無料ブログはココログ

森と林業と田舎の本

2020/12/01

庭木としてのスギの剪定

ちょっと寄り道でお休みした生駒の施設。美術会館と名付けているが、ようはアマチュアの発表舞台だろうか。

その庭を少し歩く。一応は和風庭園なのだが。

まず、こんなスギがあった。

20201124_141151

いわずとしれた台杉。スギの幹を伐ることで萌芽を出し、それを上手く育てると、奇妙なデザインになって庭木として重宝されている。このスギは、一般にウラスギと呼ばれる日本海側の品種で、伐採しても芽が出る特性がある。当初は、これで伐採後に植林しなくても次の世代のスギを育てて木材を調達したようだ。これを台杉と呼ぶが、残念ながら萌芽の新たな幹の材質はあまりよくなく、徐々に廃れていく。ところが、その特質を利用して庭木に仕立てるようになったらしい。

20201124_141146

で、その隣にあるスギは……ウラスギでなかったのか、台杉仕立てをしていない。で、この仕立て方はなんだ?
こんな枝先にだけ葉を残すような剪定の仕方は……これもオシャレ?なのだろうか。逆に見すぼらしく見えるのだが。こういうデザインをよしとする風潮というか時代があったのだろうか。

庭木の仕立て方はわからん。

 

2020/11/30

根の伸びる深さの謎

Fores-Tryという、森林研究最前線を記したサイトがあった。

執筆は、ドイツに留学している(た)二人の日本人森林研究者で、まだアップされている量は多くない(現時点で4本)が、混交林についての知見を紹介してくれている。こうした最新研究は今後の森づくりに非常に役に立つだろうから、参考にしたい。とくに日本の単層林ではなく、多くの樹種の混じった混交林づくりをめざす人には欠かせないだろう。

ここで私が内容を紹介するよりも読んだらよいかと思うが、私が おっ!?と思った点を一つだけ。

樹種の相性と根のはたらき」と題した項目で、

世界中の様々な樹種の根の深さを調べた研究によると,樹木は平均で約7mの深さまで根を張ることができるようです。種によってばらつきがあり,なんと最大では地下68mまで達する樹種も確認されています。

とあったのだ。樹根は平均で深さ7mまで伸びる! これはびっくり。だって根というのは基本的に土壌のあるところにしか伸びないはずだから。岩層を割って根が伸びていくということは有り得ない。よく岩をも分かつ……なんて根があったとしても、それはひび割れに伸びただけだろう。あえて岩の間に根を伸ばさねばならない理由はあるだろうか。水や養分のないところに根が伸びても仕方ないから。

では、土壌が7mもの厚さで体積している土地なのか。そんなに土壌が溜まるのは谷底とか川の氾濫原だろうか。でも平均とあるなあ……。日本の土壌の厚さは、おそらく1~2mではないか。山の尾根や斜面ならもっと薄い。その分、谷底に堆積するかもしれないが、それは降雨で流されるから厚く積もるにはよほど地形の条件が必要となるはずだ。
最大地下68mとなると、もう想像できない。巨大な谷が全部土壌で埋まったのか……。氷河地形ならあるのかもなあ。

ヨーロッパの地質は、これぐらい土壌の厚さがあるのが当たり前なのだろうか。でも「世界中の様々な樹種」とあるからなあ。それに根の伸びる深さと樹種は、それほど相関するものだろうか。そもそも「深さ」ではなく、根の「長さ」? 横に伸びてもいいのなら有り得そう。日本でも、結構地表すれすれに伸びた根は見かける。

とまあ、いろいろ疑問が渦巻くのであった(^^;)。

011

生駒山の風化した花崗岩層に伸びた樹根。ここは2mぐらいあるか。

2020/11/29

コロナ禍の猿回し

昨日、大阪のミナミに出た。以前告知したロフトプラスワンのトークライブのためであるが……地下からミナミの道頓堀界隈に出ると、なんか緊張感が走る。

なんたって前夜からコロナ禍のステージが上がり、もはや緊急事態宣言一歩前の様相。とくに大阪はひどい。政府も大阪府・市も、出歩くなと言われているのだから。私自身がビクビクして街を歩く(笑)。野外ではつけないマスクもきっちりして、他人とは接触しないよう距離をとってすり抜けるように歩く。

肝心のロフトは、なんというか、キャンセルが相次いだということでがらがらの状態の中で行わねばならなかった。配信で何人聴いてくれたかまだわからない(アーカイブ配信もある。12月12日まで)が、逆津に来てくれた人々に感謝したい。勇気あるなあ(^o^)。

土日ならごった返しているはずの道頓堀から宗右衛門町界隈も人影はかなり少なかった。まあ、生駒に比べれば多いのだけどね。

そんな街を足早に進んでいると、一カ所人だかりのあるところがあった。戎橋前だ。なんだ、密集しているぞ。いいのか? 何があるのか?

20201128_155222 20201128_155225 20201128_155244

猿回しでした\(^o^)/。このコロナ禍の中で猿回し興行をするか。勇気ある。そして、そこに群がる人たち。

いくら出歩くなと言われても出たい人はいるし、出歩きたいというのは群れたいというのとほぼ同義なのだ。
リスクはあるが、これも都市の機能であり姿なのだろう。獣害に関する話を聞くために集まるリスクは避けるが、賑わいを求めて味わうリスクは気にしない。これって、深く考察すると面白いかも。

私は、こういうリスクは取らない。さっさと場を離れましたけどね。で、何をしたかって? 肩こりがひどくてねえ……。ついマッサージを受けてしまった。そして生駒にかえって焼鳥屋で一杯。それが結構混んでいるのよ。人気の店であるが、今なら空いているかもという私の目論見は外れた。が、美味しかった。……こういうリスクは取る(笑)。

人が求める「猿回し」はそれぞれだ。

 

2020/11/27

恐るべきコウモリ

岩手県の洞窟から、新型コロナウイルス類似ウイルスが発見されたそうである。2013年に捕獲したコキクガシラコウモリの糞から見つかったとか。採取は昔なのだ。保管しておいた資料を調べてみたら、ということか。

コウモリからコロナ類似ウイルス、日本固有種でも検出

やっぱり出たか、という気分ですなあ。もともとコウモリが広く持つコロナウイルスが人に感染するように変異したのが、今回の新型コロナウイルス(SARS-Cov-2)なのだから、日本のコウモリから出てもおかしくない。

コキクガシラコウモリは、私もわりと縁がある。学生時代は洞窟もぐりばかりしていたからよく出くわしたものだ。

洞窟の天井にへばりついている姿は可愛いのだが、飛び立つと恐怖。狭くて暗い洞窟内を乱舞して、身体にもぶつかってくる。当時は「コウモリが狂犬病を感染させる」という報告があって、そちらの心配をしたものだった。

でも、一番恐かったのは、ソロモン諸島のシンボ島にあるパツキオ洞窟を探検したときで、コウモリの糞が醗酵してムンムンとサウナのように暑い中、奥へ進むとコウモリの大群に襲われた。

3_20201127231001

パツキオ洞窟は火山の火口洞窟なんで、基本縦穴なんだが、一部の横のポケットに、それこそ数千匹がたむろしていて、我々がそこに入ったら恐慌状態になったコウモリが我々に特攻してきたのだ(´Д`)。

その話を洞窟を出てから村人に伝えると、それは伝説となった。各地(ほかの島々)行くたびに、「日本人たちが洞窟の奥に入ったら、人より大きなコウモリに立ちふさがれた、襲われて一人が大怪我をした」という噂が広がっていたのである。

そのことは、こちらに記した。「伝説になった日本人

我々は巨大コウモリと戦った勇者となった\(^o^)/。

なんだか脱線したが、コウモリはなかなか恐ろしいのである。

1_20201127231601

これはニューギニアのオオコウモリ。何匹も叩き落として、みんなで焼いて食った。美味かった。

 

2020/11/21

草原生態系の穴場

奈良の若草山の秋は、かつてはススキの名所だった。だが、近年はススキ植生が急に縮んでいる。原因ははっきりしないが、シカが食べすぎたんじゃないのとか、山焼きの仕方が悪いとか、いろいろ言われている。

ススキだけじゃなく、どうも最近は草原の植生がパッとしない……とは主観的だが、日本にあまり豊かな生態系を持つ草原が減っているような気がする。草原は、実は森林より、草原の方が生物多様性が高いとか生物生産量も高いというデータもある。それがすべてに言えるのかどうかは私も確認していないが、たしかに草本の方が樹木より成長はよく、無脊椎動物を含めて種数で言えば多いだろう。

草原、バカにできないのである。かつて草原があると「緑の山を取り戻せ」と植林して回ったそうだが、日本列島で草原が減っているのは、ある意味、列島の生態系の危機。

というわけで、草原の穴場に行ってきた。

 

20201119_190306

ここは平城京……正確には平城宮跡。大極殿が復原されて古代の栄華を示そうとしているのだが、実はその周りか草原。

こうした風景はわりと好きなのだが、平城宮跡はなかなかの草原生態系が広がっていた。

Dsc05611 Dsc05613

ススキも非常に背が高く、豊富。今やススキの名所といえるのではないか。

ついでに、セイタカアワダチソウの群落もあった。こちらは……だが、最近はセイタカアワダチソウもあまり見かけない。生えられる荒れ地が減ったのだろう。その意味では、貴重(^^;)。

1_20201121205501

牧草の刈り取り……じゃないけど、結構の草の収穫はできそうだ。これらはナラシカの食料になるかな。

Dsc05616

ともあれ、平城宮跡は130ヘクタールは超えるから、その何分の1かは草原に覆われている。なかなか穴場である。

2020/11/18

焚き火番組

昨夜、たまたまBSで2つの焚き火番組を見つけた。一部時間が重なっているので、リモコンでザッピング?しながら両方を眺めるという無茶技(笑)。

一つは、BSプレミアムの「魂のタキ火」。焚き火を囲んでの対談番組。この日は黒木瞳と山崎ナオノーラと矢部太郎。

20201117_234214

もう一つは、BS-TBSの「ヒロシのぼっちキャンプ」。こちらは「ヒロシ」がソロキャンプしている様子を映す。

20201117_234644

焚き火番組と言っても、主題はまったく違うのだけど、やはり焚き火をアップにするところが売り物なのだろう。

 

ただ「魂のタキ火」は、話の内容がとくに焚き火とはつながらない。まあしみじみと心の内面を語るところが焚き火を囲んでいる風情といえばそうなのだけど、これで馬鹿話をしたらどうなるんだろう……。
一方でヒロシの方は、一人なんだが、意外やよくしゃべる。まあ無口だと番組が成立しないというか、放送事故になるのかも。一人でしゃべると言っても、結局は撮影スタッフ相手なんだけどね。なんだかソロキャンプのハウツウ番組になっている。

ほかにも焚き火番組があったように思う。ただ、残念ながら十分に焚き火の魅力を伝える番組というのはまだお目にかかったことがない。

以前も紹介したかと思うが、ノルウェーには12時間炎のシーンだけを映す番組があったそうだ。それがエラい評判になったという。ただ焚き火だったか暖炉だったか、薪を燃やしている様子を中継するだけ。まあぶっ続けに見る人はいないのかもしれないが、楽しめるだろうな。環境ビデオのように。

日本もBSなら、そんな挑戦をできないのかね。どうしても人が登場しなくてはいけないのなら、無言で薪をくべる人だけを出せばいい。そして炎を見ながら涙ぐむとか(笑)。そんなシーンだけで、いろいろ想像できる。いや、黙ってチーズとパンを焼いているのもいいな。焚き火に当たりつつ寝てしまってもいいんじゃないか。
その方が薪が燃える姿自体の魅力が伝わるだろう。

日本のテレビは、しゃべりすぎ。

2020/11/14

川辺川ダム再び? 思い出す土木研での対話

熊本県を流れる川辺川(球磨川の支流)。かつてダム建設で揺れて、紆余曲折を経て11年前に白紙撤回となった。それが今年7月の熊本豪雨で氾濫した球磨川流域の治水策の中から、熊本県が再び建設容認に転じたと伝えられている。もしダムがあれば、氾濫浸水面積を6割減らせたと説明されている。

さしづめ国土交通省の11年を経ての反撃といったところか。私は、この6割減という数字にうさん臭く感じるものの、そうしたことは、今後検証されていくだろう。ただ県が建設を希望するのは、流水型ダム(穴あきダム)らしいが、はたしてそれも認められるかな。

そこで思い出したのが、かつて私が国交省の土木研究所(の自然共生センター)を取材した時のことだ。約20年前だと思う。取材の本筋は、多自然(近自然)工法の川づくり、とくに人工洪水についてだった。河川の自然の維持には定期的な氾濫が欠かせないという研究があって、世界各地で人工洪水が実施されていたが、日本でもそれを取り入れるべく研究している現場を訪ねたのである。

洪水は自然破壊的な目で見られるが、実は洪水があることで流域環境に攪乱が起きて、自然は一新され守られていく。河底の石や砂利の移動、岸辺の浸水、その他もろもろの事象が定期的に起きないと河川流域の自然は変化してしまうのだ。洪水という形で、常に川辺の環境は維持されていた。それが、ダムや護岸の建設で増水を抑えるため、肝心の自然が劣化するケースが出てきた。
そこで洪水がいかなる役割を果たしているか、という基礎研究から始まり、洪水を人間社会に被害を出ない程度に制御できないかと考えられた。そのための手法の研究と言えるだろうか。

Img002_20201114231601

土木研究所と聞いたら、ゴリゴリの河川工学とか砂防工学をやっているのかと思いきや、意外や現場は生物の専門家がたくさんいて、植物や昆虫などの生態に通じた人がたくさんいて、ちょっと驚いた記憶がある。そして、みんな川にじゃぶじゃぶ入たり、魚をすくったりと、アウトドアぽい光景が見られた。人工河川にダムからの放水を行い流量増加(洪水)の実験をやっているのだが、なんたって広い。そういや、あの現場を回るのに、出始めた電動アシスト自転車を借りて、初めて乗った思い出も(^o^)。

Img001_20201113213501自然共生センターの人工河川

それにしてもデカくて、金をかけている。森林系の研究所なんか束になっても敵わない(笑)。

その後、センターの所長とあって取材した。というか、雑談になり、やがて河川改修のあり方、ダムのあり方の議論になった。

今や断片的にしか覚えていないのだが、「曲がっている川を見ると真っ直ぐ伸ばしたくなるのよ」なんて言葉が出たのを覚えている(笑)。実は、曲がった自然河川を真っ直ぐにする河川改修から、また人工的に曲げる研究もされている。こちらの取材も後に行った。
一応、私も大学時代に河川工学をかじっているので、流量変化と流量速度、水面上昇の問題などを突っこんで話した。

そしてダムの必要性を治水の他、利水、発電、環境などにも話が及んだ。たしかその頃、干ばつが続いて、四国やら中京圏などで渇水が問題になっていたこともあって、ダムがなければどうするのよ、と言われる。しかし、私は、農業用水は余っているのに上水道水が足りないのはおかしい、水利権の調整で十分水は確保できるはず、と逆襲した。

さらに治水用ダムなら、普段は水を溜めないでもいいはずだ、その方が空っぽのダムにゼロから水を溜めるので治水効果が大きいと持論を展開。ダムサイトだけつくっておいて、普段は開放しておくのだ。それなら建設費も安くなる。しかもダムサイトの土地だけの自然破壊で済む、上流域を水没させないから、大部分の自然は保たれるのではないか、また小規模な人工洪水を定期的に起こして自然環境も守れる……と提案した。
すると「もったいないじゃないですか。せっかくダムをつくったら水も利用しないと」と所長は応えた。

……ところが今は、流水型ダム、穴あきダムという名で、私の提案した理屈のダム建設が各地で行われている。私の炯眼を褒めてほしい(笑)。

ちなみに、そうした話は、極めて和やかに行った。激論なんてことはなく、それでもお互いの意見を丁々発止とやり合ったのは面白かった。完全に取材から外れていたが、向こうもそれなりに面白がってくれたと思う。国交省も自然環境の保全と防災の両天秤している姿勢はわかったし、もっと意見をすり合わせていけば、妥協点が見つかるのではないか、と思わせたのが私の感想だ。

さて、今回の川辺川ダムの再計画はどう進むか。せっかく研究した知見を活かしてもらいたいものだが、またぞろ、建設利権で動いている輩が大手を振って「国土強靱化」の掛け声を元に、ガチガチのコンクリートで自然を固める工法を求めるかもしれない。
流水型ダムが実現するのかどうかも怪しいが、今はもっと新しい防災方法が議論されているはずだ。気候変動は20年前より格段に進んでいる。一方で流域人口は減少局面だ。

次の一手を打たねばならない。先日の里海と同じく、自然と人の生活という天秤をいかに維持するのか。

 

 



2020/11/11

90年前の国有天然林の調査報告

拙著『森と日本人の1500年』(平凡社新書)で、日本の国有林が恒続林を目指して択伐・天然更新施業に力を入れた時代があったことを紹介した。大正末期から昭和初期である。当時は「恒続林を語らざる者は山官に非ず」と言われたそうだ。現在とは真反対のベクトルだろう。

残念ながら、政権交代などもあって上手く進められないうちに戦時体制に入って木材大増産時代に入り恒続林どころか天然更新も消えていく。

が、意外な置き土産があったようだ。

というのも、森林総合研究所で「昭和初期の国有天然林調査報告書の発見」というニュースが出ているからだ。

森林総合研究所は、長年保管してきた古い資料の中から、昭和初期に国有林内の天然林で行なわれた森林調査の膨大な報告書の原資料(662件)を見つけたので、整理しして目録として印刷・公表したという。どうやら、天然更新などを行う前に、その前提の天然林の状況を全国的に調査したらしい。それも、かなり大規模なものだと推察できる。一部は「国有天然林調査報告書」として公刊されたが、多くは忘れられたらしい。ただ原資料は残されたのだろう。

これらの資料は、昭和初期に青森から九州、屋久島まで一斉に行われた調査結果を取りまとめた貴重な資料です。戦中・戦後の伐採で失われたであろう、多くの天然林の姿を今に伝える植生データ、精密な手描きの森林断面図や平面図、膨大な直径と樹高の調査原簿、現場写真などが含まれています
 今後、わが国の森林に対する温暖化影響や森林管理のあり方を考える上で基礎となる貴重な原資料の分かりやすい詳細な目録です。同じ場所で調査を行うことができれば、90年間の気候や土地利用の変化が天然林に与えた影響を検証できるかもしれません。

ただ戦争に突入し、さらに戦後の人工林至上主義?へと移る中で忘れられていたのか。

資料は、青森営林局75件、秋田営林局11件、東京営林局164件、大阪営林局19件、高知営林局139件、熊本営林局254件。これは、戦後の拡大造林によって消えた約90年前の天然林の姿を記録したものとして貴重だろう。それこそ日本の“潜在自然植生”が描けるかもしれない。現在と比べたら、人為による変化はもちろんだが、ほかにも気候変動による植生の変化なども浮かび上げられるかもしれない。

ところで私が感じたのは、この報告書の内容とは別に、新しい政策を採用する際は、これぐらい慎重に調査したうえで行おうとしたことだ。ほかにも小林班づくりや人材育成なども行った上で、天然更新・恒続林をめざしたようなのだ。それが政権交代で中途半端になってしまったうえに、戦争に突入したことで、雲散霧消してしまうのだが……。やはり政策も長期間持続させないと成就しない。

今の林政は……あああ、暗くなる(^^;)。

Photo_20201111162001森林総研HPより借用



2020/11/07

ストーンペーパーは環境に優しいか?

土曜日の朝日新聞には、「be」という別刷版がついてくるが、その1面・3面を使って「フロントランナー」という人物インタビューが載る。そこで11月8日版で取り上げられているのが、TBM社長の山﨑敦義さん。この会社では「ライメックス」というストーンペーパー商品を作っている。石灰岩から作る紙だ。

Zrdtday40tkpyyt1604751036_1604751174

それをSDGsにつながる、循環型経済にして、世界の水資源と森林資源を守る、と謳っている。

? ストーンペーパーは否定しないけど、環境に優しいというのはなぜ? 石灰岩は豊富にあるとか、水を使わずに作れる、木質を使わないから森林を守る……。

う~ん、この論法は、割り箸を樹脂箸に切り換える際に言われた言葉に似ている。木材でつくる割り箸は森林破壊につながり、1回で捨てるから森林資源を破壊するといった発想だ。あまりに表面的な思いつきで、非科学的だった。それも(木材の)塗り箸にするというならまだしも、樹脂箸、つまりプラスチック箸にして何が環境に優しいんだ、と思ったのと同じ気分になった。

ライメックスは、石灰石の微粉末を石油由来の樹脂や添加剤と混ぜてつくるという。最近は植物性樹脂も使いだしたとあるが……。石灰岩の採掘には自然破壊がつきものだし(秩父の武甲山を見よ)、採掘した石灰岩が再び生成されるけでもない。ストーンペーパーは時間とともに腐って微生物に分解され自然界にもどることもないだろう。もしかしたら樹脂が溶けて、石灰の粉になるのか。とはいっても燃やせばCO2も出すし、何より通常の紙と混ざると古紙回収システムが破壊されかねない。
この点は、Yahoo!ニュース「石でつくられた紙はエコか。リサイクルできない紙が増えている

何も私は難癖をつけようというのではない。ただ記事の中でその点をついた質問に

Img001_20201107213701

地球を持続させなくてはと頑張っている企業、人の足を引っ張らないでほしい。」という回答はいかがなものか。批判は受け付けないと言わんばかりの姿勢だ。(疑うなとは言わない、と付け足しているが。)地球を持続させる方法の前提を問うているのだから、真っ当な理屈で回答すべきだろう。それとも応えたがインタビュアーが記事から削っただけなのか。

CO2の問題についてはリサイクルシステムを作らないといけないとしているが、はて、リサイクルしたら、CO2が出なくなるというのはどんな理論だ? この石紙を回収して石灰岩をリサイクルしてもCO2排出・吸収には関係ないはずだ。むしろ回収にエネルギーを消費する。(ちなみに通常の紙は、回収-再生紙のシステムだけでなく、伐採した森林の再生まで含めてカーボンニュートラルを唱えている。)
こうした疑問に一つ一つていねいに応えないと「環境に優しい」という言葉が薄っぺらになる。むしろ善意で環境破壊、というケースになりかねない。

ストーンペーパーは、べつにあってもいい。腐らない紙としての需要もあるだろう。だが、通常の木質(あるいは草の繊維)の紙と区別のつく印を入れておくべきだろう。最近はプラスチックと紙が似ていて区別しづらいのでマークがつけられている。

Recyclemarkplasticsm Recyclemarkpapersm

こんな具合に「石紙」マークが必要では? 

2020/11/02

改革疲れの林業は3号雑誌か

私も、大昔に雑誌の刊行に関わっていたことがあって、その際に言われたのが3号雑誌。ようするに3号まで出したら休刊(廃刊)すること。悪い酒を3合飲んだら潰れるところからの連想か。
そして売れ行きが落ちてきたからと、渾身のリニューアルをすると、翌号潰れるとか……。ようするにリニューアル(改革)疲れである。あまり改革第1号に力を注いだので、2号目、3号目に力尽きて休刊してしてしまう(笑)。

ま、そんなことを思い出したのは、昨日の「大阪都構想の投票」で審判が下ったから。

私にとっては明日のアメリカ大統領選挙とともに「対岸の火事」で「高見の見物」気分なのだが、結果にかかわらず、両者とも沈滞するのではなかろうか。仮に大阪市の廃止・解体が決まっていたら大阪府は沈没するだろうし、結果どおり微差による否決ゆえ対立・分断は強まって立ち上がる体力を失っただろう。しかも、否決されて維新の首長辞任か、と思えばまだ2年半続けるってよ(笑)。やる気のない行政になるだろう。
これはアメリカも一緒だ。結果に関わらず社会が分断されたアメリカの国力は落ちるだろう。

かくして3号雑誌のごとく、手術は成功したが死にました、的な結果になる。

 

最近は、林業界も改革疲れが進んでいるように思う。国は制度をいじりたがるが、それは体力を奪うだけではないか。
しょせん、制度は「器」であり、制度だけをいじっても、器の中に入る「人」のやる気は醸成できない。

では、どうすればよいか。私は改革とは前進ではなく撤退することではないか、と思い出した。

改革のために何か行うのではなく、現在の上手く動かない政策をバッサリなくす。補助金もひたすら削っていく。同時に規制も取っ払う。

仮に絶対によいと思える制度改革でも、それを進めようとしたら反対・抵抗勢力は現れる。だが、撤退ならさして苦労しない。むしろ問題は、新たに何かするのは面倒くさい、という勢力だ。この「面倒くさい」改革をなくす。

産業として衰退させることで、抵抗勢力の力を削ぐ(笑)。上から進むベクトルを示すのではなく、補助金のような餌もなくす。ただ何かやりたい人に対しての規制も撤廃する。好きなようにやってくださいと勧める。ようは、やる気のない者に無理に何かさせようとしない、やる気のある者を邪魔しない。資金が必要な人は投資家に出資してもらうか金融機関から借り入れる。そして多様な試みを(小さく)無数に実施させる。ただ夜警国家論のように、違法行為だけ取り締まるべきかもしれない。

多くは失敗するだろう。結果として一時的に産業は壊滅し、自然も荒れるかもしれない。が、数多くの試行錯誤の中から、新たな時代が生まれるのではないか。「3号林業」ではなく「ダーウィニズム林業」となる。自然淘汰に則って行われる進化である。

きつい改革はせずに、ほったらかしで変化するのを見守るだけ。これは弱肉強食ではない。あくまで多様性の中の淘汰だ。

そういやシラカバは、伐採跡地を放置するとうじゃうじゃ生えてくるけど、植樹すると枯れる、と聞いた。人がここにシラカバ林をつくろうと思うとなかなか育たない……のだそうだ。

そんな方法がもっともコスパがよさそうだ。……もう器の改革なんてうんざりだ。やる気の醸成こそがトップの仕事ではないか。

より以前の記事一覧

December 2020
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

森と林業と田舎