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森と林業と田舎の本

2023/03/22

本日も…呪いの廃神社

今日も家から出ず、ゆるゆると寝っぱなし。おかげで多少は身体が楽になった。

せっかくだから、昨日に続いて呪いの?廃寺廃神社を。

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生駒山中にあったのだが、わりと規模が大きい。いくつもの建物があって、泊まり込み修行のできるような滝行場がいくつもある。しかし、人気はない。なんだか人物の石像があったので、設立した教祖?像かもしれない。しかし、いくつもの神社と寺の名前があって、みんな合祀しているのか。よくわからん構造である。

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誰か、謎解きをしてくれ。かつて実業界で財産を膨らませて、最後は宗教にのめり込む…なんてケースを妄想するなあ。

こんなところばかり歩いて、中をごそごそ探っているから呪いをかけたのかもしれない。

 

2023/03/21

最凶パワースポットの呪い

ここ数日、体調が下り坂。昨日は遠出していたのだが、帰って来たら身体が動かなかった。今日になると喉の痛みに鼻水。まさか、いまさらのコロナではないだろうが、風邪を引いたか。

とうとう午後は寝込んでいだのだが、そんなときに限って仕事上の重大ミスが発覚して、始末になんだかんだやらねばならないことが出てくる。

なんだかなあ、ついていないなあ、と思っていたら思い出した。このところ、なぜか廃墟じみた神社仏閣を訪ねることを重ねていたのだが、そのうちの一つが白鷹大神だったのだ。

奈良の最凶パワースポットとか心霊スポットとして全国的に有名とか。。。私は、そんなこと知らずに、たまたまグーグルマップに記されていたので、なんだ、いつも森歩きしている近くじゃないか、行ってみるか、と軽いノリで出かけたのであった。が、白鷹大神でググってもらったらわかるように、心霊スポット探検記がずらりと並んでいるような有様で、その手のファンが通っているところらしい。

多少説明すると、戦前から戦後まで、ここに強烈なシャーマンとして世に知られた巫女・中井シゲノが開いた霊場だった。かつては大賑わいの地だったのである。それが本人が亡くなると、後継者もいなくて荒れ放題……となり、いつしかパワースボットだの心霊スポット扱いされるようになったそう。

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私が山道を抜けてたどり着くと、以外や参拝者?はほかにもいた。それも若いのに黒装束の巡礼者ぽいカッコした人とか、何かとそれらしい雰囲気。思っていたより荒れていず、最近はまた地元の人たちが清掃して真っ当な神社になりつつあるようだ。

ああ、ここを訪れたころから体調が下り坂になったんだ、と気付く。

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この鳥居の奥に洞窟があって、奥が見えない。そこに潜入しようとしたからなあ。人がいなかったら、匍匐前進でもぐり込んでいた。呪いをかぶったか。

今日明日は寝て暮らすことにする。『山林王』発売日に寝込んでいたら、今度は土倉家の呪いをおうてしまったことになるわ。

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ちなみに、同じ森の中に、「滝寺磨崖仏」。滝寺はなくて、廃寺になったか。ただ岩に線刻の仏像だけがある。これ、8世紀の建造と鑑定されていて、日本最古級の磨崖仏なのだ。こちらにも参拝して拝んでおいたから、白鷹大神の呪術は、抑え込んでくれるだろう。こんなのが身近にあるのって、どうよ?

 

2023/03/16

離島の思い出~黄島

昨夜、NHKで「離島で発見 ラストファミリー」という番組を見た人はいるだろうか。そこで登場したのが五島列島福江島近くの黄島(おうしま)。

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山下住職とは、今も年賀状のやり取りを続けている。しかし、年をとって貫祿がついたな(私もだ)。初めて会ったときは住職になったばかりの頃ではなかったか。彼は、すでに島内の洞窟を探検し尽くしていて、どこにあるのか教えてもらったものである。

小さな火山島なのだが、私には強烈な思い出の場所である。

最初に訪れたのは20代の時で、この黄島の沖合の無人島(大板部島)に洞窟があると聞いて、その探検のためだった。海を渡って島のジャングルをかき分けて洞窟を探すのは楽しかったのだが、実は黄島でも洞窟調査を行っていて、さらにそこで冬にはお祭りを開くと聞いて、これは行かねば! と奮い立って行ったのが20年後(笑)。

その記録は、こちらをどうぞ。

黄島探検

なかなか貴重な記録だと思うよ。洞窟内で観音祭(法要というべきか。しかし昔は、この中で宴会もしたらしい。)を開くというだけでも民俗的に価値があるし、戦前は捕鯨基地があったそうだ。さらに隠れキリシタン伝説もある。ただ、現在は島民も減って島外から来る人が増えているとか。私が行ったときは14,5人全員島民だった。
当時は、各雑誌に持ち込んでも興味を示されなかったけど、編集者に見る目がなかったと思いたい(笑)。そういや本ブログにも記している。

ヒミツの黄島・大板部島 

実際、それから数十年?してテレビなどに取り上げられることも出てきたのだ。二番煎じだね( ̄ー ̄)ニヤ。

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また行きたい、と猛烈に思う。そろそろ20年経つし(^^;)。

観音祭は冬だから1年後になるが、暖かい時期に行けば、海も楽しめるなあ。ただ、初めて行くときに一緒に行った洞窟探検家は、数年前に急逝したのだった。。。

 

2023/03/14

読まずに書く「マザーツリー」論

マザーツリー  森に隠された「知性」をめぐる冒険」という本が売れているようだ。

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私は読んでいないが、内容はだいたい知っている、つもりになっている(^^;)。まあ、テレビや雑誌、ネットでも多く紹介されているからね。そこで読まずに評論するという無茶に挑んでみる。(こんなアホな真似ができるのは、自分の趣味のブログだからだ。公的な文章として書いたら大馬鹿野郎になってしまうよ。)

まず、内容の胆となっているのは、森の木々は菌根のネットワークでつながれているという指摘だろう。これも、すでに多くの研究が出ているので意外感はない。大いに賛同する。この場合、樹木の根が先か、菌根が先かという疑問はあるのだが。この点は共進化ということにして納得しておこう。なにしろ読んでいないからね。。。

私がもっとも気になるのは、なぜタイトルをマザーツリーしたのか、という点だ。マザーツリーと言えば、偉大なる母なる樹を指すだろう。そうした巨木を中心に森林生態系が成り立っているという話なのか。なにしろ読んでいないのでわからない(^^;)。が、そんな前提より、多種多様な生命体の共生がテーマではないのか。異種同士が助け合うことに知性を発達させて、森全体が一つの生命体である……少し前のガイヤ理論を発達させたかのよう。そういや映画「アバター」でも、マザーツリーと言える巨木があり、生命体はみなつながっている(アクセスできる)というのが前提の世界観だった。こうした「中心となる母なるもの」は一部の人には感動を与えるよう。

たしかに巨木があると、その陰に守られて生きる生物がいたり、また巨木のもたらす恵み(果実や樹液など)を求める動物も少なくない。
だが生態系は、むしろ様々な大きさ、樹種、性格の違う生命体の集まりと思った方がよくないか。菌糸はそれらを仲立ちしているが、それは上下関係ではなく並列につながる関係だろう。巨木は必ずしも必要ないはずだ。巨木は土の養分や光を大量に奪うから、周辺の若木にとっては成長の障害になることもあると思う。まあ、老害だね(^^;)。そんなことは書いていないとは思うが、読んでいないのでわからない

それとも、菌根ネットワークこそがマザーツリーという見立てなのだろうか。いやいや著者が女性だから、著者そのものがマザーツリーを演じているのか。わからん。なにしろ読んでいないからね……。

ただ、森林の生物多様性が、より重要であるということを主張しているようだ。同じものばかりが並ぶのではなく、多種多様な生物……樹木に草に昆虫に動物、そして菌類。また細菌やウイルスも加えるべきだろう。そして、それらがお互い助け合うことでより高次元な生態系を作っているし、それが知性を生み出すということを書いているらしい。なにしろ読んでいないので詳しいことはわからないのだが、そうであるなら、余計にマザーツリーは必要ないのではないか。

とはいえ、きっといい本だよ。人々が森林を見る目をガラリと変えたと言われている。ただ思うに、一般の人にとって、そんなにショックだったろうか。木と木は認識し合い、助け合っているのよ、なんて擬人化したスピリチュアルな説明の方が深く考えずに納得できる。そして、ああやっぱり!としっくり来るのではないか。だからヒットしたのかもしれない。
むしろ単体の動物や植物の研究者とか、役に立つ植物の部分(木材、果実、樹液、葉……)だけを扱ってきた林業人の方が、「多様な種」が大切と言われることにショックなのではないか。読んでいないからわからないけど

 

ところで、こんな論文もある。「わずかな広葉樹の大きな役割 —人工林内の広葉樹の保持は効率的に鳥類を保全する—

これは森と鳥類にスポットを当てているが、北海道で、トドマツ林で皆伐区、ヘクタールあたり10本の広葉樹を残す少量保持区、50本残す中量保持区、100本残す大量保持区を設定して実験を行っている。そして鳥類の数と種類を蝶さしたところ、針葉樹人工林でも、わずかに広葉樹を残すだけで、鳥類の生息はずっと増えるという結論に達している。つまり多様性が大事ということ。

まあ、読まずに書くというのは妄想みたいなものだが、さて、本書の内容からは的外れかな? 意外や……?

2023/03/12

木馬の再現実験をした頃

『山林王』出版記念に、本づくりの過程で探し出した写真を紹介しているのだが、そこで木馬を取り上げた。木の橇に丸太を積んで、橇が滑るように横木を並べた木馬道を曳く搬出方法だ。今は全国どこにもないと思われる。

その中で、京都府亀山市の山だったと思うが、私は木馬の再現実験に参加したことがある。正確に言えば、私はお邪魔虫の取材であるが。

木馬の復元、木馬道の新設、そして実際の木馬曳き。また川に丸太を落として流す、筏を作って流すまでやった。また木馬とは別に筏流しも再現実験をしている。など、わりとみっちり工程を目にすることができた。

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実験の際に、私も木馬の横木を並べたりと手伝ったが、実際に曳いてみたところ、びくともしなかった。それなのに70歳を超えた経験者(木馬再現の技術指導もした林業家)が曳くと、するする動く。これは力だけでなくコツがあるのだ。動かすときに揺すって摩擦を減らして一気に曳くそうである。

ところで、これらの実験を行ったのは2011年の冬。とくに木馬が完成して曳いてみたのは3月13日だった。つまり丸12年前。

その2日前に東日本大震災が起きて、前日には福島第一原発第1号機が爆発した。私は、そのシーンを目にして、東日本壊滅を意識したのを覚えている。脳のどこかが白くなったような気がした。避難民は西日本に殺到するだろうな、日本全体も経済的に破綻する。どうすべきか? そんなことまで考えた。その後、建屋の爆発は水蒸気爆発であって、原子炉格納容器はまだ無事だろう、という解説があって、多少ホッとした。しかし、いずれにしても日本のダメージは大きい。そして、その後連続して2、3、4号機も爆発した……。

……そんな最中、早くから予定していたからではあるが、木馬の再現と木馬曳きをしていたのである(´Д`)。。。

 

それから12年。原発再稼働を進める現政権は、当時の緊迫感を忘れられるのだなあ。

2023/03/10

古墳時代に飛行機?

奈良県の橿原考古学研究所付属博物館には、発掘されたなかなかの逸品が揃う。わりとそっけなく展示されているものでも、その気で見れば楽しめる要素がいっぱい。石器に土器に木製品、金属まで。

たとえば、こんな展示があったのだが。

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単純に奈良盆地の遺跡で発掘される巨大建造物に使われる木材はどこから? という説明であるが、広葉樹から針葉樹に移ったことを示している。なぜ先に広葉樹を使ったのだろうか。身近にあったのか。しかし伐採はどうした。広葉樹なら石器でも切れたのか。針葉樹の方が割って板などにしやすいことに気付いたとして、身近にはなくて遠方の山に取りにいったのか。すると輸送方法を考えないといけない。それは個人技ではなく、多数の人の協力作業がないとできない。これこそ、林業の始まりではなかろうか……なんて想像を広げていくと、古墳時代の林業の萌芽が見られて面白い。

もっとも、私が気に入ったのは、こちら。

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これ、鳥形木製品なんて記されていたが、どう見ても飛行機ではないか。とくに2枚目は胴体部分だけなのか、翼が左右に突き抜ける構造だったらしい。モノコック構造の単発プロペラ機に見えてくる。

古墳時代に飛行機なんて、と思うなかれ。

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これはコロンビアのインカ遺跡で発見された黄金のジェット機と呼ばれるもの。こうした模型が多数出土するらしい。インカ時代に飛行機?それもジェット機? というわけでオーパーツと呼ばれている。オーパーツとは、発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる出土品や加工品のこと。

奈良の古墳のオーパーツとして飛行機の模型だと売り出せないかなあ、と。そういや日本の古墳時代と黄金のジェット機が出土したプレインカ時代は、だいたい同時期だ。

 

 

 

 

2023/02/26

明治神宮は恒続林になり得るか

先日訪れた明治神宮。何も鳥居ばかりを眺めていたのではなく、森も見て歩いた。

そして気付く。

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照葉樹林とされている森には、意外と針葉樹(スギやヒノキ)や落葉樹も混ざっていることに。つまり針広混交林だった。スギやヒノキも大木になっていたから木材生産ができるのではないか。

そもそも明治神宮の成り立ちからすると、明治天皇を顕彰するのが目的で、大隈重信は壮麗な杉並木のある神社を望んでいたらしい。しかし、設計を担当した本多静六や川瀬善太郎は、ここの地質ではスギは育ちにくいと反対し、いろいろな資料を作成して大隈を説得した。ようやく納得させて、潜在植生的な照葉樹林となるような樹種を植えたのである。当時、少しはあったスギなども歳月とともに枯れて、残るのは照葉樹ばかり……となるはずだった。本多は、手入れせずに放置しても維持できる森として照葉樹林を選んだというが……。

だが、今日的には意外とスギやヒノキも目立つのである。これは自然に生えたのか?

そもそも川瀬は、日本に森林美学を導入した一人だ。そして森林美学という言葉を生み出したのは本多だとされる。原語は「森林美の保続」だが、それを森林美学と訳すなんてオシャレ。美しい森こそ、もっとも収穫多い森という理念だ。森林美学は、やがて恒続林思想へと発展するが、その要諦は針広混交林で維持に人の手を極小にしつつ木材生産できる森のこと。だから明治神宮は、恒続林のひな型と言えるかもしれない。

ちなみに、まったく手を入れないわけではない。

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今回目立ったのは、こうした切り株である。かなり太い木が多く伐採されている。おそらくナラ枯れ対策だろう。大木ほどカシノナガキクイムシが侵入して枯らしてしまう(ナラやカシ類。スギやヒノキは大丈夫)。写真のバックに写っているのは、カシナガにやられないようラップ巻きしたのかね。

このように、そこそこ伐採など手を入れつつ、明治神宮の森は作られる。伐られた大木は、何かに利用しているのだろうか。

 

2023/02/22

今、なぜか植村直己を振り替える

今日はなぜか東京にいる。

で、訪れたのが、なぜか植村冒険館(^_^;)。

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グリーンランド縦断をした犬橇。残念ながらレプリカであったが、わりと大きく感じた。もちろん木製である。極寒地では金属使えない。

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マッキンリ―山頂に残された旗、これは本物が展示されていた。

私以外も来館者がポツポツ来るところを見ると、根強い人気なんだろう。もう何十年も前に亡くなったのに、今改めて振り替える彼の人生であった。

2023/02/18

スギ花粉が1トン

そろそろ花粉症の季節。つまりスギの花粉が飛び始めているのだが、そこで今年は花粉量が昨年の何倍だとか天気予報でも語られる。関東地方では、非常に多くなりそうだそうで……で、これは何の量だろうか。花粉の量とは何のこと?

花粉の重さ?かさ?数?生成量? まさかスギの葯室(花粉の入っている雄しべ)を数えたわけではないと思うが。

そもそも花粉を一つ一つ数えた場合の数とはどれぐらいだろうか。

そんな疑問に応えてくれる本を見つけた。ここでは秘す(笑)けど、これは私のネタ本になりそうだなあ。

もちろん花粉の生成量は毎年変わる、それも大きく変動するわけだが、それでも平均値はある。それによると……

花の一つにつく花粉の数は
ヒノキ、モミ、アカマツ----20万粒
ウラスギ(栄養繁殖)-----35万粒
オモテスギ、ウラスギ(実生)-50万粒
クロマツ、コウヤマキ-----150万粒

栄養繁殖、つまり挿し木苗で育てたという意味だろうが、種子から育てた実生とは全然違うのである。

さらにヘクタール当たりの数を出している。
オモテスギ----------40兆粒
ウラスギ(栄養繁殖)-----10兆粒
ヒノキ------------16兆粒

なんと、挿し木苗は実生の4分の1?  ただし豊凶の差は大きく、2000億粒から100兆にも変動する。(オモテスギ)

なんとスギ林は、1年で1トン/ha。多い年は、1・5トンにも達するというのだ。これ、スギだけだから、ほかの木の分も合わせたら……。

毎年1トンだと、成熟した森林には莫大な花粉が眠っていることになる。なにしろ花粉は分解しにくいから何千年と残るからだ。ときに1万年前の花粉を採取して、当時の気候を調べる研究もあるが、森林土壌の中は花粉だらけかもしれない。

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2023/02/17

梅林も木炭になった

奈良市の月ヶ瀬梅林に出かけた。

ここは奈良県内の3大梅林の一つで、歴史も古い。規模も月ヶ瀬湖を囲む谷一面の梅は桃源郷ならぬ梅源郷だ。2月中旬から梅祭りもやっているとのことだったが……。
寒すぎる。体感では今冬でもっとも寒い。咲いているのは、寒紅梅や冬至梅などだけ。そんな中、歩いてきました(泣)。

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現在梅の数1万3000本というが、かつては10万本とも言われた。花見と言えば今は桜だが、本来は梅だったという説もあり、幕末でも梅と桜の花見は両方あったようだ。
ただ梅は実用にもなった。梅干しはもちろん、実は月ヶ瀬では烏梅(うばい)をつくっていた。簡単に言えば梅の実の燻製で、染色の際の定着剤として重要だった。烏梅がなければ十二単も単純な色だったろう。そして烏梅は米よりも高く取引されたから、月ヶ瀬の里人はお金持ちだったのである。

さて、そんな中も発見があった。吉野の桜と似た話である。

桜は、文字通り花見用。花を愛でるために植えた。吉野山では、参拝客に願掛けとして桜を植樹させた。ところが明治維新の動乱期には、花見客が激減し、吉野山の桜も金にならないから伐って木炭に焼いて出荷する話が進んだ。そして杉と桧を植林しようとされた。
それを止めたのが、土倉庄三郎である。吉野山の桜を全部買い取って、桜を保全したのだという。

これは桜が洋なしになったのは吉野だけの話なのかなあ、と思っていたのだが、月ヶ瀬でも同じことが起きたという。明治20年ごろに化学染料が入ってきて、一気に烏梅の需要がなくなったのだ。

その時、梅を伐って炭にしたという。跡地には桑や茶を植えた。幸いそれを止めた人物がいて、梅林の保全が図られた。そして現在の観光用梅林に模様替えしていくのである。まあ、梅干しもあったが(^^;)。

そうか、梅も桜も需要がなくなれば、別のものに変わっていくのだな。

 

 

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