卒論「余剰ゴルフ場と霊園」を発見
たまたま「余剰ゴルフ場」という言葉にひっかかってある論文を発見した。
なんたって、私は「ゴルフ場ジャーナリスト」だからね。そして、余剰ゴルフ場問題は、ほとんど20年ぐらい前から指摘してきたことだ。当時500ぐらい余っていると言っていたが、今はもっと増えている。そして閉鎖もどんどん出てきた。
もともとはゴルフ場の自然を調べたのだが、そこには新たな「里山」的自然があった。ところが、経営が行き詰まると破壊される例に多く触れたためである。
『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』を読んでくれたまえ。
ただ、発見したのは論文と言っても、大学生の卒論のようだ。執筆がいつだったのか書いていないが、参考文献や「大沼あゆみ研究会13期」とあることから2017年か18年ぐらいではないか。
「余剰ゴルフ場の利用方法に関する考察」と来たか。しかし、サブに「墓地への転用に向けて」とは……。この論文は、転用はメガソーラーより樹木葬墓地を押しているのであった。
私は樹木葬ジャーナリストでもあるから、ゴルフ場の転用となれば、樹木葬墓地をお勧めしているのである。
こちらの本に記している。
参考文献を見ると、『樹木葬という選択』も入っていた。『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』(もしくは旧版の『ゴルフ場は自然がいっぱい』)も入れておいてほしいのだが。
内容は、まあ、いかにも大学生ぽい書きぶりではあるのだが、それなりにゴルフ場の実情や樹木葬については調べたようだ。私が調べた頃より約10年後の実情を知ることができた。
実は、この動きは以前からあって、私のところにゴルフ場内、もしくはゴルフ場隣接地に樹木葬墓地をつくりたいという相談が何回かあったのである。ゴルフ場経営が厳しくなる中で、完全に閉鎖でなくても、一部の土地を墓地として収入源にする発想はあるのだ。私は、宮城県まで言って支配人と相談したこともある。乗り気だったのだが、その後、ポシャったようだ。
どうやら経営者は経営危機を迎えて、あの手この手を考えるものの、オーナーにとってはゴルフ場を所有していることは、一種のステータスシンボル的な面があって、その中で転用の中でも墓地はイヤだ、という意識が高そうなのである。メガソーラーの方がマシ?
墓地というイメージの問題なのだろう。もし、もっと経営が行き詰まれば、あるいは完全に経営が成り立たなくなって、なりふり構わずに後始末的に跡地利用を考えたら、再び持ち上がるかとも考えられる。ただし樹木葬墓地は、作ったら一気に希望者が殺到するものではなく、徐々に、コツコツ、広めていくものだ。その点は、新規事業として物足りないかもしれない。
しかし、スウェーデンには世界遺産になった墓地もあるのだ。そうしたイメージ戦略はやり方次第である。大注目を集める墓地には、希望者が殺到する可能性もある。それも生前契約させたら、結構な資金源になる。
もう一つの問題として、現在の樹木葬の広がりが、極めて安直な墓地を増やしたことが足を引っ張るかもしれない。メガソーラーと変わらない樹木葬墓地だってある。
墓地埋葬法を管轄する厚生労働省も、樹木葬や散骨を異端視しがちで、理解が遅れている。国民運動的に自然を守る「緑の埋葬」の観点を育ててほしい。日本人の「自然の中で眠りたい」要望に直視しないと難しい。
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