門脇仁: 広葉樹の国フランス: 「適地適木」から自然林業へ
知られざる森林大国、忘れられた林業先進国、フランス。広葉樹を主体とした特異な林業こそ、現代的である。日仏比較も行いつつ、その実像を追う。
田中 淳夫: 山林王
稀代の山林王・土倉庄三郎の一代記。自由民権運動を支え、全国のはげ山の緑化を進めた。また同志社や日本女子大学設立に尽力するなど近代日本の礎をつくった知られざる偉人を描く。
田中 淳夫: 盗伐 林業現場からの警鐘
21世紀になって盗伐が激増している。日本でも大規模で組織的に行われているのだ。そして司法は、まったく機能していない。地球的な環境破壊の実態を暴く。
田中 淳夫: 虚構の森
世にあふれる森林を巡る環境問題。そこで常識と思っていることは本当に信じていい? 地球上の森は減っているのか、緑のダムは存在するのか。る? 地球温暖化に生物多様性、SDGsに則しているのか? 異論から考えると別世界が見えてくる。
田中 淳夫: 獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち (イースト新書)
シカ、イノシシ、クマ、サル……獣害は、もはや抜き差しならない状態まで増加している。その被害額は1000億円以上?しかも大都市まで野生動物が出没するようになった。その原因と対策、そして今後を見据えていく。
田中 淳夫: 絶望の林業
補助金漬け、死傷者続出の林業現場、山を知らない山主と相次ぐ盗伐、不信感渦巻く業界間……日本の林業界で何が起きているのか?きれいごとでない林業の真実を暴く。
保持林業―木を伐りながら生き物を守る
保持林業とは新しい言葉だが、欧米を中心に世界で1億5000万ヘクタールの森で実践されている施業法だという。伐採後の生態系回復を早めるために行われるこの手法、もっと日本に知られてもよいのではないか。
田中 淳夫: 鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵
奈良のシカは赤信号に止まる? 鹿せんべいをもらうとお辞儀する?カラスがシカの血を吸っている? 彼らを観察したら、獣害問題の解決の糸口も見えてくるはず。
山川 徹: カルピスをつくった男 三島海雲
カルピス創業者三島海雲の評伝。彼は内モンゴルで何を見たのか。何を感じたのか。その夢を乳酸菌飲料に結実させた足跡を追う。土倉家の面々も登場する。
田中 淳夫: 森は怪しいワンダーランド
森には、精霊に怪獣に謎の民族、古代の巨石文化が眠っている!そう信じて分け入れば遭難したり、似非科学に遭遇したり。超レアな体験から森を語ればこんなに面白い? 読めば、きっと森に行きたくなる!
村尾 行一: 森林業: ドイツの森と日本林業
林学の碩学とも言える村尾行一の林業論の集大成か?
ドイツ林業を歴史的に追いつつ比べることで浮かび上がる日本林業の大問題と抜本的な処方箋
田中 淳夫: 樹木葬という選択: 緑の埋葬で森になる
広がりつつある樹木葬。今や世界的な潮流となる「緑の埋葬」となる、森をつくり、森を守る樹木葬について全国ルポを行った。
田中 淳夫: 森と日本人の1500年 (平凡社新書)
日本の森の景観は、いかに造られたのか。今ある緑は、どんな経緯を経て生まれたのか。日本人は、どのように関わってきたか…。今ある景観は、ほとんどが戦後生まれだったのだ。今後必要なのは「美しさ」である!
田中 淳夫: 森林異変-日本の林業に未来はあるか (平凡社新書)
21世紀に入り、激動の変化を見せ始めた日本の林業。この変化を知らずして、日本林業を語るなかれ。果たして森にとって吉か凶か。そして「大林業」構想を提案する。
阿部 菜穂子: チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人
もはや桜の故郷はイギリスだ! と感じさせる衝撃の書。ソメイヨシノ一色ではない多様な桜を守っているのは日本ではないのだ。そして日英交流史としても第一級のノンフィクションだろう。
田中 淳夫: ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実
ゴルフ場は自然破壊? それとも現代の里山? このテーマに再び取り組んで『ゴルフ場は自然がいっぱい』を大幅改訂して出版する電子書籍。
田中 淳夫: 日本人が知っておきたい森林の新常識
森林ジャーナリズムの原点。森林や林業に関わる一般的な「常識」は本当に正しいのか、改めて問い直すと、新しい姿が広がるだろう。そして森と人の在り方が見えてくる。
日本の森を歩く会: カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう (COLOR新書y)
森林散策ガイド本だが、第2部で7つの森を紹介。全体の4分の1くらいか。私が記すとルートガイドではなく、森の歴史と生態系をひもといた。
田中 淳夫: いま里山が必要な理由
名著『里山再生』(^o^)の内容を一新した改定増補版。単行本スタイルに変更し、美しくなった。里山を知るには、まずここから。
田中 淳夫: 森を歩く―森林セラピーへのいざない (角川SSC新書カラー版)
森林療法の成り立ちから始まり、森が人の心身を癒す仕組みを考察する。森の新たな可能性を紹介した決定版。 全国11カ所の森林セラピー基地のルポ付き。
田中 淳夫: 割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)
割り箸を通して見えてくる日本と世界の森林。割り箸こそ、日本の林業の象徴だ!
田中 淳夫: 森林からのニッポン再生 (平凡社新書)
森林・林業・山村は一体だ! その真の姿を探り、新たな世界を描く
田中 淳夫: 日本の森はなぜ危機なのか―環境と経済の新林業レポート (平凡社新書)
かつての林業は木を売らなかった? 真実の日本林業の姿を紹介し、現状と未来を俯瞰した目からウロコの衝撃の書。
田中 淳夫: だれが日本の「森」を殺すのか
誰も知らなかった?日本の林業と林産業の世界を描いた渾身の1冊。
田中 淳夫: 田舎で起業! (平凡社新書)
田舎は起業ネタの宝庫だ! その成功と失敗の法則を探る、地域づくりのバイブル
田中 淳夫: 田舎で暮らす! (平凡社新書)
田舎暮らしは田舎づくり! そしてIターンを受け入れる側の極意を本音で語る
田中 淳夫: チモール―知られざる虐殺の島
知られなかった東チモールと日本の関わりと独立戦争
NHKのキミョーな実験番組、『編成王川島』。
NHK特命編成部GM・川島明(麒麟)が、NHKの未来を担うバラエティー企画の開発を目指す、新企画探求バラエティー!お笑い芸人やタレントが、特命編成部の川島たちを前に新しい企画をプレゼン。試作した企画のVTRを披露したり、その場で企画に挑戦したり…。その可能性について特命編成部と熱く語り合います。ここで高評価を得た企画は将来単独で番組化も!?笑いと刺激たっぷりの情報が詰まった多彩な企画をお届けします!
月曜日深夜の放送だが、そこでクレーン船を取り上げるらしい。つまり、今夜だ。
4/20(月)『レアコミュニティーに仲間入り!』巨大クレーン船に密着!
『クレーン船解体新書』を発売直後というのは、運がよろしい。別に連携しているわけではない(はずだ)が、こういうのは不思議と重なるものである。
乗船するのは深田サルベージの「富士」で、私が乗った「駿河」と同じ会社。「駿河」よりちょっと小さめかな。
これでクレーン船に興味を持つ若者が現われるかもしれない。なんたって、この本は、サルベージ会社のリクルート本でもあるから(笑)。
だいたい外部の取材にはそっけない海運・土木業界だが、深田はその中でもわりと開けっ広げで、新人材を取り組みたいということで協力してくれた。NHKの企画を受けたのもそのためだろう。ただ、テレビ番組だから、どこまで演出しているのか知らないが……。
ちなみに、私は14日は遠くまで出かけているので、多分番組を見ることはできないと思う(-_-;)。配信で見るかな。。。
イラン情勢で語られる政府の文言『石油は全体としては足りている』。
これに腹が立つ。実際に困っている業界や市井の人々を無視して、「全体としては」という理屈で誤魔化している。
そして、これは「日本の森林は、全体としては豊かになっている」という林野庁の言い分とまったく同じ論法だ。いや、さらに進んで「だから、どんどん伐るべき」としている。伐採跡地も、計算上は森林にもどって、また蓄積を増やしていることになっている。
日本の森林の蓄積量は増えていると言うが、現実に皆伐が進んではげ山が増え、その跡地も草が生えているだけ。また木は生えていても細くて曲がりくねった、建材にはならない品質なのである。
日本は、歴史上常に大木が伐られてきた。それによって木造建築物が建てられてきたが、もはや長大材は残り少なくなった。ならば集成材に頼るか、と言えば、いやいや伝統建築は、やっぱり無垢の大木を使わなくちゃね、という宗教的?ドグマに支配されている。
そこで、こんな本はいかが。
『伝統木造建造物のサステナビリティ―大径材の確保策と森林政策』。
(峰尾恵人著・京都大学学術出版会)
目次
序章 伝統木造建造物用材の確保策へのアプローチ
第1部 森林政策としての「高品質な大径材」確保策の必要性(大径材供給の持続不可能性;経済学的分析から見る高品質な大径材の入手難;大径材確保策の論理の検討)
第2部 政策の担い手に関する実証的検討(森林計画制度の二面性と長期的不安定性;国有林における大材生産政策の通史;国有林における大材生産政策の現状と課題;寺社による森林経営の可能性の検討)
終章 伝統木造建造物用材の未来に向けて
補論1 持続可能な社会への移行と森林・林業の未来
補論2 林業経済学分野の歴史と展望
主に社寺建築を中心に、どんな木を、どのように調達して使用してきたかを追いかけた労作である。ある意味、いかに日本の仏教など宗教勢力が、日本の森林を破壊してきたかを知ることができる。
ヒノキが尽きたらケヤキに移り、タイワンヒノキや米材、そしてアフリカ材にまで手を出す姿が浮かび上がる。
生後の政策的としては、森林計画にも踏み込んでいる。実は、本書はまだ精読中だ。ここでは本論より補論1に触れたい。なぜなら、ここで「物質・エネルギーの流れと林業」に踏み込んでいるからだ。そして石油と木材の比較を行っている。
こんなグラフもある。
石油の需要が増えると木材の需要も増える、という相関。
昨日アップされた現代ビジネスの拙文「石油高騰が招いた“第2のウッドショック”到来……!」にもつながるだろう。
林業の持続性を論じるには、こうした視点を持たないと、「全体としては足りている」という世迷い言を唱えるだけになるよ。
BSテレビでは、ときに掘り出し物のような番組を見つける。あまり宣伝もしていないので、新聞の番組表を頼りにタイトルだけで目利きしなければならない。
昨年末に見つけたのがBS-TBSの「偏愛博物館」。個人的な思いから作ってしまった私設ミュージアムを伊集院光が訪ねる番組で、これが傑作ぞろいなのだ。
ただ放映日がまったく落ち着かず、深夜かと思えば夕刻だったり、曜日も間隔もバラバラ。相当必死で探さねばならない。幾度か気づかず見落としたが、幸い再放送も多いので、ほぼ網羅している。
最新回は、4月3日11時からあった「木組み博物館」だった。
そう、伝統的な日本の建築技法である木組みを紹介する博物館なのだ。木継ぎや仕口など釘を使わず木材をつなぐ技法である。
なんでも、木組みの種類は4000種くらいあって、今も更新されているという。過去の伝統だけでなく、現在の大工が発明し続けているそうだ。それらの見本がズラリと並ぶ……いやあ、魅せられます。入館者の3~4割は外国人で、大工が多いというのも納得する。これぞ、クールジャパンの実力だ。
展示だけでなく、実際に体験もできるし、講座も開いているらしい。開館は週三日。
思ったのが、何も古い技術と思わず、現代でも応用が効くのではないか……ということだ。そもそも大口径・長大材が枯渇した現代、接着剤で張り付ける集成材などではなく、木組みを利用すれば小径木や端材の大規模化が図れる。接着剤で固めたエンジニアウッドは、木質の持つ個性や柔軟性を殺してしまう。木組みならば無垢に近い木材の特性が活かせるだろう。
木組みづくりも、大工の個人的腕前に頼るだけでなく、今の時代なら機械化することだって不可能でもあるまい。
場所は東京は早稲田の穴八幡宮の近くだ。いつか行ってみたい。木造建築の過去ではなく、未来を考えるのによさそうだ。
朝ドラ『風、薫る』がスタートした。
明治時代の看護師創成期がシチュエーションだが、主人公の一人が一ノ瀬りん。下野(現・栃木県)の旧黒羽藩筆頭家老の一ノ瀬家に生まれた娘という設定だ。実際、モデルとする大関和も、黒羽藩国家老の大関家出身である。
ただ、私にとって黒羽藩と言えば『興野家文書』である。黒羽藩重臣の興野家5代目興野隆雄が残した林政書『太山の左知』は、林業遺産の指定も受けた。その点については、以前にも記した。
興野隆雄が生きたのは幕末であるから、時代的には大関家が明治維新で帰農する時期と重なる。家老とともに黒羽藩を支えていたはずだ。
ま、今回の朝ドラで黒羽藩の林政・林業について登場する可能性は皆無だが(^^;)、ちょっと背景を考えると面白い。
また看護師になっていく点からすると、私には新島八重が欠かせない。まさに会津落城から京都に渡った八重は、新島襄と出会って結婚するも、襄が亡くなってからは様々な分野を手がける。その中の一つが看護師だ。篤志看護師として、日清、日露戦争で活躍した。八重は専門的な看護技術を習得していたわけではないが、何より会津戦争の現場で戦闘の真っ只中を過ごして戦傷、戦病者に対応したはずで、肝が据わっていただろう。おそらく現場で大関和とも絡んだのではないか。
この時代の人を一人取り上げると、何かとほかの有為な人々と交錯してくるのである。
朝ドラ『ばけばけ』が本日最終回。さほど夢中になることなく、されど途切れることもなく、寝起きの朝の行事のように見続けた。
実は、私が心を惹かれたのは主人公のトキではなく、ヘブン、つまり雨清水八雲、小泉八雲のモデルの方だ。決して恵まれた人生を送っていなかった外国人が、明治の異国日本を訪れて教師&文筆家として生きていく姿、その生きざまを惹かれるものがあった。
日本人からすれば高給取りだが、必ずしも安定した身分ではなく、職を失えばおろおろし、本を書けずに苦悶する。また異人の奥さんを迎えて国籍も変えたものの、自分はどこに根付くべきか、根付いてもいいのかと迷う。それでいて奥さんに連なる大家族を養わなくてはならない。そして最初の本はベストセラーになったものの、その後は鳴かず飛ばず……。なんとなく、我が身に置き換える(^^;)。
最後に執筆した『KWAIDAN』も、出版当初の評価は低かった……。だが、こんな字幕が出る。
死後かあ。死後にベストセラーになり、小泉八雲の評価も高まったのだなあ。そして日本でも作家としてだげでなく、日本の庶民に沈殿していた民話をすくい上げたことは民俗学的にも価値が高いとされる。
ヘブン、いやモデルのハーンは、きっと現代社会なら落ちこぼれ扱いされそうなエキセントリックな性格だろうが、それが明治の日本社会だからこそ馴染んだのかもしれない。
私も、きっと……いや、死後でない方がいいけど(⌒ー⌒)。万人に受け入れられるベストセラーは望まないし、むしろその手の作品は苦手なのだが、人々の記憶に爪痕を残したいと思っている。
『本を読めなくなった人たち-コスパとテキストメディアをめぐる現在形』(稲田豊史/中央新書ラクレ)
書店でこのタイトルの本を見つけて衝動買いしてしまった。
私も、一応は著作業。本を書いている身であって、世間では本を読まない人が激増していることを肌で感じている。それゆえ、見逃せないテーマのである。
著者の稲田氏は、大学の研究者かと思ったら、あくまでライターだった。この本は、「本を読めなくなった」人を何百人もインタビューして、さらに関連テーマの本やウェブ記事を渉猟して書き切った労作である。
いやあ、まいった。読んで打ちのめされた。薄々知っているつもりになっていた状況の何倍もの現実を突きつけられた。世の中、こうなってるの? とくに若い世代はこうなの? もはや本を読まないレベルではない。新聞も雑誌も、漫画さえ読まない。社会の変容を来たしている。
たとえば、金を払って本を読まないどころではなく、無料のウェブメディアも読まれない。選択肢の多いクックパッドも嫌われる。紙の本だけでなく、別に字を読まないのではなく、タイパ、コスパの悪い文章は読まない、ということか。私のブログも文字が多すぎるわ。
(タイパ用に)いきなり結論を記すとしたら、情報とは自分で取りにいくものではなく、流れてくるものになってしまった。ニュースサイトなどのような情報源にも行かない。あくまでSNSで流れてくるものだけを受動的に読む。それもAIの要約したものだけとか、動画のような耳と目に飛び込んでくるものを。リンク先にも飛ばない(泣)。
加えてあふれる情報の洪水のため選ぶことができない。行動経済学が指摘する「選択オーバーロード(選択肢過多)」に陥っている。
本を選び、字を読むのは能動的なことであって、タイパが悪いのだ。しかも論理的思考とは、脳のエネルギーをものすごく食う。これはコスパが悪い。映像で流し見することに敵わない。
もはや本を読む人とは特別な階級で、長文を読むのは特殊技能であり、一般人ではないのである。だから、本を出版して、宣伝のつもりでネットに書き散らしても読まれない。書評に載っても読まれない。そもそも本を手にしない。。。。泣きたくなる。
これ以上内容を紹介しないから、本書を読んでほしい(泣)。
一応、【目次】を示しておく。
プロローグ
第1章 ニュースを無料で読む人たち
――無料ウェブメディアの行き詰まり
第2章 本を読まない人たち
――〈わかりみ〉と〈おもしろみ〉
第3章 本と出合えない人たち
――無料抜粋記事と電子書籍の限界
第4章 本屋に行かない人たち
――聖域としての書店
終 章 紙の本に集う人たち
――読者と消費者
ただ全然別のこと、本ではなく今回の総選挙結果の解析にもつながることに気づいた。
選挙になっても、公約や党の理念、個人の人柄……なんて能動的には調べないし、情報量が多すぎて選択オーバーロードになるのでやらない。受動的に流れる情報を省エネ的に受け取るだけ。考えないで、感覚/感情で受け取る。人物も公約ではなくキャラで理解する。
そうなると、圧倒的にキャラの立ったのが「高市早苗」なのである。
選挙前、私は投票行為は「代理承認欲求」になっているのではないか仮説を立てたが、推しとか承認欲求とかは能動的であった。より消極的に流れてくる情報の中から、考えずに摂取できて、心地よくしてくれるフレーズを発する人やキャラ立ちした人物を投票するのだ。
そう考えると、納得感(これも感情だ)がある。
今後、選挙の立候補者が取るべき戦術は、演説は短く断定調で。何より「面白いこと」を言うべきだろう。そして笑いをとること。オチでスカッとさせること。内容は単純化し、気持ち優先に伝える。理屈、論理はいらない。批判も嫌われる。……これが投票してもらえる極意だ。
候補者は、芸人なみに話術を磨き、自らのブランディング(キャラ立ち)させねばならぬ。
ちなみに私がやるべきは、拙著を読んでもらうため、笑える文体でキャラをつくって、短く、結論だけ。理屈もこねない、内容のない本を書くことだ(笑)。あるいは“本を読めるステータスの高い人”だけを対象にした本に絞り込もうか。こっちかな。
昨夜、何気なくTVをザッピングしてETV特集で「マハティール100年の風に立つ」をやっていた。思わずかぶりつきで見た。
マハティールはマレーシアで長く首相を務めた政治家。なんと御年100歳。にもかかわらず、元気……というか頭脳の明晰さに驚嘆する。
私にとってマハティールは、世界中でもっとも尊敬できる政治家である。彼を超える者はいない。そのスタンスと思想、哲学どれをとっても、日本の政治家は及びもつかない。もちろん政局時の立ち回りや政策的にどうかな、と思う面もないではないが、それを超えた人間的な魅力である。
実は彼が最初の首相に就任した時から追いかけている。そして「マレージレンマ」の出版と「ルックイースト政策」の推進……ちょうど私がマレーシアのボルネオに通い出した頃と重なっているので、常に注目していた。
そういや欧米の幼児がマハティールに「熱帯雨林を破壊しないでください」と手紙を送った逸話がある。それに対して、彼は本気で返事を書いた。これまでいかに欧米人がマレーシアを、世界中を植民地にして搾取してきたかと。子供に対して大人げない?いや、子供扱いしない、全力全身で向き合ったのだ。議論としてはかみ合っていないけど、10歳に満たないイギリス人が、上から目線でかつての植民地の首相に忠告したような手紙にかみついたのだろう。
思えば、現在の地球環境問題にも似たところがある。
アジア通貨危機に対して変動相場制を捨てるという世界経済を敵に回す荒技もとった。強欲ファンドの批判もする。同時多発テロに対するアメリカのアフガン、イラク攻撃もたしなめた。首相引退後は、世界中の庶民の格差解消と平和教育に取り組み、日本にもよく来ていた。
ちなみに日本びいきに見えて、実はしっかり日本が出すぎない手をとっていて、策士であった。
もちろん、強引で、独裁的、そして策略を巡らせて国際的に孤立するような振る舞いもあった。ただ、そうした点は、マレーシアからの留学生と話していて腑に落ちた。
「大国ならできないが、マレーシアの規模の国なら許されるのではないか。自らの尊厳と国を守るためにやったのだ」と聞いたのだ。IMFの言う通りにすれば、主権を奪われ、また経済格差が拡大する。それに怒ったのである。清濁併せ呑む政治家なのだ。
当時私は、マレーシアとの友好団体を運営していたのだが、「マハティールさん、呼んで講演会開かない?」と半分本気で提案したいたこともある。
そういやマレーシアである寺院を訪れたとき、急に周囲がざわつき始めた。聞けば、マハティール首相が訪れるという。それで写真を撮ろうと構えていた。当然、警備員に囲まれて整然と歩くだろうと思って。ところが、到着するや否や、いきなり民衆が殺到した。みんなマハティールに握手を求めているのだ。警護も何もない。それ以上にマレーシア人にとってとてつもない人気があることに驚いた。
で、私も写真は諦めて、その群集に混じってマハティールに接近、握手をしようと手を伸ばした。ほんのわずか触れたと思う。
と、ここまで書いて、以前も同じことを書いたな、と思い出した。探してみると、こちらである。
選挙を前に、彼を思い出す。
クマの出没が増す中、急速に使われるようになった用語「ガバメントハンター」。マスコミだけでなく、政府、自治体の行政の会議でも頻発するようになった。
これ、私が紹介したのは昨年の6月だ。ほとんど1年半前である。
この用語、当時は一般にほとんど知られていなかった。私はクマ対策の一環で猟友会頼みの限界を感じる中で、一部の自治体には公務員でハンターをしている人がいることを知った。彼らのような存在をガバメントハンターと呼ぶらしい。いわば獣害対策を担う公務員であり、駆除も担当する人という意味だ。これこそ、必要なのではないか、という思いから取り上げたのである。
ただ調べる中で、そんなに簡単なものではないことがわかってきたので、そのことも含めて記した。
言葉としてはそんなにこなれていないと思うが、公務員ハンターではちょっと別のニュアンスになりそうで、あえてガバメントを使ったのだが……。
それが急速に注目されている。そして拙記事も今頃よく読まれるようになった。
これ、Yahoo!ニュースのアクセス数解析の一部。もっとも読まれたのは執筆直座の昨年6月だが、その後は低空飛行でひと月に100もいかなかったのに、いきなり先月から急上昇している。少なくても拙記事が先鞭をつけたと自負しておく。
こうした盛り返しは、ネット特有である。読者が長々と続くというロングテール(長い尻尾)理論的には、いきなり尻尾の先を踏まれて腫れ上がった病気みたいだ(笑)。踏んだのは、誰だ?政府か?
まあ、よろしい(^^;)。ただ記事に書いた通り、そう簡単ではない。ハンター任せではなく、役所上げて連携しなけれは機能しない。ちゃんと記事を読んでね。
それにしても、自衛隊だけでなく、警察もライフル銃を持たせようという動きがある。警官もピストルを撃つ訓練をしているし、SATのように特殊急襲部隊はライフル射撃訓練をしているからできると考えたのだろう。
しかし、そんな特殊部隊員をクマ駆除に動員できるのか疑問だし、対人とはまったく違うから、改めて対クマ用訓練を必要とする。何よりライフルは長距離射程による狙撃だ。市街地出没個体を狙うのには向いていない。射程は数m~30mくらいしか見込めないから、使うべきなのは短距離射撃に向いた散弾銃でスラグ弾ではなかろうか。
……とまあ、考え出すと、本当に簡単ではない。警察は許認可的には自衛隊より現実的だが、いずれも即戦力ではなく、長い目で見てクマ対猿要員を養成する覚悟がいるだろう。部署も新設する必要があるかもしれない。今年のクマより来年のクマ対策である。
いずれにしろ専門家としてのクマ駆除のできるハンター養成は急務になってきたのは間違いない。
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