは限らないようだ。量より質、なのである。脳を大きくする進化は、もうピークをすぎて、今後は小さくしていくのがトレンドかもしれない。それでも思考力を高める方向に進化するだろう。

ひたすら脳を大きくして、エネルギーを大消費する動物は、結果的に小回りが効かず、未来は危ういかもしれない。何事も、みかけの大きさ、量よりも、いかに効率のよい肉体・思考力を持つかが決め手ではなかろうか。

今後は、もっと頭を小さくしていくかもしれない。思考は言語を越えたイメージで行うようになり、足りない部分はAIなどで補って生きていく未来人を想像してしまう。たとえば記憶データの蓄積や、データの検索・比較なんぞはAIに任せて、小さな脳の人間は、示された結果から最終判断だけを担う……そんな未来図を描くと、果たして人間にとって幸福なのか、不幸なのか。

もはや仮説や考察というより、想像の世界ではあるが、あまり明るい未来が浮かばない。

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ホモ・フロレシエンシス(国立科学博物館)

 

2020/05/30

現場主義を壊す「デジタルハンター」の世界

NHK・BS1で「デジタルハンター」という番組を見た。これ、すごい。

ウェブで公開されている情報、とくに画像・動画なとを元に真相に迫る新たなジャーナリズムの手法だ。これをオープンソース・インベスティゲーション(公開情報調査)と呼ぶ。違法ではなく、公開されている情報から、政府や犯罪者が隠している情報を割り出していくのだ。

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なにしろ、アフリカのどこともわからぬ殺戮現場の動画、それも数分のものから、映り込んでいる背景の地形、建物や木の大きさ……などを元に衛星画像と突き合わせて場所を割り出す。そして人の影から年月まで読み取る。

ウクライナで撃墜されたマレーシア航空機を誰が撃ったのかも、各地のSNSを精査して、ミサイルを積んだトラックを発見し、その走ったルートと行きと帰りは積んでいるミサイルが減っていることまで見つける。明らかにロシア軍の犯行だと証明したのだ。

Dsc04755_20200530223401 ウクライナに発射したミサイルを積んでいたロシア軍トラック。

ほかにも中国のウイグル族の強制収容所を見つけ出してそこで何が行われているか探り出したり、武漢における新型コロナ肺炎の蔓延具合をいち早く見つけ出したり、おそるべき調査能力だ。それを、すべて小さなパソコンだけで行ってしまうデジタル世界の新たなジャーナリストが生まれていることを知って戦慄した。彼らの多くは本来はゲーマーだったりするのだが、今や世界のメディアが競ってリクルートしているそうだ。BBCもワシントンポストも、みんな彼らを雇っている。

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しかし、この時代、どんな閉鎖した国でも、ネットに上げられている情報があるものだ。先のミサイルも、市民が何気なくネットに上げた映像を拾いだしたのだから。

ただ私が思ったのは、これはデジタルの話ではない、ということだ。ようは情報を読み取る能力が必要なのだ。
対極にあるジャーナリズムの「現場主義」というのを、私はあまり信じていない。もちろん現場に行くのもよいが、そこで見聞きしたことをいかに分析する能力があるかが問われている。見たことが真実と思い込むのは浅はかだ。それなら幽霊を見た、UFOを見た、だから霊界は存在する、宇宙人がいる、と主張するようなものである。目にした現象がなぜ起きたのか分析しなけりゃジャーナリズムにならない。また被取材者の言い分を丸飲みするのも危険だろう。それこそ広報・宣伝に利用される。
現場百編、というのはもう古いのかもしれない。現場に足を運ぶのは一度で良いから、いかに情報を読み解くかが問われる。

私はとてもデジタル世界を精査する能力はないが、負けずにコツコツとアナログも含めた公開情報を分析して隠された事実を掘り出したい。(ちょっと武者震い)

ちなみに、この番組、明日の深夜にも再放送するみたい。BS1午後11時。

2020/05/28

森林破壊は人類の進化の記憶?「第三のチンパンジー」

私が傾倒している学者というか著述家の一人にジャレド・ダイアモンド博士がいるが、現在読んでいるのは「第三のチンパンジー」(草思社)。

この本は、代表作の「銃・病原菌・鉄」「文明崩壊」などのエッセンスを濃縮して、さらに新しい情報にアップデートしたような作品だから、オススメである。

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ここで細かな本の内容は紹介しないが、大きな問題意識として人類の環境破壊がある。

一般に、古代の人類社会は環境と共生していたが、近代、産業革命以降は破壊を進めた、というイメージがある。とくに白人が世界中に進出していく過程で森林破壊は進み、人同士の殺し合いが頻発しジェノサイド(大量虐殺)を引き起こすようになった。なかには「日本人は自然を愛し共生社会を築いたが、西洋人の文明は自然を破壊しつくした」とゴタクを並べるトンチンカンな学者もいるが……。

ところが、そうでもない。そもそもジェノサイドは人間以外の動物でも起こす、というか人間以上にしでかす。異種だけでなく同族も殺す。そして人間も古代ギリシャ人やローマ人などは各地で行った。モンゴルもそうだろう。またニュージーランドのマオリ族の恐ろしさは、まさに各地でジェノサイドを繰り返していくつもの民族を滅ぼしたことにある。そして動物たちも殺して絶滅に追い込んだ。モアが滅んだのも、その一つだ。そして各地で森林を失っていった。

が、私が驚いたのは、中東ヨルダンのペトラだ。ここは映画「インディ・ジョーンズ」の舞台としても使われて有名になったが、細い渓谷の奥に岩に掘られた神殿のある古代都市遺跡である。まさに砂漠の中に眠る不思議な都市として知られるが、実はこの都市も、かつて森の中にあったというのだ。今でこそ、砂漠の奥に隠れた王国があったイメージだが、この遺跡に人が集っていた時代は、森に囲まれた都市だったのだ。

ほかにもエジプト、メソポタミア文明の各都市も、古代ギリシャもローマも、森に囲まれた都市国家群だった。インドや中国の各王朝も、北アメリカの大平原も、イースター島も、かつては森林に覆われていたらしい。人類の生きる場所はほとんどが森の中だったのだ。そして人が集まり都市をつくると、森は消えていった。これは日本でも当てはまるかもしれない。飛鳥時代は都をよく移したし、奈良時代以降も、周辺から遠くへと森林破壊をし続けた。

おもしれえ。人が住む土地は、常に森だった。そして森に人が集まると森を破壊してなくしてしまうのだとしたら。そこでその都市を捨てて別の森のある場所に移っていくわけだ。やがて都市を移動させずに遠くの森から資源を収奪して運んで来るケースも出てくる。が、それも森を破壊しないと生存できない人類の性かもしれない。

それは今も続いているが、そろそろ移る森が地球上になくなってきた。ようやく必死にSDGsなんていう「持続可能な開発目標」を訴え始めたが、かなり無理がある。クロマニヨン人数万年の進化の歴史に森林破壊が刻まれているとしたら。……止まらないかもしれない。

そうか、チンパンジー、ボノボに続く第三のチンパンジー(人類)の特徴は、森のない草原に出たことだと言われるが、それゆえ森を破壊し続けるのかもしれないなあ。

 

 

2020/05/23

「日本の林業は日本社会の縮図」

「日本の林業は日本社会の縮図」。これは『絶望の林業』のあとがきの最後の言葉である。文字通り1冊の本の締めくくりの言葉。

これは、実はさほど早くから意識したわけではなく、あとがきを書いているうちにそういうフレーズが浮かんで、まさに最後に付け加えたのであった。
で、なぜこの言葉を今頃引っ張りだしてきたかと言えば、今日会った人に、ここを強調されたから(^^;)。

彼はコロナ禍の中、東京からやってきた。古くからの友人で、かつて彼もライターだった(優秀なルポルタージュも出版している)のだが、今は建設業界で働いている。そして、いうのだ。「建設業界もまったく同じ」と。『絶望の林業』で記した問題点の多くが当てはまるらしい。補助金づけから始まって、ブツギレの業界、労働者の安全問題、欺瞞の視察旅行……。

聞けば、視察旅行には、コンサルや業界誌記者も同行させて、自分たちは酒飲んで、名所旧跡見て回って、そしてそのコンサルか記者に報告書を書かせて提出するだけ。当然、コンサルは、自分の仕事に都合のよいように内容をでっち上げて書く。記者も業界批判はしない。それを視察の参加者は読むことさえしないという。視察報告書を専門に書くコンサルタントがいるとも聞いた。

たしかに林業界・木材業界も一緒かもしれない。業界誌記者は、絶対に視察を批判的に書かないだろう。そして視察者は、視察先で見聞きしたことを自身が実行に移すことはないだろう。

ともあれ、建設業界も不動産業界も、そのほかいくつもの業界が同じような状態だというのだから、日本社会って、どこに救いはあるの?

そして、言われたよ。第3部の「希望の林業」の項目はいらないね、と。希望より、最大級の絶望で締めくくるべきだった、と。(泣)。(泣)。

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やっぱり、続編は『超絶望の林業』かなあ。

ところでネットに最近書かれた、『絶望の林業』の書評も見つけた。こちらもある。今でも読んで、書いてくれる人がいることに感謝。

 

2020/05/16

奈良の新しい書店と、書店業界の行方

ちょっと買い物に出かけたが、それだけで帰るのはもったいない、しかし雨の中、山に入るわけにも行かない……と車を走らせていたら、「奈良県コンベンションセンター」の標識が。よし、ここを訪ねよう。

この施設、4月にオープンしたのだが、即休業。コロナ禍で出番を失っていたが、その中心テナントが蔦屋書店。かなり大規模書店という噂である。それが奈良県の「緊急事態宣言」が解除したのを受けて開業したと聞いていた。そこを覗いてみようと思ったのだ。

奈良県に大型書店は少なく、しかもほとんどがショッピングモールなど複合施設に入っているので、緊急事態宣言で閉められると、自動的に書店も閉まる。だから長くリアル書店に行っていないのだ。久しぶりにリア書店で本を眺めたくなった。
もっとも、蔦屋である……。いくら大規模と言っても、その品揃えは。。。だが大規模である(^^;)。どうなっているのか確認したい気持ちもあった。私的には、理系の書棚を眺めたいのだが、あまり期待できないかなあ……。

幸い地下駐車場もあり、1時間まで無料。これは有り難い。奈良の中心街の駐車場は1日1000円とか取るのだ。観光地価格である。30分で済む野暮用なのに、停めると一日料金を取られてしまう。まあ、いろいろ裏技を駆使するが、1時間あれば書店見学としては十分。

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たしかに広さは十分。しかも1、2階を占める。期待できるか? もっとも蔦屋である……。

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やっぱりオシャレですなあ。しかも内装には木をたっぷり使っている。奈良県産かどうかはわかならいが、相当質のよいヒノキ。

さて、品揃えは……やはり蔦屋である(^^;)。広い割には少ない。雑誌なんかほぼ全部平置きだもんね。表紙を見えるように陳列すれば、場所を取り数は減る。ただ全般に奈良を意識した本も多かった。観光関係はもちろん、歴史本や古建築、木工芸などわりとこだわりの本が目につく。
その一画に「サイエンス」棚があった。その中に農林業本も含まれる。やっぱりスペースを取ってグリーンインテリアなんぞもあって、オシャレにキメている。

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ありました。森林・林業本はこれだけ。ま、そこに『絶望の林業』があったのだから、よい書店だ。蔦屋、頑張れ。


さて、これで所期の目的は達したわけだが、こうしたモダンな書店をウロウロすると、どうしても考えるのが書店の未来。いや出版界の将来。
1990年代と比べると、出版界の売上は半減している。書店数も半分近くになった。電子本はそれなりに伸びているが、ほとんどコミックだろう。そしてマンガ雑誌も売れていない。本当に本が売れない時代なのだ。

そして書店業界というのは林業界と並ぶほど、旧態依然として何にもしない工夫しない世界だった。単に配本を書棚に並べて、売れなかったら送り返すだけ。殿様商売、大仏商法だったと思う。

しかし、このところ、さすがに危機感を持って新しい取組を始める書店も現れた。その一つが蔦屋書店なんだろう。ビレッジヴァンガードもそうだ。スタンダードブックストアもあったか。

その方策と言えば、まず本だけでなくほかの商品も並べる。CD、レンタルビデオ、ゲームソフトもあったが、ほかにもグッズ類。これまでの、せいぜい文房具ではなく、積極的なグッズ販売だ。さらにカフェとかバーを設けたりもする。いわゆる多角経営。そして著者を招くなどトークイベントも主催して集客努力を行う。

それはよいのだが、問題は売れるのは本ではなくグッズの方が大きいこと。すると、だんだんグッズが主流になり、本の置き場が縮小されがちになる。たたでさえ本の数は少なめなのに。そのうち本屋ではなくなりそう。

やはり本丸の本を売ってほしい。最近は逆手にとって、グッズを扱う店に本を並べる動きもある。扱う商品に合わせて工芸本とか、服飾店にファッション雑誌とか。ほかスポーツ店などにもある。これも努力の賜物。頑張ってほしい。本を置くことで店のステータスを上げ、インテリア的な効果があるのかもしれない。だが……。

書評が出ても、あんまり影響力がなくなっている。そのくせSNSには反応するんだから、専門家の影響よりも身近な人のオススメが重要なのかもしれない。何か本に関する情報の流し方を根本的に考えないといけない。書店も独自にポップをつくって書棚に張り出したり、書店の店員が選ぶ(小説の)本屋大賞を設けたり努力していただいている。まあ、私的には、書店員が選ぶと文系本に偏りがちという恨みがあるのだが……。

出版点数は減っていないというか増えている。ロットは減っているのにアイテムを増やしている。これは多様性が出てよい面もあるが、書棚に全部並べられなくなり売りにくい。コスト高にもなる。書籍とは、マニアックなものになっていくのだろうか。

どうも書店の未来が見えにくい。執筆側としては、私は書き上げたら売るのはおまかせ、次の本の内容を考えるのに専心したいと思うのだが、そうも行かない。悩みは深い。

 

ちなみに蔦屋書店でもっとも気に入ったのは、これ。

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ガラスの壁をよく見たら、シカや鳳凰やらが描かれていた。奈良だなあ、と私は喜んだのである(⌒ー⌒)。

 

 

 

 

2020/05/12

『絶望の林業』と不要不急の産業

3月の霞が関の農水省地下・三省堂書店のランキングが出た。

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あああ、8位か。さすがに落ちてきたが、ここは林業本が出版後8カ月経ってもランキング入りしていると褒めておこう。

ちなみにAmazonのランキングは乱高下。品切れで視界外に去っていたが、ようやく入荷して先日はノンフィクション部門で1000番台だったのに、今夜は7000番台まで落ちているよ(涙)。

ところでAmazonを始めとするネット書店では、流通の負担を減らすため出入荷を絞っているそうである。そしてAmazonの倉庫でも底がつく。こうなると絶版扱いになりかねない。リアル書店も、なかなか開いているところが少ない(奈良では、大きめの書店はみんなショッピングモールとか百貨店などに入っているので、それが閉まると自動的にたどり着けない。)のだから、いよいよ紙の本は買いにくくなっているようである。しょうがない?のでブックオフに行ってしまう(笑)。いや、その前に購入してまだ読んでいない本が100冊以上自宅に積まれているのだから、そこから手を付けるべきか。

しかし、紙の本は生活必需品でないことを改めて思う。


コロナ禍は、世の中の「不要不急」性を洗い直す役割を果たしそうだ。同時に無駄な部分をそぎ落とすかもしれない。
そういえば食品ロスの量は、 17年度は推計約612万トンだったそう。これでも減ってきたのだが、各家庭から出る「家庭系食品ロス」約284万トンと、外食産業や食品製造業で出る「事業系食品ロス」約328万トンだ。家庭系の部分を国民1人当たりで見た場合、1年間で約48キロになる。やはり多いだろう。
しかし20年度になったら、多分事業系がガクンと減って、家庭系が伸びるのではなかろうか。ただし、生産現場(農業)で莫大なロスを生み出すかもしれない。出荷しなくても生育してしまう作物もあるから。

その調子で、木材の「不要不急」でのキャンセル量とかなんぞを計算してみてもいいなあ。ただし生産ロスは出ないようにできるはずだ。樹木は伐らなければ腐るどころかどんどん生長するのだから。いっそ、休養してその間に太くなった樹木の伐り方や製材・加工の仕方を研究しておくのが未来に備えることなんではないか。

林業全体が不要不急と言われないように。私も自身の執筆する記事の不要不急といわれないかと感じてしまう。

 

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