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森と林業と田舎の本

2021/03/04

若草山の山焼きと山火事

我が家のベランダから若草山が見える。わりと最近気づいた(^o^)。そこそこ距離はあるが、わりとしっかり見えるのだ。

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上方に写っている線は、電線だ。この写真から我が家の位置を割り出さないでね(^^;)。

ちなみに今年の山焼きは、コロナ禍で縮小した上に大雨の直後で、ほとんど燃えなかった。それでも焼き直しはしないというから、今春以降は新しい草がどの程度生えるだろうか。

若草山が山焼きを始めた理由は諸説あるのだが、少なくても焼いた後にススキなど草の新芽がよく出て、それが奈良のシカの餌になっている。そして数を増やしたナラシカが若草山の草をせっせと食べて草山状態を保つ……という循環がある。今ではそれがナラシカの姿と草原、そして奈良盆地を一望できるという観光名所づくりの役割が大きくなった。

というわけで、山を焼けなかったことは心配なのだが、一方で先日の栃木・足利市の山火事は100ヘクタール以上を焼いて問題となった。鎮火まで約9日間かかり、周辺の住宅305世帯に避難勧告が出されたほどなので、被害も大きいだろう。ただ丸焼けになったわけではないらしい。報道を見ている限り、足利の山火事は、樹木が燃えた部分は少なく、林床の草や落葉などが焼けたようだ。ただ煙を浴びた樹木もそれなりに傷んでいるだろう。

焼けずに心配な山と、焼けて心配な山。どを違うのか。もちろん管理された山焼きと、野放図に燃える山火事という違いはある。コントロールド・ファイヤーという言葉もあるとおり、人為的に山焼きすることは、大規模な山火事を起こさないためにも大切だ。さらにシカのような草食動物が林床の植生を食べることは、炎の延焼を防ぐ役割も果たす。短くなって燃え広がりにくいのだ。

若草山は、単に人が火入れの管理をしているだけでなく、日常的にシカが若草山の植生を管理している。草をついばんでは丈を短くして、炎が大きくならないようにしているのだ。つまりシカがいることで、山火事の規模を小さくできるのではないか? 
しかも焼けた跡には新芽が出やすくなる。日当たりもよくなるし、灰のミネラルが栄養にもなる。そう考えれば、山火事も大きな生態系の循環の一部を担っているのだろう。

 

 

2021/02/28

サクラ開花のビジュアルマッピング

ときどき森林総合研究所の宣伝マンになるのだが(^^;)、総研のホームページで、全国の支所等に植栽されているサクラの開花情報をビジュアルマッピングしていた。

各地の画像をクリックすると、植えられているサクラの拡大画像が現れ、さらにその画像をクリックすると花芽の写真が現れる。この花芽の様子で開花がわかるという趣向だ。日々更新しています、とのことだが、私が見たら数日前のものだった(笑)。開花の進み方が早いと後れをとるよ。でも、とりあえず全国のサクラの開花状況を確認することができるという試みだ。今年からというわけでなく、毎年やっていたのだね。

なお植えられているのはソメイヨシノばかりではなく、カンヒザクラなど違う品種もあるから、正確に気温と開花を関連づけられないかも。

だいたい「桜前線」なるものが描かれるのも、ソメイヨシノだからだろう。全国のソメイヨシノはクローンで同じ遺伝子を持つから、開花時期を決める条件が気温の変動などに絞られる。

もっとも最近は暖冬続きで開花が早まっているのかなあ、と思っていたのだが、そうとも言えないそうだ。なぜならサクラの開花には、冬の低温が必要だから。低温から高温になり「休眠打破」することで花芽が目覚めるらしい。それなのに、暖冬で低温時期がなくなることで逆に開花が遅れる現象も起きるそうだ。たしかに最近は暖かい九州より東京の方が早かったりする。

ちなみに気象庁は、2010年から開花予想の発表をとりやめている。理由は、民間事業者による開花予想が行われるようになったため「気象の応用情報の業務は民間事業者に任せる」とのことだ。現在、開花予想を発表しているのは民間の5業者とか。で、いくつか見比べてみたが、結構ばらつきがある(笑)。今年は東京と書いてあるものと、福岡が最初と予想している社と。さて、当たるのはどこか?

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上野公園のソメイヨシノ第1号、と言われるサクラ。全国のソメイヨシノがすべてこの木のクローンだと思うと、見た目も違ってくる。

2021/02/25

蚊の季節

今冬は、やはり暖冬のようである。年末年始は大雪が降って、また最近も北日本は大寒波と大雪に襲われているようだが、均してみると暖かい日の方が多いように感じる。大雪と暖冬という振れ幅の広さが「気候変動」なのだろうが……。

私の仕事部屋に面したベランダにはバケツが置いてあって、そこに雨水が溜まるようにしている。その水で植木鉢(今は室内に移しているけど)に水やりをする。これも循環型システムとゆーもんだ。

ところが、そのバケツを覗き込むと……。

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わかるだろうか。ボウフラが多数いるではないか。

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拡大版。しかも、よく動き、元気なのだ。いくらなんでも2月だよ。冬だよ、一応。今日は暖かいが昨日は結構冷えた。いや、ほんの数日前は氷が張っていたのだ。それでも、底で生き延びたか。水も、それなりに冷たい。しかし卵を産みつける成虫の蚊がいて、卵はボウフラに孵り……このままでは成虫になって飛ぶかもしれない。

水量をぐっと減らして、より冷えるようにしてやった。もう一度氷が張るような天候希望。

そういや、私はYahoo!ニュースに「……秋こそ蚊の季節だった」という記事を2年前に書いていた。蚊は意外と猛暑に弱く、秋の虫になりつつあることを記したのだが、このまま暖冬が続く(というより温暖化が激化する)と、冬の間に産卵-孵化、そして羽化して飛び回り春の虫になるかも。結局、蚊の活動期間は春秋となって長引くんじゃないか。ヤバいぞ。

こんなところに気候変動を感じたのであった。

 

2021/02/21

朝日新聞・明治30年の「殖林行賞」記事

わけあって、明治30年の朝日新聞を読む必要となり、図書館に存在を確認してから足を運び、オンラインで読んできた。そして紙面をプリントアウトするまで、泣かされた。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。のだが、なんとかやり遂げる。

しかし、A3版にプリントしたものの、字が小さすぎて、それをまた拡大コピーをするという面倒くささ。当時は文語体であるのに加えて、句読点もなく、また行替えも極めて少ない。さらにタイトルでさえほとんど級数を上げない。もちろんゴチック太字にするとかの配慮もない。そもそも印刷もかすれているし……辛いわあ。
ともあれ、これからコツコツ読むつもりだが、ふと目的の記事の並びにあった記事に目がとまった。

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気になる人は、読みにくいだろうが、頑張って読んでくれ(笑)。

小さな見出しとして、「殖林行賞」とある。当時は殖の字を使っていたのだ。(土倉庄三郎もそうだった。)それとともかく、記事によると香川県のニノ宮村の森小八郎の亡父は、山が荒れて土砂流出・河川の氾濫などの災害を引き起こすので、一念発起して「山林培養」に取り組むのだ。共有林100数十町歩のうち42町歩に樹植を断行する。……これらの言葉遣いも面白い。

が、ここで私が注目したのは、「頑民」の攻撃容易ならざる、という点だ。そして苗を抜き焼いてしまう……というところ。頑なな村民、という意味か。

これ、今の世の中だとピンとこないかもしれないが、一般に植林は嫌われた。草地のままにしておいた方がよいという発想があったからだ。なぜなら草は刈り取って家畜の餌になるほか、堆肥にできるのである。また雨が降ったら、すぐに水がたまるのは、草山の方だ。樹木が生えていると水は減ってしまうことを経験則で知っていた。だから山林より草山の方がよいという思いが「頑民」にはあったのだろう。だ。そこに木を植えることは許せない行為だったのだ。
現在なら、植林と言えば善、正義。山に森ができたら水が増える「緑のダム」だとか言いがちだが、実は科学的には疑問がある。樹木より草の方が生長がよい(生産力が高い)し、水の総量を増やすには、木が生えていないほうがよい。昔の方が正しい知識を持っていたことになる。

それでも山林をつくることは、土砂崩れを防ぎ、木材や木の実という商品価値のあるものを生み出す。獣も増える。結局、小八郎の父は苦労して植え続けて、とうとう山に森を作り出した。すると土砂防止の効果も出てきて、木材生産の利益も出て、とうとう表彰されたというのであった。木杯一組を下賜された、とある。これが「殖林行賞」か。

森林に対する理解も、時代によって違うことを古い新聞記事で読み取るのも一興ではないか。

 

2021/02/17

窯業「試験場」

滋賀県立信楽窯業試験場に行った。

と言っても、この試験場に用事があったわけではなく、待ち合わせの場所として選ばれただけなのだが。

Dsc06974古い看板が飾られている

ここで私がふと感じたのは、「試験場」という用語がまだ使われていること。

昔は、公的な研究機関は、みんな「試験場」ではなかったか。林業試験場、農業試験場、果樹試験場、畜産試験場……。多くが設立された戦前期は、あまり「研究」という言葉がポピュラーではなく、何かを調べたり開発したりするのは、「試験するところ」という感覚だったのかもしれない。

それでも昭和40年代、50年代までは引き続いて普通に使われていたような気がする。それが組織改革の時期と相まって、次々と名称を変えて行った。研究所、研究センター、開発センター、技術センターなどなど。国の林業試験場も、森林総合研究所だしね。今も「試験場」が確実に残っているのは、運転免許試験場くらい?

滋賀県では、窯業に試験場という名を残しているのが古式ゆかしい(笑)。もっとも正確な名称は、今は滋賀県工業技術総合センターの信楽窯業技術試験場となっているそうだが。ちなみに、朝ドラ「スカーレット」にも登場して、ロケにも使われたとか。たしかに、そんな昭和な施設が並んでいた(笑)。

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前庭には、不思議な造形物が……。

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タヌキの化け損ない?トウモロコシに化けようとしたのか、レンガ塀のつもりでいたらツタが巻きついたのか。

なお名前については「窯業だから試験場でよかった」と教わった。「農業試験場なら略してノウシ、林業試験場はリンシになって縁起でもないけど、窯業試験場ならヨウシ。これならイメージ悪くない」そうである。養子と連想すればいいか。脳死とか臨死よりいいわな(^^;)。

そういや東京・目黒には「林試の森公園」という森林公園があるが、これは元国立林業試験場の跡地につくられた。しかし耳にすると、リンシの森、臨死の森と連想するのである……。なんかホラー映画のタイトルぽい。。。

 

2021/02/13

孤立したタケ

某山の中を歩いていて、ふと思ったこと。

タケは、どうやって分布を広げるのか。

普通は、地下茎を延ばして、アチコチで地上にタケノコを出して、そこで竹を生やせばまたエネルギーを蓄積して地下茎を周辺に延ばす……といったイメージがある。だから、タケは常に竹林として群生する。だが、ときたま山の中で孤立したタケを観ることがあるのだ。

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最初は、こんな具合。なんだ、細いササかと思うような竹だが……。

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しばらく行くと、突然タケの棹が現れる。これ、マダケだろうか。それともモウソウチクの細いのか? 

ポツンとある。仮に地下茎をここまで延ばしてきたとしたら、本体?の竹林は相当遠いところにある。見回したところ、周辺にタケはほかに生えていない。最低でも30メートル、いやもっと。だいたい地形も凸凹というか、わりと急斜面。こんなところに地下茎を延ばすのは大変だろう。

だとすると、種子か? タケも数十年に一度、花を咲かせるのだから、その際に種子を作るのだろう。そして、その種子をなんらかの方法で散布するはず。栄養価は高いと聞くが、ノネズミなどの小動物の餌として運ばれる可能性はある。
タケは花を咲かせると枯れるというが(全部でないにしろ)、枯れた後に種子から新たな竹が生長する……それが、こんな孤立したタケなのだろうか。

なんだか素朴の疑問がわいてきた。

考え出すと、わからなくなる。タケの孤独を考える。

 

2021/02/11

建国記念日と神武天皇に寄せて

今日は、気がついたら建国記念日だった。なんか、テレビも朝からいつもと違う番組やってるな、と思っていたら。。。

せっかくだから、祝日の今日は、私の周辺の建国記念、そして神武天皇から昔の森の話をしよう。

まずは、レア物の鳥見霊畤(とみのれいじ)。

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鳥見霊畤とは、神武天皇(当時は神日本磐余彦)が大和を“征討”して統一したこと、つまり建国を宣言したことを示す碑のこと。それはどこで行ったかということで、戦前は学者がカンカンガクガク騒いだそうだ。まあ、伝説の人物が行った伝説の事績の場所を現実の土地に当てはめようと言うのも無茶な話なんだが、結局4つの候補が上がった。奈良県の桜井、宇陀の2つ、東吉野かな。それぞれで碑を建てたはずだ。

しかし、考えてみれば大和を征服する際に最後まで残ったのは生駒の地だ。もともと大阪側から大和に入ろうとして生駒の豪族(登美彦)に迎え撃たれて逃げ帰った地であるが、その後吉野経由で大和に入り、奈良盆地のほかの地域を征服した後に最後まで抵抗した生駒を攻めた。そしてと登美彦をだまし討ちしたことで、全域制覇したわけである。だから征服セイコー!と宣言したのは生駒であってもおかしくない。それなのに、候補地に選ばれなかった。
そこで生駒の有志の人々が学者の決めた4つとは別に建てた……らしい。その頃は尾根まで田畑に開墾されて草山だったのだろうが、今は放置著しい状態で、ハイキング道としてもマイナーすぎてほとんど人は通らない。私は、最初に探し出すのに苦労したのであった。

ちなみに、東吉野村の鳥見霊畤はこちら。

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なかなか立派だ。金かけたんだろう。近くに展望台まであって、かつては観光地だったらしい。今は山奥の忘れ去られた一角だ。荒れ果てていて、誰も行く人はいないのだろう。

一方で、生駒には、こんな碑もある。

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神武天皇顕彰碑。なんで、征服された側が、こんなもの建てるかなあ、と私は個人的に思っている(笑)。

もっと有名なものとしては、紀伊半島の屋根といわれる大台ヶ原の牛石ヶ原には神武天皇像が立つ。

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なんで、ここに建てたんだか不明。伊勢神宮の宮司であった軍人が伊勢と吉野の間にある大台ヶ原も由来があることにしたかったのか。

さて、ここから本稿の本命? 神武天皇の御陵の植生について語りたいと思ったが、もう長くなってしまった。書くのが面倒くさい。橿原神宮の隣にある御陵には、どんな森があるのか。その植生についてはこちらをお読みください(^^;)。

「潜在自然植生」の森を人がつくる危うさを橿原神宮で感じる

Dsc04586 神武天皇陵

 

2021/02/07

4パーミルイニシアティブと「地中の森」づくり

木材活用地盤対策研究会」というのがあるらしい。

木材活用は山ほど言われ続けているが、地盤対策ということは、杭を打ち込んで軟弱地盤を強化する工法のことだろう。昔からある、というか、極めて古い技術のように思うが、これを現代にもっと普及させようという意図らしい。それはよいが、その目的を地球温暖化防止と結びつけるというアクロバットな(笑)発想だ。

地面に打ち込んだ杭、つまり木材は、すぐに腐って崩れ二酸化炭素を放出するように思えるが、条件次第では腐らず長く保てる。今でも江戸時代に打った杭が発掘されることもあるのだから。その状態をカーボンストックとしている。まあ木造建築を「街の森」と呼んで、木材(カーボン)をストックするという発想も広がっているが、さらに地下まで広げようというわけだ。地下の森、地中の森か。

研究会の目的には、木材活用地盤対策研究会は、地球温暖化緩和・森林育成と木材を活用した地盤対策技術の普及、向上、並びにその発展を図ることを目的として設立されました。とある。

ようするに、木材需要を増やすためにはなんでもありというか、木を地中に埋めてしまえ、ということか。会の役員には、ゼネコンやハウスメーカーが並んでいる。住友林業は、この場合ハウスメーカーの立場なんだろうな。会員には森林組合なども混ざっているが。

これ、土木や建築分野から「木の杭を打つ地盤強化法」として研究するなら結構なんだが、地球温暖化(近年は気候変動と呼ぶべきだろう)を持ち出すところにダサさがある。杭にする木も十数年か何十年か育てたのだから、高く買い取ってやってくれ。それが一番の森づくりにつながる。まさか「地球温暖化防止のために使うんだから安くしてね」とか値切るなよな。

 

実は同じようなニュースを別途読んだ。

地中に炭素を閉じ込める研修会」という山梨県のニュースだ。こちらは果樹の剪定木を炭にして地中に埋めるというもの。これは、土の中に含まれる炭素の量を増やすことで大気中へ排出される二酸化炭素と相殺し温暖化を抑制しようと、「4パーミルイニシアチブ」という国際的な取り組みなんだそうだ。これに山梨県は参加している。そこで2月4日に研修会を開いたという。
4パーミルとは、4/1000(0,4%)のことで、全世界の土壌中に存在する炭素の量を毎年 4/1000 ずつ増やすことができたら、大気中の二酸化炭素の増加量をゼロに抑えることができる、という発想を表している。具体的には、人間の排出する炭素量は毎年43億トンなので、同じ量の炭素を地中に増やしていくということだ。これ、誰が言い出したんだ?(フランス政府らしい)

桃の枝およそ25キロをステンレス製のすり鉢状の形をした特殊な装置の中で燃やし、およそ20分ほどで炭になりました。
研修会に参加した農家で、JAフルーツ山梨大藤支所生産部の小野忠道部長は「二酸化炭素を減らす国の目標もあり、いま環境問題に取り組まないと将来に禍根を残すことになる。できるだけ早く取り組んでいきたい」と話していました。

これもなあ。わざわざ炭に焼いて地球温暖化防止、ですか。その熱を利用して化石燃料の使用を減らしたのならよいのだけど(^o^)。でも、土壌に木炭を巻くのは微生物の生育促進や水はけをよくするなどよい効果もある。というか、そちらがメインだろう。後付けで、それはカーボンストックにもなるよ、という程度なら笑って聞いていられるのだけど、最初に二酸化炭素排出削減のためという大風呂敷を広げられると、なんか脱力する。

なんだか戦争末期の精神主義(^^;)みたい。竹槍で突撃かよ。


いっそ、森林や草原を焼いて、その灰を地中に漉き込むぐらいのことをするか。黒ぼく土を人為的につくるつもりで。いや、そもそも腐葉土を溜めていけばいいのだ。日本では落ち葉や剪定木を焼却処分しがちだが、禁止法をつくって全部積み上げて腐葉土をどんどん厚くしていく。森林土壌に腐葉土を10センチ積み上げたら、十分カーボンストックになるだろう。杭打ったり、炭焼かなくてもいいよ。

3_20210207230401森林土壌を調べてみる。菌糸が伸びていた。

オーストラリアのような土壌が貧相なところでは、有機物を焼却すること自体が悪とされているから、日本でもアリだ。もっとも温暖化が進むと、その腐葉土の分解速度もどんどん早くなるけどね。

2021/02/05

平城宮跡を四足ロボットが走る!

これは面白い。平城宮跡歴史公園に、四足歩行ロボットが走るのだ。

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行うのはNTTコムウェア株式会社。四足歩行ロボットと言えば有名なのはボストン・ダイナミックスだが、あの、イヌ的な生き物のような動きを見せるロボットのすごさ(と気持ち悪さ^^;)が、古代史の舞台・平城宮跡に登場する。

これは、公園の維持管理を自動化する「自動巡回点検検証」の実証実験である。2月中旬から始め3月まで行うとか。

この実証実験は、公園の抱える課題の解決などを目指す社会実験「平城宮跡歴史公園スマートチャレンジ」の一環。実証実験では「点検しづらい植生エリアの点検」や「体調不良と思われる来園者・ごみや落とし物の発見」「倒木・落枝につながる樹木の危険予兆」といった公園内の維持管理業務を、“自動運転の四足歩行ロボットの巡回による画像データ収集”と“AI画像解析技術”、“3D地図”を組み合わせることで、自動化することが可能かどうか、検証するというものだ。
詳しくは、FNNプライムオンラインをどうぞ。

平城宮跡は、全体で130ヘクタールを超えるし、野外部分でも何十ヘクタールかある。これまで人が見て回っていたわけだが、その管理・巡回を省力化できるかどうかを試すそうだ。

方法は、公園の地図上に、四足歩行ロボットを自動歩行させるルートを設定して記憶させ、そのルートどおりに四足歩行ロボットが公園内を自動で歩行させるというもの。そしてロボットの頭部についているカメラで歩行中写真を撮影する。その写真を、クラウド上に保存してAIが自動で異物や不具合と思われる物体が写っていないか、判定する。もし不具合と思われる写真を発見すると、その場所を公園の3D地図上に表示する。


ま、そんなことはドーデモいい(笑)。私は、奈良時代の風景(を模した)空間の中をイヌのようなロボットが歩いている姿を見たいのだよ。もともと四足歩行ロボット自体にも興味はあったが、古代史の舞台に近未来のイヌが走るなんて。。。そのミスマッチな風景が見たい。
なんか魔犬のような姿になるかも。どうせなら装飾も工夫してもらいたいものだ。

思えば、この平城宮跡歴史公園内には、近鉄電車が走る。そのミスマッチな風景も(一部のファンに)人気だ。実は、現在この近鉄奈良線の線路を地下に移す計画が進行中なのだ(近鉄は渋っている)。たしかに朱雀門の前に近鉄特急が走る光景はおかしい。ミスマッチだ。しかし、それを100年続け、私も子どもの頃から見てきたから,なくなるのは少し惜しい。ミスマッチは面白いのだよ。

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そして、よく考えると、この手のロボットの使い道はもっといろいろあるのではないか。車輪ではなく四足歩行であることは、凸凹の土地、それこそ山林内でも進めるということだ。ロボットが巡回して、獣害を引き起こす野生動物を追い払うなんてのもアリではないか。ほかにも、少しは荷物は運べるから、山行きの人の相棒にもなりそうだ。お弁当を持たせるとか(^^;)。

もっとも、獣と対決して戦うことはできないのだろうなあ。今回の実証実験でも、「不審者の発見」は対象としていないそうだ。不審者とか獣に襲われて、ロボットが壊される心配もしなくてはならない。ロボット3原則(アシモフ)のように、自分を守る能力は必要かも。

いよいよロボットの時代が来る。山より先に平城宮に。見に行こうっと。

2021/02/03

19世紀、台湾の山岳地帯ははげ山だった

帝国日本の近代林学と森林植物帯」(執筆者は、米家泰作氏と竹本太郎氏)。という論文に目を通した。具体的には日本が台湾を領有して行った山岳調査の記録をひもといたものである。

登場するのは、斎藤音作と本多静六。二人は同い年で東京山林学校で学んだ日本最初の林学者だ。斎藤は官僚に、本多は研究者の道を歩んだが、日本が台湾を領有した直後に、斎藤は現地の署長として赴任。そこへ本多も調査だ、と押しかけている。

で、1896年11月、当時のモリソン山、その後の新高山、今の玉山への登山を試みる。もしかしたら世界初の登頂になるかもしれない……と。実際に日本では、わりと新高山を最初に登ったのを本多静六とする説が流布している。(もっともその直前9月に登った長野義虎や10月の鳥居龍蔵、森丑之助……といった面々がいるのだが、それは別の話。)
ただ、これを読んでいると、なんと本多はベースキャンプで発熱して休養をとり、山頂アタックには参加していないと書いてあるではないか! それなら斎藤はともかく、本多は登頂者でさえない。ええ加減だ。

そんなことより、私が気に留めたのは、記録には先住民(いわゆる高砂族)の集落の上は茅ばかりで、木がないとあることだ。その後、高地に登っても疎林と草原しかない。先住民が火入れをしていることも聞き取っている。焼き畑であり、シカなどの獲物を取るために見通しをよくするためだった。かなり上まで登って、ようやくスギやヒノキ、トウヒ、ツガなどの巨木林が登場する。

しかし、その頃までの台湾は清国支配だったとはいうものの、山岳地帯と先住民社会は放置状態であり、中国人が開発して木を伐ったということではない。植生が荒れていたのは先住民によるのだろう。

なんだか未踏の大森林を進んで未踏の山に登ったイメージがあったが、あまり森林はなかったらしい。そして森林限界を超えて岩の山に入って山頂にたどりつく。なかなか面白い記録だ。

日本だって当時はそうなのだが、山といえばはげ山なのだ。江戸時代から山の木は過剰に採取され、明治に入って一基に収奪が進んだ。木材を得るためというより燃料として伐採が進んだのだ。近代化とともに開発が進んで森林がなくなったのではなく、生活のためだったようである。

ちなみに土倉龍次郎の台湾写真を発掘した際に、山の写真は意外と草原が多かった。龍次郎が台湾に渡ったのは1895年であるから、斎藤・本多とほぼ同じ。

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この写真には、阿里山ソーロガナ頂と記載がある。阿里山と言えば大森林と思いがちだが、このとおりはげ山が写っている。

歴史的な森林破壊の流れを再認識すべきだろう。森は近代化直前に破壊され、近代化と経済発展によって回復する、という仮説が台湾でも立てられそうである。

 

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