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森と林業と田舎の本

2020/09/12

鹿避け笛

北海道でレンタカーに乗る機会があったのだが、ふと助手席に座って目についたステッカー。

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鹿避け笛とな。

どんなものか気になったのだが、前のドアミラーの手前に装着されていた。これが両側にセットになっている。

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わかるだろうか。小さな筒状になっている。特に電池などの動力はなく、走ることで風を受けると、穴を通り抜ける際にシカが嫌いな音が鳴るらしい。と言っても、その音は聞こえなかったから、人の耳には聞こえない超音波なのだろう。

北海道ではエゾシカとの衝突事故が馬鹿にならない回数起きていて、レンタカー側としても損害が大きいからつけるようにしたらしい。効果はテキメン…ということなんだが、わからない(^^;)。ちゃんと音が鳴っているのかもわからない。上手く風を受ける位置に設置できているのかどうかがポイントなんだろう。

エゾシカは大きいからなあ。調べると、ネットで普通に売っている。本州では見かけないが、そのうちシカの多い地方なら常備するようななるのかも。逆に都会では、子どもが嫌がるような超音波を出す笛なんかも考えられるのではないか。車の接近に気づいてもらえる。

 

2020/08/30

河童のミイラ、と河童釣り

遠野から帰ってきた。深夜だよ、帰り着いたのは。疲れた……。

帰りの飛行機からは、眼下に花火祭りを見てしまった。あれ,どこの地方だろうな。大きな河川沿いだったが。京都か滋賀か。しかも、近畿は、というか、生駒は今夏一番の超熱帯夜。信じられんほど暑い。深夜だよ、30度越えだよ。

いやはや、なかなか大変な旅であったが、念願の遠野巡りもしたし、わりと満足。ま、想定外の「遠野市でコロナのクラスター発生」事件で、厳戒体制の敷かれていたのは、ちと辛かったが。

なかでも、最大の収穫は、これだ。

河童のミイラ。体長54㎝。

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ミイラだけでなく、生きた河童の捕獲にも挑戦。

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頑張って、キュウリで釣ろうとしたんだけどね。。。。

まあ、本日は疲れたので、これまで。

2020/08/28

カッパビエ?遠野の新妖怪

岩手の遠野に来ている。

めざすは、遠野市立博物館。ここで開かれている「遠野物語と怪異」展を見たいのだ。

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カッパのミイラとか天狗の牙とかオシラサマとかケサランパサランとか……いやいや楽しい楽しい(^-^)。

が、出口で新手の妖怪を発見。

アマビエ?あ、ロン毛の河童と書かれているが。これ、どう見てもカッパの木彫りに髪の毛らしいのをくっつけただけやん。学芸員によるとカッパビエというらしいが。。。

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カッパも嘆いているだろう。流行に弄ばれとる。その後河童淵を訪れたのだが、そこでソフトクリームを食べた。座敷わらしソフトというのだそう。旨いよ。

でも、味は小豆味。あずきあらいソフトではないのか?

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2020/08/22

デ・レイケではなかった「これは滝だ」

日本の川を見て、「これは川ではない、滝だ」という有名な話がある。語ったのは明治期に日本を訪れて砂防や治山に大きな貢献をしたというオランダ人の土木技師デ・レイケだとされてきた。

日本の川がいかに急流ばかりで、ヨーロッパ人から見たら滝のように流れているか、ひいては砂防が難しいかということを説明する事例としてよく使われている。

ところが、この言葉はデ・レイケではなかったらしい。

「川ではない、滝だ」実は別人 明治の技師デ・レイケ発言論争決着か

元記事は、富山の北日本新聞のようだが、当時の県会議事録からデ・レイケより前に来日したムルデルの言葉だったらしいことが突き止められたという。これは砂防史の観点では大きな発見だろう。

ただムルデルもオランダ人で、結局はオランダのような平坦な国の人にとって、日本の高低差の激しい川は想定外だったということか。しかし、そんな国の技師が、まったく地形の違う日本の砂防や土木を指導したというのは不思議ではある。

 

ちなみに私が初めて見たヨーロッパの滝は、スイスのライン瀑布である。まあ、観光半分に訪れたのだが、とくに期待はしていなかった。どうせヨーロッパの滝なんて、たいしたことねえ、と思っていたのだ。それはデ・レイケ発言が身に沁みていたからかもしれない。

ただ、実際は結構な迫力であった。なぜかと言えば、落差よりライン川の幅が広いから。

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たしか落差も20メートルぐらいはあったはずだが、一目で見えるのはたいしたことない。ただ幅が150メートルもあるので水量が多く、なかなかの迫力なのであった。

この滝も水が滝の部分の地層を削るので、年々後退しているという。そのうちのっぺりとして日本の川ぐらいの落差になるかもね。

 

2020/08/17

日本の樹木数は1200種・210億本!

琉球大学理学部の久保田康裕教授がこんな発表をしている。

日本全土の樹木種の個体数:約1200種で約210億本!

ありそうでなかったというか、日本列島に何本の樹木が生えているのか、ちゃんと調べた人はいなかったのだね。もちろん、1本1本数えるものではないが、それなりの根拠とデータを積み重ねて推計するのは結構大変だ。
私の感想としては、樹木数が1200種というのは、意外と少ないような気がした。いや、これでも世界的にはかなり多い方だろう。ヨーロッパなんぞは100種を少し超える程度だというし。ただ私は熱帯雨林にハマっていたので、どうしても森には数千・数万種もの樹木がある世界のイメージがあった(笑)。ちなみに草本も加えると、日本の植物種数は3000くらいだろうか。

一方で210億本というのは、やはり多い。樹木といっても、多くは低木だろうが、こんなにあるか。

ただ、その分布地図が面白い。樹木の個体は、中国地方から北陸地方が赤く染まっている。日本海側の方が多いんだ。そして、各地でも結構偏った分布になっている。厳密に見たら、どこそこの山は樹木が多い、とか言えるのだろう。

一方で樹種分布は、逆に太平洋側、四国、紀伊半島、東海・中部山岳地帯……と赤く染まり、日本海側が少なくなる。北海道は驚くほど青い。意外と関東が多いところを見ると、開発とは関係のない地形要因なのか。

個体数の多い樹木ランキングは、びっくり。

1位)ヒサカキ
2位)イタヤカエデ
3位)ヤマウルシ
4位)クロモジ
5位)ミズナラ
6位)イヌツゲ
7位)リョウブ
8位)テイカカズラ
9位)アオキ
10位)コシアブラ

スギ、ヒノキのような人工林の針葉樹は入らないんだ。森林面積の4割が人工林で、そのうちの7割がスギとヒノキなんだが。たとえば面積にすると700万ヘクタールにスギとヒノキが植えられている。スギの方が多いから、ざっと500万ヘクタールということにして、そこに平均1500本/haとしたら、7億5000万本くらい。これぐらいの本数は多い方ではないわけか。

それにしてもヒサカキが一番とは意外。庭園木にも使われているが……。クロモジとかコシアブラ、リョウブが多いのも意外。森でそれほど日常的に見る樹種ではないと思うのだが。

こんなデータを見たら、何をどう読み取るか、結構楽しめる。しかも、この研究を行った琉球大学の研究室は、研究室の企業化を行っているそうだ。株式会社シンクネイチャーである。
昨日の「自己肯定感の低い」「変化を好まず挑戦しない」沖縄人と若者の話をしたが、一気に独創的な挑戦の話になってしまうなあ(笑)。

2020/08/15

小笠原諸島で見た陣地

今年6月に大学探検部の後輩が亡くなった。そこで追悼集をつくる話が進んでいるのだが、彼に関わる(探検部時代の)もっとも大きな思い出は小笠原諸島だ。探検部の遠征は、都合6度も行われたが、彼はその大半に参加している。

彼が写っている当時の写真を探していたら、奇しくも戦争遺跡がいくつも浮かび上がった。

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今は観光開発が進んでどうなっているか知らないが、40年前の小笠原諸島は、まだまだ手つかず(というか、戦後も放置され続けていた)の地域が多かったのだ。道端にトーチカが普通に並んでいたし、地下壕もいたるところにあった。それらを探索するのも「探検目的」の一つだった。

そんなトーチカに私は一つ一つ潜った。上記の写真は、まだ入口が大きいが、なかには這いつくばらなければ入れないところも多かった。そして、多くは内部に、戦時の残骸が転がっていた。

同じ諸島の一角である硫黄島で死闘が行われたのは知られているだろう。島には数千の兵がこもっていが、硫黄島の状況を知りつつ、次は自分たちかと観念していたのだろう。
ちょうど父島の洲崎飛行場沖の海底に、零戦?らしき残骸が沈んでいることを新聞に報じられていた。特攻に飛び立った機体だろうと記されていた。ここから硫黄島の米艦隊に向けて出撃したのだろうか。

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高射砲が転がっていた海岸もあった。もしかして、崖の上の陣地から破棄されたのだろうか。

さらに岩山に登ると、その山の中にも地下壕が掘られていて、その奥に進むと、なんと岩壁に窓が設けてある。そこから覗くと見えるのは……

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美しい海と海峡だが、ここから通交する敵船に砲撃する魂胆だったのだろうか。まあ、1発撃ったら、すぐに砲台の場所がバレて、艦砲射撃で全滅させられていただろう。

トーチカ内にしばらく佇んで外を伺う。じりじりと暑い。虫が這う。南国の風が吹く外とは、隔絶した空間。学生の私は、その時何を考えたのだろう。

せめて、単に歩いて見て回る「探索」だけでなく、きっちり調査して場所と内部の目測図でも描いていたら貴重な戦跡記録になったのに。学生時代がもったいない。多分、小笠原には全長十数キロに渡る地下壕が張りめぐらされていたはず。地下の戦いを想定したのは、硫黄島だけではないのだ。

そんな75年以上前の遠い過去と、40年前の少し近い過去を思い出す終戦記念日。

 

2020/08/14

丸太のクッションin百均

見つけてしまった。丸太のクッション。場所はダイソー、ようするに百均ショップ。

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まあ、この丸太クッションは200円だったが。

なぜ、このことに驚いているかと言えばだ。実はこの手の木材をモチーフにしたクッションを初めて目にしたのは、8年前のスイスだったから。その時、日本にはない丸太とか切り株を模したグッズが街角に売られていることに感心したのだ。これを好む人がヨーロッパにはいる……。それに反して、日本では喜ばれない。

もっとも、その後少しずつ日本でも見かけるようになった。それらを発見する度に、本ブログで紹介してきたはずだ(笑)。つまり、数年遅れで丸太や切り株というデザインが日本にも受け入れられてきたわけである。

チューリッヒの街角の切り株

丸太クッション

それと、ほぼ同じものがなんとダイソーにあったわけだ。若干大きさに違いがあるかもしれないが、2種類。それぞれの樹種を言えたら凄い。すっかり日本人にも定着したのだろうか?

だから驚いたのは存在ではなく値段。だって、200円……。

初めてチューリッヒで見かけたときは、たしか何十フランかした。日本円に換算すると数千円にもなり、へえ~と感じた記憶がある。もちろん買わなかった。いや、かさばるし(^^;)。

で、ヴィレッジバンガードで見かけたものは2000円。これも買わなかった。

しかし、200円までディスカウントされたのだ。心が動くではないか。……でも、買わなかったのだよ(^^;)ヾ(- -;)

ちなみに百均では、こんなものもあった。こちらは100円だ。

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リフォーム用のシートなのだが、どれも木材風。なかには古材風とか、集成材風?まである。これをプラスチックの家具に張ったら、あら不思議、木材家具に化ける。面白い商品だ。これが売れる時代になったことが面白い。……買わなかったけど。。。

 

 

2020/08/01

古都華のかき氷から考えた

今日は娘と古都華のかき氷を食べに、平群の道の駅「くまがしステーション」に行った。

ちなみに古都華とは、イチゴの品種名。奈良県で生み出された新品種で甘みの強さでチョー人気。テレビなどで紹介されたために、引っ張りだこで価格も高い。なかなか県外では手に入らないが、多分日本を代表するイチゴとなるだろう。

そのイチゴと、イチゴソースをふんだんにかけたかき氷が生まれたというので出かけたのである。

するとかき氷は、最後の一つだった。かくして一つのかき氷を娘と二人で両側から食べることになった……。ま、かなり大きいので一人で一皿はきつい代物である。価格も1080円と、なかなか張る。

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これを、いかに崩さずに食べるかが、難問であった……。

ところで、なぜイチゴの新品種とかき氷なのか。実は、奈良県はかき氷発祥の地として売り出し中。なんたって氷室神社が各地にあるほど、氷の産地というか、古代から冬の氷を夏まで保管して、それを食した記録があるからだ。
ま、なんでも発祥は奈良が最初にしてしまうのが、奈良の悪いクセなんだが(^^;)。たとえばお茶にうどん(そうめん)、日本酒、奈良漬け、食べ物以外でも墨や薬(陀羅尼助)、そして相撲まで。

そして、もちろん育成林業も。吉野が500年以上前から始めている。いや収奪林業だって、飛鳥時代に起源があるから奈良発祥だろう。

そう思えば古都華とかき氷の組み合わせは悪くない。

なお、味は美味しゅうございました。イチゴは青果が一番かと思いきや、ソースにすると意外な魅力が出た。食べ物への使い勝手がよくなり、日持ちもするだろうから普及に力を発揮するはず。
ちなみに吉野杉も無垢材ばかりでなく、ソースを売り物にするとよいかもよ。フリッチ(ツキ板)はもうあるのだから。柱でなく、パネル一面に吉野杉のソースを塗りたくったらどうだろう。

 

2020/07/31

驚異! ガチャガチャの世界

娘の要求……要望で、某ショッピングモールを巡ることになり、私はアッシーくんを勤める。この時期にショッピングモールなんて、と思ったが、混んでいないように開店間近を狙う。が、ガラすきであった。

狙うはクレーンゲームなのだが、そこよりも目についたのは「ガチャガチャの森」という店だった。ようするにガチャガチャ、ガチャポンと呼ぶ、お金を入れてガチャッと回して取り出すおもちゃ。これだけの店ができているのだね。

ちょっと圧倒されたが、そこであったのが金髪の女子店員。ふと話しかけてしまったのだが、店舗に常時800種、在庫も入れると1000種のガチャガチャがあるそうだ。そして「私、ガチャガチャが好きで好きで、この店に勤めたんです!」という告白(笑)。そして熱く、熱く、ガチャガチャの魅力を語りだした。

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それにしても、凄いラインナップなのだ。一般に思うガチャガチャは、人気マンガなどのフィギアなどだが、そんなレベルではない。信じられん商品が並ぶ。とくに驚いたのは、こんなもの。

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セミの脱け殻…… (@_@)。

「これ今日入ったばかりの新商品です! 芋虫は子どもたちに大人気で。でも、お母さん方は止めて!と嫌がります」

なんでも、今やガチャガチャは大人の世界なのだそうだ。子ども向きなのは一部で、顧客は大人。それに合わせた精巧なフィギアが増えているのだそう。決してあなどれんレベルなのだ。

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そして発見してしまった、こんなもの。天童木工????これがフィギアになるのか。

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さらに別の店ではカリモクも。

ガチャガチャの世界は進化していた。

「私、ほぼ毎日店に出ていますから、金髪を見かけたら声かけてくださいね」

あああ、引き寄せられるかもしれん……。毎週通うかもしれん……。恐るべき吸引力。いえ、ガチャガチャの魅力ですよ。金髪の女の子ではありませんからね。

2020/07/29

村尾行一先生、逝去

村尾行一先生(愛媛大学客員教授、ほか)が昨日亡くなったという報が入った。御年85~86歳である。

9月頃に愛媛に行く予定があるから、会える時間は作れるかな……とぼんやり考えていたのだが。突然の報に呆然としている。

本ブログでも、村尾行一氏に関しては、幾度となく記してきた。一つは著作の紹介だが、私にとって林業学の師である。もっとも影響を受けて、森林ジャーナリストへの道を歩むきっかけを作ってくださったと言ってもよい。

村尾氏と丁々発止?

書評『間違いだらけの日本林業』

村尾行一著『森林業』は、森林文化論である

同じことを語りつつ正反対?『森と人間と林業』

調べただけで、これだけ。ほかにも、いろいろな話題で村尾行一氏には登場いただいているはずだ。

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代表的にして、私がもっとも影響を受けた2冊。

改めて私との関わりを少し紹介すると、私は大学を卒業してから『山村のルネサンス』を読んだ。ショックだった。学生時代、林業の何を学んでいたのだ? と思うほど。林業とは森林生態学と社会学、そして経済学を統合して実学化したものなのだと悟った。すでに社会人になって、当時の仕事は林業とも森林とも縁遠かったが、いきなり(精神的に)時代を遡って、改めて森林学を学び返す決心させるものがあった。

この本(山村のルネサンス)で語られている中でも、ガツンときたのは焼畑だ。一般には熱帯雨林の破壊を進める原始的農法とされていたが、非常に精緻な技術体系であり、アグロフォレストリーであり、焼畑が林業をつくった第一歩……などと知った。そこで私は焼畑を見て聞いて体験するために、日本に限らずボルネオまで歩いたのである。

初めてお会いしたのは、私はすでに森林ジャーナリストとして独立してからだ。(当時、この肩書は使っていなかったけれど。)
宮崎県が中国に木材輸出する様子を取材するために日向を訪れて、そこで出会った。実は木材輸出の仕掛け人の一人が、村尾氏だったのである。相互造林という会社と組んで現地調査を行っていたのだ。

初の出会いは緊張したが、「山村のルネサンス」の話を持ち出すと「あれは悪書ですよ」と言われてしまった(笑)。
それでも、いろいろ林業に関して質問をしたが、ズバリズバリと返され、こてんぱんにやられた。村尾節というか毒舌に巻かれるがごとくの洗礼である。それでも、不思議と腹が立たなかったというか心地よかったのである。

その後も幾度かお会いしたと思うが、本格的に再会したのは、上記のリンク先にもある谷林業の勉強会である。

そして2018年に、奈良県知事の肝入りでつくられた新条例づくりの検討委員会で同席した。そもそもこの委員会は、知事が『森林業』を読んで奈良県の森を根本的に変えたいと組織したもの。そして私も委員に加えていただいたのだが、村尾氏と席を並べることになるとは思いもしなかった。

実は『森林業』の出版に関しては、私が版元につないでお手伝いした経緯がある。ともあれ、委員会のおかげで2か月に1度くらいの割合でお会いするようになり、しかも委員会は延長されて2年間も続いたから、わりと会う回数を重ねたことになる。

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委員会後の懇親会の席にて

この頃には、村尾氏は毒舌は吐くが、なぜか私に関しては優しくなった。それどころか褒めちぎる。思わず「それって褒め殺しですか」と言い返すほどであった……(^^;)。

ともあれ、委員会は昨年末に条例案を出して終わり、懸案の新条例は今春成立した。いよいよ本番なのである。奈良県フォレスターアカデミーも来年より始動する。改めて指針を考えようじゃないか、という話もあった。その矢先の訃報である。

思わず書きなぐってしまったが、村尾氏についての記憶と語りたいことが頭の中に溢れ出る。私は何をすべきか考えがまとまらない。

合掌。

 

 

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